「どうせ高校も面白くないだろうな」

 高校生活最初のホームルームが終わり、俺は中学の時からの親友である高田裕介に向かってそうつぶやいた。

「まだ早いだろ。見渡してみていい感じの人とかいないのか?」

裕介は俺とは違って早くもかわいい子を見つけたと言わんばかりの表情で俺に対してそう言ってきた。てか、まだ関わりすらないのに可愛いとかわからないだろ。人を見た目で判断しすぎなんだよ。と口に出そうとしたがこんなことを言っても可愛い子が俺の目の前に現れるわけでもないので言わなかった。

「お前・・・もう可愛い子見つけたのか?」

「いや、まだ」

こいつはいい加減な奴だと言うことを忘れてしまうところだった。

 幸い入学したばっかりの授業は成績のつけ方の説明だったり、注文した教科書の配布だったりがほとんどなので、実際に脳みそをつかって問題を解くようなことはなかったのでありがたかった。

 まあそんな生易しい授業ばかりが続くはずもなく、三日目からは何の変哲もない授業が始まってしまった。

 授業が始まってからはクラスの人たちと話す機会も多少あったのだが、新しい環境にあまりなじめず、唯一同じ中学だった裕介とほとんどつるんでいた。これだと中学の時とあまり変わらないな。思っていた通りの面白くない高校生活が続くのだろう。

 ある日の事、いつも通り面白くない授業を受けて疲れがたまったので、俺は何か買おうと思い、まだあまり理解していない学校の構造に迷いながら自動販売機を探していた。
 たかが飲み物一本買うだけに見合ってない時間を費やし、買った飲み物を手にして教室に頑張って帰ろうと思った。

 そう思ったのだが、帰る途中に誰かが地面に蹲っていた。明らかに体調が悪そうな様子で、自分以外に彼女を助けるような人はいなかった。

 できればこういう類の面倒事には関わりたくはなかった。しかし無視した場合人間としての何かが欠落してしまうだろう。それに、誰かを助けて悪い気はしないのだから。

 「大丈夫・・・ですか?」

 普段使わない敬語を使い、彼女に声をかける。彼女の周りには瓶に入った薬が散らばっている。おそらく薬を飲む時、急に体調がわるくなったのだろう。

 「保健室・・・連れてって」

彼女はそれだけ言ってまた蹲ってしまった。どうしていいかわからず、とりあえず薬のふたを閉めて彼女に渡した。あとは彼女を保健室に連れて行くだけだ。

 「立てます?」

 「無理・・・」

僕は彼女に背を向けてかがむ。彼女は僕が何をしようとしているかすぐに察したのか、戸惑いながらも僕の背中に乗ってきた。

「ごめんね・・・迷惑かけて」

「気にしないでいいよ」

 この状態を周りの人に見られたくないなと思いつつ、保健室に向かう。保健室の場所は大体わかっているのですぐに彼女を保健室に連れて行くことが出来た。

 保健室に連れてってわかったことだが彼女は俺と同じ学年だったらしい。クラスは違うけれど。というかよく同学年の子を背負ったなとふと思い恥ずかしくなった。まあ彼女のためになったのだし、おそらく誰にも見られていないからまあいいだろう。

「じゃあ俺付き添いなんで戻ります」

保健室の先生にそう言って僕は帰ろうとする。彼女が小さく俺に向かってありがとうとつぶやいてくれたのがうれしかった。



翌日彼女は学校に来なかった。まああれだけ調子が悪そうだったから当然と言えば当然なのかもしれないけれど。

高校生活最初の一週間が終わり、また次の一週間が始まる。あの時助けた彼女もすっかり体調を取り戻したらしく、普通に元気そうだった。よかった。

「学校面白いか?」

裕介になんとなく聞いてみた。パッと見こいつは高校に入って新しいつながりも増えたように見える。それに引き替え俺はさっぱりだった。いや、新しいつながりが全くないわけでも、だれからも話しかけられないってわけではないのだが、心の底から信頼できる奴はいなかった。

「悪くないと思うけどな。お前はもうなんかあんまり面白くなさそうだし、高校の奴とつるんでるの時のお前なんか違う気がする」

「そんなこと言われてもな」

まあ人見知りなところはそんな簡単に治るもんではない。余計なお世話な気もするが。

「まあ、お前の事だしちょっと面白いことの一つや二つくらい言えば俺みたいになるさ」

そう言って彼は高校の友達とどっか行ってしまった。俺一人でこの昼の時間何すればいいんだよ。あいにく今日はスマホという文明の結晶を家に置いてきたので本当にやることがない。しかたがないので意味もなくそこら辺をうろついてみる。何してんだろうか俺。

