「さて……そろそろコッチからいこうかネえ……」

不穏なグリアモールの呟きがやけに大きく耳に届く。
呟いた瞬間のことだ。グリアモールの右腕がふっと消えた。
気づくとそれは工藤の目の前にあって。それは彼の左頬をズッ、と横に凪いだ。
まるでスローモーションのように。
いや、実際その動きはそんなに速いものではなかった。
常人である私にすら目で追う事が出来る程に。
だが、工藤はまるで動きを封じられたように動かなかった。

「――ごはっ!」
「きゃっ!!?」

一拍の間を置いて工藤は勢い良く横に吹き飛んだ。
そのままその先にいた椎名を巻き込み、岩壁へと一直線に突き進む。
だが壁に激突する直前、椎名は風でクッションを作り地面に着地した。
椎名は無事だが工藤は――。

「――工藤くん!?」

「……」

返事はない。

「うそ……でしょ?」

椎名の掠れた声が響く。
信じられない。
覚醒以降、あれだけ洞窟の中で無双していた工藤がたったの一撃で気を失ってしまったのだ。

「さあ……コレで一人戦線離脱ダが、どうスル? そこの女の子一人でどう立ち向かってクルのかなあ? フフフ……」

「――っ!」

何なのだ、これは。
この強さは。
私は悪い夢でも見ているのか。

「君さあ……危機感が足りなナイんじゃないかなあ」

明らかに私に向けられた言葉だ。今度はグリアモールの左腕がふっと消えた。
その左手が気づけば椎名の頭を掴んでいる。

「うくっ!?」

あっさりとその腕に空中に持ち上げられ、足をバタバタとさせながらもがく椎名。
だがそれが悲鳴へと変わるまでには、そこまで時間を擁さなかったのだ。

「あああああっ……!!」

「椎名っ!」

私はただその場に佇み彼女の名前を呼ぶ事しか出来ない。何も出来ない。

「フフフ……、ほら……このまま握り潰してしまウヨ? 人間の頭なんてゴミクズみたいなものなんダカラねえ」

「くっ! あああああっ……!」

椎名の体がびくびくと震え、痙攣を繰り返す。最初は必死にばたつかせていた足もやがて動かなくなる。

「――はあっ!!」

「……ほう」

「ゴホッ、ゴホッ……」

動きを止めたと思ったら、椎名は風を駆使してグリアモールの腕を砕いた。
自由になりはしたが深いダメージを負ったのか、立ち上がれずに四つん這いの状態だ。
それでもすぐにふらふらと立ち上がった。
その様子を何をするでもなくグリアモールは見つめていた。

「隼人くん……私は大丈夫だから。美奈に助けられた命なんだもん。今燃やさなくてどうするのよ」

椎名はちらとこちらを向き、私に向けてサムズアップを決めた。
必死に作り出した笑顔なのだろう。
それでもその笑顔はいつもと変わらぬ彼女笑みで。
その笑顔を見た瞬間、私の中でプチンと何かが弾けたのだ。

「――も……もうやめろおおおおおおっっ!!!」

恐怖を湧きおこる感情の奔流が凌駕した。
体の内が熱く燃え滾(たぎ)り、光が身体を包み込んだのだ。

「フフフ……。やっと覚醒できたミタいだねえ……」

「……ぐっ……ああっ……」

「隼人……くん……」

とさりと目の前で倒れる椎名。
だが心が熱く熱を発し続けるような感覚に陥り、同じく体も焼けるように熱い。
身動きが取れない。
鼓動は早鐘を打ったように脈打ち、少しずつその熱が身体の隅々にまで浸透していくのが分かった。
裏腹に私の頭の中は急速に冷えて、落ち着きを取り戻していったのだ。
恐怖の感情が薄れ、震えが止まる。
体からは溢れんばかりの力が漲ってきた。
そんな私の様子を黙して見つめている魔族。
ヤツはやがて満足したように呟いた。

「フフフ……。もういいだロウ。……でも確か……君たちはあと一人いたんダッタよねえ」

「っ!?」

そんな捨て台詞のような言葉を残してグリアモールは虚空の中へと姿を消したのだ。