「それじゃ、始めよう。【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦】――」
お決まりの魔法を唱え始めたお師匠様を、
「待ってくださいまし!」
ノティアが静止した。
「今日はわたくしにやらせて頂けませんこと? その為に、こうしてついて来たんですもの」
ノティアは最近、僕たちと同じ宿――『銀河亭』に泊まっている。
しかもご丁寧に、僕の部屋の隣に。
……正直言って、これほどの美人にここまで堂々と迫られて、僕は最近参っている。
とかくもノティアは、僕が起きる時間帯には大抵すでに下の食堂にいて、今日も今日もとて食堂にいた。
で、僕とお師匠様とシャーロッテの話を堂々と盗み聞きして、何食わぬ顔でついて来たわけだ。
「な、な、な……」
「……ん、あれ? シャーロッテ、どうかした?」
見れば、シャーロッテがノティアを見つめながら固まっている。
……そう言えば、さっきお師匠様を見たときも、こんな顔してたな。
「ま、また女……? それもとびきりの美人をふたり同時って……」
「別に構わないが、本当に大丈夫かい、小娘?」
「お嬢さんにできて、わたくしにできないはずがありませんわ」
「言うじゃあないかい。ああん?」
「ちょちょちょ! ケンカはよしてくださいよ!」
「ね、クリス君。クリス君もわたくしの方がいいですわよね?」
「わ、わかりました。今日は、きょ・う・は! ノティアにお願いしますから!」
「やりましたわ!」
「ちっ……」
……お師匠様、舌打ちしないでください怖いです。
「ではさっそく……【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】!」
猫々亭の屋根の上に真っ赤な魔方陣が展開し、数秒して消える。
「ふむふむ……【投影】!」
ノティアの目の前に、ステータス・ウィンドウや僕の【目録】によく似たウィンドウが表示される。
ちらりと見えたけれど、ウィンドウには家の見取り図のようなものが映し出されていた。
「店長さん、引っ越しさせたい店舗の範囲はここからここまででよいでしょうか?」
「あー……ああ、そうだ!」
「地下室は?」
「ねぇよ」
「井戸は?」
「それもねぇ」
「そのようですわね。では、クリス君――」
ノティアが僕のまぶたに触れてくる。
「【視覚共有】」
「あのー、ノティア? そんなにまぶたをさすらなくても効果はあるのですが」
「うふふ」
ダメだこりゃ。
「ノティア、僕の方を見てないで建屋を見てください」
「あらあら、これは失礼を」
ノティアの視界では、壁や床はもちろん建屋内の家具や装飾に至るまで、僕が【収納】すべきものが白く輝いている。
僕はノティアの【万物解析】を信じて、魔力の限り【収納】しさえすればいい。
「行きます! ――【無制限収納空間】ッ!!」
……果たして。
建屋の基礎の部分ごと、猫々亭がごっそりと姿を消した。
■ ◆ ■ ◆
そしてお馴染み、西の森。
街道が立派になって、ますます賑わっている市場へノティアの【瞬間移動】でやって来た。
「というわけでこちら、城塞都市『外西地区』で飲食店猫々亭を営んでいる店長兼店主兼料理長さんと、給仕のシャーロッテです」
さっそく僕らの為に時間を時間を作ってくれた商人ギルドのミッチェンさんへ紹介する。
「飲食店。欲しがっていらっしゃいましたよね?」
「うぉぉぉぉおお!? 店神様ぁ~~~~っ!!」
大興奮のミッチェンさん。
また、神様が増えた。
……何だよ、店神様って。
■ ◆ ■ ◆
ミッチェンさんから店を建てても問題ない場所を指示してもらいつつ、店長さんが希望する場所を見繕った。
結果として――
「一等地じゃないですか!!」
思わず僕は声を上げてしまう。
ミッチェンさんが許可し、店長さんが選んだ場所は、街道から出て徒歩数分ほどの場所。
「ここに宿屋を誘致できれば、疲れた商人たちを癒す一大歓楽街になるでしょうねぇ……じゅるり」
「ちょちょちょっ、歓楽街だからって色街はダメですからね!?」
目が金欲にまみれているミッチェンさんを窘める。
猫々亭ではシャーロッテも働くんだから!
