中学校の三年間で、わたしには心を許せるほど仲の良い人はひとりもできなかった。
いじめられていたわけじゃない。直接的な嫌がらせを受けていたわけでもない。それでもただ、漠然とした疎外感を、わたしは抱え続けていた。
二年生にあがるまでスマホを持たせてもらえなかったので、同級生が学校外でもやりとりをしている内容を、わたしは知らなかった。
「ラインでも言ったけどさー」とか「あとで連絡しとくね」とか、わたし以外は誰も気にしていないような言葉を拾って、勝手に傷つくようになった。
わたしの知らない会話ややりとりがたくさんある、その事実がこわかった。
女子たちが数人で集まってひそひそと話しをしているのを見ると、わたしの悪口を言っているのではないかと疑うようになった。人を信じられなくなって、だんだん人と距離をとるようになった。
スマホを持たされた頃には、すでにわたしは孤立していて、誰かと連絡先を交換するようなことはなかった。
学校に行くのがだんだんと億劫になり、休みがちになった。月に何度も学校を休む癖がつき、それは卒業まで治ることはなかった。
三年生になると必然と進路についての話が多くなり、わたしは毎日、不安と不満に押しつぶされそうだった。
絶対に高校生にならないといけないルールなんてなかったはずなのに、高校に行かない選択をしている人は周りにほとんどいなかった。
いつもへらへら笑っていて、救えないほど頭が悪かった同級生は面接だけで受験可能な私立高校に合格していたし、「うちはお金がないから」と言っていた学級委員長は、成績に応じて学費が免除される高校に進学を決めていた。
一年生の時、わたしより試験の成績が悪かったクラスメイトも、いつの間にか県内じゃ偏差値が高い進学校に合格していた。
義務教育は中学校で終わりなのに、頭が悪くても、お金がなくても、不登校でも、高校生になることがあたりまえみたいになっているのはどうしてなんだろう。
勉強も運動もできないし、芸術センスに長けているわけでもない。困った時に弱音を吐ける存在はひとりもいなかった。
本当は、高校生になんてなりたくない。
学校なんてもう行きたくない。
そう思っても、世間はそれを〝普通〟だと言ってはくれない。
結局、わたしは家から少しはなれた私立高校になんとか合格し、高校生になった。
「美乃も、高校では友達たくさんできるといいね」
入学式を終えて家に帰ると、母はわたしにそう言った。
中学校にうまく行けなかった時期、母はわたしを怒ったり責めたりしなかった。
だから勝手にこんなわたしのことも受け入れてくれていると思っていたけれど、それはわたしが勝手に思い込んでいただけだったみたいだ。
「美乃も」の「も」も、「高校では」の「では」も、「良い友達」も全部チクチクして、痛かった。
あたりまえのことをあたりまえにこなさないと普通じゃいられない。
毎日ちゃんと学校に行くこと。たくさん友達をつくること。雑誌で特集されているような流行りのものを友達と共有すること。漫画みたいに、誰かに恋をして浮かれたり傷ついたりすること。
そういう〝普通〟を、中学の時からちゃんとこなせていたら、今とは違う未来にいたかもしれない。
友達がたくさんいて、放課後に流行りのカフェに行って写真を撮ってそれをSNSにあげたり、誰かを好きになって、私も知らない自分のことを知ったり。そういう世界線を生きてみたい。
そうだ、私は普通になりたかったんだ。
母に心配をかけないくらい、そこらじゅうにいそうな女子高生でありたかった。
古乃というアカウントは、そんな願望から生まれた、わたしの架空の日々を綴るものだった。
古乃でいる間は、わたしは〝普通〟の女子高生になれる。反応をもらうことで安心感を得るようになったのも、それからすぐのことだった。
わたしはもう、SNS無しでは生きていけない。