 ふと声をかけられた。振り向くとそこには校則違反ギリギリの茶髪を一つに結んだ子が俺の後ろに立っていた。
あの時出会った子だった。

「あの時はありがとうね。すごく助かったよ」

「いや、まあ暇だったし」

とんでもなくかっこよくないセリフを吐いてしまったことに後悔する。

「そういえば私の名前まだ言ってなかったね。鈴白彩って名前だから覚えといてね、潤くん」

「え、俺の名前知ってるの?」

「うん、知ってるよ。坂木潤くん。そりゃおんなじ高校にいたら名前くらい聞くでしょ」

それもそうかと納得する。でも、あの時助けた彼女と何か雰囲気が変わっている気がする。きっと気のせいだろう。

「そんなことよりさ、今度カフェにでも行こうよ。君の事全然知らないし、いいでしょ?」

 どうやら彩は積極的なタイプらしい。人見知りな俺にはこういうタイプの女性はあまり得意ではなかった。しかし、周りと違ってまだ高校での友達が全くできていない俺にとって彼女の誘いを断ってしまえば本当に友達がいなくなるだろう。なので俺は彼女の誘いに応えることにする。

「別にいいよ。俺暇だしいつでも行けるよ」

そういうと彼女はとてもうれしそうな様子を見せた。その笑顔があまりにもかわいらしくて、こっちも笑顔になってしまう。

「じゃあ決まりね!また予定合わせておくから!」

彼女は元気そうにそう言うと自分のクラスに戻っていった。それと同時に、次の授業の予冷が鳴ったので、俺は面白くない授業の準備をしに戻った。

高校生活で唯一充実した昼休みだと思った。

 授業が終わった時にもう一度彩に会った。次の土曜日の午後三時に近くのカフェに行こうとのこと。そこのカフェ屋さんはパフェがとても美味しいで有名なので、まだ一度も行ったことのない俺にとっても魅力的だった。あんまり俺はアウトドア派ではないのだけれど、なぜかこういう時は楽しみになってしまうのだ。なんとなく不思議に思うが、まあしょうがないのかもしれない。

 約束の日になり、約束の店に向かう。この時思ったのだけれどどこ集合なのかを決めておくべきだと後悔した。先に店に入ったのだけれど、この店の雰囲気的におしゃれとは無縁の俺が一人でいることが場違いに思えてくる。せめてもう少し待っておけばよかったと意味の分からない反省をしながら彩を待つ。

 しばらくすると彩がやってきた。いまどきの女子っぽい感じの服装ではなく、おとなしい感じの雰囲気を身にまとっていた。素直に可愛いと思った。

「何食べる?パフェいろいろあるけどどれがいいとか俺わかんないからさ」

「これとかよくない?一番人気って書いてあるし・・・えぇっ!結構いい値段するんだね、パフェに1000円出す勇気ないな・・・」

「別におごってもらおうとか考えてないよ」

「いや、私今後の事とかも考えないといけないからどっちにしても無理・・・」

悲しそうな顔をして彩がそう言った。俺的にはこのくらいの値段全然出せるのだけれど、こういう時って相手に合わせた方がいいんだよな。結局彩は500円のイチゴパフェを頼んで俺は抹茶が乗ったパフェを頼んだ。

 俺たちが頼んだパフェがやってきて、彩は笑顔を取り戻した。一口食べて大げさに美味し~と幸せそうだった。

「彩は学校とか楽しい?」

「んー至ってふつうかな?特別面白いわけでもつまらないわけでもないかな。平和って感じ」

「いいじゃん」

「でもせめてもう少しいろんな人との関わりがほしいかな。あんまり他の人とこんな風にカフェに行くってこともないし、誰かと遊びに行くってことも今まであんまりしてこなかったから」

「そもそも私親が結構厳しい方だから、みんなと同じように夜中遊びに行けるってこともなかったし、どっち道遊んでくれる人がいても変わらないのかもね」

なんか今の俺みたいな感じだと思った。俺の場合は昔はみんなと結構馬鹿やって面白かったんだけれど、高校に入ってそういう目立つようなことは何もやってない。その事実に俺はさびしくなる。なんだか彩もおんなじ感情なのかもしれない。いや、彩にとっては過去もそんなにいいものではないのかもしれない。だったら彼女の方がもっとさびしいだろう。

「中学とかは結構楽しかったの?潤くん結構楽しそうだったって裕介くんが言ってたけど」

彩がそう言ってきたので俺は中学の時の楽しかった話や調子に乗って失敗したこと、授業中にどれだけ先生にばれずに課題を進めれるかとかそういう話をしてあげた。どの話も彩は面白そうに聞いてくれた。

