駿人くんの家を見て、わたしは大きく目を見開き、口をパクパクさせていた。
『小久保医院』という看板がかかっており、わたしは駿人くんの顔を見た。駿人くんはニコリと笑った。まるでどんな反応をするのかを予想出来ていた様子だ。ご両親の職業を聞くのは失礼になると思い、聞かないようにしているけれど、現在の状況が驚きであった。開いた口が塞がらない。

「ここ、僕ん家なんだ」

「もしかしてなんですが、駿人くんのお父さんって…」

「うん。開業医なんだ。と言っても患者さんはおじいちゃんおばあちゃんばかりだけどね」

 駿人くんは、わたしの手を引き中へと入って行った。広すぎない待合室。診察室と書かれた表札。患者さんと思われるおじいさんおばあさん達。患者さんの名前を呼ぶ中年の看護師さん。駿人くんはそれぞれにあいさつをしつつも、母屋があるほうに歩いて行った。その間にもおばあちゃん達から「彼女かい? かわいらしい子だねぇ」と言われ、わたし顔をまっ赤に染まり、言葉を失ってしまった。駿人くんは笑いながら「同級生の子だよ」と説明してくれていた。サポートに入ってくれているのに『同級生』という言葉にチクリと胸が痛む。すみれ堂での出来事があったにも関わらず都合のいいものだ。わたしは駿人くんのうしろを静かについて行った。彼が誰にでもやさしいことや、みんなから『ボン』と呼ばれている理由がわかった気がする。それでもお家が病院というのは驚きであった。

「もしかして僕の家が病院だって知らなかった」

「はい。ずっと普通のお家かと思ってました」

「そうだよね」

 駿人くんはニコリと笑った。
 母屋の扉を開け、わたし達はそこに足を踏み入れた。母屋のほうは本当に一般的な雰囲気でテーブルに家族分のイスが並べられており、奥には家庭を感じられるキッチンがある。そしてそれぞれの部屋へとつながる廊下がある。駿人くんに案内され彼の部屋に入って行った。ベッドに学習机、いろんな写真集やカメラ関係の本が入った本棚が置いてある。青色がメインな男の子らしい部屋だ。駿人くんは折り畳み式のテーブルを広げ、座って待っててと言い残し飲み物を取りに行った。わたしは本棚の前に膝を着き、背広を指でなぞった。田舎の風景や都会の風景、そして外国の風景、それぞれが揃っていて、本当に写真が好きなんだなと感心してしまう。真ん中の隅まで行き、わたしはあっと呟いた。そこには去年楓ちゃんが出したイラスト集が置かれていた。わたしはそれを取り出し、一枚一枚ページをめくって行った。わたしも同じイラスト集を持っていた。コンクールで入賞したときにお祝いでくれたモノだ。アニメーション風の風景や愛らしいキャラクター、そしてかっこいい男性のキャラクターが描かれている。わたしには到底描けないモノだ。一枚一枚の絵を観ると、やはり楓ちゃんはすごい人なのだと思わされる。

「ハルちゃん、それ観ていたんだね」

「あっはい。わたしもこの本、持っているんです」

「そうなんだ! って当たり前か」

 駿人くんはわたしのとなりに座って、イラスト集を眺めた。とてもやさしい目だ。再びわたしもイラスト集に目をやった。となりに好きな人がいて、共に同じイラスト集を観ている。その話題で話せている。心がとても心地いい。こういうのを幸せと言うのだろうか。緊張を忘れて、時間が穏やかに流れて行く。こんなに男の子と話しが弾むなんて夢みたいだ。楓ちゃん自身、まさか駿人くんの家でイラスト集を開いて話されているだなんて思いもないだろう。日差しの光が、駿人くんの部屋を白く染める。

「楓さんって、すごいよね。小説とかの挿絵とかやりながらも自分のイラスト集とかも出しているんだから」

「はい。それにわたしに絵を描く楽しさを教えてくれたのは楓ちゃんなんです」

「あの人は人を巻き込むの上手いからね。僕もハルちゃんも上手くのせられたってことだね」

「そうですね」

 クスリと笑った。
 楓ちゃんは絵を描いているときがとても楽しそうにしている。小さいとき、楽しそうに絵を描く姿にわたしも心を奪われたモノだ。いつしかわたしも一緒に絵を描くようになった。その時間が楽しく、夢中になっていた。晩ごはん間近までやっていて、楓ちゃんと共に母に怒られることもあった。だけれどそれも楽しい思い出だ。そして彼女のイラスト集で、同い年の男の子と一緒に笑顔にさせられている。本当に彼女は憧れの存在だ。
 駿人くんはイラスト集の表紙をやさしく撫で、暖かい表情を浮かべていた。彼自身も楓ちゃんに何かを影響を受けたモノがあるのだろう。それを聞くことは野暮のことで出来なかった。
 部屋の外からガラリと扉が開く音が聞こえて来た。誰かが帰宅して来たのだろうか。わたしが焦っていると、駿人くんはおかしそうに笑った。

