お見合い結婚します―でもしばらくはセックスレスでお願いします!

(11月第2金曜日)
亮さんの布団に入った日から4日ほどたった。それからはあえて行かなかった。私としてはちょっと冒険だった。もう少し冷静になった方が良いと思ったからだ。

金曜日、食事の後片付けが辛かった。身体がだるくて熱っぽい。週の後半は仕事が忙しかったので疲れが出たと思った。それを亮さんに話して、お風呂に入ってからすぐに部屋で横になった。

亮さんが私の体調を気にしてドアをノックした。

「大丈夫? 熱は出ていないの?」

「悪寒がして、身体が震えるんです」

身体がだるい。亮さんが「入るよ」といって部屋に入ってきた。額に手を当てて熱があるかをみていた。熱いと思ったのか、体温計を持って来て計ってくれた。38℃あった。

亮さんは部屋を出て行って、解熱鎮痛薬とお湯の入ったカップを持って来てくれた。それを飲み終えると、今度はタオルでくるんだアイスノンを持って来て、首の下あたりに入れてくれた。冷たくて気持ちいいけど、相変わらず寒気がする。

「毛布を出して使っているのにとっても寒いんです」

「身体は熱があって熱いのにね?」

「分かりません」

「布団に入るよ。誓って何もしない。温めてあげるだけだから」

亮さんはあっという間に私の後ろに入ってきた。そして、この前のように私を後ろから包むようにそっと抱いてくれた。突然そうしたので、何も言えなくて黙ってじっとしている。

「足を僕の足の間に入れたらいい、温まるから」

私は黙ってそのとおりにした。足を亮さんの足の間に入れる。

「心配しなくていいから、おやすみ」

亮さんの足は毛むくじゃらだった。父の足に感じがそっくりだ。なつかしい感触。しばらく足を動かしてその感触を確かめていた。そのうちに背中が温かくなって眠ってしまった。

夜中に亮さんが私を揺り起こした。

「理奈さん、身体が汗でびっしょりだ。着替えをした方がいい。今タオルを持って来てあげるから、待っていて」

「はい」

私が着替えを用意していると亮さんが戻ってきた。私にタオルを渡すと部屋の外に出た。私は汗で濡れた下着とパジャマを着替えた。

「入ってもいい?」

「どうぞ」

「パジャマとタオルを洗濯機に入れてこよう、僕も着替えたから」

亮さんは洗濯物を持ってまた部屋を出て行った。私は布団に入って横になった。亮さんが戻ってきて体温を測ってくれた。熱は36.8℃まで下がっていた。

「良かった、熱が下がった。このまま朝まで一緒にいるから」

「はい」

亮さんはまた私の後ろに入った。私はすぐに眠ってしまった。

明け方、目が覚めた。どういう訳か私は亮さんに抱きついて顔を胸に埋めていた。亮さんが額に手を当てたので気が付いた。

「熱は下がったみたいだ。よかったね」

私はどうして良いか分からずただ頷いた。どうしよう、動くことができない。こういう形になって寝ていたとは思いもしなかった。

無意識にしたことだろう。幼いころ父にそうして抱きついて寝ていたから、自然とこうなったのかもしれない。

亮さんの身体の温もりが心地よく感じられる。じっとしているしかない。

「ありがとうございました。温かくてよく眠れました」

「よかった。嫌がられなくて」

「小さい時、病気になると父はこうして私を抱いて寝てくれました。すごく安心して眠れました。亮さんは父と同じ匂いがします。それもあるかもしれません」

「前にお父さんが自分と同じ匂いがするとか言っていたと話していたよね」

「そうです。おもしろいですね」

「それから寝る時にしばらく足を動かしていたね。僕の足は毛むくじゃらだから、気になっていやだったろう」

「いいえ、父の足も毛むくじゃらで、いつも動かしてその感触を楽しんでいました」

「それでか、まあ、毛むくじゃらが嫌われなくてよかった」

「しばらくこうしている?」

「はい」

亮さんが背中を撫でようとしたので、緊張した。

「だめ、お願い、そのままにしていてください」

「分かった。このまま、このまま」

亮さんは手を止めて、じっとして動かない。それで私はまた眠ってしまった。

次に気が付くと8時少し前だった。亮さんはもう布団にいなかった。朝食を作ってくれていた。熱を測ると36.8℃だった。大丈夫みたい。起きて身繕いをした。

朝食を食べてから近くに内科医院へ行った。風邪の診断だった。薬を貰って帰ってきた。でも身体が少しだるい。

その日は亮さんが朝昼晩の3食の食事を作ってくれた。思っていたよりも味付けが良くておいしかった。幸いその晩はもう発熱しなかった。

そして、日曜日には何もなかったように二人でスーパーへ買い出しに行った。亮さんがいてくれて本当によかった。
一緒に住んでもう1か月位になる。いままで二人でショッピングにも出かけたことがないと言って、亮さんが二人で街中へ行ってみたいと私を誘ってくれた。

確かにいつも家で話していて、代り映えがしなくなったのは事実だった。私の誕生日が来週の11月24日(金)なのを覚えてくれていた。20代最後の29歳の誕生日だ。

「明日の土曜日、二人でショッピングにでも行ってみないか? 理奈さんの誕生日は来週だったね。婚約してから何もプレゼントをしていなかった。誕生祝いに何かプレゼントをしたいと思っている」