そろそろいい時間になったので、そろそろ出ようかということになり、会計に向かう彩を止めた。流石に女子に全額奢ってもらうわけにはいかないので、こっちが全額出そうとした。彩は今まであんまりいい思い出がないって言っていたし、これから少しでもいい思い出が出来ればいいと思ったから。

「そんな、悪いよ。私が誘ったのに」

「いいから。気にしないで」

少しでも恰好をつけさせてくれてありがたかった。

 その後少し彩と二人で散歩をして解散となった。別れ際に彩と連絡先を交換した。女子っていう生き物は連絡先交換したらおびただしい量のメールが送られてくるものだと思っていたけれど、案外今日はありがとうねの一言で終わった。正直意外だった。

 今日彩と過ごした時間は思っていたより居心地のいいものだった。高校に入って初めて休日が充実したと感じた。


その後の学校生活で少し変わったことがある。それは彩がちょくちょく俺の所に来て他愛のない雑談をするようになったことだ。俺は正直悪い気はしなかった。しかし、それを見て周りの人間が何か噂していることに気が付いた。まあ、俺はそういう他人の目はあんまり気にしないタイプなので特に何とも思わなかったのだが。

 気がかりだったのは、彩の噂があんまりよくない事だった。聞いた話によれば彩は南星中学出身なのだそうだけれど、同じ中学出身の人が言うには一年のころに度々異常行動を起こし、ある一つの大きな問題を生んでしまって、それ以来中学校で彩の姿を見たことはないそう。卒アルには一応彩の個人写真は乗っていたが、クラス写真や行事の写真には一切彩は写っていないんだそう。

 彩が異常行動を起こすような人には全く思えなかった。どのように異常だったかは詳しくは知らないが、それが彩の過去には楽しかった思い出がないのも納得できてしまう。でも、この噂はきっと何かの間違いだと俺は信じたかった。次にあったら彼女に聞いてみよう。そう思った。

 いつも通り授業が終わり、昼休みの時間になった。いつもは裕介と二人でご飯を食べるのだが、生憎今日は裕介は家の階段から派手にこけて足の骨にひびを入れたらしく、学校には来ていなかった。その代わりにあいつからメールでひびの入った骨のレントゲン写真が送られてきた。全くあいつは何やってるんだか。

 仕方なく一人で昼ご飯を食べていたら彩がやってきた。一緒に昼ごはん食べよとの事。ちょうどよかった。

「聞きたいことがあるんだけどさ」

「ん、何?どうした?」

出会った瞬間に聞くことではないのかもしれないけれど、先送りにしたらこの先ずっと聞くことができないような気がして、忘れないうちにさっさと彩の過去について聞くことにした。

「んー、あんまりいい思い出ではないんだけどね。私の親あんまり仲良くなくって、私のことかまってる暇なかったんだと思う。私、それがすごくさびしくてね。周りから理解されないようなことばっかりしてたの。そしたら学校の人が私を変人扱いするようになってね。あいつは変だとかサイコパスだの、そんな事ばっかり言われちゃったから学校に居ずらかったんだよね」

 やっぱり会った途端に聞くことではなかったと後悔した。過去についてしゃべている時の表情は決していいものではなかった。悲しみをこらえているのが見て分かった。まず間違いなく、女の子にさせていい表情ではなかった。

「ごめん、嫌なこと思い出させるようなこと聞いちゃって」

「ううん、大丈夫。平気だよ」

 そこからの雰囲気をどうにかして巻き返そうとしたが結局うまくいかず、彩は昼休みの間一度も笑顔を見せてはくれなかった。
 このままではまずいと思った俺は放課後彩と一緒に帰ることにした。俺と彩は部活に入っていないので、帰る時間になってそのまま彩を見つけて一緒に帰ろうと言った。

 その時には彩はすっかりいつもの笑顔をしてくれた。内心ほっとしながら二人で帰り道を歩く。

「こうして一緒に帰るの初めてだね。というか潤くんから誘うなんて珍しいね」

「まあ、いつも裕介と一緒に帰ってるんだけど、今日裕介休みだし、一人で帰るってのも、なんかあれじゃん」
「それもそうだね」

 そこからはいつも通り中身のない雑談をすることが出来た。裕介からレントゲン写真が送られてきたことを話すと、彩は意味が分からないと笑ってくれた。

 雑談に夢中になったのがいけなかったのか、前から大きな車が来ているのに気がつかなかった。彩が轢かれそうになったので俺は腕をつかんでこっちに引き寄せた。おかげで轢かれることはなかったが、引っ張る力が強すぎたのか彩は地面にこけてしまった。

