ジンチョウゲの日記

どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しいーーこんな自分のことが大嫌いだ。

雨上がりの空は妙にご機嫌そうに僕を眺めていた。僕はそよ風にたそがれながら高校の屋上に立っていた。小さく見える町並みを前に身投げしようとしていたからだ。

僕の父さんは夜逃げした友の連帯保証人として借金地獄に追われていた。父さんは酒に溺れて、ストレスで虐待も始め、最終的には
「一家無理心中しよう」
なんて言い出したけど、最終的には首を吊って一人自殺した。母さんは壊れてしまった。幼い弟の面倒を見るために家に引きこもりになり、僕は借金返済や生きるために生活費を誰にも頼れず、孤独にバイトなどで稼いできた。

でも、もう限界だ。落下防止用のフェンスを登り、目を閉じる。その時だった。
「あれ?もしかしてまた死のうとしていた?」
聞き覚えのある柔らかい声に呼び止められた。ユリだ。
「えっとこれで君を止めたのは7回目だね。」
「何で数えてるんだよ。」
「ふふ、驚いた?」
ユリは無邪気に笑った。僕はその笑顔に自殺が馬鹿らしくなり、フェンスをまた越えて戻った。
「君も懲りないねー。これでもう何回命の恩人になったもんか。」
「あーうるさいな。ありがた迷惑なんだよ。」
僕が怒鳴りつけるように言うと、ユリはまた無邪気に笑った。すると、今度は頷きながら
「君も結構大変何でしょ。」
「あー本当だよ。お前みたいなお嬢様とは違いな。」
ユリとは高校で初めて出会ったクラスメイトだった。肩まで伸びる髪、純粋無垢なきれいな瞳を持っていて、明朗快活な人間だった。家はそんなお金持ちでは無いらしいが、欲しい物は直ぐ買ってもらえたり、ちょっと上から目線の喋り方をすることからクラスでは『お嬢様』と、呼ばれていた。
「もーちゃんと名前で呼んでよー」
「いや、それならお前だって」
「あ、確かに」
その後、しばらく沈黙の時間があると、ユリは風で髪をなびかせてから
「ねえ、私思うんだ。この世に死よりも恐ろしいことなんて無いと思うんだ。」
「どういう意味?」
「じゃあー例えば、今ここに絵の具があるとしよう。それで、純粋無垢な赤ちゃんを白、死ぬことを黒としよう。白色の絵の具は他の赤とか青とかと混ぜるとその色に変わる。でも、黒はどんな色を混ぜても基本黒。」
「何が言いたいの?」
「つまり、君はまだ変われるってこと。死んじゃったらもう後戻り出来ないってこと。」
「何か説得力あるね。」
僕が素直に頷くと、ユリは有頂天になった。
「だよね。だよね。私やっぱりセンスあるよね。」
「やっぱさっきのナシで。」
僕は吐き捨てるように言ってからユリの横をさっそうと通り過ぎた。
「どこ行くの?」
「そろそろバイト行かないと。」
この時言葉はなかったが、ユリは微笑んでるように見えた。

「ねえー君これどういうことなの?」
「これは前にも説明したでしょ。」
「帰れよ。お前はもういらない。」
年下だろうが関係なく、理不尽に怒鳴り散らす大人たち。僕は自分という存在を殺して社会の渦にのまれる。生きがいなんて存在しない。安息なんて存在しない。借金返済のために働き続ける。家に帰っても、母親は幼い弟ばかり見て、もう何ヶ月も会話していない。家ではいつも孤独感の深海にいた。
「こんな生活してたら簡単に壊れるよ」
この言葉を何回壁越しに一人で言ったことか。

2日後、僕が近所のハンバーガーショップの厨房で働いていると、
「あ、君ここで働いて居るんだ。」
僕が動きを止めて見上げると、そこには2人の友達と来店した手を振るユリが居た。僕は見て見ぬ振りをしてまた作業に取り組むと、
「何あの人。クラスメートが手を振って居るのに反応しないって」
「最低」
「まあまあ、仕事熱心でいいことじゃん。さっ行こ。」
2人の陰口とそれを否定するユリの声が耳に入った。僕はいろいろと思ったことを一人大きなため息で片付けた。

