今日の懇親会は上手くいったが少し疲れた。部長になってからはこういう機会が増えたが、ようやく慣れてもきた。2次会は表参道の会社で使っているバーに行った。1次会で既に相手の部下と付き添っていた僕の部下は帰した。2次会では部長同士で差しでの話もできた。
飲みニケーションはあまり好きではないが一定の効果もあることは認めている。僕は駆け引きなしの本音で話し合える関係が一番だと思っている。話の裏の裏まで読もうとすると疲れてくる。まずは自分が本音で話すことが大事かも知れないが、徐々に信頼関係を構築していくしかない。店で車を呼んでもらってお客を乗せて見送った。これで終わりだ。
どうしようか車を呼んで帰ろうか、まだ10時を少し回ったところだ。家に帰っても誰もいない。酔いを醒ますために少し歩きたいと思った。もう秋も半ば、外に出ると清々しい風が吹いている。晴れてはいるがここでは星が見えない。
専務の話では、接待は昔とは違いこのごろは回数もかける金額も減ってきたとのことだ。時代の趨勢だとか。とはいうものの気を使う。せっかく招待したのだから楽しんで良い印象を持って帰ってもらいたい。この地位になると招待したりされたりだが、招待されたときはできるだけ楽しそうに振舞うようにしている。いずれにしても気疲れする。
細い路地の途中に古いドアのスナックがあった。中の様子を窺うと歌声はしない。どういう訳か入ってみる気になった。ドアを開けるとこじんまりした店内には客が二人ばかりいたが、落ち着いた雰囲気だった。
空いている止まり木に腰を落とす。カウンターの中にいたママとおぼしき若い女性がおしぼりを持ってきた。どこかで見たような顔だと思った。ああ、亜里沙! 髪を短くしていたが、間違いなく亜里沙だった。
僕が驚いたようにじっと見ているので、彼女も僕を見つめた。ママは一瞬驚いた様子だったが、すぐにほほ笑んで「いらしゃいませ」と言った。
僕はどう言っていいか分からずに「こんばんは、ここは初めてです」と言うと「はじめまして、ママの寺尾 凛です」と言って、名刺を差し出した。返礼に僕も名刺を出した。ママはそれを両手で受け取ってじっと見ている。
「良いところにお勤めなんですね」
「そうかな、なんとか子供を育てていけるくらいの給料はくれたからね」
「お子さんは何人なんですか?」
「娘が一人いるけど、今年の3月に大学を卒業した。就職して大阪に住んでいるので、今は一人暮らしだ」
「奥様は?」
「10年前に無くした」
「そうだったんですか、お寂しいですね」
「家へ帰っても誰もいないので、ぶらぶらしていて偶然にここに寄せてもらった」
「ありがとうございます。これからもご贔屓にお願いします」
「水割りを作ってくれる、薄めで頼みます」
「もう随分飲まれているんですか?」
「今日は招待する側だったから、そんなに飲んでいないけど、少し疲れた。ここが3次会かな」
他愛のない初めての客としての会話が進む。
「ここはいつからやっているの?」
「この店は随分昔からあったと聞いていますが、私が勤めたのは2年前です。オーナーが高齢で引退したいと言うので、1年前にここを譲り受けました」
「一人でやっているの?」
「ええ、細々と。お陰さまでお馴染みさんも段々増えてきました」
カウンターの二人連れのお客が帰ると言っている。丁寧に挨拶してドアの外まで出て見送っている。客商売は大変だ。
ママは戻るとすぐに看板の明かりを落としてドアをロックした。でもまだ11時くらいだ。
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「お世話になったのはこちらの方だよ、いつも癒されていたから」
「山路さんは本名だったんですね」
「君の名前は」
「名刺のとおりです」
「凛か、良い名前だね、響きがよくて」
「今日はゆっくりしていってください」
「急にいなくなったので、心配していたよ。身体を壊したのではないかとね」
「あの仕事に急に嫌気が差して、それにいつまでも続けることができないのは分かっていましたから」
「確かにそうだね、早く足を洗ってよかったかもしれないね」
「でもね、改めて働くとなると、どうしてもこういう水商売しかなかったの」
「水商売も立派な職業だ、あの仕事も人を癒してくれる立派な職業だと思うけど」
「普通の人はそうは思わないわ」
「人それぞれだからしかたがないさ」
「世間の目は厳しいのよ」
「僕は気持ちが沈んでいる時に癒してもらって随分助かった」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「独り身?」
「私なんかを相手にしてくれる人はいません」
「もしそうなら、どうかな、僕と付き合ってくれないか?」
「付き合うって?」
「普通に付き合うってことだけど、仕事の休みの日にデートするとかそういうこと」
「私、男の人と普通に付き合ったことがないんです。男の人とはあの場所だけで、外では決して会わなかったし、会わないことにしていました」
「どうして?」
「店が禁止していたこともあるけど、情が移るといけないから」
「あくまで仕事上の関係としておきたかったの? きっと君のプライドがそうさせたんだね」
「いえ、先輩からもそう言われたからです」
「そういうものなんだ」
「悪い男に騙されないためと言われました」
「今はどうなの?」
「やはりお店以外でお客さんとお会いしたことはありません」
「それで付き合ってくれるの? 僕はよい男ではないかもしれないけど、君を騙したりはしない。普通に付き合いたいと思っているだけだ」
「しばらく考えさせていただくわ」
「いいよ、待っているから考えてみてほしい。だから今日はこれで帰る」
「もう帰るんですか、ゆっくりしていって下さい」
「また来てもいいかな? 君とのことは誰にも話すことはないから心配しないでいい。でも昔のことを思い出すから来てほしくないと思っているなら、もう二度と来ないと約束する」
「また来てください、お返事はその時にします」
「じゃあ、お会計お願いします。それと車を呼んでくれる?」
「お呼びしますが、大通りまで出ないといけませんけど」
「それでいいから、呼んでくれる」
凜は車を呼んでくれた。しばらくして大通りの車が待っているところまで送ってくれた。
久しぶりに会ったが、あのころと雰囲気は少しも変わっていない。少し陰のある美しさはそのままだった。髪形を変えているが、自ら放つ雰囲気までは変えられないと思った。
凜と再会した次の週の水曜日、取引会社での打合せ会議があった。会議は5時で終了した。部下は会社へ戻るというが、僕はこれで直帰することにした。そして6時過ぎにスナック「凛」に着いた。
まだ早い時間だから開いているか分からなかったが、ドアにカギはかかっていなかった。中に入ると客は誰もいない。凜がカウンターの中で準備をしている。
「もう開いているんだね」
「あら、お早いんですね」
「外で会議があって、直帰すると言ってここへ来た」
「何か召し上がりますか?」
「メニューある」
「どうぞ」
「オムライスをお願いします。これが子供の時から好きでね。それに水割り」
「すぐに作ります」
凜はすぐに水割りを作ってくれて、それからオムライスに取り掛かる。しばらくしてカウンターに運ばれてくる。一口食べてみるが、バターが効いていてとてもおいしくできている。
「お味いかがですか」
「おいしい、まあまあかな」
「まあまあですか?」
「ごめん、まあまあは誉め言葉だ。それで先日の返事を聞きに来た」
「せっかちですね」
「思ったらすぐにやらないと気が済まない性格だからしょうがない、会社でもいやがられているけど」
「お付き合いの申込み、うまくお付き合いできるか分かりませんが、お受けしようかなと思います」
「それはありがたい」
「お付き合いできるのは店が休みの日曜日と祭日だけですけど、よろしいですか」
「こちらも日曜日と祭日は休みだから丁度いい。普通に付き合うなら、それで十分だ。じゃあ、さっそく今度の日曜日にデートしよう。どこへ行きたい?」
「そういわれても、すぐに思い浮かびませんが」
「どこか行ってみたいところとか、何か好きなことはないの?」
「私、絵を描くのが好きなので、じゃあ美術館にでも連れて行ってくれませんか?」
「いいね、調べてメールでもしようか? その後、一緒に食事をしてくれる?」
「はい」
「待ち合わせ場所と時間はあとで連絡するから」
「分かりました。楽しみにしています」
ちょうど話がついたところに二人連れの客が入ってきた。オムライスも食べ終えたので会計を済ませて店を出た。凜の携帯の番号を教えてもらった。
どんな気持ちからか分からないが、凜は交際の申し込みを受け入れてくれた。美術館か、そういえば絵が好きと見えて、店には小さな絵がいくつか飾られていた。誰が書いたのかは分からないが、自然と目に入った。
ネットで美術館を検索して、上野公園の国立西洋美術館のフランスの印象派の絵画展を見に行くことにした。日曜日の午後3時に美術館の入口で待ち合わせて、絵画展を見たのち、6時から新橋の和食の店で食事をすることにして個室を予約した。
その旨をメールするとすぐに[分かりました。ありがとうございます]の返信が入った。
◆ ◆ ◆
日曜日の午後3時に美術館の前で待っていると、和服の若い女性が歩いてくる。凛に似ているようだがメガネをかけている。近くへ来て凛だと分かった。
「和服を着てくれたんだ、素敵だね、とても似合っている」
「せっかくお誘いいただいたので、着てみました」
「自分で着られるの?」
「辞めてから昼間に着付けを習いに行っていました」