「ちっ……」
「え? いま、舌打ち――」
「え、何のことですかね!? さぁさ、では人も馬車もいないいまのうちに、どどんと出しちゃってください!」
「――…………ノティア、お願いしてもいいですか?」
「おまかせあれ!」
嬉しそうにノティアがうなずき、そこからはいつもの流れだ。
ノティアの視界を借りて、猫々亭の敷地ぴったりの地面を【収納】し、石、砂利、セメント、石畳を敷き詰め、熱して、さらにその上に、
「【無制限収納空間】っ!!」
【収納】したときとまったくそのままの姿で、猫々亭を石畳の上に出現させる。
「お、おぉぉぉ……うぉぉおおおお!?」
店長さんが大興奮して建屋の中に入っていき、しばらくしてから、
「ぉぉぉおおおおお!!」
出てきて、僕の肩をがしっとつかんだ。い、痛い。
「ありがとうよ、坊主! いやぁ、オーギュスの野郎が嫌なウワサばっか聞かせてくるんで、すっかり不安になっちまっていたんだが……見事な仕事だ!!」
「あ、あはは……」
……あぁ、なるほど、オーギュス、またお前か。
あいつは何度、僕の人生を邪魔すれば気が済むのだろう……。
高いはずの各種【耐性】スキルをすり抜けるようにして、胸の奥からもやもやとした、どす黒い怒りがにじみ出てくる。
「坊主、お前はこれから一生涯、この店でタダ飯食い放題だ!」
そんな僕の感情を払いのけるようにして、店長さんの大声が響いた。
「おおっ!?」
タダ飯食べ放題! お師匠様と出会う前の僕なら、泣いて喜んだだろうと思う。
けれど、無限の薪と水を手に入れてしまった今となっては……まぁでも気持ちは素直にうれしいし、ちょくちょく通うようにしよう。
シャーロッテにも逢いたいし。
「さて、あとは最後の問題さえ解決できりゃなぁ……」
と、店長が困った顔をしている。
「え、何か問題があるんですか?」
「あ、いや……これは俺が何とかすべき問題なんだが――いや、誰かに話したら、案外いいアイデアが見つかるかもしれねえもんな」
ぽつりぽつりと話し出す店長さん。
要は、水がないのだそうだ。
店長さんもシャーロッテも魔力が少ない方で、料理や飲料として毎日を賄えるほどの水魔法は使えないし、城塞都市の上水道や井戸から汲んで来るにしても、一日に何往復もしなければならない。
「ここでの成功を祈って、大枚はたいて大容量時間停止機能つきマジックバッグに手を出すってのも手なんだが……」
僕が手伝えば解決なんだろうけど、とはいえ僕も、毎日この店に水を供給しに来るわけにもいかないだろう。
「どうすれば……井戸を掘ってみる? でもうまく掘り当てられるかどうかなんてわからないし――…」
「簡単な話さね」
ふと、隣のお師匠様が自信満々な笑顔で言った。
「川を引いてくればいいのさ」
「川を……引く……ッ!?」
というわけで、お師匠様とノティアとの3人で、北の山脈への【瞬間移動】。
「せっかくだ、がっつり上流から分岐させて、あの場所の水問題を一挙に解決させてしまいたいさね」
確かに、西の森入口の市場に交易所や歓楽街や広がっていったら、水の需要がますます高まるだろう。
幸い、あの場所はこの大山脈からなる長い長い傾斜の延長線上にある。
猫々亭の隣あたりにぶっとい川を1本通してしまえば、それを中心にしてますます栄えてくれるというもの。
「ギャギャギャギャギャ……ッ!!」
不意に上空から恐ろし気な声が聞こえてきた。
「ヒッ……!?」
「みっともない声を上げなさんな。――風竜さね」
「ど、どどどドラゴン!?」
見上げると、はるか空高くで何かが飛んでる。
「この地じゃ常識だろう? 風竜が強すぎるが為に、科学王国にせよ魔王国にせよ自慢の飛行船や魔導船を持ち出すことができず、陸戦に終始した結果、魔の森――西の森――があんなにも小さくなったのさね」
「そ、そそそそんなドラゴンなんて、もし襲ってきたらどうするんですか!?」
あの、空を飛んでいるドラゴンが降りてきたらと、僕は気が気でない。
「そんときゃお前さんの【収納《アイテム》空間】で首を狩ってやりゃいいのさ。ほら、上ばっかり見てないで足元をちゃんと見な」
「は、はい――うわっ!?」
お師匠様の言う通り、ちゃんと足元を見ておくべきだった。
くぼみに足を取られて僕は転び、
そのまま、急な坂道を転げ落ちた。
■ ◆ ■ ◆
「……ぅ……ぁ……?」
気がつけば、仰向けに寝っ転がっていた。
全身が痛い。
けれど、お師匠様がくれた装備のおかげか、骨を折ったりとか、致命的な傷を受けたりはしていないようだ。
「い、いたたたた……お、お師匠様たちと合流しなくちゃ……」
ふらつきながらも立ち上がり、そして、
「グルルルルル……」
気づいた。
――――目の前に、風竜がいることに!
「ヒッ……」
食事中、だったのだろうか。土色とも黄色とも言えそうなウロコの、その口元が真っ赤に濡れている。
咄嗟に逃げようとしたところを、
「ギャァアアアアオオォォォォォオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮ッ!!
あまりの大音声に脳が震え、目の前がチカチカして、竜の咆哮に乗った巨大な魔力が大気を震わせ、着込んでいる鎖帷子が共鳴したかのように激しく振動する。
僕は、ピクリとも動けない。
【威圧】スキル。
風竜の放つ恐ろしい【威圧】を浴びせかけられて、一歩も動けない。
ずしん、という音とともに、風竜が一歩近づいてくる。
「あ、あ、あ……」
ずしん、ずしん、と近づいてくる。
「あいてむ……ぼっくす!」
魔法は発動しない。
ダメだ、このままじゃ食い殺されてしまう、集中、集中しろクリス――ッ!!
迫りくる風竜の首を睨みつけながら、
「――【収納空間】ッ!!」
バチンッ――と、風竜の首元で真っ白な光が弾ける。
抵抗された!
ずしん、ずしん、ずしん。
「集中!」
お師匠様に鍛えてもらったありったけの魔力を丹田から引きずり出し、両手のひらに集め、手を風竜に向ける。
「――【首狩り収納空間】ッ!!」
僕の全力の魔法は果たして、
――――バチンッ!!
…………抵抗、された。
「あ、あぁ……あぁぁぁぁ……」
風竜が目の前に立つ。
巨大な口が開かれ、鋭い牙がぬめった光沢を帯びているのが見える。
「あぁ……お師匠様……」
風竜が、僕の頭にかぶりつく――
「――【物理防護結界】ッ!!」
風竜が、僕の頭にかぶりつく――その寸前で、目の前に白く輝く結界が生じた。
これは――お師匠様の声だ!
目の前では、風竜が結界に牙をはじかれ、のけ反っている。
そして、視界の外から走り込んできたノティアが風竜の首に両手を向け、
「――【風神の刃】ッ!!」
ギャリギャリギャリッ!!
ノティアの手から飛び出した風の刃が風竜の首に襲い掛かる!
