ピコン♪

 日曜日の13時。今日は風が涼しいなぁ、と窓を開けながら思っていた時。私のスマホがブルってふるえ、そんな音がした。スマホを見てみると、ホーム画面に『Shouから一件のメッセージ』と書いてある。一瞬Shou誰?って思ったけど、すぐに髙宮くんからだとわかる。私は絵を描いていた手をとめてスマホのLINEのアプリを開く。トーク画面には二つのアイコンがある。その中の上にある、かわいい幼稚園ぐらいの女の子が笑ってこっちを見て、小さい手でピースをしているアイコンをタップして開く。この女の子は誰だろう?妹さんかな?かわいいなぁ、また今度聞いてみようと思いながら髙宮くんからのメッセージを読む。
『今から行ってもいい?』
 って。私は今から、っていうかいつでも来てもいいので
『来ていいよー』
 って返す。髙宮くん、わざわざ聞いてくれなくても昨日私は何時でも大丈夫って言ったのになぁ。でもそんな些細なやり取りでさえ、友達がいなくてLINEもめったにやらない私はうれしかった。
 今から髙宮くんが自転車で来てもここに到着するのは少し時間がかかるだろう。その間にちょっとコンビニでお菓子でも買ってこようかなと思い、フードがあるパーカーを着てマスクをして、自転車にまたがる。一応歩いていける距離のところにもコンビニはあるのだけれど、知っている人に出会わないようにうちの高校の人があんまり来ない、少し遠いのコンビニに行こうと思ったのだ。人通りが多い大通りや駅の近くは避けてコンビニを目指す。
 最近全然自転車に乗っていなかったからか、単なる私の体力不足か、あるいはどっちもの理由か、自転車でちょっと走っただけなのに私はもう息が切れてゼェゼェ言って、肩で息をしている。風が涼しいというのに汗もちょっとかき始めている。その汗は涼しい風で冷まされてちょっと寒い。そしてようやくコンビニにたどり着く。久しぶりの、コンビニ。コンビニの中はまだ5月なのによく冷房が効いていて、今の私にはちょうどいい感じで体温を下げてくれる。
 さて、何を買おうか。嫌いな人なんていないと思う、一番無難なポテトチップス。でも、ヘアアレやメイクをするんだったら、手が汚れてダメ?あとは、クッキーとか?クッキーも嫌いな人はあんまりいないだろうけど、髙宮くん、好きかな……?それか普通に飴とか。ずっとなめながらできるけど、でもあんまり……。アイスもいいのかな?冷たいしおいしいし。でもどのアイスがいいんだろう?そこも迷うぅ。
「えぇっと、ポテチ?クッキー?飴?アイス……?」
 そんな風に結構迷っていると、店員さんに早く出て行ってくれ、みたいな冷たい目で見られていることに気づいた。だから適当に青のりのポテチとチョコチップ入りのクッキー、あと飲み物のコーラを急いでとり、買ってコンビニから出た。そして時計を見るともう13時半になりそう!もうそろそろ髙宮くんが来てもおかしくない時間なので私は急いで自転車にまたがる。
 そこでふと思いつく。このまま大通りを避けていくよりも、大通りを通って行った方が早い。せっかく髙宮くんは今から行くって言ってくれたのに、着いたときに私が家にいなかったらどう思うだろう。髙宮くんよりも早く着かないと、髙宮くんに失礼だろう。それに大通りはあんまり人がいないからスピードを出していけば知っている人がいても私って気づかれないだろうし、今の時間帯はもうどこかに遊びに行っていて高校生がここを通ることは少ない……と思う。そう思って私は大通りを目指して自転車をこぎだした。