「目が悪かったの?」
「はい、いつもはコンタクトをしていますが、今日はメガネになりました」
「行こうか」
凜の和服が目に付くのか、周りの人が凜を見ている。彼女は元々細面の美形で身長は155㎝位か、そう小柄でもなくスタイルも悪くない。ただ、年齢は30歳を過ぎたくらいだから、45歳の僕が連れ立って歩くと、中年男が愛人を連れて歩いているように見えなくもない。
人目を気にしながらもゆっくりと中に入っていく。人気のあるフランスの印象派の絵画展は日曜日とあって結構混んでいた。凜も嬉しそうで熱心に見ている。僕も印象派の絵は好きだけど、まあ万人が好む絵だ。
「絵を描くのが好きと言ってたけど、店にあった絵はひょっとして君が描いたの?」
「気が付きましたか、パステル画ですが私の絵です。そんなに上手くはないのですが、自分の気に入っているのを何点か飾っています」
「いつごろから書いているの?」
「小学生のころから絵が好きでした。本当はデザイン関係の仕事がしたかったのですが」
「何時描いているの」
「今はウイークデイの昼間とかです。気が向いたらですが」
「今度、店に行ったらしっかり見てみよう」
「ほんの遊びですから」
ひととおり見て回ったあと喫茶コーナーで一休みする。
「絵画展なんて、久しぶりです。ありがとうございます」
「いつも日曜日は何をしているの?」
「大体、部屋で寝ているか、掃除、洗濯などをしています。店の上に居住スペースがあるんです。今日も同じで済ませて来ました」
「買い物はいつするの?」
「店で出す料理の材料などはウィークデイの午後に買いに行きます。人混みが苦手ですから」
「今日のようなスケジュールだと都合がいいんだね」
「そうですけど、朝からでもいいですよ」
「今度は朝から遠出してみようか」
「それもいいですね。たまにはどこか遠くへ行ってみたいです」
「考えてみるよ」
それから凜がもう一回りしたいというので見て回った。そろそろ次へ移動する時間だ。
5時を回ったので、食事のためにJRで上野から新橋へ移動する。駅から徒歩5分の店だ。仕事で何回かは使っているので、料理や個室などは承知している。ゆっくり座れる掘りごたつの個室を頼んでおいた。
ここなら周囲に気遣いなく話ができる。凜も個室に入るとほっとしたようだった。そしてすぐに化粧室に行った。帰ってくるとメガネを外している。まもなく料理が運ばれてくる。
「メガネはどうしたの? どこかに忘れた?」
「コンタクトに替えました。この方がいいでしょう」
「確かにきれいな顔がよく見える。せっかくだからメガネはない方がいい」
「メガネは変装用なんです。昔の店の人やお客に声をかけられると山路さんに不快な思いをさせるといけないと思って」
「そんな心配をしてくれていたのか、気にしないよ、そんなこと。それより知らん顔していればいいんだよ」
「あまり人混みに出たくないものそのためなんです」
「でも、髪が短くなって髪形も変わっているし、顔の印象も違っている。あの時とは随分変わっているから、誰も気が付かないんじゃないかな」
「1回か2回くらいのお客なら分からないと思います。私も覚えていないから。でもなじみのお客や店の人には分かると思います。私も顔を覚えていますから」
「神経質になり過ぎじゃないかな、知らん顔でいいじゃないか」
「でも、あなたは私だとすぐに分かったでしょう」
「僕は君のお客の中でも長い方じゃないかな。だから気が付いた。それに君を気に入っていたから、なおさらだ。急にいなくなって随分寂しかった。ぽっかりと心に穴が開いたようだった。きっと思いが募っていたからだと思うけど」
「そう言ってもらえて嬉しいけど、だからなおさらあなたには知らんぷりはできないわ」
「まあ、覚えていてくれて嬉しかったのは本当だ」
「実はあなたのほかにもう一人 3軒目のお店まで通ってくれたお客さんがいたんです。少し前になるけど、あなたと同じように偶然店に来たの。やっぱりすぐに私と分かったわ」
「知らんぷりしたの?」
「できる訳ないでしょう。でも彼は迷惑になるならもう来ないと言ってくれました」
「僕は君の迷惑に決してならないし、彼も決して君に迷惑をかけないと思う。僕には分かる」
「分かっています。お二人は本当にお優しい方々ですから。でも、そうじゃない人もいるんです。今のお店に移る前に働いていた店で私の昔のことを知っていて自慢げに言いふらしたお客がいたの、それでそこをやめたの。悲しくて、悲しくて泣いたわ、もう私はまともには働けないのかと思って」
「とんでもないやつだ。男の風上に置けない、優しさというものがない」
「だから、私はお付き合いするのを迷ったの、あなたに迷惑がかかるといけないと思って」
「僕はそんなこと百も承知で付き合ってくれと申し込んだので、迷惑がかかるなんて思わなくていいから」
「私はいつも自分の過去に怯えて生きているの、今日もこの部屋に入るまでは誰かに声をかけられないかとおどおどしていたの」
「どうしてあげたらいいのか分からないけど、仕事も見た目も、もう昔とすっかり違うのだから、自信を持って知らん顔していればいい。気持ちをしっかり持って」
「なぜ、それまでして私のことを思ってくれるのですか」
「君には今まで言わなかったけど、そしてこれを聞いても気分を害さないでほしい。君は僕の亡くなった妻にそっくりなんだ。まるで生き写しなんだ」
「そうなんですか」
「10年前、僕は突然妻を失った。乳がんが見つかったが手遅れだった。妻とは同級生で学生結婚だった。卒業してすぐに妻が妊娠して娘が生まれた。僕たちは幸せだった。共働きをしたが、家庭と仕事を両立させて申し分のない妻だった。でも妻は早死にしてしまった」
「いい奥様だったのね」
「神様は彼女によいところをいっぱいお与えになったが、長い寿命はお与えにならなかった。死ぬ直前、あなたの妻になって幸せだったと言ってくれた。それだけが僕の慰めになった。僕は泣いて諦めるほかなかった」
「諦められたの?」
「その時思った。神様はすべての人に幸福と不幸を平等に与えているのではないだろうかと。楽しいことをだけでなく、悲しいことも必ず与えているんだと、それを定めとして受け入れて、諦めるしかないのだと」
「そうかもしれませんね」
「残された一人娘を男手一つで一生懸命に育てた。そんな生活に疲れていた時に、友人が君の店へ気晴らしにと連れて行ってくれた。写真の中に妻に似た女性がいた。それが凜、君だった」
「そんなに亡くなった奥さんに似ていたのですか?」
「一目見て君は妻に生き写しだと分かった。しゃべり方も笑い顔も、それに身体も。だから、君を何回も指名したし、店を変わっても探して通った。そして、君はずっと僕を癒し続けてくれた。突然いなくなって、何と寂しかったことか。僕は妻を二度亡くしたようだった」
「私はあなたの奥さんの代わりだったの?」
「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」
「どういうことですか?」
「逢瀬を重ねるごとに、もちろんだけど、妻とは違うことが分かってきた」
「どんなところですか?」
「Hが好きだし上手だ」
「うふふ、そうかもしれないわ」
「それは冗談だけど、今日付き合ってみて、妻にはなかった君の新たな面が分かった。だから普通に交際を続けて君をもっと知りたいと思っている。もう僕は君を妻の代わりとは思っていないし、代わりにしたい気持ちもない」
「私も普通に付き合うってどういうことか興味があって、お付き合いを続けます」
「ありがとう」
やはり個室を予約しておいて良かった。落ち着いて話ができた。凜も周りを気にすることもなくゆっくり食事ができたようだ。
車を呼んで表参道で凜を下ろして、僕は自宅へ帰った。凜は車を使わないで地下鉄でいいと言ったけれど、今日は和服で目に付くからと言って車で送った。
自宅に戻ると今日の凛の和服姿が思い出される。久しぶりにのんびりした楽しい休日を過ごすことができた。妻が生きていればきっと今頃二人でこんな休日を過ごしていたかもしれない。そう思うと亡くなった妻に申し訳ない気持ちになる。
僕の自宅は洗足池にある2LDKのマンションだ。セキュリティがしっかりしているので、帰りが遅くなりがちな僕は娘が一人で部屋にいても安心だった。今は娘も出て行ったので一人暮らしになった。一人だと十分な広さがあるが、掃除などを考えると広すぎる。
妻が亡くなって一人で娘を育てるのに、ここは会社までの通勤時間が短いので、郊外にあった自宅を売って買い替えた。
いや、妻との思い出がいっぱいの家に住み続けたくなかったからでもあった。ここへ引越ししてくるときに、使っていた家具はすべて処分して買い直した。家電製品はそのまま持ってきたが、今ではほとんど買い直した。
妻の思い出から逃れようとしていた半面、妻に生き写しの凜に惹かれて、4年もの間、逢瀬を重ねた。
あの時、凛に「あなたの奥さんの代わりだったの?」と聞かれたときに「そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」と答えたのは本心からで、自分でも良く分かっていないと思った。それを確かめるために、また日曜日に誘ってどこか行こう。
都内で自分のような中年の男が女性と一緒に行けるところで、人も多くないところを選ぶのは難しい。
それでも出張などで日曜日がつぶれない限り、凜を誘って出かけては食事をした。食事は個室のあるところを選んだ。凜は必ず付き合ってくれた。
今度の日曜日と月曜日は連休となるので凛を一泊旅行に誘ってみようと思った。携帯に連絡を入れる。