金属の軋むような音とともに、風竜の首からパッと血が噴き出す!
「クリス君を怖がらせるような悪い子には、お仕置きが必要ですわ――【風神の刃】ッ!!」
さらに、数倍の量の刃が一斉に切りかかり、風竜の首が千切れ飛んだ!
「【治癒】……ったく、だから足元を見ろと言ったさね」
背後からお師匠様の声。
全身の痛みが引いていく。
「大丈夫かい? 頭は打っていないさね?」
頭を撫でさすってくるお師匠様。
途端、体がようやく恐怖を思い出したかのように、全身が震え出した。
「ご……」
「ご?」
「ご、ご、ご、ごめ”ん”な”さ”い”ぃ”~~~~ッ!!」
「あぁもう、泣きなさんな! 大の男がみっともない!」
「あらあら、泣き虫な男はモテませんわよ? ――もっとも、私は逆に好きですけれど」
恥も外面もなく、泣きじゃくった。
■ ◆ ■ ◆
……本当、死んだかと思った。
「アリスさん、この風竜はわたくしがもらってしまってもよろしくて?」
「構わないよ。戦果からして、十・零が妥当さね」
「では遠慮なく」
風竜の首と体が、ノティアのマジックバッグに吸い込まれていく。
小型魔導船を単騎で叩き落とし、大型魔導戦艦をすら集団で襲って墜落させるという空の覇者・風竜。
鉄製の武器ではそのウロコに傷ひとつ負わせることすらできず、大砲の直撃をも耐え得る怪物を、たったひとりで討伐して。
そのことを誇るでもなく高揚するでもなく、淡々と取り分交渉をし、さっさと仕舞うその姿はまさに歴戦の冒険者。
か、か、カッコいい…………。
我知らず、じっとノティアを見つめていると、彼女がふとこちらを向いて苦笑した。
「ほら、これで涙を拭いてくださいまし」
「あっ、……ありがとう」
差し出されたハンカチを受け取りながら、思わずまごまごする。
「あらあらあら」
と、ノティアが朗らかに笑い、僕の頭を撫でてきて、
「ねぇ、クリス君。自分で言うのも何ですけれど……わたくし、いい女でしょう? 強くて美人で優しいだなんて、世界中探したってそうそう居ませんわよ? 結婚のこと、前向きに考えて頂ければ幸いですわ」
ただでさえ妖艶な雰囲気を漂わせているノティアが、さらに艶めかしく微笑む。
「子供さえたくさん作ってくださったら、あとはやりたい放題! 好きなだけ贅沢させて差し上げますわ」
……ごくり。超絶美人のノティアと一緒になって、何不自由ない生活……いやいや待て待て、公女殿下と結婚するってことは、貴族になって色々と面倒な仕事が発生するわけで。
この僕に、貴族の仕事なんで絶対無理だよ!?
なんていう思考が顔に出ていたのかも知れない。ノティアが微笑んで、
「わたくしは公爵家でも末席ですから、管理すべき土地も持たない法衣貴族にでもなって、家のことは家令や執事や侍女たちに任せて、のんびりゆっくり暮せば良いですわ」
なんとも、自堕落な男の人生の、理想像のようなことを言ってくる。
一瞬、シャーロッテの顔が脳裏をよぎったけれど、正直めちゃくちゃグラついている。
何よりさっきの、カッコいい姿が頭から離れない。
シャーロットにしてもお師匠様にしてもそうなのだけれど、僕って自分が情けないって自覚がある所為か、頼もしい女性、カッコいい女性が好みなんだよね……。
「待て待て待て!」
お師匠様が僕をノティアから引きはがす。
「お前さんが誰と結婚しようが、そりゃお前さんの勝手だが……その前に、儂の望みは果たしてもらうからね?」
「お師匠様の、望み?」
「そうさね。そのために、儂ゃお前さんを弟子にしたのだから」
そういえば僕は未だに、お師匠様が僕を拾ってくれた理由を知らずにいる。
「……お聞きしてもいいんですか?」
「うん? あぁ、儂の望みのことかい。――とあるものを、【収納】してもらいたいのさ」
「とあるもの? それは――…何ですか?」
「…………」
お師匠様は微笑むばかりで、それ以上は何も言わない。
また、これだ。
まぁ、お師匠様が話したがらない以上、詮索はすまい。
言ってもらえるときになれば、きっと言ってもらえることだろう。
「とは言え、いまのお前さんじゃあまだまだ無理そうだねぇ。竜の首くらい、さくっと【収納】してもらわないと! こりゃ、夜の『魔力養殖』をますます厳しくしなくちゃならないねぇ」
「ヒッ……」
「え? え? え? 『夜の』って何ですの!? いったい何をしてますの!?」
「ほら、川はあっちの方だ。行くよ」
「無視しないでくださいまし!!」
歩くことしばし。
「ここさね」
流れの早い川を前にして、お師匠様が言った。
見上げれば、大きな滝がある。
「ここから、麓まで川を引こう。お前さん、どこに引きたいとかあるかい?」
「そりゃあやっぱり、猫々亭の隣がいいです」
「あははっ、お前さん、あの女の子にいいとこ見せたいんだろう?」
「なっ……」
顔が熱くなる。
「シャーロッテはそんなんじゃ……いや、そうなれればって――いやいやいまはそんなことは良くってですね!」
ニヤニヤと笑うお師匠様の後ろでは、
「ちっ……目障りな娘ですわね……」
ノティアがものすごく物騒なことを言っている。
「【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】!」
空一面に真っ赤な魔方陣が展開し、数秒で消える。
「【視覚共有】――さぁ、やりな」
「はい! って、あれ?」
お師匠様の視界では、川からやや離れたところから、掘るべき地面が白く輝いている。
「川、繋げないんですか?」
「先に麓まで掘って、舗装も終えて、それから最後に繋げるんだよ」
「あ、なるほど」
道理だった。川を引くからには単に穴を掘るだけじゃなくて、土を踏み固めたり、側面をセメントや石畳で補強しなくちゃならない。
せっかく引いた川が崩れて氾濫、なんてことになったら、それこそ猫々亭や商人ギルド、行商人の方々に大迷惑を被らせてしまう。
「ええとじゃあ、イメージをつかむために少しだけ掘ってみますね――【無制限収納空間】!」
目の前に、数十メートル分の川――というか、水がないから堀?――が生み出される。
川の横幅は10メートル、深さは一番深いところが5メートルで、高さ1メートルずつで段々畑みたく段差になっている。
「お師匠様、なぜ段差が?」
「【万物解析《アナライズ》】によれば、いまの水量なら一番深いところにしか水は流れない。けれど、ここのところずっと晴れ続きだろう? 川の水がどれだけ増えるかは未知数さね。だから、水が少なかろうが多かろうが足を濡らさずに水を汲めるよう、段差にしたのさね」
「さ、さすがはお師匠様……!!」
「さて小娘、お前さんの魔法で土を踏み固めることはできるかい?」
「小娘じゃなくて、ノティア様、と呼ぶなら可能ですわ」
「ノティア様――これでいいかい?」
「ぐぬぬ……まぁ、可愛いクリス君の為ですもの――あれ? でもこれってそもそもあの娘の為にやってるわけで……わたくし、自分の首を自分で絞めてません?」
「ノティア、お願い!」
「し、仕方ありませんわね! ――【念力】!」
――――ズンッ!!