 それが一番いけなかった。夏場でも彼女は長袖のカッターを着ているのだが、その袖が破れて、彩の腕があらわになってしまった。
 そこには無数の切り傷の跡があった。中には最近できたものもあるのだろう、ところどころ小さな血だまりが固まっていた。

 これが意味するものなんて一目見ただけでどういう事かが分かってしまった。こんなに集中的に、偶然に出来るような傷ではなかった。
 俺は息をのんでしまった。

きっと彩もこれを見られたくなかったのだろう。

「見ないで!」

 聞いたことのない彩の取りみだした声が響く。

「別に私は変じゃないよ・・・普通の人なんだよ・・・」

彩は目に涙を浮かべながら、必死に言いわけを並べる。俺は何も言うことが出来ずに、ただそこにいる事しかできなかった。何か気の利いたことを言えたら彼女のためになったのかもしれないが、言えるはずがなかった。

 それがいけなかった。

彩は涙をこぼしながら僕のもとから走り去ってしまった。赤く染まった腕もそのままに、彼女を一人にさせてしまった。

「おかしい」

一人になった僕はそうつぶやいた。別に彩がそういうことしているからおかしいとか、そんなのじゃない。
 彩を泣かしてしまったのが、おかしい。何か俺には出来る事があったはずだ。
いや、というよりも求められるのはこれからの行動なのかもしれない。彩の力になれないなんて、おかしい。そうわかってはいるのに、具体的に何をしたら彼女が笑顔になってくれるのか、俺には分からなかった。

 それからしばらくの間、彩は学校には来なかった。


次に彼女が学校に来たころには、もう七月に入っていて、もうすっかり面白くない授業にも慣れていた。裕介も足のひびはもうすっかり治ったらしく、昼休みには外で仲のいいやつらと汗だくになるまでサッカーをしている。

 たまに俺も誘われたりはしたけれど、なんだか乗る気にはなれなかった。きっと心のどこかで、彩のことを気にかけてるのだろう。あんなことがあった後にこれだけ休まれたら、だれだって心配の一つや二つはしてしまうだろう。

 珍しく俺の方から彩に話しかけに行くことにした。正直彩の事が心配だったからだ。彩が学校にこない間、彩にメールをしようとしたが迷惑かけたらと思うとあれなので、結局メールの一つも俺からはしなかった。

彩のクラスに入り、彩がいないか見渡す。残念ながら教室にはおらず、そこにいる人たちの会話に彩の名前が出ていた。どうせろくでもない噂話なので盗み聞こうとも思わなかったのでさっさと教室から出る。

 しょうがないので俺も裕介の所に行ってサッカーでもしようかと考えていると、渡り廊下を渡って向こう側の使われていない空き教室に、彩の姿が見えた。

 サッカーをしようと思った考えを即座に捨てて彩の所に向かう。

「おはよ。どうしたのこんなところに一人で」

「潤くん・・・」

 ゆっくりと彩がこちらに振り向く、一目見て分かった、いつもの彩と比べて声のトーンがいくらか下がっていて、明らかに元気がない。

何より、首からうっすら一本の線が引かれていて、そこから血がにじんでいた。

「何してるんだよ!」

 反射的に声が出てしまった。彩が人気のない所、しかも学校でこんなことしているってことは、本人は相当追い詰められているのだろう。
「別に・・・潤くんには関係ないよ」

 俺を突き放すような、冷たい言葉が胸の奥深くに響く。

「別に潤くんのせいでこんなことしているわけじゃないよ。私の親が最近いつもより仲が悪くて、それに学校も私は居づらいんだよ。私の噂、潤くんも少しは聞いているんじゃない?」

 噂を聞いていないと言えば嘘になる。だとしても、なんで一人で抱え込んでしまうのか、少しくらい、頼ってくれてもいいんじゃないか。たとえ俺が何もできないにしても、傍にいて愚痴を聞いてやることくらいはできるはずだ。

「噂なんかどうでもいい、とにかく、彩にはこんなことして欲しくない、彩は笑っている顔が一番かわいいんだから、笑っていたらいいんだよ。そしたら自然にいいことがあるかもしれないじゃん」

 そんな事しか俺には言えなかった。でも、このことばに嘘偽りなんかない。

「潤くんにはわからないよ」

「・・・わかるさ」

 嘘だ。本当は何もわからない。ただ、彩がもうこんなことしているのが嫌なだけで、バレバレの嘘をついてしまった。わかるはずがない。なぜなら彩の辛さは彩にしかわからないし、俺のくだらない悩みも彩には理解が出来ない。

