ピンポーンピンポーン♪

「来た……!」
 私はあらかじめ用意をしていたトートバッグをもって玄関に行く。玄関の鏡の前で、ちょっと身だしなみチェックをする。
 よし!大丈夫!気合を入れて玄関のドアを開ける。
「早坂さん。準備できた?」
 髙宮くんがいつものように待っていてくれる。
「うん!えっと、ハンカチ、ティッシュ、水筒、あといろんな書類とか……」
「それぐらいかな。じゃあ、行こっか」
 自転車にまたがって風邪を切るように二人でこぎ出す。もう梅雨も終わってきれいな青色の空をした六月下旬。雲一つなくてもやもやと熱い空気は夏を知らせているよう。今日は月曜日。初めてカフェちゃんとで働く日。髙宮くんが学校が終わって私の家へ来て、そこから一緒にカフェへ向かうというような流れになっている。前は遅れてしまったから今日は余裕をもって十分早く出発した。
「もうアオハルが終わってアオナツだなー」
 なんて、髙宮くんは意味が分からないことを言っている。何かツッコみたい気持ちもあるが今の私は自転車をこぐだけでゼェゼェ言って精一杯でしゃべる事なんてできないからあきらめる。
 それに比べたら髙宮くんは何一つ息切れなんてせずに、きれいに呼吸をしている。髙宮くんはやっぱり体力があるんだなぁなんて考えている。
 最後の坂。この謎に急な坂を上ったらもうカフェは目の前。あとひとこぎ……!
「つ、着いたぁ」
 外から見ても大きい建物。周りの家も同じくらいの大きさだからあんまり気づかないかもしれないけど、私の家と比べたら2倍ぐらいあるんじゃないかってくらい。
「早坂さん、こっちこっち」
 髙宮くんがいつの間にかお店の裏へと向かおうとしていた。私は急いで髙宮くんの方へ向かう。このお店は表と同じぐらい裏もちゃんと掃除がされており、きれいだった。髙宮くんが裏のドアを開けて中に入るので私もそのあとに続く。
「こんにちは―髙宮と早坂さん来ましたー」
 裏口から入るとそこはキッチンで、店主さんと益井さんが調理して、永野さんが接客をしていた。私と髙宮くんが来ると益井さんが「いらっしゃい」って言って紙に何か記入した。
「益井さんは俺たちが来たらちゃんと来たか、何時間仕事したかっていうチェックをする係。これでお給料が決まるんだ」
 へぇー。益井さん、そんな重要な仕事をしてるんだ。その仕事と年齢的に副店主っていう感じがしている。
「こんにちは、翔さん、梨沙さん。今日は梨沙さんは仕事の内容ややり方を覚えてもらおうと思っているよ。詳しくは翔さんに教えてもらってください」
 店主さんが説明してくれる。今日は髙宮くんに教えてもらうんだ。
「という事で、よろしく、早坂さん!」
「は、はい!よろしくお願いします!」
 私は髙宮くんに頭を下げる。
「じゃあまずエプロンにお着換えー」
 そういって髙宮くんはキッチンの奥へ行って何かごそごそしだした。
「あ、これいいじゃん!」
 そして戻ってきた時には片手に店主さんや髙宮くんと同じ色のエプロンを持っていた。
「これがここのカフェの仕事服。といっても私服にエプロンを着たらいいだけだけどね。あ、俺は制服だから奥のところで私服に着替えてエプロンを着るって感じ」
 そこまで説明すると髙宮くんがエプロンを渡してくれる。
「じゃあ俺は着替えてくるからエプロンつけといて待ってくれる?」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして」
 髙宮くんがかばんをもって奥へ進んでいく。私はエプロンを広げてみる。
 この店に会いような明るい、でも控えめな茶色で、胸元にはポケットがついてある。試しに体にあててみると丈はひざ下ぐらいでスカートのように少しふんわりしていて、かわいい。私は上のひもを首に通しておなかの紐を後ろへ持っていき、リボン結び……。
 あれ?リボン結びってどうやるんだっけ?普通にやるにはああしてこうして……。でも後ろで結ぶときはどうするんだろう?やり方が分からない……。こうするんだっけ、ああするんだっけ、と何度もやってもできない。店主さんや益井さんにくくってもらうのは恥ずかしいし永野さんは忙しそうだし……。
 どうしようかと迷っていると私が握っていた紐がするりと抜けた。後ろを振り向くと……。
「リボン結び、できないんだ?くくってあげるから前向いてて?」
 もう私服に着替えてエプロンも気終わった髙宮くんが私のエプロンの紐を取っていた。
「ご、ごめん、ありがとう……」
 リボン結びが出来ないって知られたのと、髙宮くんがリボン結びをしてくれているから、私の顔はどんどん赤くなっていく。それを隠すように、いつも通りうつ向きがちになる。隠していたのに。
「はい、できた!って、早坂さん?」
 結び終わって腰の紐がキュッとしている。でも私の顔はまだ冷めていなくて下を向いていると。髙宮くんが私の前にやってきてほっぺを両手で持って顔をあげさせられる。
「……ふぇ⁉」
「下向いたらダメだよ。常に前を向いてお客さんがしゃべりやすいようにしていないと」
 髙宮くんの手はすぐに私の顔から離れたけど触られたところはまた熱が上がってくる。また下を向きそうになったけど、もう一度あんなことされたらたぶん私は心臓が持たないので下を向くのをこらえる。