と重々しい音がして、掘りたての川が、目に見えてぐっと沈んだ。
「す、すご……」
「ふふん、わたくしの【念力】は、グリフォンをすら地面に縛りつけますのよ?」
「じゃあ、次はセメントと、その上に石畳さね」
「はい!」
生セメントと石畳は、まだまだ山のように【収納空間】内に眠っている。
この量からは、明らかにミッチェンの『意図』を感じるんだよね……このセメントを使って、西の森周辺に街道を張り巡らせてくれという、無言の意図を。
「【無制限収納空間】!」
セメントを流し込み、すかさずその上に石畳を、
「【無制限収納空間】!」
貼り付け、そして、
「ノティア、お願い!」
「お任せあれ! 【火炎の壁】!」
僕の【収納空間】による補助なしでも、ノティアは器用に川の石畳全体を均等に熱する。横幅10メートル、長さ数十メートルという長大な距離を、苦もなく。
や、やっぱりカッコいい……。
■ ◆ ■ ◆
そんなふうにして、少しずつ川を引きながら山を下りて行った。
途中からは慣れてきて、一度に数百メートル分ずつ引けるようになったけれど、それでも猫々亭の西隣に川を引いたころには空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
ちなみに、お昼は適当に川魚を【お料理収納空間】してノティアに焼いてもらったものを食べた。
相変わらずお師匠様は食べなかったけど。
お師匠様の食生活は本当にナゾだ。
「く、く、クリス様……? そ、それは?」
そうして、いま。
僕らの前では、商人ギルド職員で実質この場所を取り仕切っている若き英才、ミッチェンが目を剥いている。
「はい、川です」
「か、か、か、川ぁぁああ~~~~ッ!?」
「はい。明日には繋げられるかと。川の終着点になるため池を作りたいんですけど……どこがいいですか?」
「な、な、な……」
「あっ! そういえばミッチェンさんに買い上げて頂いたセメント、もうほとんど使い切ってしまいました……すみません」
「――――……はっ!? あ、いえいえいえそんなのまったく全然お気になさらず! この場所に治水済みの川を引いて頂けるんですから! セメントくらい、いくらでも差し上げますとも!! よし、よし! もう一度、街の全景図を練り直すぞぉ~っ!!」
……『街』って何だ『街』って!?
この人は僕に何を作らせようとしているんだ!?
その日は猫々亭でご馳走になった。
「え、辛っ!? けど何ですのこのクセになる美味しさは……!?」
ここの『マー』と『ラー』は病みつきになっちゃうんだよね。
ノティアの味覚にも刺さっている模様。
そしてお師匠様はと言えば、相変わらず何も食べずに僕らをニコニコと眺めているだけ。
水は、店長とシャーロッテの水魔法でまかなったのだそうだ。
今日はまだ本営業は始めていないから、僕らの食事分くらいなら魔法で何とかなるらしい。
「シャーロッテ、大丈夫だから。明日にはここに川の水を引いてくるから」
という、僕の精いっぱいの宣言は、
「クリスゥ! お前さん、めちゃくちゃいい奴じゃねぇか!」
シャーロッテからではなく店長さんからの賞賛を浴びた。
……暑苦しいスキンシップとともに。
「ったくオーギュスの奴、ウソばっかこきやがって。おめぇほどいい野郎が他にいるかってんだ!」
「あ、あははは……あの、一応その、僕、幼馴染のシャーロッテが働いてるからこそ、いろいろさせて頂いているってことを、お忘れにならないで頂ければ、と」
「はっはっはっ、そうだったな! シャーロッテはウチに必要不可欠な看板娘さ、心配ねぇよ!」
■ ◆ ■ ◆
その夜は、まさしく地獄だった。
いつものお師匠様と僕の『魔力養殖』の場にノティアが転がり込んできて、仲間に入れろと要求してきて。
三人でベッドで輪になって手を取り合い、調子に乗ったお師匠様がありえない速度で魔力を循環させ始めたんだよね。
僕はもちろん吐いた。
せっかく食べた猫々亭の料理がもったいなくなるくらい盛大に吐いた。
そして、ノティアも吐いた。
Aランク冒険者で、風竜の首を千切り飛ばすことができるノティアをして、
「あ、あり得ませんわ……アリスさん、あなたいったいどれほどの魔力を持っていますの!? というかそれほどの力を持ちながら、なぜいまのいままで無名でしたの!?」
とのことで、てっきりプライドを刺激されて怒ったり落ち込んだりするものかと思ったけれど、
「久しぶりに魔力が上がりましたわ♪」
とウキウキだった。
切り替えの早さは冒険者として長生きする為に必要な資質。
さすがはAランク冒険者だな、と思った。
■ ◆ ■ ◆
というわけで、翌朝、北の山の中、新しく作った川との接続部にて。
「【物理防護結界】――で、フタをしてっと。【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】! ――【視覚共有】。さぁクリス、仕上げといこうじゃないか」
「はい!」
お師匠様の視界で白く輝く地面――昨日掘った人工河川と、目の前に流れる勢いのよい川の接続部となる土を、
「【無制限収納空間】!!」
川と川が繋がったけれど、お師匠様の【物理防護結界】がフタをしているから、水は流れ込んでこない。
続いて、ノティアに【念力《サイコキネシス》】で土を固めてもらい、セメントを流し込み、石畳を敷き詰め、ノティアに焼き入れしてもらう。
「さぁ、繋げるよ!」
「はい!」
うっすら輝く結界が消えて、
――――ざっぱぁぁああ~~~~ッ!!