 そんな、ちょっとした油断がダメだったんだろうか。
 もうちょっとで大通りを抜けて、角を曲がる――って時に。その反対側の角から、知っている声が聞こえてきた。
 ――うちの高校の……しかも私が好きになった彼のグループ。もうすぐ角を曲がるので、後ろ姿だけでは私だってばれない……そう思った、願ったのに。
「ねぇ、あれ、ブスじゃね?」
 私の体から、行きとは比にならないくらいのいやな汗が滝のように噴き出してくる。
「え、ダメだよ、知らない人に急にそんなん言っちゃあ」
「違う違う、そうじゃなくって、ほら、高2の時一緒のクラスだった、あのブス」
 そんなにブスブス言わないで。早くここから去りたい。そう思ったのに、私の体は言うことを聞かず、私はちょっとスピードを落としてし、うつむき気味になる。
「ほら、やっぱそうじゃん。久しぶりぃ―ブス」
「ほんとだぁ。こんなとこで会うなんて奇跡だね、ブス―」
 私は無視して、自転車のスピードを上げる。
「あれ、無視?性格わるー。もう行くの?バイバーイ、ブス―!」
 そのあとの後ろから聞こえた会話は、私のことをしゃべっていた。私に聞こえるように、わざと大きな声で。あのグループの中で私のことを知らない子に、
「あの子はねぇ―高2のクラスメイトのブス。マジでめっちゃブスで気持ち悪いんだよねー」
 って説明していたり、あの世界一最悪な罰ゲームの話をしていて盛り上がっていた。世界一最悪なゲーム……あの時のいやな記憶が頭の中でリプレイされる。ちょっと吐き気もしてきた。
 私はそんな会話を聞いていないふりをして急いで自転車をこぐ。あのまま家についてこられなかったのは助かった。体力のない私が自転車をこぐスピードなんて、本気で走ったらついてこられそうだったから。家までついてきてポストの中に悪口を書かれた紙を大量に入れられたりしたら最悪だ。
 家の前まで来ると、ちょうど前から髙宮くんが来るところだった。
「あ、早坂さん。どっか行ってたの?」
 私は全力で自転車をこぎすぎて肩どころか全身で息をしている。答えたいのにまだ息が整っていないから答えられない。こんな汗だくで不細工な姿、見られたくなかったな。
「早坂さん、大丈夫?」
 髙宮くんが心配してくれると、なんだかほっとする。正常じゃない私を察したのか、
「とりあえず、家に入らせてもらうね」
 って私からカギを取り、玄関のドアを開ける。そして自転車をとめてもらって、靴を脱いで私の部屋へ入る。そして私と髙宮くんが向かい合わせの状態で座ると髙宮くんが口を開いた。
「早坂さん、何があったの?」
 もう何かあったのかは分かっているっていう感じのいい方。私は一回深呼吸をして落ち着かせた。そして、
「……ううん、何でもない。麦茶、いれてくるね?」
 って言っていったん部屋を出る。髙宮くんは一瞬何か言いたそうな顔をしたけど、「うん、ありがとう」って言って出ることを許してくれた。
 麦茶をいれてくるなんて、部屋を出るだけの口実。これ以上髙宮くんと向き合っていたら、涙が出てきそうだったから。ほんとは一回この気持ちを落ち着かせたかっただけ。麦茶をいれながら、深い深呼吸を数回繰り返す。よし、落ち着いた。そして麦茶と、さっき買ってきたお菓子……そうだ、飲み物はコーラを買ってきたんだった。麦茶を二杯分自分で飲み、新しいコップにコーラを注いでいく。そして部屋に戻る。
「ごめん、お待たせ。さっきはね、コンビニにお菓子とコーラを買いに行ってたの」
 さっきは何事もなかったように普通に、いつも通り接する。そうしてたのに。
「早坂さん。俺の前では無理しなくっていいからね」
 髙宮くんが優しい声でそう言う。
「俺の前では誰かの悪口でも、文句でも、いやだったことでも、何でも言っていいから。俺が全部聞いてあげるから。だから無理なくても、大丈夫だよ」
 髙宮くんがそんな風に言ったから。とてもやさしい声でそう言ったから。私の涙は我慢できなくなってしまった。次々と涙があふれだしてくる。止めようと思っても止まらない。今まで、いやなことがあっても涙を流していなかった分、今、全部流れ出したみたいに。髙宮くんは、
「今日はレッスン、お休みね」
 って言って、泣きじゃくっている私の背中を優しくさすってくれた。やさしい、おひさまのようにポカポカあったかい手。でもその手は男の子の手で、おっきくて少しごつごつしていた。お父さんの手も、こんなのだったのかなって、お父さんの手を触ったことがない私には分からないことを考えていた。
 そしてひとしきりなくと、私は今まであったこと、今あったことを話し始めた。

 ずっといじめられていたこと。
 高2の時、好きな人が出来てでも私は世界一最悪な罰ゲームにされていたこと。
 だから学校には行かなくなったこと。
 さっきその彼のグループにあったこと。
 全部、全部、吐き出した。
 私は初めてこんなに全てのことを人に言ったかもしれない。 
 たぶん、これは髙宮くんにしか言えなかった。
 髙宮くんにしか言えないことだった。
 髙宮くんはどんな話でも真剣に聞いてくれた。私の話し方では上手に説明できていなくて分からないところもたくさんあったと思う。でも髙宮くんは真剣な顔で、私の背中を優しくさすりながらちゃんと聞いてくれていた。
 そのあとの事はよく覚えていない。たくさん泣いて、話して、話し終わったころにはもうコーラの炭酸は抜けきっていて、外も暗かったと思う。もうそろそろ髙宮くんも帰った方がいいと思ったので私が「もう帰った方がよさそうだね」っていうと、髙宮くんは
「また嫌なことがあったらいつでも言って。電話でもLINEでもいいから。来てほしいなら『来て』って言ったら来るからだから、一人で考えこんじゃ、ダメだよ」
 って言ってくれた気がする。そして髙宮くんを玄関で見送って、部屋に戻った私はすぐにベッドに倒れこむように横になり、泣いて疲れたのか、気づいたときにはもう寝ていた――