「今度の連休だけど、日曜日に出かけて一泊して月曜日に帰ってくる旅行へ行かないか?」
「休日の夜は店を開けないのでかまいません」
「どこがいい?」
「おまかせしますが」
「じゃあ。無難なところで箱根でも当ってみるよ。予約がとれたら、待ち合わせ時間と場所などをメールで連絡する。それと同室でいい?」
「かまいません。楽しみにしています」
ネットで調べて、芦ノ湖の湖畔のホテルを予約した。新宿から10時10分発のロマンスカーで箱根湯本に入る予定で、改札口で待ち合わせることにした。
◆ ◆ ◆
日曜日、待ち合わせ場所には早めに到着した。新宿駅は広いので待ち合わせ場所でうまく落ち合えるか心配だった。まあ、携帯があるから連絡はすぐに付くので安心ではある。
娘が選んでくれて気に入っているジャケットを着てきた。少しは歳よりも若く見えるだろう。手には小さめの旅行鞄を持っている。
改札口に到着したが、10時までしばらく時間がある。周りを見渡すと、凜らしき女性が立っている。今日もメガネをかけているが、凛に間違いない。
近づいて「おはよう」と声をかける。凜が驚いたように振り返る。僕と分かって安どの顔を見せる。
「早く着いていたの?」
「駅は広いのでうまく会えるか分からないので早めに来ました」
「今日もメガネなんだ」
「サングラスでは返って目に付くから、これはだてメガネで度が入っていません。コンタクトをしているので、すぐにはずします」
「やっぱり気にしているのか」
「そうでもないけど、用心に越したことないですから」
「すぐにホームへ行こう」
「二人で歩いていると、はたからどう見えるかしら」
「中年男とその愛人?」
「今日はどちらかというと地味な服装にしました。そういうあなたはどちらかというと若いスタイルだから、そうは見えないと思います」
「実際、君は愛人でもないし、普通の交際相手だから、そのような関係にしかに見えないと思うけど」
ホームにはすでにロマンスカーが入っていた。指定の席に着くと凜を窓際に座らせる。まもなく発車した。
この車両は小田原までノンストップだから、発車すれば新たな客は乗車してこないというと、凜はメガネを外した。そして外をじっと見ている。街並みや住宅街が続く見慣れた東京の風景だ。車内販売が来たのでコーヒーを二つ購入。
「ずっと外を見ているね。考え事でもしている?」
「旅行は久し振りですから、のんびりと外を見ていました。誘っていただいてありがとうございます。私の分の費用は私が払います。そうさせて下さい」
「大体一回分くらいだから、気にしなくても良いけど、君がどうしてもというならそうしてもいい」
「さっき、おっしゃったでしょう、愛人ではないと、だから、なおさらそうさせて下さい。嬉しいんです。まともな女として付き合ってもらって」
「でも下心はあるけどね」
「男は皆そうです」
「まあ、そうかもしれない。でも二人でのんびり過ごしたいと思っている」
「私もです。久しぶりに温泉に浸かってのんびりしたい」
「気楽に行こう、気の向くままにしたい」
僕の肩にもたれて外を見ていると思っていたら、凜は眠っていた。日曜日は自宅でゆっくりしたかったのかもしれない。早起きをさせてしまった。しばらくして目を覚ました。
「眠っていたみたいだけど、早起きさせたからかな」
「いえ、そうじゃなくて、心地よくて眠ってしましました。こうしていると安心するというか」
「それならいいけど、僕もひと眠りさせてもらおうかな」
外の田園風景を見ていたらいつのまにか眠っていた。電車が止まった。二人とも眠っていたみたいだった。
「着いたみたいだね、意外と早く着いた」
「あれからまた眠ってしまいました」
「これだけ眠ったら今夜は眠れないかもしれない」
「それなら夜通しお話ししましょう」
「・・・・」
それから箱根登山鉄道に乗り換えて、ケーブルカーに乗り換えて、ロープウェイで湖尻に到着した。そこから船で元箱根へ向かい予約したホテルには3時前には到着した。
凜は箱根へは修学旅行で一度来ただけと言っていたので、途中の大涌谷ではロープウェイを降りて二人で散策した。凜はまるで修学旅行の生徒のようにはしゃいでいた。ここでは人目も気にならないと見える。そして湖尻で軽く食事をした。
案内された部屋は和室で窓際の小部屋にはソファーがあって湖が良く見える。露天風呂ではないが、湖が見える温泉のお風呂がついていた。
「お風呂がついているけど、僕は大浴場に行ってくる。君はどうする?」
「私も大浴場に行ってきます」
二人は浴衣をもって早速、大浴場へ行った。久しぶりの温泉はいい、身も心も温まる。
部屋に戻ると凜はまだ戻っていなかった。窓際のソファーに腰かけてビールを取り出して飲んでいる。窓から芦ノ湖の湖面が見える。遊覧船が動いていく。今日は快晴で湖面に周りの山々が映り込んでいる。絵葉書のようで眺めていると心が休まる景色だ。いつまで見ていても飽きがこないし、少しずつだけど時間と共に変化している。
浴衣に着替えた凜が部屋に戻ってきた。凜の浴衣姿を見るのは初めてだが色っぽいので、じっと見つめていた。
「そんなに浴衣姿が珍しいですか?」
「きれいだし、色っぽいね、いいもんだ浴衣姿は、目の保養になる。どう、ビール」
「はい、私もいただきます」
凜は僕の正面に腰かけた。そしてうまそうにグラスを空けた。
「おいしい」
「いい、飲みっぷりだね」
「温泉に浸かって、湯上りにビール、やっぱりこれが最高ですね」
「親父みたいなことを言うね」
「もう一杯お願いします」
もう一杯もうまそうに今度はゆっくりグラスを開けた。凜は満ち足りた表情を見せて僕に微笑んだ。僕もグラスを空けると、凜が注いでくれる。
「少し酔いが回って気持ちいい。横に座っていいですか」
「もちろん」
凜が隣に座って寄りかかってくる。こちらも寄りかかるようにしてバランスをとる。
「恋人同士って、きっとこうしてもたれ合うんじゃないかなと思って」
「もたれ合いたいから、恋人同士なんだと思うけど、きっと」
「それなら、私たちは恋人同士?」
「そこまで言えるといいけどね」
「でもこうしているとなぜかほっとします」
凜は目をつむって僕にもたれかかっている。その湯上りの身体が温かい。
「僕はいつも君に癒されていた。今、君がそういう思いをしているとは妙な気分だけど」
「いつもあなたは私といると癒されると言っていましたが、その気持ち分かるような気がします」
「分かってくれた?」
「今はどうなんですか?」
「癒されるっていうより、少しドキドキしている。好きな娘に身体を預けられてどうしようって」
「いつもと違うの?」
「ああ、ドキドキして緊張している。この後どうしようかと考えているから」
「どうしようって?」
「抱きしめてキスしたい」
凜を抱きしめてキスをした。凜は抱かれてじっとしている。しばらくそのまま凜を抱いていると、温泉の匂いとぬくもりに包まれる。凜の身体の心地よい温かさを感じている。
「今ようやく心が満たされて癒された気持ちになった」
「よかった、そういう気持ちになってもらえて」
今の二人はただ抱き合っているだけでよかった。そのまま二人はうたた寝をしたみたいだった。
ドアのチャイムで気が付いた。夕食の配膳をしてくれると言う。二人はソファーで配膳の様子を見ている。お酒はと聞かれたので、日本酒を頼んだ。
「眠っていたみたいだね。二人は日ごろよっぽど疲れているのかね」
「こんなにのんびりしたのは久しぶりですから、お店ではいつも自然と緊張しているのかしら」
「僕は会社ではいつも緊張している。だから帰ると必ず晩酌をして緊張をほぐしている」
「私も自分一人で切り回しているので、気を使うことは少ないけど、やっぱり、客商売は気を使います」
「たまにはお客になるのも悪くないから、今日はのんびり飲んで食べよう」
「そのために来ましたから」
「自炊しているの」
「もちろんです」
「料理は何が得意なの?」
「お店のメニュー位ならなんとか、お味はいかがでしたか」
「オムライスはおいしかった」
「ほかに作ろうと思えばなんでもできますけど」
「そりゃあ大したもんだ」
「僕は料理と言えば野菜炒めか生姜焼き、カレーライス、シチュウ、肉じゃがくらいかな。娘にいつもレパートリィーが少ないと小言を言われていた。そのうち娘が食べたいものを自分で作るようになったから、それはそれでよかったと思っている」
「私も父子家庭でしたので、中学生のころから自分で食べたいものを作るようになりました」
「それで自然と料理を覚えた?」
「自己流ですが、このごろはネットで調べて作ったりしています。便利になりました」
そんなことを話していたら夕食の準備が整った。食べきれないくらいのご馳走が並んでいる。二人は席へ移って食べ始める。
「作ってもらった料理をのんびり食べるっていいですね」
「ここの料理はおいしい」
「家では料理を作るんですか?」
「いや、仕事で帰りが遅くなることが多いので、弁当や総菜を買って帰ることが多いかな」
「外食はしないんですか?」
「僕はどちらかというと外食はしたくない方なんだ。大体、夕食の時にお酒を飲まないと緊張が解けない。やはり会社でストレスを感じているからかな。だから、外で食事を終えて少し酔いが回って気分のいいところで家まで帰るのが嫌なんだ」
「その気持ち分かります」
「食べてからすぐに横になってのんびりしたいから、弁当や総菜を買って帰って、それを晩酌しながら食べることになる。食べたらすぐに横になってテレビでも見る」
「でも一人で食べるのは味気ないですね」
「誰かと食べるとまたそれはそれで気を使うからね」