「女の子が来たからって追い出そうとしないから大丈夫だよ」

「で、でも…」

「大丈夫」

 駿人くんはにっこりと笑った。その刹那に部屋の扉がガラリと開き、肩まで伸びたキレイな髪を一つに束ね、華奢なスタイルなのにどこか逞しく見える女性が姿を見せた。二十代前半ぐらいだろうか。とても若々しく見える。やわらかい雰囲気でやさしそうな人。その人はわたしを見て、ニコリと笑みを見せた。

「あっ、もしかしてあなたがハルちゃん!」

「は、はい。み、水森晴香と申します。よ、よろしくお願いします」

「そんなに緊張しなくてもいいよ。話しには聞いていたけど、本当にかわいらしいわね」

「め、滅相もございません。え、えっと…」

「あぁ、あたしね。そこにいる駿人の姉の綾香です。よろしくねハルちゃん」

 綾香さんは、わたしの手を握り、やさしく微笑んだ。まるで天使のような微笑みだ。つい見惚れてしまう。

「やだ。ハルちゃん、そんなに見つめないでよ。照れちゃうな」

「す、すみません。そ、その綾香さん、笑顔がステキだったモノで…」

「うれしいこと言ってくれるじゃない。あたしハルちゃんのこと大好きになっちゃった」

 抱きつこうとする綾香さんの肩をガシッと駿人くんが掴んだ。実の姉弟だからだろうか。とても容赦のない目をしていて、驚いた。初めて見る様子だ。いつもはやさしくて暖かい目をしている彼が、鋭い目をするだなんて想像しておらず、体を縮こませてしまった。綾香さんはそのことに気づいたのか、駿人くんに声かけをしてくれていた。

「駿人、目が恐いよ。ハルちゃんが恐がってる」

「おっと失礼。でも姉ちゃんは初対面でパーソナルスペースが近すぎるからね。特に僕の同級生の女の子に」

「もしやヤキモチですかな。案外かわいいところあるじゃない我が弟よ」

「うるさいなぁ。早く出ってくれない」

「駿人も反抗期かぁ~。お姉ちゃんさびしいよ」

「はいはい。出てった出てった」

「ハルちゃん襲われそうになったら大きな声出すんだよ。こやつも男なんだから」

「えっと、そ、その、わ、わかりました」と戸惑いつつ返答すると、駿人くんは「ハルちゃんまで」と肩を落とした。彼がこんなにも女性に押されているなんて滅多に見られることはないだろう。心の中で彼に手を合わせた。

 綾香さんは天使のようにキレイでハツラツとしたお姉さん。姉弟だからかもしれないけれど、顔立ちはどこか駿人くんに似ているように見えた。綾香さんみたいなお姉ちゃんがいたら、毎日が楽しいだろうなと考えてしまう。それは同じ女同士だからだろうか。少しだけ駿人くんが羨ましい。

「ハルちゃん、姉ちゃんのことは気にしなくていいから」

「は、はい。えっと、、す、すみません。その…さっき」

「いいよ。気にしてないからさ」

 駿人くんは気を落としつつ、イラスト集を本棚に戻していた。
 駿人くんは綾香さんのことが苦手なのだろうか。彼自身も明るいほうだと思うけれど、それを上回るぐらいの明るさを持つ綾香さん。彼にとって、綾香さんの存在が大きいモノになっているのだろうか。彼の抱えているモノを取り除いてあげられないのが、とてももどかしい。

「ハルちゃん、もしかして僕が姉ちゃんにコンプレックスを抱いてるって思ってる?」

「違うんですか?」

「違うよ。嫉妬しているというよりも、むしろ尊敬してるほうだよ。自分の芯をきちんと持っている人だし。お転婆のところもあるけれど、あれでも小児科の看護師なんだよ。すごいと思うよ。すぐに誰とでも仲よくできるんだから」

「駿人くんは違うんですか? わたしは駿人くんに救われたと思ってます。初めて出会った日、わたしが泣いてしまったとき、何も言わずに撫でてくれたじゃないですか。あれ、すごく嬉しかったんですよ」

「そんなこともあったね。あれからハルちゃんは少しずつ笑うようになって、強くなっていくのがわかるよ」

 まだまだわたしはか弱いままだ。誰かの支えがないと、すぐにうつむいたままの自分になってしまう。そして未だに誰のことも支えることなんて出来ていない。無力な自分が情けない。

「コンクールの絵はどうだい。もう描けたのかい」

「はい。自分の中では一番の絵を描けたと思います」

「へぇ、自信があるんだね。今度観せてよ」

「そ、そんな。恥ずかしいです」

「じゃあ、展示会に展示されたときにってというのはどうかな」

 わたしの頬は微かに赤く染まり、彼の提案に「いいですよ」と恥ずかしながらも呟いた。彼は小さな子どものような笑顔を浮かべ「やった」と喜んでいる姿があった。わたしは、そんな様子を見て、クスリと笑みをこぼした。