「なっがっ」

 バラは断末魔を上げる事も出来なかった。

 後ろの仮面を被った何かはそのまま走ってこちらに向かってくる。

 最初に反応できたのはムツヤだった。

 小さい頃からモンスター相手に戦いの日々を送っていたので、意識を一瞬で戦いに切り替える事は誰よりも早い。

 こちらも剣を構えたまま飛び出して迎撃しようとしたが、ムツヤの前で大きく飛び跳ねて仮面のを被った何かは大きく宙を舞う。

 そして、そのままの勢いでモモに剣を振り下ろした。

 しまった。完全に受けきれない。

 モモは盾を身構えたが、その盾は騎士が隊列を組んで使う攻撃を受け止める重厚な盾ではなく、あくまで受け流す為の軽い盾だ。

 そんな盾が空中から勢いを付けて振り下ろしてきた剣を受ければ腕ごと下に弾かれてバランスが崩れた。

 その予想通り盾で威力を受け流すことが出来なかったモモは、バランスを崩して前のめりになる。

 モモは仮面を被った何者かの顔は見えないはずだが、その仮面の奥でニヤリと笑ったのが透けて見えた気がした。

 振り上げた二撃目の剣先は確実にモモの喉を捉えている、剣や盾で受け止めるのも体勢を戻して避けるのも間に合わない。

「待てごらあああ!!!」

 次にモモの視界に入ったのは吹き飛ぶ仮面の何者か、そして目の前にはムツヤが現れた。

「ムツヤ殿!!」

 仮面を被る何者は飛び跳ねて立ち上がった、そしてムツヤは庇うようにモモの前に立つ。

「おい、俺は人間を傷付けることはしない。さっさとどけ!」

「何を言っているんだお前は!! 何故こんな事をするんだ!!」

 声から察するにその仮面の人間は男。

 そして、仮面に描かれた逆三角形に見えるように打たれた3つの点とその下に横に長く引かれた一本の線。そのシンボルをモモは知っていた。

「見ればわかるだろう、俺はキエーウの一員だ」

「キエーウ?」

 初めて聞く名前にムツヤは首を傾げ、モモだけが「なるほどな」と納得をした。

「ムツヤ殿、奴らは人間至上主義を唱え、他種族を弾圧している組織です」

「マジですか」

 何だ知らないのかと仮面の男は思った。

 確かに、このキエーウという組織の結成は20年前で人間よりも滅ぼしたい亜人共に名前が売れているのが現状だった。

 だが名前も知らないというのはおかしい。異国の人間だろうか。

「いいか、人間以外の亜人は頭が悪く、醜く、それでいて人に害なす危険な奴らだ。劣等種だ」

 男は左手を胸元まで上げて続ける。

「そんな奴らを奴隷として生かしておいてやったのに、浅ましくもそいつらは反乱を起こして人間様と同じ権利を主張しやがった」

 気持ちよく仮面の男は語りだすと、お前だってそう思うだろうとムツヤを見た。

「それはお前の偏見だ、オーグだっで人と何も変わらないど思う、まぁ俺は人を良ぐ知らないけども!」

 こいつも平等宣言後のお花畑教育の弊害かと仮面の男は辟易した。

 この豚の化物が人間様と同じ権利を持つ? 人と変わらない? 反吐が出る。

「俺たちの殺しは救いでもあるんだよ!! 惨めに人間に憧れてもクソをするしか能がない亜人どもの命をさっさと終わらせてやってんだ、親切な救済なんだよ」

「もういい、お前どは話しでも無駄みたいだ」

  ムツヤは人生で初めてここまでの怒りを覚えた。

 何故、オークのことをそこまで酷く言えるのか。相手の考えはわからない。

 わかりたくもなかった。

 ふと、よく考えたら、祖父以外に初めて会話した同じ種族がコイツだと思うとムツヤは外の世界への憧れと幻想を打ち砕かれた様な気持ちになる。

「邪魔するってんなら、てめぇもやってやる!」

 剣を構えてこちらに突進してくる男。

 あまり時間を掛けると外をうろついて警備もどきをしている豚共が村に戻ってくる。

 一匹ずつであれば負けない自信はあったが、まとめて来られるとこの間のように撤退をせざるを得なくなる。

 男の斬撃を2回3回とかわしてムツヤは思う、何ていうか物凄く遅い。

 さっきは相手が後ろを向いていたので勢いで殴りつけてしまった。

 だが、その後に不意打ちでなければ歯が立たないぐらいに強いのではないのかと不安があったのだが。

「ウォッブ!!」

 4回目の剣撃を難なくかわすとムツヤは手刀で男の腹を思い切り叩いた。

 瞬間、男は横に吹き飛んで、木にぶつかり動かなくなる。

「あれ、あれ? も、モモさんあれって死んじゃったりしてないかな?」

 ムツヤの戦いに加勢するタイミングを伺っていたモモは、あっさりと決着が付いて呆気にとられたが、我に返って返事をする。

「えっとー…… 触ってみないとわかりませんが、全然動きませんね」

「やっべー!! 人殺しはダメだっでじいちゃん言ってた!!」 

 昔、祖父から言い聞かされていた外の世界で絶対に破ってはいけない決まりごと。

 それは人を殺すことだった、人を殺そうと思ったことがないムツヤはその決まりごとを不思議に思って話半分に聞いていたのだが、さっきの怒りで理解が出来た。

 人は怒りが頭のてっぺんまで来てしまうとうっかり相手を殺してしまうのかもしれないと。

 カバンに手を伸ばしているムツヤを見てモモはハッとする。

「ムツヤ殿何を考えている! その男は我々の仲間を殺してムツヤ殿まで殺そうとしたのだぞ!?」

「うーんと、それはわかっているんだけど…… 何が俺のせいで人が死んじゃうって思うど、ドキドキして…… 震えが止まらなくなっで」

 ムツヤは自分の手で人を殺めてしまうかもしれないという事実にパニックを起こしていた。

 胸の鼓動は止まらず、まるで耳の隣で太鼓を鳴らされているかのようにうるさい。

 手はガタガタと震えだして小瓶の中で薬が激しく波をうっていた。

「ムツヤ殿……」

 モモは目を閉じて軽く一呼吸して言う。