企画書と添付書類をメールで送付したら、わずか2週間ほどでナガサキの企画部の社員から連絡が入った。

「一次を通過しましたので、次は最終面接になります。追って案内と、面接シートをお送りしますのでお待ちください」
 いとも、あっけない結果通知だった。

 ボクとしては憧れのナガサキの社員だから、もう少し話したかったのだが。
 ただ、この電話を受けた時くらいから自分が変わっているのを実感し出した。

 例えばかつてなら、このシチュエーションだとナガサキの社員を崇め奉って、嬉しさのあまり質問ばかりをしたと思う。しかし今は、相手も社員としてこの取りまとめをするのは大変だろうな、と察して余計なことは言わないでおいた。皆、必死なのだ。

 ツキカさんに対しても、同じだ。
 この知らせは、誰よりも早くツキカさんに伝え、予想通り心の底から一緒に喜んでくれた。しかし、ボクは一つ勝つことで、少しツキカさんが遠くなったような淋しい気持ちが芽生え始めた。

 以前は、自分よりも経済力があり、美人で、社会的な地位も何もかもある遠い存在だったのに、少しずつだが、そんな幻想の霧が晴れて、ただ、年下の若い女性に映る時がある。

 少しでも何かに勝つと、価値観が変わるものなのだろうか?
 ツキカさんと一緒にいたいなら負けた方がいいのではないか、と安直な考えが浮かび、そんな自分が腹立たしくなった。

 わずかその2日後に、最終面接の案内状と面接シートが届いた。面接シートは事前提出だ。また難解な書類を作らなければならない。

 案内状によると、ナガサキのアクセラレータは全国から百件ほどの応募があり、最終面接に残ったのは5件。このうち一つが最優秀賞として、ナガサキと共同事業化していく。まだ、採用までは厳しい状況にあるのがよく分かった。

 商品のセールスポイント、自分の強み・弱味などは書けるが、一つ困った項目があった。
 ジオラマの野菜供給について、行政との提携の有無と、有るのなら行政との協定書の写しを出してほしい、というものだ。

「そんなのダメ」
 急にいつもの喫茶店に来てもらったツキカさんは開口一番、言い放つ。
「どうして、高橋さんの方から頭を下げて、あの一橋に提携のお願いをする必要があるの?」
「勝つためには、何でもやっておきたい」
「一橋から、頭を下げて高橋さんにお願いすべきよ。あれだけのことをされたんだよ」
「頭を下げるのは、別にどっちからでもよくないか」
「そんなことして勝っても、高橋さんは悔しくないの?」

 ついにツキカさんが泣き出した。
 今まではツキカさんの意見をすべて聞いてきたが、今回は初めてボクが逆らおうとしてる。でも、もう迷いはない。
「ツキカさん。もう、自分のプライドなんてどうでもいいよ。頭を下げる人は、プライドを守れない人じゃない。きっとほかに守りたい大きなものがある人だと思う」
「高橋さんの大きなものって何?」

「立田農家組合だけじゃなくて、この街のすべての農家組合と、農業をする人たち、かな。今回の企画は、立田農家組合だけじゃなくて、市内農家を総動員しないと供給が足りなくて全国展開できないよ」
「だから?」

「そう、市内全部となると、市役所の力がいる。一橋さんだけじゃなく、ツキカさんもみんなだ。だから、会わせてほしい、一橋さんに。上司に会う段取りをしてもらえないかな?」
「分かった」
 渋々了承したツキカさんは、翌日、市役所を訪問するよう段取りしてくれた。

 産業振興課は、市役所の2階にある。ツキカさんに入口から案内してもらって会議スペースのような部屋で待っていると、一橋さんがやって来て、3人で話すことになった。

 話している最中、一橋さんは熱心に聞いてくれるし、謙虚で驚いた。にぎわいの森から締め出そうとした時とは別人のようだ。
 ツキカさんから事前に聞いている話では、ボクの企画が注目されていて、一橋さんは態度を急に変えたそうだが、何か違う気がする。