「私と食事する時も気を使っていますか?」
「君は特別だから、特に気を使っている」
「いつも気を使っていただいてありがたく思っています」
「でも楽しいからいいんだ」
「やっぱり一人は寂しいですね。私もお店以外では一人でいることが多いから」
「所詮人間は孤独なものさ、そんなことはとうに分かっている。それには慣れた。いや、諦めた」
「強いんですね」
「辛いことに耐えるには一人の方が良いと思っている。二人だと辛さが倍になる。でも楽しい時は二人が良い。楽しさが何倍にもなる」
「優しいんですね。確かに辛いことは愛する人と分かち合いたくないですね」
「一緒にいても、君に負担をかけるつもりはない。ただ、いつもそばにいて楽しい時に一緒に楽しんでくれたらと思っている」
「それはとても楽なことですが、一緒にいる意味がありません。辛い時にお互いに助け合えることが大事だと思いますが」
「君にそこまで求めるつもりはない。でも僕は君の辛い時はいつでも助けるから」
「遠慮しているんですね」
「遠慮じゃなくて、そこまでさせたくないだけだ」
「お付き合いを始めたばかりですから、そう考えるんですね」
「君とは長い付き合いだったけど、身体だけの付き合いだったからかな、でも心はいつも癒されていた」
「身体だけの付き合いでも身体が癒されると、自然と心も癒されるんです。そして身体の繋がりができると情が移るものですよ」
「その情というのが分からない。何なんだろう。男と女には一番大事なもののような気がするけど」
「男女の仲ってそういうものでしょう。難しく考えることないと思います。好きになって、愛し合って、また好きになる。そして絆が強くなっていく。情が移るってそういうことだと思います」
話が弾んだ。凜は男女の話になると持論を持っているようだ。僕より経験が深いからかもしれない。お酒も入って十分に食べた。
丁度良いころあいに仲居さんが来て片付けてくれる。それから、布団を二組敷いてくれた。
「今度はお部屋のお風呂に入りましょう」
「一緒に入るかい?」
「はい、お背中を流してあげます」
「久しぶりで嬉しいな」
「先に入っていて下さい」
先に入ると、窓から向こう岸の湖畔の明かりが見える。湯加減は丁度いい。湯船も二人がゆったりと浸かれる大きさがある。
凜が入ってきた。薄明りの中で白い裸身が美しい。身体はあのころと変わっていない。以前は髪が長かったので、アップにして留めていたが、今はショートなのでそのままだ。湯船の中の僕のそばに浸かった。
「丁度いい湯加減ですね」
「大浴場もいいけど、ここもいいね。二人ゆっくり浸かれる」
「こうしていると心が癒されます」
「二人だからいいんだ」
「二人でいるって良いことなんですね」
「心が通い合っているとなおさらだけど」
「通っていると思いますが」
「そうならいいけど」
「気持ち良くて眠ってしまいそうです」
「ここで眠っているわけにもいかない。身体を洗ってくれる?」
凜は丁寧に身体を洗ってくれた。僕もお返しに洗ってあげた。それから身体を拭き合って、部屋に戻った。布団に座ってどちらからともなくキスをして愛し合う。
僕は心地よい疲労を感じながら、腕の中の凜を撫でている。凜は少しも変わっていなかった。今、布団の中で僕に背中を向けて抱かれている。
「少しも変わっていないね」
「もうそんなに若くはないわ」
「そんなことはない、僕も歳をとった」
「男盛りの素敵な年齢です」
「君にはいつも男としての自信をつけてもらっていたよ」
「それならよかったです」
「身体が温かいね」
「こんな風に抱かれて眠りたかった。背中があったかくて気持ちよくて眠りそうです」
そのまま二人とも眠ってしまった。
明け方、凜が布団から出て行く気配で目が覚めた。凜は部屋のお風呂に入っていった。それを見て僕はまた眠った。そして凜がお風呂から出てきた気配でまた目が覚めた。
「おはよう」
「おはようございます。お風呂入ってきました。気持ちがいいです」
「昨日はよく眠れた?」
「ぐっすり眠れました。こんなぐっすり眠れたのは久しぶりです。ありがとうございました。後ろから抱いてもらって背中が温かくて気持ちよかった」
「やっぱり一人で眠るよりも二人がいいね」
「そう思います」
僕もお風呂に入った。それから二人で朝食に部屋を出た。朝食は食堂でビッフェスタイルだった。好きなものを選んで食べればいいが、僕は和食、凜は洋食にした。
10時前にチェックアウトして湖畔を小一時間ばかり散策した。そしてそこから11時の新宿行の高速バスに乗って帰った。バスの中では二人もたれ合ってまた眠った。
新宿には午後1時30分に到着して、そこでそのまま別れた。別れ際、凜は今回の費用の半分を払うと言って聞かなかった。その気持ちも考えて費用の約半分を貰った。そして「普通につき合ってくれてありがとう」と言って嬉しそうに帰って行った。
外でデートするよりも自宅を行き来するほうが何かと都合がいいのは分かっていたが、凛を自宅に招くことは遠慮していた。
ただ、外で会うのはお互いに周りのことを気にするので疲れるのが分かってきた。それで凜も自宅なら気を使うことも少ないだろうと思うようになってきた。
「今度の日曜日は僕のマンションへ遊びに来ないか」
「いいんですか?」
「住んでいるところを見てもらいたいのと、ここの方が周りに気を使わなくていいと思うから」
「あなたが今どんなところでどんな生活をしているのか興味があるから、お邪魔してみようかしら」
「じゃあ、午後3時に池上線の洗足池駅の改札口で待っている」
当日、僕は朝から部屋の掃除、溜まった衣類の洗濯をした。娘がいなくなってからは休みの日にしか掃除はしない。
それから、夕食の代わりになるようなパンやオードブル、ワインなどを近くのスーパーへ買い出しに行った。何か僕の手料理とも考えたが、自信がないのでやめにして、出来合いのものを仕入れることにした。
3時に改札口で待っていると、凜は先に着いていたみたいで、商店街の方から歩いてやってきた。手には小さなバッグとスーパーのレジ袋を持っている。今日はメガネをしていないが、目立たない地味な服装だ。
「早く着いていたんだね」
「買い物をしようと思って、簡単なおつまみを作ります。お酒は準備していただいていると思いますので」
「ワインの赤と白を準備している。それにウイスキーと氷も、出来合いのオードブルも買ってある」
「それだけあれば十分に飲めますね」
「マンションに行く前に公園を散歩しないか?」
「この公園の池にはボートもあるし、池を回る遊歩道があるけど、始めにボートにでも乗る?」
「せっかくだからボートに乗ってみたいわ」
「僕もここに10年近くいるけど、1回も乗ったことがなかったから丁度いい」
この公園の池の周りはいつも散歩しているが、ボートからの景色は新鮮だ。凜は嬉しそうに周りの景色を見ている。ここは公園だがあまり人は多くない。ほとんどこの近くの人が散歩しているので、皆のんびり歩いている。凜もここでは人目を気にする必要がないと思う。
「ボートに乗るって初めてです」
「気をつけて、ここはそう深くはないと思うけど、立ち上がったりしないでね」
「大丈夫です。漕ぐのに疲れませんか?」
「1周ぐらいにしておこう、結構腕が疲れる」
「お天気も良くて気持ちいいですね」
「美人をボートに載せて漕ぐなんてことは若いころの憬れだった」
「今はどんな気持ちですか?」
「浮き浮きしているけど、結構疲れる。心地よい疲労を感じている」
「よくおっしゃっていましたね、心地よい疲労!って」
「よく覚えていてくれたね」
「そんなこと言う人はいませんから」
「好きな言葉、いや好きな状態かな」
「ご機嫌のいい時の言葉ですね」
「何かをして疲れているけど充実感があるとき、そんな時はぐっすり眠れる」
「確かにその意味、分かる気がします」
「もう相当疲れた、いいかげん陸に上がろう」
それから今度は遊歩道を二人で一周した。途中に八幡神社でお参り。二人並んで柏手を打つ。僕は凛との交際が続くように祈った。凜は何を祈ったのだろう。おみくじを引いていた。
「おみくじ、どうだった」
「末吉」
「末吉は末広がりで将来が吉だから一番いい。ところで何を占ったの?」
「二人の関係」
「考えてくれているんだ」
「はい」
「後々良しということだからよかった。マンションへ行こう」
この辺りは住宅地だからマンションは3階までしか建てられない。僕の部屋は2階。ベランダからは公園が見える。花見時は人出が多くて騒がしいが、それ以外はとても静かだ。
そろそろ夕暮れ時で薄暗くなっている。玄関の自動ドアを入ると、キーをボードにかざして中の玄関扉を開ける。2階まではエレベーターで昇り、エレベーター横の209号室が僕の部屋。ドアを開いて凛を招き入れて、すぐにドアをロックする。
凜に中を案内する。10畳くらいのリビングに対面キッチンがついている。浴室の扉を開けると洗面所と洗濯機置き場、その奥がバスルーム。浴室の向かい側にトイレ。
二部屋の内、広い方が僕の書斎兼寝室でセミダブルのベッドと机、本棚が置いてある。小さい方が娘の部屋で今も身の回りの物が残されている。以前は娘が広い方の部屋を使っていたが、家を出る時に交換してもらった。
リビングにはテーブルに椅子、座卓、横になれる三人掛けのソファー、大型テレビ。
「素敵なお部屋ですね。高級マンションはこういうふうになっているんですね」
「そんなに高級でもないけど、いくつか見て回ってみたが大体皆同じだった」
「亡くなった奥さんとはここに住んでいたの?」
「亡くなって郊外から転居して来たんだ、すべて忘れようとして」
「でも忘れられなかった、私に会ったから」