僕たちが作った川に、水が流れ込んでくる!
「あははっ、すごいすごい!!」
あれだけ無能無能と言われ続けた【無制限収納空間】で城塞都市ごとドブさらいをし、数百匹分の治癒一角兎の角を回収し、無数の薪を作り、水を作り、巨大な街道を作り――――……そうして今度は、川を作ってしまった!
もう、誰にも無能だなんて言わせない!
後ろ指をさされる人生とはおさらばだ!
「ね、クリス君! 水を追いかけましょうよ!」
ノティアが僕の手を握りながら、すごいことを言い出した。
「えええっ!? こんなに流れの速い川、追いつけっこないよ! 先頭なんてもう見えなくなっちゃったし」
「ふふっ、そんなことはありませんわ――【飛翔】!!」
途端、ノティアと、ノティアに手を握られている僕とお師匠様の体が空に舞い上がった!!
「うわ、うわわわわッ!?」
「大丈夫、落ちませんわ。けれど、この手はしっかりと握っていてくださいまし」
「う、うん!!」
両手でもって力の限りノティアの手を握る。
「ほら、下を見てください」
言われるがままに見る。
眼下では、僕らが作った川の中を、水の先端がぐんぐんと駆け抜けていく姿が見えた。
「わぁ、すごい!!」
「ふふっ、じゃあ追いかけましょう!」
真っ青な空。
気持ちのいい風。
キラキラ輝く川の流れ。
夢かと思うくらい楽しい時間。
けれど、そんな時間もすぐに終わった。
『市場』が見えてきて、猫々亭の横を通り抜け、川の終端であるため池が見えてきたんだ。
そして、ため池の周りには人、人、人!!
「「「「「わぁぁああああああああッ!!」」」」」
水がため池に飛び込むや否や、野次馬の皆さんから割れんばかりの歓声が沸き上がった。
彼らは着地した僕たちに向かって、
「「「「「川神様ぁ~~~~ッ!! ありがたやありがたや……」」」」」
また、神様が増えた。
「Aランチお待ちどうさまです!
あ、何名様で――3名様? 申し訳ございません、少々お待ちくださいませ!
お後の方は――1名様ですね、こちらカウンターのお席へどうぞ!
はい、ご注文ですね! すぐにお伺いします――」
その日の昼前から営業を開始した猫々亭の店内では、給仕姿のシャーロッテが、まるでダンスでも踊るみたいにクルクルと動き回っている。
シャーロッテは可愛い上に元気がよく、要領もいい。
目端がよく行き届いていて、彼女が立つホールに不手際なんてあり得ない。
僕は店内に絶えず意識を配って複数のことを同時にこなすのなんて絶対にできない自信があるから、こうして皿洗いに徹している。
まぁ皿『洗い』と言っても、
「【収納空間】」
で皿を【収納】して、
「【目録】」
で皿を詳細表示し、『汚れ』や『ぬめり』や『匂い』を除去した状態で皿を出してるだけなんだけどね。
水も米ぬかも手間も要らない、理想的な皿洗い方法!
