初めて、死にたい、と思ったのは、小学二年生の時。別に父が亡くなったからではない。ただ、なんとなく、強がりでも周りが言っていたからでもなくて、なんとなくそう思っただけだった。 
 父が亡くなったときに、私は涙一つ流さなかった。いや、流せなかった、というのが正しいのかもしれない。母には、薄情者と言われた。そうかもしれないと苦笑したが、何故だろう。薄情者と言われて傷ついている自分がいた。
 それから一週間ぐらいして、ようやく私は涙した。
 その日は私の八歳の誕生日だった。
 小学五年生になってから、私の人生の歯車というものが少しずつ狂いだした。
 担任は、金子正子(かねこまさこ)という名の女性教師で、名前通り正しい人だった。小学一年生の時と小学四年生の時と同じ担任だったから、先生の性格というのは嫌というほど分かっていた。
 だから汚したくなった。先生の持っている‘正しさ’というものを。
 嗚呼、やっぱり私は、正しく、なんて生きられない。
 ちょっとした出来心で始めたから、人生という名の歯車が狂うなんて、知る由もなかった。
「先せーい、見て!指の色が変わったー」
 人差し指をテープできつく巻き付けて、紫色になったのを先生に見せた。
 ただ、それだけのこと。ほんの些細な出来事だった。
「どうしてこんなことやったの。死んじゃうかもしれないのよ。指がなくなってしまうわよ!」
金子先生に厳しく怒られた。でも、先生の‘正しさ’を汚すことができた気がした。それだけで、満足だった。
「どうなるかなぁって思っただけだし」
 パン、という音が鳴り響いて、頬に衝撃が走る。先生に強くぶたれたことが分かった。
 親父にもぶたれたことないのに!と言ってもよかったが、さすがにあの時の私も空気を読むことぐらいできた。
「もう二度としてはいけません。死んじゃうかもしれないんだから」
 先生の言った‘死ぬ’という言葉に興味が湧いた。
 先生は私が死ぬ、という言葉に反応したのを違う意味として捉えたのかもしれない。
「怖いでしょう、もうやってはいけませんよ」
 怖いなんて全く思っていなかった。むしろ、どうして怖いのかが不思議だった。
 もしかしたらその時から私は狂っていたのかもしれない。壊れていたのかもしれない。
 ‘死’というものに興味が湧いてから、いろいろなことを試した。
 自分で自分の首を絞めたり、走っているときに息を止めたり、シャンプーやアルコール液を飲んだりもした。後から知ったが、シャンプーやヘアリンスーなどの毒性は低いらしい。
 そして無意識に、死にたいと思うようになった。
 多分、あの日から。