それから、よくわからないけれど、いつの日からか自分の名前が嫌いになっていた。
自分の、永川笑愛という名前に込められた意味が嫌いになっていた。
いつ何時も笑顔で、人を愛おしく思い、人生を楽しみ、慈悲深くなれ、そして、人を救え、という両親の願いがこめられた名前が、嫌いになっていた。だって私は名前通りに生きることはできないから。
嫌いになったのはいつだろう。
先生は。月原先生は、貴女は貴女のままでいいと言ってくれたのに、父に正しさを教わった。
父は、正しい人だった。だから父が嫌いだった。母は、自分が正しいと思っている人だった。
だから、二人とも嫌いだった。
「笑愛、お前は正しく生きなさい」
毎日のように言われていた言葉。
‘正しい’という語句。
もうそれは、私にとっての呪いだった。
父は私が小学二年生の時に亡くなった。父の最期の言葉も、正しく生きなさい、だった。
自分の、永川笑愛という名前に込められた意味が嫌いになっていた。
いつ何時も笑顔で、人を愛おしく思い、人生を楽しみ、慈悲深くなれ、そして、人を救え、という両親の願いがこめられた名前が、嫌いになっていた。だって私は名前通りに生きることはできないから。
嫌いになったのはいつだろう。
先生は。月原先生は、貴女は貴女のままでいいと言ってくれたのに、父に正しさを教わった。
父は、正しい人だった。だから父が嫌いだった。母は、自分が正しいと思っている人だった。
だから、二人とも嫌いだった。
「笑愛、お前は正しく生きなさい」
毎日のように言われていた言葉。
‘正しい’という語句。
もうそれは、私にとっての呪いだった。
父は私が小学二年生の時に亡くなった。父の最期の言葉も、正しく生きなさい、だった。