僕は木こりとしてだけじゃなくて、皿洗いとしても生きていけるかもしれない。
そんな僕の隣では、
「【風の刃】! ――はい、野菜の仕込みが終わりましたわ。次は何を致しましょう?」
ノティアが風魔法を極小に展開して、店長さんも舌を巻くほどの見事な料理術を披露していた。
様々な食材が宙に浮いては輪切り乱切り千切りになってゆく。
「お、おう、さすがはAランク冒険者だな! じゃあ次は卵を――」
「くぉらぁあああッ!! いま儂のケツ触ったのは誰さね!?」
ホールでは、給仕服のお師匠様が吠えている。
シャーロッテと違って、客にちょっかいをかけられるのが許せないらしい。
「ちょちょちょお師匠様、落ち着いて――」
■ ◆ ■ ◆
夕方まで、ずっと満席だった。
けれど夕方になると、まるでウソみたいに客足が途絶えた。
「いやぁ助かったぜ! 報酬にゃ少なすぎるくらいだが、好きなもんを好きなだけ注文してくれ!」
ご機嫌の店長さん。
そりゃそうか、移転後の初日が大成功に終わったんだから。
「けど……本当に給金払わなくても良かったのか?」
「構わないさね」
お師匠様が言う。
「こう言っちゃなんだが、儂とクリスはクリスの【収納空間】でいくらでも稼げるし、ノティアだって金に困っちゃいないだろう?」
お師匠様、いつの間にかノティアのことを『小娘』ではなく『ノティア』と呼ぶようになっている。
心境の変化か、そろそろノティアのことを認める気になったのか。
「ま、そうですわね」
ノティアがうなずく。
「だが、お前さんもさっさと追加の従業員を探すんだよ?」
「分かってらぁ!」
睨みつけるようなお師匠様に、店長さんが笑う。
「さっそく今朝、商人ギルドから求人を出しておいた。給金は相場の1.5倍――すぐに集まるだろうよ」
■ ◆ ■ ◆
「に、に、西の森に道と料亭と、か、川を作っただとぉっ!?」
俺の報告を聞いて、お貴族様が顔を真っ赤にして怒り狂う。
「はい。いずれもやったのは、例のDランク冒険者・クリスです」
俺はひざまずいたまま、報告を続ける。
この高慢ちきなお貴族様は、俺に楽な姿勢を許可しない。
偉そぶってないと気が済まないんだろう。
「あんなところを勝手に開拓されては、儂の面目が丸つぶれではないか!!」
自分の領地が豊かになるんだから、いいんじゃねぇのか? と俺は思うんだが、お貴族様にとっちゃ違うらしい。
まぁ俺だって、その『開拓』をしているのがクリスだってのが気に食わない。
「つぶせ! 妨害しろ! 多少手荒なことをしても構わん!」
「ははっ! ですがその、先立つものがあれば、と」
「ちっ……薄汚い乞食めが」
小金貨をわざわざ床に投げて寄越すお貴族様。
けっ、これが人にものを頼む態度かよ。
けど、クリスの奴にひと泡吹かせてやれる、せっかくの機会だ。
せいぜい利用させてもらうぜ。
俺はあいつの所為で、冒険者ランクをEに下げられちまった。
『薪を粗末なものに取り替えて納品した』とかいう馬鹿馬鹿しい理由で。
薪は薪じゃねぇか。
俺はただ、孤児どもから適正価格で買い取った薪をいくらか混ぜただけだ。
俺が何をしたっていうんだ。
クリス……あいつのことは、昔っから気に食わなかったんだ。
なよなよしてて弱くて泣き虫で、いっつもシャーロッテに守られて。
それが、最近になって急に金回りがよくなって、Dランクに昇格して、自信満々な顔をしていやがる。
あいつはあいつらしく、惨めな目に遭わなきゃならないんだ。
見てろよ、クリス……徹底的に邪魔して邪魔して、追いつめてやるッ!!
「日替わりお待ちどうさまです!
いらっしゃいませ! 1名様? 少々お待ちくださいませ――――……お相席でもよろしいですか? はい、ではこちらへ――」
今日も今日とて大繁盛だ。
席という席が埋まり、シャーロッテは嬉々として働き、僕は皿を洗い、ノティアは野菜の下準備をしている。
お師匠様はと言えば、
「儂ゃもう二度と給仕なんてしないさね!」
と言って、宿に引きこもってしまった。
尻を触られまくったのがよほど堪えたらしい。
そして、僕が顔を上げると、
「……何見てんだよ、クリス」
カウンター席についているオーギュスが睨みつけてきた。
……商人でもないのに、なんで居るんだ、オーギュス。
僕としては顔も見たくない相手だけれど、注文して食事している以上は客としてあつかわなくちゃならない。
「……別に」
僕は目を伏せて皿洗いに集中する。
■ ◆ ■ ◆
夕方になると、客足がぴたりと途絶えた。昨日と同じだ。
「これが、悩みのひとつなのですよ」
食事に来ていたミッチェンさんがため息をつく。
「悩み?」
僕はテーブルを拭きながら尋ねる。
「はい。ここには宿がないでしょう? だから自然、行商人の方々は夜になる前に城塞都市で宿を取るわけなんです」
あー、だから昨日も今日も、この時間帯になってぴたりと客足が途絶えたのか。
「もしここに宿があれば、夕方から夜までの時間も交易に使えるし交易量も増える。
この場所と森の向こう、ロンダキア側の交易所とは馬車で5、6時間ほど離れておりましてね。朝いちに向こうを出てもこちらに着くのはお昼過ぎ。そこからここで少し商売をして、夕方になったらせわしなく宿を取る。
そんな悪条件でも商売に来てくれるような腰の軽い方々がこうしていま、この場所を盛り上げて下さっているわけですが、逆に言えば彼らは、そうでもしないと生きていけない駆け出しというわけなんです」
言われてみれば、そこかしこでゴザを開いて科学王国の珍しい物品を売っている人たちは、みな一様に年若かったように思う。
「宿と厩さえ潤沢にあれば、もう少し腰の重いベテラン行商人も呼び込めるかも知れません。この場所は――道神様が敷いてくださったあの道は、無限の可能性を秘めているのです!! ――だから!!」
熱弁するミッチェンさんが、僕の両肩をつかんできた。顔が近い。