「もし本当に私の気持ちがわかるなら潤くんは疲れてるよ。そろそろ授業も始まっちゃうだろうし、行ったら?」

 今、俺が出来る事はもうないのだろう。彼女のためにも、一人にしてあげた方がいいのかもしれない。

「時間だし、俺はもう行くよ。でも、最近カフェとか行ってないからまた行こうよ。メールしておくから。約束な」

「・・・分かった」

 約束を取り付けることで、彩はまた俺に会わないといけない。だから今日の所はもういいだろう。やれるだけのことはやったと信じたい。

俺が教室に戻る時には、彩は俺にばれないように隠れて泣いていたのを、俺は知っている。



あれから彩にいつご飯行くかメールをしたけれど、彩から返事が返ってくることはなかった。あの日から、彩は学校を休み続けた。

気が気でならなかった。彩が早まってしまったのではないかとか、そういう悪い想像が頭をぐるぐる回る。そんな考えなんかどっかに消えてしまえばいいのに。

 彩から返事が返ってきた。でも、その内容は決して喜ばしい内容ではなかった。

(入院しているから、十日間くらい学校行けない)

何があったのか理解が追い付かない。何か交通事故にでも遭ったのだろうか、体のどこかが悪くて、病気に侵されてしまったのか。

いや違う。きっと、精神関連の所だろう。彩は家庭の状況が悪いって言っていたし、学校がいづらい場所になりつつあるストレスから、精神を壊してしまったのかもしれない。彩のこれまでを知っていたら、この程度など少し考えればわかる。

(しっかり休めよ。またパフェ食べに行こうな)

 返事はおろか、既読が付くことすらなかった。

 彩がいない学校は退屈だ。もともと彩とはクラスが違うのだから、授業や休憩時間は全くと言っていいほど変わってはいないのだけれど、彩が学校に居ないという事実だけで、気分が乗らないでいる。一緒に昼ご飯を食べることもないし、彩が俺を見つけて嬉しそうに俺の傍にくる光景も、見ることはできない。心にぽっかり穴が開いたような感覚が俺を満たす。

 空白の十日間が長かった。メールを打っても返事は来ないし、本当に彩自身がメールすら返せないほど弱っているのであれば、俺はとても心苦しい。その間も彩のよくない噂はおさまらなかった。何も力になれない自分がとても嫌いだ。

 しかし、彩は十日間が過ぎても学校には来なかった。やっぱり彩にとって学校は居ずらいのかもしれない。

 だから俺は彩が学校に来れるよう、きっかけを作ることにした。きっと、俺一人でも彩を必要としていることうを知ってくれるだけで、彼女の心は軽くなるはずだから。

 でも彩とは連絡が取れないし、彩と今関わる方法なんてあるのか?


「家に直接行けばいいじゃねえか」

 裕介に相談してみると、結構攻めた答えが返ってきた。第一、退院したての子にそんなことして万が一気を悪くされたらな。そのアイデア結構一か八かみたいなところがある気がするのだが・・・

「もう少しこう・・・なんか・・・いいアイデアないか?」

「花束でも持ってけば」

「プロポーズかよ」

「似たようなもんだろ」

 裕介に相談したのが間違っていたのかもしれない。彼の言ったことは間違っていると信じたい。

 信じたい・・・うん。間違っていると信じたかった。


 結局俺は彩と中学が一緒の子に彩の住所を聞いた。彩がいいなんて物好きだね。って言ってきたときにはぶん殴ってやりたくなったがそれは置いといて、せっかく住所も聞いたし、相変わらずメールをしても帰ってこなかったので、もうここは俺が本気を出すしかないだろう。

 花束を買っていこうとしたけれどそれだと本当にプロポーズになってしまいかねないので、それはやめた。代わりにもし彩に逢えたら彩が前金銭的な問題で食べられなかったパフェを食べさせてあげようと思っている。

 彩の家は俺の家から少し遠いので、バスで40分くらいかけて彼女の家まで来た。せっかく来たはいいけれど、いざ家に特攻するとなるとさすがに緊張してしまう。

 あんまり人の家の前でうろうろしていると完全に不審者になってしまうので、ここはさっさと突破した方がいいだろう。
 彩の家のインターフォンを押そうとした。したのだけれど、すんでのところで手が止まった。

 あまりの緊張で手が言う事聞かなくなったとかならまだよかった。それは俺の問題だから。でも違った。俺がインターフォンを押さなかったのはそこじゃない。

「お母さん!もうやめてよ!私が悪かったから!ねえ!」

「うるさい!またお前が精神壊したくらいで入院したから医療費が馬鹿にならないだよ!中学の時と言い、何回精神壊したって言うんだよ!」

家の中からずっと聞きたかった声が、聞こえてしまった。それだけじゃなく、何度も体を叩かれているような鈍い音が聞こえてくる。何度も、何度も、鳴りやむことなく家の外まで響いている、彩の泣きわめいている声と共に。