「オッケー!じゃあまずは接客のやり方からかな」
 髙宮くんが説明していってくれる。一通り説明したらまず髙宮くんがお客さんに実際に接客して、それを私が見て、次は私が髙宮くんに見てもらいながら接客するという感じ。私は覚えはいい方だからすぐに覚えて、今日のうちに接客の仕方は完璧になっていた。
 そうこうしているうちにあっという間に時間は18時前。お店は19時まで空いているけれど、もうお客さんはほとんど来ない時間らしいので高校生の私と高宮君、永野さんは18時でおしまい。なのでエプロンを脱いでたたんで、帰る支度をする。
 髙宮くんは今最後の仕事の食器洗い中。私はもうエプロンを脱いでいつでも帰れる状態。永野さんは今エプロンを脱ぎ終わって変える支度を済ませ、帰ろうとしている。
 私は何か言った方がいいと思ったので、
「お、お疲れさまでした!また水曜日に!」
 そういうと永野さんは一瞬びっくりしたような顔をして、でもすぐに不機嫌そうな目で私を見る。結構じろじろ見られて恥ずかしくなった私は目をそらすように「あの、どうかしました?」と聞いてみると。
「ちょっとこっち来て」
 永野さんが私の服を少し強めに引っ張って店の外へ出る。私は意味が分からずされるがままにされていると、店を出てちょっとしたところで止まった。
「早坂さん、だよね。翔くんとはどういう関係?」
「……え?」
 どういう関係って、どういうこと?どうもこうも、ないんですけど……。
「付き合ってたり、しないよね?」
 え?
「な、ないですないです!私なんかと髙宮くんがつりあうわけ……」
「そっか、そうなのかぁーじゃあ、よかった」
「え?」
 私と髙宮くんが付き合ってなくてよかったって、もしかして……。
「あたし、髙宮くんの事が好きだから。ずっと前から」
 髙宮くんの事が好き……。うすうす気づいていたんだけど、やっぱり永野さん()髙宮くんの事、好きなのか……。それにずっと前からって……。
「じゃあ、そういう事だから。あと、敬語やめてくれる?一応同い年だし」
「あ、はい。じゃなくて、うん!」
「じゃあね、また水曜日」
「またね……」
 永野さんが帰っていく。それにつれて私の気分も沈んでいく。
 髙宮くんの事が好き、だって。それもずっと前から。髙宮くんも永野さんと話している時楽しそうだから両想いだったりするのかな?まぁ、永野さん美人でスタイルいいけど。でも髙宮くんが永野さんのこと好きだったら私、邪魔だよね?もし二人が付き合ったらレッスンもなくなって、髙宮くんと会う機会が減っていっちゃうかも。永野さんと髙宮くんが付き合うのも髙宮くんと会えなくなるのも嫌だな……。
「はぁ……」
 考えれば考えるほどに落ち込んでいっちゃう。気づけば思いため息も出ていた。すると。
「どうしたの?」
「た、髙宮くん⁉」
 ちょうど今髙宮くんのことで頭がいっぱいだったから、目の前にいてびっくりする。声も少し裏返ってしまった。
「いや、そんなに驚かなくても……。てかため息ついてたね。初めてのバイト、疲れた?」
 髙宮くんはどれだけ優しくて気が使えるのだろう。でも永野さんにはもっと優しくしてあげているのかな、と思うと胸が苦しくなる。髙宮くんと永野さんが付き合うことになったら、私は素直に喜んであげられるのかな。ちゃんと笑顔で「おめでとう」って言ってあげれるのかな。今はちょっと無理かもしれないけど……二人が付き合うまでに言えるようにしておかないと。
「……早坂さん?」
 髙宮くんが心配そうな顔で私を見ている。私、結構考えこんじゃってたかな。この変な気持ちが顔に出ていたかな。高宮君、私の事とても心配してくれているのかな、この顔は。なんだか私よりも不安そうな顔をしている。髙宮くんにこんな顔、させたくなかったな、なんてさせてしまった後に思ってももう遅いな。
「ごめん、ちょっと考え事してた……。帰ろっか」
 そして私は髙宮くんの顔をなるべく見ずに自転車にまたがる。髙宮君には申し訳ないけど、今、髙宮くんの優しい、心配してくれている顔を見たら、きっと私は変に期待してしまう。そしたらもう永野さんと付き合ってもおめでとうなんていえないし、私自身ももっと傷ついちゃいそうで。だから、卑怯かもしれないけど、今だけは顔を見たくない。
 幸い、髙宮くんは自転車に乗っている時、私よりも前に来なかったし、話も振ってこなかった。いつもは気まずくて悲しいかもしれないけど、今は少しその方が安心する。
 静かな夜に響いているのは自転車の車輪が回る音だけ。それを聞いてこいでいると、あっという間に私の家の前についた。
「髙宮くん、ありがとう」
 お礼を言うときも顔を合わせないため、うつむきがちで。また顔を上げてくれないかな、とちょっと期待してしまったけどそんなことはなく、
「うん、こっちこそありがとう。ばいばい」
 そういって髙宮くんは家の方へ帰っていってしまう。
 私は目から涙がこぼれないように急いで家に帰って、そのまま私の部屋のベッドに飛び込む。
 静かな夜の、静かな部屋に聞こえるのはすすり泣く声だけだった。