「道神様――いえ、宿神様! 宿を、大量の宿をこの場所に移築して頂けませんか!? その――【無制限収納空間】の力でもって!!」
「はぁ~!? や、宿って!?」
「ピロピロピロッ!!」
そのとき、店先で可愛らしい鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「失礼」
ミッチェンさんが外に出る。
見れば、
「ぶ、ブルーバード!?」
真っ青な小鳥――可愛い姿をしているけれど、れっきとした魔物が、ミッチェンさんの指に止まっている。
「安心してください。商人ギルド付きの従魔です」
ミッチェンさんは、ブルーバードの足にくくりつけられている手紙を外す。
「ピロピロピロッ!!」
ブルーバードはどこかへ飛んで行ってしまう。
「よし、また1軒追加だぞ!」
ミッチェンさんは、嬉しそうにこぶしを握りしめている。
■ ◆ ■ ◆
「ほ、本当に大丈夫なんだろうな……?」
王都『アリソン』郊外、街道沿いの宿屋にて。
宿の主人が不安そうな様子で問いかけてくる。
奥さんと子供たちも同様だ。
「大丈夫ですよ」
僕は努めて笑顔で微笑む。
「ご安心頂けるように、実際にやって見せましょう――【無制限収納空間】!」
宿屋の隣、何もない場所に、急に民家が現れる。
「「「「うぁああああああッ!?」」」」
びっくり仰天する宿の主人とご家族。
「【無制限収納空間】」
今度は家を【収納】して見せる。
「「「「な、ななな……」」」」
「とまぁこんな感じで、宿をまるまる移築することができます」
「わ、分かった……お願いする!」
「はい。では――【無制限収納空間】!」
■ ◆ ■ ◆
ミッチェンさんの仕事は、それはそれは見事なものだった。
僕に移築の話を持ち掛けてきた時点ですでに、彼は十数軒もの宿屋と話をつけていた。
いずれも厩つきかつ従業員つき。
ミッチェンさんは商人ギルドの情報網を駆使して、ギルドに借金をしている宿屋の中から行商人が泊まるにふさわしい厩付きの宿屋を選りすぐり、その主人にここへの誘致の話を持ちかけたわけだ。
知らない土地、それも少なからず魔物の住む森のそばってことで難色を示した人も多かったそうなのだけれど、一家ともども首をくくるくらいなら……と、話に乗ってきたのが十数軒。
さらには、西の森の市場で商売をやりたがっている人たちの店――行商人の補給を目当てにした食料や日用品、それに、最近護衛の仕事で数を増やしつつある冒険者たちを目当てにした鍛冶屋などなど、たくさんの店や工房も移築対象としてリストアップされていた。
本当、信じられない。
僕が薪集めのために森を貫いたのが道になり、市場になり、いまや街になろうとしている。
数日、魔王国中を飛び回った。
僕はただただお師匠様とノティアとともに指定された場所に飛んで、指定された建物を【収納】し、ここまで運んで指定された地区に出した。
僕が建物を出現させるたびに、野次馬たちは「家神様ぁ~!!」と大興奮。
この場所には毎日建物が増えていき、建物と建物の間が自然と通りになっていき、宿屋が増えるや否や、見る見るうちに行商人たちが増え、その護衛の冒険者たちも増えていった。
西の森の隣に出現した『市場』は、いまや『街』になっていた。
まず、街の中心になっているのが、西の森から城塞都市にまで真っすぐに伸びた広い街道。
西の森の街道と同じ要領で、僕が敷いたものだ。
そして、西の森から東へ1キロメートルほど――徒歩10分――歩いたら川が見えてきて、その川の東隣には猫々亭。
道と、川。
このふたつが交錯地点が、人通りの多さと利便性の上で、いわばこの街の一等地。
その一等地を中心にして、マス目上に様々な宿や店舗、工房が配置されている。
どの地区に誰の建物を配置すればよいのか――店の規模や希望、他の店との力関係なども含めて――は、すべてミッチェンさんが調整してくれた。
僕はもう本当に、ミッチェンさんに言われるがまま、道を敷いて建屋を移築するだけ。
ありとあらゆる交渉、折衝、統治はすべてミッチェンさんがやってくれている。
彼は本当にすごいと思う。
■ ◆ ■ ◆
「さぁクリス様、さきほど【収納】して頂いた豪邸を、この場所に出してください!」
ミッチェンさんが指定した場所は、川沿い、猫々亭のさらに上流――ここは北の山からずっと傾斜になっているので、街全体を見下ろせるような場所だ。
「う、うん……お師匠様、お願いします」
「はいよ。【赤き蛇・神の悪意サマエルが植えし葡萄の蔦・アダムの林檎――万物解析】からのぉ【視覚共有】!」
僕は、
「【無制限収納空間】」
でお師匠様が指定した部分の土を削り、
「【無制限収納空間】」
で大きめの石、小さめの石、砂利の順に穴へ敷き詰めていき、
「【無制限収納空間】」
で生セメントを流し込み、
「【無制限収納空間】」
で石畳を敷き詰め、
「ノティア、お願い」
「分かりましたわ! ――【火炎の壁】」
いつものように焼き入れ。
そして、完成した基礎の上に、
「【無制限収納空間】!」
出てきたのは、大きな庭付きのまさに『豪邸』と呼ぶにふさわしいお屋敷。
「「「「「うぉぉぉおお!? お屋敷神様ぁ~~~~ッ!!」」」」」
いつものようにいる野次馬たちを尻目に、改めてお屋敷を見上げる。
3階建てで、部屋がものすごくたくさんありそうだ。
大きな庭がついていて、庭を取り囲む立派な塀まで一緒に移築できるのは、僕の【無制限収納空間】ならでは。
しっかし大きいなぁ!
王都の貴族街で、言われるがまま【収納】してきたんだけど……立地と言いお屋敷と言い、まるでこの街の主とか支配者が住みそうな感じなんだよね。
街の支配者と言えば、街の運営の一から十までを担っているミッチェンさんってことになるんだけど……ま、まさか。
「あのぉ……このお屋敷、誰が住むんですか?」
ミッチェンさんがにっこりと微笑み、
「あなたですよ、町長様!」
……………………は?