「うわ・・・あそこの家、また娘さんの泣き声聞こえるわよ」

「可愛そうに・・・ここ最近酷くなってない?そろそろ通報した方がいいんじゃないかしら」

 後ろから大人たちが噂しているのが聞こえる。大人たちの言っていることが事実なら、彩は日常的にこういう場面があるのかもしれない。

 恐怖で動けなかった。彼女の家庭環境が悪いとは聞いていたけれど、ここまで度を越した、絵に描いた虐待ではないと思っていたから。

 彩の心の傷を、この程度だろうと決めつけていたのがいけなかった。彼女が抱えていたのは、到底一人で解決できるものではなかったのだ。

 俺は彩を助けてあげることはできない。この場面から彩を助け出す術を、俺は教わっていない。

「ごめん・・・彩・・・」

俺は何もできなかった。俺は逃げるようにその場を立ち去り、バスに乗って家に帰った。自分の不甲斐なさと、彩を助けてあげられない悔しさが入り混じって、だれもいない自分の部屋で泣いてしまった。



 次の日、学校の昼休みに俺は裕介と話をしていた。内容は昨日彩の家に行って起こったことをそのまま話した。彩は日常的にひどい虐待を受けていること、そのせいで彩の精神が壊れて入院した事。そして、それは今回だけではない事。

「俺は・・・どうすればいい?」

友達に話す内容として重すぎるってことくらいは自覚しているのだけれど、俺に頼れる親友なんてこいつしかいない。裕介は少し考えた後、真剣な口調でこう言った。

「通報するしかないんじゃないか?だって、何か起こった時には遅いだろ」

俺にもその案は浮かんだのだけれど、本当に彩にとってそれが最善の手なのか、俺には分からない。けれど結局こういうことになるのだろうか。

 そう考えていたのが裕介にも伝わったのだろう。続けて裕介が喋る。

「通報しないで後悔するより、通報して後悔する方がいいんじゃないか?だって、他人の親の問題に対して出来る事なんてないだろ?」

裕介の言うことはもっともだった。他人の親に対して、子供一人が出来る事なんてたかが知れている。第三者の大人が割って入るのが一番効果的なのだろう。

「まあ通報するかどうかはお前が決めればいいんじゃないか?お前がしなくても、他のだれかが通報するかもしれないしな」

「俺に出来る事、他になんかないか?」

今度は迷うことなく即答で返事が返ってきた。

「彼女を泣かしてやれ」

「は?」

「いや、そうじゃないだろ。今まで彼女はたくさん辛い思いしてきて誰にも知られずに泣いてきただろ、きっと。だったらお前がそれ以上の幸せを与えて、うれし涙にしてやればいいんだよ」

こいつは時々いいことを言うのを、忘れてはいけなかったようだ。

「お前、実は今まで相当モテて来ただろ」

「まあな、中学の時も何人かいたぞ。お前は知らないだろうけど」

さらっと聞き捨てならないことを言ったが、そんなことはどうでもいい。やっぱりこいつを頼って正解だった。

「まあそれはともかく、ありがとな。こんな重たい相談乗ってくれて」

「気にするな俺の仕事はお前の一歩を踏み出させることだ。まあ、まだその役目が終わったとは思っていないけどな」

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。その音は、俺を応援しているようような、優しさに包まれた音に聞こえた。




 八月になった。彩は結局あれから学校に来ないまま、夏休みに入ってしまった。最後に彩と話したのがどのくらい前だったかもいまいちよくわからなかった。そんな自分が少し怖い。彩のことを忘れてしまいそうで、怖い。

 町では夏祭りの準備がもう始まっていて、毎年8月の5日に開催される。田舎の割には少し規模が大きい感じの祭りなので、学生たちはほとんど遊びに行くだろう。実際裕介から行こうぜって誘われたのだけれど、正直あんまり乗る気にはならなかった。

 なぜなら彩と一緒に祭りに行こうと思っているから。

 勘違いして欲しくないのだが、俺の目的は引きこもってしまっている彩を外に出してあげること。これはそのきっかけに過ぎないのだ。俺はまた学校で彩と一緒に昼ご飯を食べたいし、彩が元気になってほしいと思っている。彩が今先の見えないような状態なら、そこから俺が手を差し伸べてあげてたいから。