4時間後僕はタイムカードを切って店の裏口から出ると、
「うわー」
ユリが待ち構えていて突然驚かせてこようと飛び出して来た。それに対し、僕はシワを寄せ、冷めた表情を浮かべてから思ったことを口にした。
「お前まさかここで4時間近く待っていたのか?」
「いや、流石にそんなには待ってない。ちょっと前に友達と解散したから帰るついでに来た。」
「はあっ、お前暇なの?」
僕がそう言いながら早歩きで歩きだすと、それに合わせるようにユリは小走りしてついて来た。
「いやいや、もちろん理由も無くここに来た訳じゃないから。聞きたいことがあってね。」
「聞きたいこと?」
「えっと、来週の日曜日って予定開いてる?」
「うーん、その日は何もなかったと思う。」
すると、ユリの口角が上がった。そして、目を真珠の如く輝かせて
「じゃあその日一緒に遊園地に行かない?」
「はあ、そんな金無いし、、」
ユリは割り込むように2枚のチケットを見せてきた。
「なら、私が全額保証してあげる?君いつも疲れているように見えるし、たまには息抜きに、、」
「いや、お前バイトして無いだろ。流石にお前の親に悪いからいい。」
ユリの肩がガクッと落ちた。それから下唇を噛みながら黙ってしまった。僕はユリの表情になぜだか凄く罪悪感を感じてしまった。そして、僕はユリの手から奪い取るようにしてチケットを取って言った。
「わかった。なら行くよ。ただし、これは契約だ。一緒に行ってやるから俺が働いて居る時は店に来ないでくれ。」
「オッケー。じゃあ日曜日、遊園地でじゃあねー。」
ユリはまるで僕が行くと言うのを待っていたかのように飛び跳ねて喜び、逃げるように走って帰ってしまった。

そして遊園地当日。僕が本来の時間よりも少し早く待ち合わせ場所に行くと、そこにはもうすでに白いシンプルなワンピースを着て、最低限の荷物を持ったキョロキョロとするユリの姿があった。
「早いな。」
「君もね。さあ行こ。」
そう言ってユリは手を差し伸べてきた。僕はその手を見下すように見て鼻で笑って手をズボンのポケットに入れた。
日曜日ということもあり遊園地は繁盛していた。
「ねーどこから行くー?」
今日のユリはまるで春を待って冬眠するリスのようにワクワクしていた。
「うーん、じゃあ無難に観覧車とかにする?」
「えー、私高い場所好きじゃないんだよねー、、じゃあジェットコースターにしよ。」
「いや、それは僕が好きじゃな、、」
「はい、行きますよ。」
ユリは僕の意見に聞く耳を持たずに、僕の手を引いてジェットコースター一直線に走った。

数時間後、ジェットコースターが終わり、僕がクラクラになって居ると、ユリは太陽のような満面の笑みを浮かべていた。僕は恥ずかしくもユリの笑みに少し見とれてしまっていた。
「君もう疲れたの?でもまだこれからだよ。次はメリーゴーランドだー。」
「あ、ちょっ、、」
ユリは無我夢中に遊園地を満喫していた。僕は感情を表に出すことはなかったが、ユリと同じぐらい楽しんでいた自分がいた。

時間は理不尽にもあっという間に過ぎて日を暮らせた。
「今日は楽しかったね。」
「いや、誰かさんのせいで疲労感の方が勝ってる。」
「え、何で?」
「自覚ないのかよ。人のこと考えずに振り回してくるし、コーヒーカップとか調子に乗って、高速に回してくるし、お化け屋敷自分で行きたいとか言いながら、入り口から少し離れたぐらいで歩けなくなるし。」
「でも、楽しかったでしょ。」
ユリは顔を覗き込むように聞いてきた。僕は質問に対する答えが喉に詰まりすぐに言葉にできなかった。そして少し沈黙の時間を作ってから答えた。
「うん、、正直楽しかったよ。遊園地に来たのも大体10年ぶりぐらいだし、、その、、ありがとう。」
僕が素直に笑うと、ユリは嬉しそうにして、
「笑った。初めてちゃんと笑ってくれた。」
ユリの目から涙が1つ孤独に頬を伝っていった。
「え、なんで泣いてるの。」
「いや、なんでだろう凄く嬉しくって、、その、、来週もまたどこかに出かけない?もちろん、また私が負担するからさ。」
「う、うん。というか、来週は自分で払うよ。」
「じゃあ楽しみにしてるよ。」
ユリは自分の顔を一回擦ると、また満面の笑みを浮かべて走って帰って行った。