 元々本当に、嫌な人だろうか。
「それは、いいご提案をしてくださいますね。喜んで協力させていただきます」
 ジオラマの野菜を今後、市内全域の農家から野菜を仕入れるにあたって、市が仲介してほしい、とお願いしたところ、一橋さんは快諾してくれた。

 その横で、ツキカさんは一橋さんに不快感を露にしている。
「いくら何でも、都合よすぎませんか? あれだけ高橋さんに失礼なことをしておいて、お詫びくらい最初にしてもいいんじゃないてですか?」

 ついに感情的になって、一橋さんを攻撃した。一橋さんは、苦悩している。
「いや、確かにツキカちゃんの言うとおりですね。高橋さん、にぎわいの森であんな強引な立ち退きのお願いをしてすいませんでした」

「いえ、もういいです」
「高橋さん、よくないですよ」
 すると、今度は一橋さんが怒り出した。

「ツキカちゃん、何も知らない高橋さんを利用するのは止めたらどうだ」
「一橋さんは市長の言いなりじゃない」
「ごめんね、ツキカちゃん。調べたよ。高橋さんが所属する立田農家組合の組合長の斉藤さんは、君の叔父さんだね?」
 それを聞いて一番驚いたのは、ボクだった。ツキカさんは俯く。だから、ボクの情報を斉藤さんから細かく聞いていたのか。

「5年前まで他県にいて、しかもひっそりと大きな農家の後取りとして養子になってたから、ツキカちゃんと名字も違う」
「それが何ですか?」
「つまり、前の市長の弟だ」

 どういうことだ? 斉藤さんがツキカさんの叔父で、その兄が市長ということは……。

「え、ツキカさんのお父さんって!」
「そうです。ツキカちゃんは前の市長の一人娘です」
 一橋さんは頷いて、ボクに説明してくれる。

「どうか、お気を悪くしないでください。あのにぎわいの森から高橋さんに立ち退きをお願いしたのは、譲れない理由がありました」
「理由、ですか?」

「今、高橋さんの借家と畑は、所有者と直接賃貸借契約をしていますよね?」
「はい。契約書もあります。でも会ったことはないんですよね。斉藤さんが全部手続きをやってくださって」
「失礼ですが、家賃は安くしてくれていませんか?」
「はい、きっも大家さんが優しい方なのです」

「その大家は、前の市長、つまり、ツキカちゃんのお父さんです。ところが、弟である斉藤組合長から市に提出している書類には、高橋さんの借家と畑はそもそも所有者から依頼されて組合が放棄地の管理しているものになっていて、その管理費を組合は補助金としてもらっているんです」

「そんな」
「だから、にぎわいの森から立田農家組合は立ち退きしていただき、なおかつ組合の補助金も支払わないことにしました」

「今の市長はおかしい! 農家の補助金をことごとくカットして、これでは農業は育たないです」
 ツキカさんは、怒り出した。

「だから、高橋さんの才能に目をつけ、行政に頼らずに立田農家組合だけを潤うようにしたかったんだよね。でも高橋さんは立田だけではなく、市全体の農業を優先させ、ツキカちゃんの思惑が外れた」
 ツキカさんが苦虫を噛み潰した表情になっている。

「少しくらいごまかしてでも、農家は補助金が必要です」
「それは違うよ」
 一橋さんが諭すように話しかける。

「今まで、君のお父さんはたくさんの補助金を強引に農家に出した。補助金はね、一度もらうと、もらうことが当たり前だと勘違いして、努力をしなくなる場合がある。本当に自立した強い農業に生まれ変わるには、この高橋さんのように行政の補助金に頼らず、企画力で勝負してほしい」
「この世の中、みんな高橋さんみたいに、強くない」
 ツキカさんは泣き崩れた。

「この提案をいただいて、高橋さんが誠実な方だということがよくわかりました。協定書は急いで準備します」
 ボクは深々と頭を下げ、その場を去った。

 あまりにも無知だった。
 ツキカさんが心配だ。以前のような恋心からくる心配ではなく、年上の者として、若い女性を心配する心情に変わっていた。