「そのとおりだ。だから、あの質問の答えは、そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれないだったんだ」
「でも分かっているんだ。君は君で、妻とは全く違うと。凛、その君を僕は好きになってしまった。僕は今、妻になかった君らしいところを探そうとしている」
「私はどちらでも良いと思っています。私を好きになってくれれば」
「凛、君は君だから」
「私もあなたの亡くなった奥さんの代わりはできません」
「それでいい、その君と付き合いたい。まあ、せっかく家に来てくれたんだから、お酒を飲みながら、おいしいものをつまんで、もっと話をしよう。もし、良かったら今日はゆっくりしていってほしい。泊まってくれたら、なおいいけど」
「お酒を飲むから泊まらせて下さい」
「じゃあ、ゆっくり飲もう、準備するから」
「私も手伝います。それに買ってきた材料でおつまみを作ります」
すぐに準備ができた。凜は慣れたもので手早くオードブルを3品ほど作ってくれた。赤ワインをそれぞれのグラスに注いで乾杯する。
「この先どうなるのかね、二人は?」
「どうなるか分かりませんが、定めがあるとしたらそれに従うことにします」
「僕は真摯に君と付き合いたい、誰が何と言おうとも」
「無理することはありません。あなたには社会的地位もあるし娘さんもいます」
「そんなことはもう気にしないことにした、この年になると会社での将来も見えてくる。娘も一人前になったのだから、これからは自分の生きたいように生きると決めている。君も過去を引きずらないで自信を持って生きてほしい。君ならそれができる」
「ありがたいです。そう言ってくれる人がいるってことは心強いです」
「絵が好きと言っていたけど、もっと勉強したらどう。目を引くいい絵を描いているから。絵は上手、下手ではなくて、人を引き付ける何かがあるかどうかだと思うけど」
「もしそうなら私の今までの生き方の反映かもしれません」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「相変わらず、どちらともつかない意見ですね」
「絵は心情を表わしていると思うから、いずれにせよ、僕は君の心情を幸せに満ちたものにしてあげたい。そして君の絵がどう変わっていくのかも見てみたい」
「毎回描いたらお見せします。確かめてください。変わってきたかどうか」
「そうしよう」
赤ワインのボトルが空いてくる。凜も飲んでいる。お互いにもう少し酔いたい気分になっているのが分かる。ボトルが1本空いたところで、水割りに変更したい。これ以上、ワインを飲むと悪酔いする。
凜もそこのところはわきまえていて、水割りを2杯作ってくれた。席をテーブルからソファーへ移す。少し酔いが回ってきたのでソファーの方が楽ちんだ。
「ジョニ黒が好きなんですか」
「水割りはこれが一番好きだ。このスモーキーな香りと味が好きなんだ」
「お店にも1本キープしておきます。たまには寄って下さい」
「いや君の神聖な職場だから、行かないようにしたいと思っている」
「神聖な職場ですか? あそこが」
「じゃあ、付き合っている相手の会社に気軽に会いに行けると思うかい」
「それは」
「できないだろう。だから行かない」
「お店なんですから、考え方が真面目過ぎませんか?」
「本当は君がお客の相手をしているところを見たくなんだ。その笑顔を僕にだけ見せてほしいと思っている。そこまで言うと料簡の狭い我が儘な男と思うかもしれないけどね」
「客商売していると仕方ないです。客商売ってそんなものです。お客様には笑顔でお相手しなければなりません」
「すべて営業用の微笑み?」
「そうとは言いませんが、いやなお客もお客様にかわりありません。お客様を選べないんです」
「そうだね」
「いやなお客もはじめは本当にいやですが、段々慣れてきて、割り切ってお相手できるようになるんです。でも、一方で段々そういう自分にやりきれなくなってくるんです」
「だからやめたの?」
「そうです。好きな人だけを相手にできる普通の生活がしたくなって」
「それで、今はそういう生活ができているの?」
「はい、お店は商売と割り切るしかありませんが、お付き合いは好みの人とだけにしたいと思っています」
「僕も好みの人に入れてもらっているんだね」
「もちろんそうです」
「ありがとう」
凜を引き寄せてそっとキスをする。そして暫く抱きしめる。
「お風呂を沸かして温まろう」
「そうですね」
僕は立ち上がってお風呂の準備をする。凜はテーブルの上と座卓の上を片付けてくれている。お湯が満杯になるまでの間、僕は寝室の準備をする。凜は黙ってソファーに座って水割りを飲んでいる。
「一緒に入る?」
「はい、先に入っていてください。すぐに行きます」
先に入って身体を洗っていると凜が入ってきた。さっとシャワーを浴びるとすぐに僕の身体を洗ってくれる。今度は僕が身体を洗ってあげる。凜はじっとしている。
それから湯船からお湯の溢れるのも構わずに二人で浴槽に浸かる。後ろから凜を抱いて浸かっている。
「箱根を思い出しました」
「お風呂はいいね。今度また二人で温泉に行くかい?」
「それもいいですね」
「先に上がっていて下さい。髪を洗わせて下さい」
僕は先に上がってソファーで水割りを飲みながら待っている。凜はバスタオルを胸に巻いて上がってきた。髪にもタオルを巻いている。
「気持ちよかったわ。素敵なお風呂ですね」
「僕も気に入っている。少し広めで温かい」
凜を引き寄せてキスをする。そして抱きかかえて寝室へ運んだ。それから愛しあい、二人だけの長い夜を過ごした。
6時に目覚ましが鳴った。もう起きる時間だ。月曜日だから出勤しなければならない。デートが日曜日だとこのあたりが不都合だ。すぐに起きて朝食の準備をする。凜も起きようとする。
「朝食の準備は僕がするから、ここでは僕に従って、ゆっくりしていて」
「そういう訳にはいきません。お手伝いします」
「いいから、お客さんはじっとしていて」
「優しいんですね」
「娘と生活している時はずっとこうだったからね」
「いいパパだったんですね」
「それはどうかな? 遠くへ行ったところを見ると、口うるさかったんだろう」
「娘と言うものは父親が好きなものです」
「いずれ、君に会わせるよ」
「私のこと、どう思うかしら」
「どうかね」
凜は身支度を整えるとソファーで見ている。朝食の準備ができた。トーストとホットミルク、ハムエッグ、プレーンのヨーグルトにジャム、皮を剥いたリンゴのカットの簡単なもの。
「男の作る朝食はこんなもんだ。諦めて食べてくれる」
「私が作ってもこれ以上はできませんから、ご馳走になります」
「これに懲りずに、また遊びに来てくれないか。二人で飲んだり食べたりすると楽しいから」
「機会があればまたお邪魔します。今度は何か料理を作りましょう」
「ありがたい、楽しみにしている。これ予備キーだけど持っていてくれる?」
「預かれないわ」
「今日は遅くここを出てくれればいい。今帰ると朝のラッシュに合うから」
「構いません」
「いいからそうしてくれ」
「分かりました。私を信用してくれてありがとう」
「信用していないと付き合ったりしないよ。じゃあ頼みます」
僕は凜をマンションに残して出勤した。
夜、家に帰ると部屋が整っていた。掃除してくれたみたいだった。凜のいい匂いが残っていた。帰った時に凜が迎えてくれたらどんなだろうかと思った。
それから、デートは自宅のマンションですることが増えてきた。その方が凜も周りに気を使わなくてよくて気楽みたいなので自然とそうなった。
公園の散歩も気に入っているみたいだった。家に来ると料理を作ってくれる。それから泊ってくれて、月曜日の朝、ゆっくり帰っていく。
今年の年末年始は大阪で過ごしたいと娘の栞が電話をして来た。きっと恋人でもできたのに違いない。心配だがもう親が口を出すこともない。望みどおりにさせてやろう。それならと凜に電話する。
「年末年始はどうするの?」
「年末は31日までですが、年が明けても朝まで営業しています。3が日は休んで4日から営業を始めます」
「それなら、2日に初詣に行かないか。2日なら少しは神社も空いているだろう。それと初売りに行かないか? 君になにかプレゼントしたい。クリスマスにも会えなかったから」
「31日は年越しに店に来て下さい。年が明けたら一緒に初詣に行きましょう」
「いや、やめておこう。前にもいったとおり、君の職場に訪ねて行くのは遠慮するよ」
「私がお客さんの相手しているのを見るのがお嫌なんですか?」
「それもあるけど、僕は昔のように、君と客として付き合いたくないんだ」
「ありがとう、私をそんなに思っていてくれて。2日の待ち合わせ場所と時間をメールで入れてください」
「分かった。じゃあ、良いお年を!」
「良いお年を!」
◆ ◆ ◆
2日の10時に凛の店から表参道の大通りへ出る小路の出口で待ち合わせをした。丁度10時に凜が和服で現れた。メガネをかけている。
「おめでとう」
「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく、大みそかはどうだった」
「12時過ぎまでお客さんがいて、それから皆さん、初詣に出かけました。3時ごろにまたお客さんが戻ってきて朝まで飲んだり歌ったりでした」
「書き入れ時だね」
「12月と1月はまずまずですね」
「お参りに行こう、人出はどうかな」
「2日でも結構混んでいるみたいですよ」