「えぇぇええええええぇぇぇえええええええええええええッ!?」
「このお屋敷は、ほんのお礼です。ここで上がった利益の1割は今後も収めます続けますので、ご心配なく、町長様!」
「な、ななな……ちょ、町長って――」
「あははっ! お前さん、まんまと担がれたね!」
楽しそうに笑うお師匠様と、
「あらあら、楽しそうじゃありませんか!」
ほがらかに笑うノティア。
「い、いやいやいやいや他人事だと思って!? 僕、街の統治なんてできませんからね!?」
というか、統治という意味ではお姫様であるノティアの方が向いてるんじゃないの!?
「街の運営はわたくしと商人ギルド『西の森交易路権益確保の会』で今後ともしっかりやらせて頂きますので、ご心配なく。クリス様は、我々の求めに応じて家の移築や道の敷設などをして頂けさえすれば、あとのことはすべてわたくしどもで責任もって行います」
「そ、そういうことなら……」
「さあさ、中へ! この小高い丘に立つ屋敷から、我々下々があくせく働く姿をお眺め下さいませ!」
「言い方!」
朝、僕は長年の習慣通り日の出とともに飛び起き、顔を洗い、外着に着替える。
今日は冒険者として働く予定はないから、鎖帷子や革鎧は留守番だ。
「それにしても……大きな部屋」
ひとりで使うにはいっそ寒々しいほど広い部屋に、天蓋つきベッド――実物を見て、ノティアから説明を受けるまで、『天蓋』という言葉の意味すら知らなかったよ――、数々の絵画や調度品。
床に敷き詰められたるは足音をまったく立てさせないふっかふかの絨毯。
ここが自分の家だなんて、未だに信じられない。
お師匠様と会うまでは、かび臭い家の床にごろ寝していた僕がだよ!?
とはいえ良いことばかりでもない。
問題は、このお屋敷の維持管理だ。
数十個もの部屋、大きな厨房と食堂、お風呂場、そして庭。
掃除はまぁ、お師匠様の助けがあれば、「【汚れを収納空間】!」とかなんとかやって綺麗にできると思うのだけれど、やるべきことは掃除だけじゃない。
やっぱり――…ここを管理してくれる人、使用人さんが必要だよね。
■ ◆ ■ ◆
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、クリス君」
「おはよう、クリス」
食堂に入り、挨拶すると、3人の女性から返事が返ってくる。
ひとりは、お師匠様。
まぁ、そりゃ当然、いるよね。
2人目は、さも当然の顔をして座っているノティア。
まぁここのところノティアの【瞬間移動】にはさんざんお世話になっているし、それでなくても風竜から守ってもらったあのときに、僕は相当ノティアにやられてしまった感がある。
ノティアがこの屋敷に住むと言ったとき、僕は何の抵抗もなくそれを受け入れた。
そして、3人目は――…
「クリスの分の朝食、持ってくるから! 待っててね」
そう、シャーロッテだ。
彼女はもともと猫々亭に下宿していたのだけれど、山ほどある部屋を持て余した僕が冗談半分で「……来る?」って聞いたら本当に来た。
し、下心はないよ!?
彼女にとっても、大きな部屋に天蓋つきベッドまであって、お風呂も入り放題のここの方が住みやすいだろうし、猫々亭へも徒歩数分だしね。
■ ◆ ■ ◆
「というわけで、使用人を雇いたいんですけど……いいですか?」
シャーロッテの手料理――と言いつつも、食べなれた猫々亭風料理だけど――を食べながら、みんなに聞く。
朝食は辛さ控えめのお粥と、卵のスープ。
そして相変わらず、お師匠様は何も食べない。
宿屋暮らしのときからそうだったけれど、朝、自室で手早く済ませてしまうらしい。
だというのにこうして食堂に出てくるってのは何なんだろう? 人恋しいとか?
「お前さんの財布でやるんだろう? だったら何も問題はないさね」
そのお師匠様から許可が出た。
言いながら、お師匠様は原稿用紙に何がしかを書き連ねている。
ここのところお師匠様は、暇さえあれば本を書いている。
内容は多岐に渡る。
冒険活劇や恋愛モノの小説や、西の森がかつて『魔の森』と呼ばれていたころから、どのようにして衰退していったのかという記録書や、魔法の教本、薬草と毒草に関する辞書などなど。
一度執筆を始めると、すでに脳内に完成しているものを吐き出すかのように、片時も手を止めることなく高速で書き連ねるんだよね。
一度、「その膨大な知識はいったいどこから出てくるんですか?」と聞いたら、お師匠様はニヤリと笑って「【万物解析】さね」と言った。
優れた【万物解析】使いは、まるで百科事典のページを繰るかのように、この世の情報に接続できるのだ、と。
【万物解析】、万能すぎる。
「わたくしも賛成ですわ。わたくし、野営や料理はできても、それ以外の家事は……」
すっかり猫々亭のファンになってしまったノティアが、シャーロッテの手料理を美味しそうに食べながら言う。
「ごめんね、本当はあたしがやれたらいいんだけど……」
申し訳なさそうにシャーロッテが言う。
シャーロッテは料理も上手いけど家事全般が飛びぬけてうまい。
どのくらい上手いかと言うと、孤児院の院長先生が「出ていかないで。いっそここで働いて」と嘆いたくらいに上手い。
「しゃ、シャーロッテ、気にすることないからね!?」
僕は家事を目当てにシャーロッテを誘ったわけではない。
こうして料理を作ってもらってるのも申し訳ないくらいなのに。
「ところで、どこで人を探すの? どうせだったら――」
「うん。僕らの出身孤児院で、仕事が決まらずに苦労してる子を何人か雇おうかな、って」
「それがいいわね!」
笑顔のシャーロッテ。
僕もシャーロッテも、あの孤児院には本当に感謝してるんだ。