それからの日々ユリとは毎週日曜日にいろんな場所に行くようになった。映画館、ショッピングモール、海、山。更に僕の生活は見違える程に変わり、大人たちの言葉も、
「いい出来だね。」
「気が利くね。」
「ありがとう。いつも期待してるよ。」
のようなポジティブなものへとなった。自分の中で生きがいを見つけられて、家の中とかでも孤独感が無くなりつつあった。こんな日々がいつまでも続けばいいのにと思っていた。

でも、運命のいたずらか?そんな日々は長くは続かなかった、、

ユリと会って3ヶ月ちょっとが経過したある日のことだった。僕がユリに誘われて有名なパンケーキ屋を訪れた日のことだった。
「そう言えば、最近バイトうまくいってる?」
「まあそれなりにいい感じ」
「それにしてもここのパンケーキ本当美味しいね。」
僕が言葉少なく黙々と食べていると、何か期待したかのようにユリが質問してきた。
「ねえ、それで話って何?」
僕はユリの言葉にフォークが止まった。今日は初めて僕側からユリを出かけるのに誘っていた。理由はユリに告白しようと思っていたからだ。僕は大きく深呼吸をしてから思いを口にしようとした。その時だった。『パリン』っとユリのコップが床に落ちて割れると同時にユリが意識を失って倒れたのだ。
「ユリ。」
僕が咄嗟に名前を叫んだが、ユリはぐったりと倒れて気を失ってしまっていた。僕はパニック状態で手がブルブルと震える中、救急車を呼んだ。

『ピッピッピッピッ、、』
メトロノームのように一定リズム感でなり続ける機械音。僕は飽きるまで眠るユリの横で聞き続けた。
「う、頭痛い。迷惑かけちゃってごめんね。」
ユリが絞り出すような声で話しかけてきた。僕はそれに対し、オレンジ色の夕日に照らされながらボソッと言葉を口にした。
「お前。余命もう無いんだろ。」
「あはは、バレちゃった。それであとどのくらいだって?」
僕は大きくため息をついてから
「6日だって。」
「もうそんなに短くなっちゃったんだ。ついこないだまではあと2週間ぐらいはあったのにな、、時間の流れは早いものだね、、そうだ。明日最後に会わない?場所は高校の屋上で。」
弱々しいユリの声に心が痛くなりながらも、無言で頷いた。

ユリの病室から出た帰り道。僕はユリについて考えて独り言を言った。
「お前のお嬢様は命がけだったんだな。多分、親はお前の余命を知っていて、これからの未来のためのお金を今の贅沢に使わせて居たんだよな。ーーお前は幸せだったのか僕なんかと一緒に居て。」

あっという間に時は過ぎ、僕はユリと一緒に高校の屋上に居た。ユリは風に髪をなびかせながら手すりに手をかけながら何とか立っていた。僕は何とかいつもの喋り方を作り話した。
「皮肉なものだな。未来があるのに死にたい僕と、未来がもう無いのに生きたいお前。」
「ふふ、本当だね。でも、私は満足したよ。君と一緒に居られて、、」
そう言った瞬間ユリはほんの一瞬意識を失い倒れかけた。僕がユリの体を抱きとめると、ユリは溢れるように泣きだした。
「私は死にたくないよ。もっと君と一緒に居たかった。」
僕は目頭が熱くなりながらも無言でユリを抱き続けた。

5日後、大雨の中ユリは親族に見守られながら静かに永眠したと聞いた。僕はバイトを休み、しばらく家の隅で一人うずくまって居ると、ユリの親からユリが自分の字で書いた遺書を受け取った。そこには親族のことなどが書いてある中で僕への手紙を見つけた。
『こんにちは。君は今私のために泣いてくれて居るのかな?今まで黙っていてごめんなさい。でも、君とあれ程自然に遊べて良かった。いろんな場所に行ったよね。君とまた来世で会えるとしたらまた一緒に行こうね。会えるなら私が生まれ変わるまで死なないでよね。短い間だったけど楽しかったよ。大好きだよ。』
手紙の字は後半に行くたんびに字の筆圧が弱々しくなりながら書かれていた。

雨上がりの空の下。僕はユリに伝えられなかった恋文を心にしまい走った。当て所無く走った。

お前は僕が生み出した幻だったのかもしれない。でも、お前のおかげで今の僕が居る。お前のおかげで今はーー少しだけ息がしやすくなった気がした。