凛の言ったとおり、まだ随分と混んでいる。元日はもっと混んでいただろう。時間がかかったがようやくお参りできた。凜は長い間手を合わせていた。覗きこんでいると目が合った。
「何をお祈りしていたの」
「このままの生活が続きますようにって」
「今の生活に満足しているんだ」
「満足と言うか、これ以上も望みませんので」
後に人が混んでいるので押された。すぐに横へ歩き出す。
「欲がないんだ」
「欲って限りがないですから」
「言うとおりだ」
「あなたはなんてお祈りしたんですか?」
「そばの人と結ばれますようにって」
「もう結ばれているじゃないですか」
「まだ、足りないから、それ以上をお願いした」
「どういうことですか?」
「今よりももっと親密になりたいってことかな」
「いまでも相当に親密だと思いますけど」
「君の言ったとおり、欲には限りがないんだ。君のように考えられると楽なんだと思う」
手を繋いで参道を出て大通りへ向かう。歩道は人でごった返している。
「今日はおみくじを引かなかったね」
「物事なるようにしかなりませんから」
「そうかな、何とかするのも大事だと思うけど」
「でも、大事な場面ではよくよく考えて悔いのないように決めています」
「それで後悔しないの、判断を誤ったって」
「ありません。その時に良いところも悪いところもよく考えてのことですから、想定外のこともありますが、結果が悪ければ諦めるだけです。自分が諦めれば済むことですから」
「諦めると気が楽になるのは分かる気がする。いつまでも引きずらないことが大事かな。随分時間がかかるけどね」
「亡くなった奥様のことをおしゃっているの?」
「それも含めてかな」
「プレゼントをしたいけど、何がいいかな」
「いままで、プレゼントはいただかないことにしていました」
「どうして」
「いただいたものに縛られるような気がして、でも、あなたからはいただくわ、今はあなたと繋がっていたいから」
「それは嬉しい、何がいい?」
「細い鎖のブレスレット、シルバーがいい。いつも着けるから無くすかもしれないので、高価なものでない方がいいです」
「指輪はどうなの?」
「指輪よりルーズでいいかなって、でも浮気がしたいってそういう意味ではないんですけど」
「そういってくれて嬉しい。プレゼントのし甲斐がある」
すぐに近くの目に入ったジュエリーの店へ行った。指輪が一番多くて、次がネックレス、意外とブレスレットは少ない。凜が望むようなものが数点見つかった。
凜はその中から、二重チェインのものを選んだ。値段もそこそこなのでカードで支払って、すぐに着けてもらった。
和服では目立たないが、白い肌にぴったりだった。店に出るとブレスレットはきっと客の目にも付くだろう。着けていてくれるかだが、確かめるすべはない。
「お店に寄って行きませんか、3日まで休業ですからお客さんは来ません」
「そうだね。ここまで来たので寄らせてもらおうか」
店の中は暖房が入っていないのでひんやりしていた。
「ここは寒いですから、上へあがりませんか? その方が落ち着きます」
「君がいいというのなら上がらせてもらうけど」
「じゃあ、ちょっと待っていてください、着替えと片付けをしますから」
店の中の奥のドアを開けると階段があった。凜は登っていった。しばらくするとどうぞの声がする。そこを上ると凜の住んでいると言う部屋があった。
広めのダイニングキッチン、その奥に板敷きの8畳くらいの洋室があり絨毯が敷いてある。それにビジネスホテルのようなバスと洗面所とトイレが一体になったバスルームがついている。
エアコンが効いていて温かい。部屋は新しくはないがきれいに整っている。窓際のセミダブルのベッドが目に入る。
凜は和服を脱いで部屋着に着替えていた。
「和服じゃ、お料理しにくいから、着替えました。ごめんなさい」
「お料理って、ご馳走でもしてくれるのかい」
「お正月ですから、何かご馳走します」
「それはありがたい。今年の正月は一人ぼっちで何も準備しなかった。娘がいればお節料理のセットでも買ったところだが」
「お嬢さんは?」
「今年は向こうで過ごすだと、いい男でも見つけたのならいいが」
「心配なんでしょう?」
「もう大人だから、本人に任せることにした」
「一人では食べきれないのであまり買ってありませんが、お節の材料は少し買ってあります。準備しますから、ゆっくりしていてください」
凜はホットウイスキーを作ってくれると下の店に降りて行って材料やらを持ってきた。飲みながら、凜が準備するのを見ている。
「一人ぼっちの正月より二人の正月がいいね」
「私も今同じことを考えていました」
小一時間もするとテーブルにお節料理が並んだ。十分すぎるご馳走だ。
「お雑煮のお餅はいくつ召し上がりますか?」
「お腹が空いているから3つにしてください」
お雑煮を作ってくれた。テーブルに並ぶ。
「どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとう、いただくよ、お節料理をご馳走になるとは思わなかった」
「材料を買ってきておいて良かったわ」
「二人でお正月のお節料理を食べるのはいいね、のんびりした気持ちになれる」
「ブレスレットありがとうございます」
「喜んでもらえればそれでいいんだ。僕の気持ちだから」
「だから、嬉しいんです」
「店でも着けます」
「そう言ってくれると嬉しいけど、客に聞かれるかもしれないよ」
「プレゼントだと言います」
「誰からと聞かれるよ」
「付き合っている人からのプレゼントだと言いますよ」
「君を目当てにしているお客が逃げるよ」
「今時そんなお客はいませんよ」
「僕はお客になっていないけど君を目当てにしている」
「だからプレゼントを受け取りました」
本当に凜がそう思っていてくれると嬉しいのだが、よく分からない。
「今日はゆっくりして行ってください」
「ゆっくりさせてもらっているけど」
「いいえ、今日は泊っていってもらえませんか。一人のお正月は寂しいので」
「君がそういうなら、喜んでそうさせてもらうけど、僕も家に帰っても一人だから」
「ありがとう。嬉しい」
食べ終わると凜はテーブルを片付け始めた。僕は洋室へ行ってベッドに寄りかかって凜が後片付けをするのを眺めている。すぐに片付けは終わって、今度は水割りを二杯作ってきて隣に座った。
「ここなら人目を気にしないで、いつまでもお話しができます」
「僕のことをいろいろ聞かなくてもいいのかい」
「いいの、今までのお付き合いで性格も分かっているし、改めて聞くことなんかないわ」
「僕の方からひとつ聞かせて、君はいくつなの?」
「そうね、言ったことなかったし、いままで聞かれなかったわね、32歳です」
「思っていたとおりだ」
「あの仕事に入ったのが20歳、父親の借金を払うため、どこかで聞いたような話でしょ」
「お父さんは今どうしているの?」
「折角借金を払い終えたのに、22歳の時に亡くなりました。奥さんと同じがんで、肝臓がんでした、きっとお酒の飲みすぎね」
「兄弟は?」
「一人娘で、父子家庭でした。母親は小学校2年生の時にどこかへ行ってしまいました。でも父親は私をそれは大切にしてくれました。あなたが娘さんにしたように」
「父親は娘が可愛いものなんだ」
「だから風俗で働く決心をしたの」
「お父さんはそれを知っていたのか?」
「もちろん黙って、借金取りから聞いたかもしれないけど、何も言わなかった。ただ、お酒の飲む量が急に多くなったから、知っていたのだと思います。死ぬ前にすまなかったといって泣いて謝っていました」
「お父さんはとても辛かったと思う」
僕がそう言うと凜が抱きついてきて泣いた。
「私が父の死を早めたんです」
「しかたなかたんだろう、そうするしか」
「はい、でももっと楽をさせてあげたかった」
「亡くなられたのは定めとでも考えるしかないと思う」
「定めですか?」
「宿命と言ってもいいのかもしれない。そう考えると、君も楽になれる」
「悲しいことだけど定めだと思って受け入れるしかない。悲しいことばかりでなく、またいいこともきっとある。それを受け入れて生きていくしかないんだ。僕もそうしている」
「父もあなたと同じようなことを言っていました。でもとっても寂しそうだったのを覚えています」
「私があなたに惹かれるのは何か父と同じようなものを持っているように感じるからかもしれません」
「それはファザコンだな」
「そうかもしれません。話を聞いてもらって気持ちが少し楽になりました。ありがとうございます」
凜が身体を預けてきた。細い身体を受け止める。凜を抱きたいと思った。その思いが伝わったのか、凜が身体を急に離した。
「シャワーを浴びてください」
促されてバスルームへ入る。すぐに凜が入ってきた。
「ごめんなさい、昔の癖が抜けないみたい、シャワーをしないと気が済まないんです」
「清潔好きはいいことだ。僕も洗ってあげる」
凜は身体を丁寧に洗ってくれた。それから僕も凜の身体を洗う。冬だからシャワーを十分に浴びる。それからベッドに移って、愛し合った。
凜は布団の中で僕にしがみついている。部屋の暖房を強めてあるので寒くはない。
「姫始めだね」
「そうですね、今年もよろしくと言えばいいんでしょか?」
「よろしく」
そのまま、二人はしばらく眠ったみたいだった。凜がベッドから出て行くので目が覚めた。時計を見ると5時を過ぎていた。
「夕食を作ります。お肉があるから焼きます。元気をつけてもらいます」
「ありがとう。元気が出そうだ」
「二人分だと作り甲斐があります」
「姫始めで君をご馳走になって、ステーキをご馳走になるなんて、今年の正月は最高だね」
「私もこんな楽しいお正月は久しぶりです」
