――いつも溺れている感じがしていた。 

 わたし水森晴香は、悲しみという名前の海のの中にいる。そこはどんなに手を伸ばしても、何も掴めそうな気配はない。ただただ沈んでいく一方だ。わたしはこのまま死んでしまうのではないだろうかと考えてしまう。今のわたしのことなんて、誰も見つけることなんて出来やしないだろう。そこは深く暗い場所。さびしくて苦しい。わたしにはどうすることも出来ないでいる。希望や幸せなんてモノは、もうないのかもしれない。わたしはこの世界に存在をしてはいけない人間なのだ。わたしの手を掴んでくれる人がいないと思っていた。
 中学二年生になって、まだ一ヶ月も経たない頃のことだった。それが突然始まったのは。わたしの教科書に落書きをされたり、制服や上履きなどが隠されるようになっていた。最初は突然のことで、何が起きているかがすぐに理解することができず、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。すぐに理解することが出来たのは恐怖という感情だろうか。青ざめて行くわたしの様子を見て、クラスのリーダー的に存在であった佐倉さんやその取り巻きの女の子達がクスクスと笑う声が聞こえてくる。男の子達は巻き込まれたくないからか、佐倉さん達が行っていることを見て見ぬふりをしていた。わたしは小さいときから大人しくて臆病な性格から、彼女達に目をつけられてしまったのかもしれない。それからというものの、ノートを刻まれたり、机や黒板にでかでかと『水森晴香のビッチ』とか『キモイ』とか書かれたりもした。それでも学校に行けたのは親友だった子がそばにいてくれたからだった。それなのに、いつしかその子もイジメに加担をするようになった。佐倉さん達と共に行動するようになり、階段で突き落とされてり、人気のない倉庫でブラウスを引きちぎられることもされた。一番の親友からの裏切りがわたしを悲しみの海へと突き落とした。いつしかわたしは学校に行けなくなってしまい、部屋にこもるようになった。両親とも壁を作った。大事にはしたくはなかったから。だから何日も部屋から出ず、人とのコミュニケーションを絶ってしまった。そんな日々が続く中で、わたしのところに思わぬ来訪者が訪れた。小さいときからお世話になって来たおばの『楓ちゃん』こと水森楓さんだ。母さんか父さんのどちらかが連絡をしたのだろう。わたしが楓ちゃんに「入らないで」と拒絶すると彼女は「わかった」と言って、無理にわたしの部屋に入ろうとはしなかった。その変わりに楓ちゃんは「ドア越しに話しをしよう」と提案をしてくれたのだ。それなのにわたしは「話ししたくない」と遠ざけた。楓ちゃんはクスリと笑い「そっか」と返事をした。少し間が開いたところで楓ちゃんは「あたしの近況を聞いてよ」と言って、自分の話しを始めた。仕事のこと、私生活のこと、ご近所さんのことを楽しげに話しをしていた。わたしが話しを聞かないという可能性だってあったはずなのに、楓ちゃんは話すのをやめることはなかった。彼女の暖かい声音に、いつしかわたし自身、楓ちゃんの話しに耳を傾けるようになっていた。一通りに話しが終わったころに、わたしは楓ちゃんを部屋に招き入れた。そして学校で起こったことを包み隠さずに話しをした。楓ちゃんは何も言わず、うんうんと話しを聞いてくれた。苦しさや悔しさが込み上げられ、わたしは楓ちゃんの胸のなかで、わんわんと小さい子どものように泣き出してしまった。楓ちゃんは「辛いね。悔しいね」と背中を摩ってくれていた。そして楓ちゃんはこう続けた。

「ハル、あたしの家に来な。あたしのところで心を休ませよ」

 それは晴天の霹靂だった。この暗い水の中から出られるきっかけになる。そう思うと少しだけ光が差し込んで来たように感じた。わたしは顔を上げて、楓ちゃんの目に合わせ自分の心の声を口にした。

「わたし、楓ちゃんのところに行きたい」

 その一言が、わたしにとって大きな一歩になった。