私の中に残っている仁科くんとの記憶の中で、印象的なことがある。

中学三年生、夏の終わりの出来事であった。



それまで私は、仁科翼という人間に対して特別大きな感情を抱いたことはなかった。


仁科くんは、悩みなんてなさそうな、日々を充実しているタイプだったと思う。

教室の後方の席を陣取って、周りのことなどお構いなしに大きな声でふざけ合う人には、角が立たないようにやんわり注意する。
授業中は爆睡して試験前にノートだけ見せてもらおうとするずる賢い人には、勉強会を開いてあげていた。
いつも掃除当番を押し付けられている人にはなにも言わず手を差し伸べる。


優しさや正義の押し売りだと感じさせない。同じ十五歳なのに、仁科くんは誰よりも大人びて見えた。


しかしながら、私は仁科くんに手を差し伸べられたことも一緒に勉強をしたこともないので、彼にそこまで興味はなかった。

強いて言うなら、私は仁科くんの、人生をちゃんと自分のものにできていところは少しばかり羨ましいと思っていたくらいで、だ。



「あっ」
「お? あやちゃんどしたぁ?」
「……スマホ忘れてきちゃった」


よく覚えている。あの時期は、モモコは県大会を控えていたため部活が忙しく、ユウナとふたりで帰る日がとても多かったのだ。


学校を出て五分ほどした時、いつもポケットに入れているはずのスマホがないことに気が付いた。


スマホは校則で禁止されているけれど、今時持っていない人のほうが希少で、こっそり鞄に入れてくる生徒が大半だ。

私も多数派に値するのだが、六時間目の自習の時間、隠れてスマホを弄っていたら急に先生が入って来て、慌てて机の中に放り込んだのだった。それから、鞄にしまい忘れたまま下校してしまった、というわけである。


「ごめん、私学校戻る。ユウナは……」
「あーどんまい。そしたらあたし、先帰るねぇ」


ユウナは先に帰ってていいよと、そう言おうとした私の言葉に被せるようにユウナが言った。
先のとがったものに心臓を突かれているような感覚だった。「がんばれぇ」と労る気持ちなどさらさらない声で付け足される。


ユウナが学校まで一緒に戻ってくれるなんて可能性はこれっぽっちも考えていなかった。
言おうとしていたことを言われただけなのに、どうして傷つく必要があるんだろう。


「無事スマホ回収できるといーね」
「……あ、うん。バイバイ」



笑顔で手を振り、自宅への道を歩き出すユウナの背中を数秒見つめたあと、無意識にため息が出た。

私だったら社交辞令でも「一緒に戻ろうか?」と聞くなあとか、「用事あるから先に帰ってもいいかな、ごめんね」って謝るなぁとか。

そんなことを考えたところでそれは私個人の意見であって、人に強要すべきことじゃない。

わかっている。わかっているからこそ、こんなにもやるせない。


「……最悪だ、もう」


何に対してこぼれた言葉だったのかは自分でもわからないまま、私は来た道を戻った。