凜が作ってくれた夕食を食べた。凜には家庭的な雰囲気があるし、家庭に憧れがあるように思えた。夫婦二人の正月はこんなものだろうかと思っていると後片付けしながら凜が聞いてくる。
「二人の生活ってこんな感じになるのかしら」
「僕も今、それを考えていた。どうなの?」
「心が落ち着いて穏やかになっています。後片付けも楽しいし」
「こうして、君が後片付けをしている後姿を見ているとなぜかほっとするね」
「これが普通の夫婦の生活っていうものかな」
「こんな感じですか、私は経験がないから分からないですけど」
「僕も昔のことだから忘れてしまった。終わったらそばに座ってくれないか」
「ええ」
洗い物を終えて、凜が隣に座った。互いに寄りかかってベッドにもたれかかって座っている。凜の手にはまだ水がついている。荒れていないきれいな手だ。その手にそっとキスをする。
「夕食をありがとう」
「どういたしまして」
「しばらくこうしていたい」
「お茶をいれます」
「ありがとう」
「これからどうします」
「君を抱いて眠りたい」
「私も抱かれて眠りたい」
二人はベッドに移り、また、愛し合う。そして抱き合ったまま深い眠りに落ちた。
3日の朝、目が覚めると、抱いていた凜を起こしてまた愛し合った。それからまた眠って、目が覚めたらもうお昼前だった。
「散歩しないか?」
「そうね、原宿の街でも歩いてみましょうか」
「人出が多いかもしれないけど、雑踏の中を二人で歩くのもいいんじゃないか」
「腕を組んで?」
「いや、手を繋いで」
「じゃあ簡単なお昼を作ります。オムライスお好きでしたね」
「ああ、大好きだ、作ってくれる?」
「二人分作ります」
凜は身支度を整えるとすぐにキッチンに立って料理を始めた。出来上がったオムライスを口に頬張ると前に食べた時と同じ味がする。おいしい。
食べ終えると二人で出かける。凜はメガネをかけなかった。僕はこのままどこかで別れて帰ろうと思っている。
原宿の正月の雑踏の中を二人でそれを楽しむようにゆっくり歩いて行く。凜は始め腕を組んできたが、雑踏の中では手を繋いだ方が歩きやすいと分かったようで、手を繋いで歩く。
若いカップルが同じように手を繋いで雑踏の中を歩くのを楽しんでいる。こうして人混みの中にいると、大都会の中で生きているという実感が湧いてくる。
凜は店のウインドウを横目で見ながら、気に入った店があると近づいてウインドウの中を覗いたり、店の中に入ったりしている。僕はそれを見守りながら戻ってくるのを入口で待っている。
原宿駅近くの店から凜が出てきたところで、男が話しかけている。30半ばくらいか? 男の後ろから近寄る。凜がこちらを見る。怯えているような顔をしている。
「ねえ、亜里沙じゃないか? 俺のこと覚えていないの?」
「知りません。人違いです」
「いや、君は亜里沙だ、髪を短くしているけど間違いない」
「どうかしたの?」
「この人が」
「君は誰ですか、僕の家内に何か用ですか?」
「昔のなじみの女の子に似ているから声をかけました」
「怯えているじゃないか、失礼だろう」
「申し訳ありません。悪気があった訳ではありません。失礼しました」
男は恥ずかしそうにしてすぐにその場を離れて行った。
「大丈夫かい。悪かったね、街中へ誘っていやな思いをさせてしまったね」
「いえ、それよりもあなたの方がいやな思いをされたのではないですか」
「前にも言っただろう、そういうことは百も承知している。気にしていない」
凜が急に抱きついて来た。雑踏の中でも人目に付く。皆、僕たちを見ながら通り過ぎてゆく。
凜に抱きつかれるのは悪い気がしないし、人に見られるのも気にならない。正月からいい気分になっている。凜を抱き締めているが、原宿では見慣れた風景だろう。
「あの男の顔、覚えていたの?」
「覚えていないの、でも亜里沙と言っていたから」
「覚えていないなら、なおさら知らんぷりしていればいい。怯えていないで、もっと強くならないと、でもこれからも僕が守る」
「家内って言ってくれてありがとう。嘘でも嬉しいわ」
「本当に家内になってほしいと思っているからそう言っただけだ」
「ええっ」
「僕の妻になってほしいと思っている」
「それはできません。付き合っているだけで十分です」
「付き合っていても、また急にいなくなってしまうのではないかと心配なんだ。もう二度と君を失いたくない」
「結婚を考えてみてくれないか。君と僕は年が離れているし、娘もいる。すぐに返事してくれなくてもいい。よく考えてからでいいから、待っている」
「ありがとうございます。身に余る申し出ですが、しばらく考えさせてください」
「分かった。このまま、ここで分かれるのもなんだから、店まで送ろう」
凜の手を引いて歩き出す。凜はうつむきながらついて来る。店の前で別れる時、また抱きついて来た。
いつかはこうなるとは思っていたが、行き掛かりで凛にプロポ―ズをした。これで良かったと思っている。
今日は、行き掛かりとは言え、凜にプロポーズした。こんなことでもないとなかなか踏み切れなかったのも事実だ。駅前の弁当屋で弁当を買って、4時過ぎにマンションに戻ってきた。
明日から仕事だが、4日は新年の挨拶回りや挨拶を受けたりして1日が過ぎて、業後は年始の一杯があるから、仕事は5日からになる。
夕食の弁当を食べているところへ、栞から電話が入る。元旦の朝の新年の挨拶の電話以来だ。
「パパ、お正月どうしてた?」
「元旦はあれから一日マンションにいて寝正月だった。2日と3日は初詣やら街歩きをしていた。さっき、戻ったばかりだ」
「一人で?」
「いや、連れがいた」
「女の人?」
「そうだが、気になるか? 栞こそ、どうしてた? 彼氏とでもうまくやっていたのか?」
「まあ、そういうところ、でも心配しないで、きちんと付き合っているから。パパこそどうなの? その女性とは」
「栞と同じようにきちんと付き合っている。一度、栞に会わせたい」
「いいわよ、私がパパに合う人か見てあげる」
「生意気を言うな。東京へ来る機会はないのか?」
「再来週の月曜日に東京の本社で会議があるから、来週の土曜日に東京へ行くわ、泊めてもらいます」
「それなら、日曜日の晩に3人で食事をしよう。どこかのホテルのレストランを予約しとこう」
「分かったわ。どんな人か楽しみだわ」
早速、凜に電話する。
「2日間も付き合ってくれてありがとう。もう大丈夫かい」
「はい、今、夕食を食べているところです」
「再来週の日曜日の晩は空いているよね」
「はい、日曜日の晩は予定がありませんから」
「それじゃあ、娘が帰ってくるので3人で会食しようと思う。是非、娘に会ってほしい」
「ええ、いいですが、娘さんは何とおっしゃってます?」
「会ってみたいと言っている」
「それならお会いします」
◆ ◆ ◆
娘の栞が土曜日の午後4時過ぎにマンションに着いた。実家へ帰ってまで食事の支度をしたくないからといって、大阪で買ったという駅弁やたこ焼きやらを持ってきた。夕飯にはそれを当てると言う。駅弁とたこ焼きをつまみに二人でビールを飲む。
「ねえ、その女性ってどんな人、どこで知り合ったの」
「もう7年ぐらい前になるかな、水商売をしていたが、3年位贔屓にしていた」
「真面目なパパが水商売の人と親しくなるなんて意外だわ」
「付き合い出したのは最近のことだ、しばらくどこへ行ったか分からなくなっていたから」
「どういうきっかけで?」
「偶然、彼女の店に入って再会した。それで交際を申し込んだ」
「その人、歳はいくつなの?」
「32歳と言っていた。パパとは13歳も違う。栞より9歳位上」
「随分若い彼女ね、うまくやったね」
「プロポーズしたけど考えさせてと言われている」
「そりゃそうだわ、13も年の離れたおじさんだから、それに娘もいるとなると、考えるわ、振られる可能性もあるかもね」
「どうかな、パパは二度と失いたくないと思っているけど」
「私に会わせたいのはどうして」
「義理の母親になるかもしれないから、栞に気に入ってもらいたいし、できれば仲良くなってくれればいいと思って」
「それは会って見ないと分からないわ」
「そうだね。明日会ってみてあとで感想を教えてくれればいい」
「私が反対したら?」
「反対しないと思っているけど、その時はその時だ」
◆ ◆ ◆
日曜日の午後6時に銀座のホテルのロビーで待ち合わせをした。僕と栞が待っていると凜が6時前に現れた。和服を着ている。メガネはかけてこなかった。
見た目は32歳よりも上に見えるが、和服が似合っていて周囲も見ているくらいに美しい。こちらへ歩いて来るのを教えると栞が見つめている。
「きれいな人、ママに似ているね」
「パパも会った時にそう思った」
「パパが好きになった訳が分かったわ」
凜が僕たちを見つけて近づいて来た。栞を見ている。
「今日はご招待いただきありがとうございます。こちらが娘さんですね。初めまして寺尾 凜です」
「初めまして、山路 栞です。父がお世話になっています。今、父と話していたところです。亡くなった母にそっくりだと」
「お父さまもそうおっしゃるんですが、そんなに似ていますか」
「そっくり、なぜか懐かしい気がします」
「じゃあ、話は食事をしながらにしよう」
3人で最上階にあるメインダイニングへ向かう。席に着くとすぐに栞が凜に問いかける。
「父のどこが好きになったんですか」
「栞、最近付き合い始めたばかりだ。そんなこと聞くもんじゃない」
「お付き合いを始めたと言うのは、きらいじゃないからでしょ」
「そうです。嫌いなら付き合いませんし、好意を持っているからです」
「真面目が取り柄の父ですので、どこが気に入られたのか知りたくて」