 夏祭りの三日前、彩にメールをした。最近気付いたのだが彩は俺のメールを見てくれたのだ。返事こそ帰ってこないものの、しっかり既読のマークがついていた。もしかしたら返事が返ってくるんじゃないかと思い連絡をしたはいいものの、結局前日になっても返事は来なかった。

 しかしここで引き下がっては、彩を助けることが出来なくなる。この機会を逃してしまえば、もう彩を連れ戻すきっかけはないと思うから。

 (明日の夜七時、空けといて)

その文章を送り、明日のための心の準備をする。もし彩が本気で嫌がったらどうしようかと思うが、そんな事考えても仕方がない。たとえ嫌われることになったとしても、俺は彩が元気になってくれればそれでいいのだから。



 昼くらいから急激に町がにぎやかになったのが、家にいてもわかった。約束の時間の三十分前なので、身支度を済ませ家を出る。彩の家に着くまでは何ともなかったのに、今では心臓の鼓動が恐ろしく早い。前来た時のような荒れた空気感はもうそこにはなかった。

 深呼吸をし、インターフォンを押す。しばらくすると彩が出てきた。

「久し振り、祭りに行こう」

上手く笑えただろうか。

「・・・家知ってたんだ、まあいいよ。迎えに来てくれてありがと」

俺が来たことに対する嫌悪感は見てとれなかったので安心した。彩はもう準備が出来ていたようで、荷物を取りに行くとすぐに来た。彩の恰好は浴衣ではないにしろ、やっぱり可愛かった。

「ごめんね、急に家に来て。最近学校にも来なかったし、メールも帰ってこなかったから心配しちゃった」

「こちらこそごめんね。でも嬉しいよ」

彩は前みたいな元気はなかった。初めて会った時のような、おとなしい感じ。それでもいい。彩がここにいてくれるだけで、俺は嬉しかった。

 祭りの会場に行くと、そこは感じのいい雰囲気に包まれていた。人も結構な数いるが、彩は大丈夫か聞いてみたけれど、彩は大丈夫らしい。よかった。

 彩に綿あめとリンゴ飴を買ってあげた。彩は幸せそうに綿あめをちぎって食べた。その仕草が可愛くて、いくらでも見ていられると思った。

「昔、まだ両親が仲良かった時、こうやって親子三人で祭りに来てこういうの食べたんだよね。懐かしいな」

そう言う彩はどこか悲しみを帯びていて、それを見るのがつらかった。彩はここ数年いいことが何もない。幸せだったのは遠い昔。俺は、そんな彩を変えてやりたい。俺と出会ったことをきっかけに、彩の人生を変えてやりたい。そう思った。

神社が会場だったので、せっかくなので二人でお参りをした。彩が元気になりますように。また彩が学校に行けますように。気が付けば彩に関することしか願っていなかった。それだけ彩のことを心配していると気が付いた。過去の辛い出来事を忘れさせてあげれるくらいの幸せを、彩にプレゼントしたい。それが今の素直な願いだった。


 もうすぐ花火が上がる時間帯なので、花火が見えやすい場所を探す。裕介によると祭りの会場から少し離れた山にある公園。俺たちが昔学校帰りに直であそびに行った場所が結構花火が見えるらしい。あそこは人気も少ないので、落ち着いた場所という意味では最適だった。

 公園のフェンスに寄りかかり、花火が上がるのを待つ。本当にここは静かでいい場所だった。
 時間がきた。花火が上がる音がする。音がしたかと思えば、それは空高くに上り、大きな破裂音と共に空一面を色づけていく。彩と二人で見る花火は今まで見たどんな花火よりもきれいに見えた。

「きれいだね」

「うん、そうだね」

 もっと他にも雰囲気を作るような言葉はあるはずなのに、きれいの一言しか出ない。それほど彩と見る花火はきれいで、この時間は何にも代えられない大切なひと時なのだ。

 今日をきっかけに彩に元気を取り戻してほしい。この花火よりももっときれいな景色を、彩と一緒に見に行きたい。花火を見ているとそんな感情が湧き上がってくる。その感情がなくならないうちに、俺は・・・



「あのさ・・・」

「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」

「あ、うん。いいよ」

 先に話そうとしたのに、彩にさえぎられてしまった。せっかく決心がついたのに、と思い、ちょっと悲しかった。 

「私の両親ね、離婚することになったんだ。なんか、私が虐待されてるんじゃないかって誰かから通報があったみたいでさ。どっかの役所の人が家に来たんだ。なんでそんなことになったんだって親が喧嘩して、離婚しようってなったんだ。でも、私は二人にとって邪魔でしかなかったみたいで、私は施設に引き取られることになったんだ。ひどい話だよね。実の親から捨てられちゃったんだよ。私って不幸なんだね」

