ピッピッピッ
規則正しい機械音。
灯桜は静かに眠っている。
事故から三時間が経った。
あの時私に話しかけてきた男性に言った。
「あの子は私の友達なんです」と。
男性は私を引っ張り救急隊員のもとに連れていき、私を救急車に乗せた。
その後色々あり、今は灯桜の病室にいる。
とにかく、責めた。
運転手。警察の人の話では運転手は飲酒運転をしていたという。
なんでこうなるのだろう。お父さん達の時の運転手もそうだった。飲酒運転をして、必ずこう供述する。
『アクセルとブレーキを踏み間違えた』と。
踏み間違えたなんて言われても、事故が起きたことに変わりは無い。許せるわけがない。
なんでこんな昼間から酒を飲んでいるんだろうと思うこともある。事実今だってそうだ。
そしてやっぱり、自分を責める。
責めることしか出来ないんだ。
琴花の言うことを信じていれば。
家に琴花がいたから、なんなのだ。どんな人かは私も全然分からないけど悪い人じゃないし、悪影響なんてない。
あの時の私は何を考えていたんだろう。あの時の自分を殴りたい。
灯桜も灯桜だ。あの時行きたくないなんて言ってくれれば、こんなことにはならなかったんだよ。
その自己嫌悪の繰り返し。灯桜に全く非はない。全部、私のせいで。涙が滲む。
ガラッと病室のドアが開いた。
急いで涙を袖で拭く。
まだ、誰が来たのか分からない。
「和彩!」
ドアに手をかけたまま私を見つめる、水色のワンピースを着た琴花がいた。
不意にも、可愛いな、なんて思ってしまった。
「琴花さん」
さっき止めたはずの涙がまた溢れてきた。「ごめんなさい琴花さん。私が琴花さんの言うことを黙って聞いていればこんなことにはならなかったのに、、、」
琴花はなにも言わない。何か言って。思いっきり私のことを怒って。責めて。最低だって言って。
私の思いとは裏腹に、琴花は私の手をとって、
「一人で辛かったよね、大変だったよね」どうして、琴花が泣いているんだろう。
「私がもっと強く言えば良かった。図書館には行かないでって。それ以前に私が和彩の家にいるのが悪い。和彩は何も悪くない。全部知っているのに言わない私が悪いんだよ」琴花の言葉の意味が理解できない。
「話があるの。ここじゃ話せない」
有無を言わせない声色で断ることが出来なかった。静かに眠っている灯桜を横目で見て、病室を出た。
琴花の後ろについて行っている私はなんとなく怖い思いを抱えていた。これからの話は、多分いい話ではない。ギュッと拳を握る。
勇気と、覚悟を持って。
琴花の足が止まったのは公園の前。
公園と言ってもブランコもなければ、滑り台、シーソーだってない。ベンチが2基しかない。公園と言う名の無機質な空間。
「話を聞く勇気はある?ないなら今すぐ灯桜ちゃんの病室に戻ったっていい」
怖かった。いい話じゃないと分かっているからこそ、怖かった。でも、聞かなければならなかった。
「聞きます。琴花さんが何を言っても、私は全てを信じます」
「そっか」
私達はベンチに座る。琴花は視線を足元にやり、「私は一回死んだの。和彩と私が出会ったあの場所で私は死んだ。倒れてくる標識の下敷きになって」と、言った。
「そんなの、嘘だ!」
「信じるって言ったじゃない」
素直に口を噤む。信じるとは確かに言った。言ったけれどこんな話を普通に信じるのは難しい。
「死んで生まれ変わって、親が事故で死んで。生まれ変わる前と全く同じだと思った。死にたくないから、一度私が死んだ日、あの場所に行かなかったの。別の事故に遭うこともなかったから、これでまた生きられるって安心したの。でもその夜、私の親友が亡くなった」
えっ、、、。
「死ぬほど怖かった。私は生き延びたけどその代償として親友が死んだんだとしたら、私はどうして生きてるんだろうって、毎日思っていた。でも、生きているなら生きなきゃね。親友の分も」
いつの間にか涙が頬を伝っていた。
「どうして和彩が泣いているのよ」
分からない。どうして泣いているのか自分でも分からない。
「そして私達が出会ったあの日は、私の親友が死んでしまった日でもあり、私が一回死んだ日でもあるの。また誰かが事故に遭って死ぬのかって思ったら凄く怖くなった。私のせいでまた誰かが命を落とすことになるのは絶対に避けてたかったんだ。だからあの場所に行ったの」
そうだったのか。
「あの場所に行ったら、あの時と同じように標識が倒れてくる。その真下には女の子がいた。助けないと一生後悔すると確信して私は和彩を助けた」
これが真実。
「和彩が今住んでいる家に私も昔住んでいたんだ。凄く懐かしくて入り浸ってた」
「そうだったんですね」
「和彩に自炊をしてって言ったのも、ちゃんと理由がある。私は自炊をしてなくて栄養失調になったことがあるの。和彩にはそうなってほしくなかったんだよ」
琴花が口うるさく言ったことにはちゃんと理由があったんだ。
「分かりました、頑張ります」
「私、和彩を助けることが出来て本当に良かった」
「私も、琴花さんに助けてもらわなかったら今の私はここにいません。本当にありがとうございました」
「私のやるべきことはこれで完遂された。お別れだよ、和彩」
お別れ?どういうこと?
「あの日死ぬ運命だった和彩を助けるために私はこの世界にいたんだよ。それを達成したから、お別れ」
「そんな!」
「私、和彩のこと忘れないから」
「なんでもうお別れなの!どうして」
お別れなんてしなくない。早すぎる。私のそばから離れないで欲しい。
でもその願いは琴花には届かない。
「私を1人にしないでよ」
「大丈夫、気づいてないだけで和彩は一人なんかじゃないよ」
もう駄目だ。私がなんと言おうと、どう足掻いたって関係ない。
この人は、私の元から去ってしまう。その覚悟をとうの前から決めていたんだ。
「最後に一つだけ聞いてもいいですか」
「いいけど、何?」
「なんでいつも水色のワンピースを着ているんですか?」
琴花は毎日水色のワンピースを着ていた。けれど、レースがついていたり、丈が短かったり長かったりと様々だった。
「最後に聞くのがそのこと?」
悲しそうに、でも少し嬉しそうに琴花は微笑み、言った。

「水色は、私の存在の象徴」

象徴?この言葉の意味をこの時の私は理解していなかった。
「もう、行かなきゃ」
「嫌だ、行かないで!」
子供みたいに駄々をこねる。
琴花は私を見つめ、手を包み込む。
「ばいばい、和彩。私の分も生きてね」
そう言い、私から離れ、公園から出ていく。その姿を、ただ見つめ続けた。
やがて、私の視界から消えた。
ドンッ、という嫌な音と同時に。
ああ、やっぱり全部分かっていたんだね。
自分が今この瞬間に死ぬことを。

救急車を、呼べ!
事故が起きたぞ!
女性が倒れた!
お前は何をしているんだ!
うわっ、酒臭い、、、

今琴花を轢いたのは、白いワゴン車だった。

誰か、この不要な縁を切って。
こんな縁なんか要らない。
ゴミ箱に投げ捨ててやりたい。
出来るなら、要らない紙みたいに、くしゃくしゃに丸めて捨ててやりたい。

手のひらにはまだ、琴花の手の温もりが残っている。
そして、水色のブレスレットがあった。