「お父さまはとても誠実な方です。私のような女に交際したいと申し込んでくれました。すべて承知していると言って、それに私を守ってくれるとまで言ってくれました。これほどまでに私を大事に思ってくれる人は今迄いませんでした」
「凜さんとお話ししていると、なぜ父があなたを好きになったのか分かります。父はあなたといると心が癒されるのでしょう」
「栞さんにそんなことを言われるとは思いませんでした。それはいつもお父さまが言われていることです」
「私もお話ししていると懐かしいような心が癒されるような気がします」
「亡くなられたお母さまに私が似ているからですか」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」
「うふふ、やはり親子ですね。お父さまと同じようなお答えです」
「父もそう言ったのですか」
「はい」
娘も僕も正直そこのところは良く分からない。だだ、同じような気持ちなのは確かだ。栞は凛の過去の仕事やどうして知り合ったのかついては聞かなかった。聞かれれば凜は正直に話しただろう。娘も大人になったということだろう。社会に出て人の機微が分かるようになったのかもしれない。
栞は彼女のことを気に入ったみたいなので安心した。凜も栞に好感を持ってくれたみたいだった。娘と義母のつきあいでなくて、姉妹みたいに付き合ってくれたらいいのだが、これは二人次第だ。
食事が進んでいく。凜の緊張も解けて話が弾んでいる。栞の彼氏の話になった。凛に相談したいことがあったら電話してもいいかと聞いている。経験が豊富な凛に相談にのってもらいたいらしい。父親は頼りにされていないようだ。確かに凜は栞にとって頼りになるかもしれない。食事が終わって別れ際に栞が凛に挨拶する。
「今日は私に会いに来ていただいてありがとうございました。お会いして父がプロポーズした訳が分かりました。どうか父をよろしくお願いします」
「私はお父さまにふさわしくない女です。でもできるだけお父さまのお力にはなりたいと思っています」
凜はタクシーに乗って帰って行った。二人で見送るとこちらもタクシーに乗り込んだ。
「パパ、良い人じゃない、絶対に逃がしたらだめよ。もうあんな人見つからないわ」
その言葉を聞いて内心ほっとした。
バレンタインデーが近づいて来た。ちまたでは女性が男性にチョコをプレゼントするが、会社でも義理チョコのやり取りが普通になっている。義理ならやめたら良いと思っているが、禁止するまでもない。
ここ2週間ばかりは出張が重なって土日がつぶれて凛と会っていなかった。6時ごろに電話を入れてみる。
「山路です。しばらく会ってないけど、元気にしている?」
「はい、元気です」
「今度の日曜日に会えないか?」
「なかなかお会いできませんでしたのでお会いしたいです」
「僕のマンションに来ないか?」
「はい、何か食事になるものを作りますから、準備していきます」
「何時ごろになる?」
「2時過ぎには行けると思います」
日曜日の2時少し前に凜が訪ねてきた。手には小さなバッグとスーパーのレジ袋を提げている。部屋に入れると後ろから抱きしめる。
「しばらく会わないと、またどこかへ行ってしまうのではと思って心配になる」
「お付き合いいただいているので、今度は黙っていなくなることはありません」
「それなら安心だけど」
「そんなに思っていただけるほどの女ではありません」
「こうして一緒にいると安心できる」
「夕食の準備まで時間があります。散歩しませんか。また、公園を散歩したいです」
「じゃあ、一回りしようか」
二人は散歩に出た。今日は天気が良くて散歩している人も多い。梅が咲いているが、ほかの草木はまだ冬姿のままだ。日差しが温かくなってきている。凜が手を繋いでくる。
「本当にいいところですね。ここを散歩しているとのんびりします」
「僕も気に入っている。春は桜がきれいだし、夏は水辺が涼しい、秋には紅葉する。冬は日差しが温かい」
「ところで、あの返事はもらえないのかな?」
「本当に私みたいな女でいいんですか?」
「君の過去も承知の上だから、それ以上に君にはいいところがたくさんある。この先、他のいいところも、また気になるところも見つかるかもしれない。すべていいところばかりではないのは当たり前だ。すべて受け入れるしかないと思っている。僕にもいいところと、気になるところがあるだろう」
「いいところばかりですが」
「そのうち気になるところが見えてくると思う」
「そうかもしれません」
「一緒に住むと気になるところが見えてくる。でも受け入れてほしい」
「受け入れられると思いますが」
「君は会社勤めをしたことがないから分からないかもしれないけど、僕は今のポジションに付く前は人事で中途採用の担当をしていた。求職者に聞くと、僕の会社の良い条件の面しか見ていない。今いる会社に不満を持っているのでそれが満たされる条件しか見ていない。他の見えないところは今いる会社と同じと思っている。でも違うんだ。見えない部分はたくさんあるし、それぞれの会社で違っている。入社して初めて他の見えなかったところが同じではないことに気が付くんだ。そして前の会社の方にも良いところがいろいろあったと気が付くんだ。それでまた不満を持って辞めて行く人がいる。そういう人は次の会社でも不満ができて転職を重ねてしまう。結局、最初の会社が一番良かったという愚痴を聞いたことがある」
「私も数回お店を替わったことがあるので、おっしゃっていることはよく分かります」
「何事もすべていいところばかりではない。僕はそれが良く分かったうえで、すべて受け入れて君にプロポーズしている」
「こんな私で良ければ、お受けしようと思います」
「ありがとう。娘も喜ぶと思う」
「君さえよければすぐにでも一緒に住みたいと思っているんだが」
「お店がありますが」
「一緒に住んで、家にいてもらえないか?」
「そうすると、店を止めなければなりませんが」
「僕のために家にいてほしい。絵でも好きなことをしていていいから。我が儘かな」
「主婦になってほしいということですか」
「そうしてほしい」
「私には務まりそうもありませんが」
「そんなことはない。君は家庭的な女性だと思うし、いつもそばにいてくれるだけでいいんだ」
「そこまで言って下さるのなら、分かりました。店を仕舞います。時間がかかりますが、いいですか?」
「ありがとう、僕の我が儘を聞いてくれて」
「私は誰かの奥さんになることはとっくに諦めていました。まして家にいてほしいと言ってくれる人が現れるなんて思ってもいませんでした。喜んでそうさせてもらいます。店は畳みます」
「それでいいんだね」
「はい。そうします。決めました」
気が付くといつの間にか池の周りを2周していた。それからマンションに戻った。
「娘は僕が君と結婚したら、部屋を開けると言っている。東京へ転勤になっても一人暮らしをしたいそうだ」
「そんなこと気にしないで、一緒に住みましょうよ」
「娘はもう十分に私のために生きてくれたのだから、これからは自分のために生きてほしいと言っている」
「お嬢さんはそう言われましたか。私はその気持ち分かります。私も父に育てられましたから」
「でも、本当に一緒に住んでもいいんですよ」
「まあ、娘にまかせようか」
「食事の支度を始めます。夕食はお好み焼にしていいですか」
「お好み焼?」
「はい、上手なんです、食べてみてください」
「お願いするよ」
「これはお店には出していません。あなただけのための料理です」
「僕だけのため?」
「父が好きだったんです。あなたにどうしても食べてもらいたくて」
「お父さんの代わりに?」
「あなたにはどこか父に似たところがあるんです。はっきりどこということは言えませんが、どこか懐かしいところがあるんです」
「それが僕の好きなところ?」
「それもあります。あなたといると、なぜか心が癒されて安心できます。この前も私を守ってくれるといってくれましたね」
「確かに、本心だけど」
「父も小さい時によく私を守ると言って抱きしめてくれました。これだけはよく覚えています。それだけで心が安らかになりました」
「こっちへおいで」
凜を引き寄せて強く抱きしめて「君を守る」と言った。凜は抱き締められたままじっとしている。僕は気持ちが治まるまで凜を抱いていた。そして凜は「料理の準備をしないと」と言って僕から離れた。
凛のお好み焼はおいしかった。2枚焼いて二人で食べる。食べ終わるとまた2枚いて二人で食べる。
「上手だね。おいしい」
「そういってもらえると嬉しい。父もよくそう言って食べてくれました」
「私はあなたに父の面影をみているのかもしれません。ごめんなさい」
「それでいいじゃないか」
「僕も娘も亡くなった妻の面影をみているのかもしれないから」
「それでもいいんです」
「娘がそうかもしれないし、そうでないかもしれないといったのには僕も驚いた。そういう感じだから、気にしなくてもいいんじゃないかな、君は君だ。僕は君が好きだ」
「ありがとう。嬉しいです」
その晩も凜は泊ってくれた。今ではすっかり二人でいることに慣れてきた。凜も負担になっていないという。
このごろ二人でいる時の凛の表情が以前よりまして穏やかになってきたように思う。今までは研ぎ澄まされたような美しさだったが、今はやさしい美しさになってきた。気を許しているからだろうか?
凜は店を引き継いでくれそうな人がいるから、当ってみると言っていた。引継ぎができたらすぐにここへ引っ越してくると言う。
僕は引っ越して来たらすぐに式を挙げて入籍したい、それが僕の誠意だと言った。凜は入籍だけで十分で静かに生活に入りたいので式はしないでいいと言った。