 他人事のように彩は話をしているが、目に涙を浮かべているのが一目でわかる。今回の出来事は彩にとってかなり辛いだろう。両親のどちらからも引き取ってもらえなかったんだから。いくらなんでもひどすぎる。

 施設に入ったら彩は学校が変わってしまうのだろうか、もう二度と会えないくらい遠いところで暮らすのだろうか。離婚をきっかけに、また彩は腕に消えない傷を増やしてしまうのだろうか。悪い想像ばかりが浮かんでくる。

 「私ってもう幸せになれないだよ。ずっとこのまま不幸でいるんだよ。そんなの・・・ないよ・・・」

 今まで我慢してきた涙たちが、溢れて、消えた。一筋の光が輝いているのが分かる。彩の悲しみが痛いほど伝わってくる。

 でももう彩が悲しみの涙を流すのは今日で最後だ。


「幸せになれないなんて、そんなのないよ」

そう、彩はきっと幸せになれる。そう信じている。

「俺が彩を幸せにしてやる。今までのことを全部忘れるくらいの幸せを、俺がプレゼントするよ」

 空に輝く花火が俺の鼓動を加速させる。それでも、この気持ちを彩に届けるために。

「彩は俺にとって大切な存在だからさ。これからもずっとそばにいてよ」

ずっと彩に言わなかった、決定的な一言を。

「大好きだよ」 

消えてしまいそうな、そんな声だったけれど、彩はしっかりと俺の言葉を聞き取ってくれた。

「私といたら不幸になっちゃうかもよ?それでも・・・いいの?」

 答えなんて決まっている。

「後悔なんてしない。だって、俺が幸せにするから」

彩を安心させるために、間を置かずに返す。俺の気持ちが伝わったのだろう。彩は涙を流しながらも、笑顔になってくれた。
「私も大好きだよ。ずっと一緒に居ようね」

 彩と出会えてよかった。だって、彩を助けることが出来るのだから。出会えてなければ、彩を助ける事なんてできないから。彩が俺と出会ったことを後悔しないように、もう二度と、彩が悲しみの涙を流さないように、ずっとそばにいてあげよう。空にうちあがる花火はきっと、俺たちを祝福してくれているのだろう。


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 夏休みが終わり、二学期が始まる。夏休みの間に彩の両親は離婚をし、彩は施設に引き取られることとなったが、幸い学校が変わることはなかった。

 あれから彩は目に見えて笑顔が増えた。過去の不幸を全部忘れるくらいとまではいかないだろうけれど、彩はきっと今幸せなのだろう。それなら、よかった。

 いつものように面白くない授業を終え、昼休みに裕介とどうでもいい雑談をしながら昼ご飯を食べる。

「そういえばさ、ちょっと前の話になるんだけど、これ言うべきだと思うんだから言うんだけどさ」

「ん、どうした」

裕介がいつもと違う感じで話してきた。なんの話をするのか想像もつかない。

「前、彩ちゃんが虐待を受けてるんじゃないかって通報入ったらしいじゃん。あれ、通報したの俺なんだよね」

「え」

「いや、どうせお前通報しないだろうなってこっちもわかるから。まあ、悪い方向に傾いてしまったなら土下座する覚悟でこっちも通報してるから。彩からきっと話があっただろ」

まあ、ともあれ通報してくれてこちらもありがたかった。あれから彩と親の事について話したけれど、彩はやはり虐待を受けていて、そこから逃げたかったらしい。口にはしなかったけれど、やはり彩は逃げたかったのだろう。

「そうか、それならよかった。しっかり俺の役目は果たせたかな」

「・・・まあ、結果オーライってやつかな」

 まあ通報してくれたおかげで彩は自由になれたわけだし、何より今彩は幸せだから、もうそんな些細なことはどうでもいいのかもしれない。

「まあ、とりあえずありがとな裕介」

「おう。まあ、俺も通報してよかったのかちょっと不安だったけどな」

「じゃあ、もう俺用事あるから行くわ」

「おう、じゃあな」

そう言って俺は教室を出て、隣のクラスに向かう。そこには久し振りに制服に身を包んだ、大好きな彩がいた。

 彩も俺に気付き、笑顔でこっちに寄って来る。彩は二学期からまた学校に通うようになり、ここ最近は休むこともなくなった。また学校で彩と会えるようになったこと、彩が元気になってくれたことが何よりもうれしい。

「私、潤くんに出逢えてよかった。私今、幸せだよ!」

彩の幸せを絶やさないよう、これからもずっとそばにいてあげよう。彩がもう二度と悲しみの涙を流さないように。彩の過去という足枷を、一生をかけて外してあげよう。