「高価な婚約指輪をいただきました。それで十分です。それに私のお願いを聞き入れてもらっているので、気が引けていただけません」

「僕は理奈さんにブレスレットをプレゼントしたいと思っているんだ。きっと似合うと思う」

「それほどまでおっしゃるのなら、お受けします」

「じゃあ、明日買いに行こう」

「私もお洋服を見たいので出かけましょう」

「どこへいく?」

「原宿と青山へ行ってみたい。随分行っていないから」

「了解した。ジュエリーショップを調べておくよ」

◆ ◆ ◆
(11月第3土曜日)
亮さんが調べておいてくれたジュエリーショップを2軒ほど回ると、二人が気に入ったブレスレットが見つかった。亮さんはそれを買ってその場で手に付けてくれた。嬉しかった。

それから亮さんと手を繋いで青山通りのブティックをウインウショッピングして歩く。私は気に入った店があると中に入って見て回る。亮さんは「ゆっくり見ていいから、外にいる」と言って中には入らない。

ひととおり店の中を見て回って外に出ると、亮さんが二人の若い女性と立ち話をしていた。年のころは私と同じくらいと思えた。亮さんと話している女性は見た目も素敵で着ているものもセンスがいい。

亮さんがニコニコして話している。私は気付かれないように店を出て隣の店のウインドウを見るふりをする。そして、3人の様子をうかがう。亮さんは私が店を出てきたのに気付いている。時々こちらをチラ見している。でも私を呼んで彼女たちに紹介しようとはしなかった。

彼女たちが私の出てきた店に入ると、すぐに私に合図して歩いて行った。私は急いで亮さんに追いついた。

「素敵な方ですね」

「会社の女性だ。二人でいるところを見られなくてよかった」

「見られてもいいじゃないですか?」

「社内で言いふらされるとうっとうしい。根掘り葉掘り聞かれるし。そこの店で一休みしよう」

コーヒーショップがあったので、亮さんはすぐに中にはいった。歩いていてまた会わないとも限らないからと言う。少し時間をおいてやり過ごしたいみたい。ブレンドコーヒーを注文した。

私は不機嫌そうな顔をしていたと思う。亮さんがほかの女性と嬉しそうに話しているのをみたから嫉妬したのかもしれない。

それに私を婚約者とは言わないまでも付き合っているとか言って紹介してくれてもよかったのにと思っていたからだった。私は亮さんが相当に好きになっている?

「意外ともてるんですね。素敵な女性でしたね。歳は私と同じくらいでしょうか?」

「そうだね、同じくらいだと思う」

「彼女は亮さんに好意を持っているように見えました。これは女の感ですが」

ちょっと嫌みかもしれないと思ったけど口から出てしまった。少し絡みたい気分だった。

「彼女とそばにいた女性、二人は同期だ。僕が本社に来た頃、僕は30歳位で彼女たちはその年に入った新入社員だった。僕の同期の誰だか忘れたけど、音頭をとって合コンをした。僕も誘われて参加した」

「結構、積極的だったんですね」

「丁度、本社に来たばかりで物珍しさもあってね」

「その時知り合ったのですか?」

「可愛い子だったので、思い切って食事に誘ってみた。そのあと2~3回食事に誘ったり誘われたりした。月に1回ぐらい、付かず離れずの関係だったかな、お互いにフリーで、付き合っているというより、その一歩手前の友達みたいな微妙な関係だった」

「ありえますね」

「彼女にはほかにも男性の友達がいたみたいだった。だから僕はOne of them だったと思う」

「彼女のことをどう思っていたのですか?」

「見てのとおり男好きのするタイプで可愛くてチャーミングだった。東京出身で東京の有名私立大学を出ている。実家から通っているので、経済的にも余裕があるように見えた。僕には少し生活が派手な感じがして付き合うのは大変かなと思っていた」

「確かに、実家から通っている娘は経済的にゆとりがありましたね。大学でも勤めてからも」

「まあ、それで夢中になることもなかったのかもしれない。彼女も追っかけてくるというようなタイプではなかった。まあ、僕にもその程度の魅力しかなかったということだろう。徐々に疎遠になった。別れたというほどの関係でも元々なかった」

「何となく感じ分かります」

「今思うと、その時彼女は20代前半で、まだ就職したばかりで、ベストの相手を求めて、いろいろ付き合ってみていたのではないかと思う」

「そうですね、私も20代前半ではまだ結婚はないと思っていましたから」

「お見合いの時だったかな、『秘書問題』や『裁量選択問題』と呼ばれる理論分析が、お見合いにも応用できると言う話をしたのを覚えている?」

「興味深いお話だったのでよく覚えています」

「彼女から見れば、その時の僕は最初に見送るという全体の37%に入っていたのだと思う」

「もったいなかったですね。今の彼女なら、37%よりも良い人が現れたらその人に決めるというその人に亮さんがなっていると思います」

「そうかな? 出会う時期が早過ぎた? いや、もう遅過ぎた? 出会いの時期もご縁なのかもしれないね」

「よく考えてみると、私にも当てはまることだと思います」

「それを聞いて嬉しい。今日、プレゼントを買いに来たかいがあった」

亮さんは女性の扱いがうまいのかもしれない。私は機嫌が直っているのに気が付いた。
(11月第4金曜日)
11月24日(金)は私の29歳の誕生日だ。亮さんは誕生日のお祝いにホテルのディナーをご馳走したいと誘ってくれた。嬉しかったから私は素直にそれを受け入れた。

亮さんは銀座の高級ホテルのメインダイニングに予約を入れてくれた。予約時間は6時半。そこならそれぞれの勤務先から遠くない。

ホテルのロビーで待ち合わせることにした。不都合があればお互いにメールを入れることになっている。6時になっても亮さんから行けなくなったとのメールは入らなかった。よかった。

6時半少し前に私はホテルのロビーに到着した。やはり亮さんが待っていてくれた。きっと6時には到着していたと思う。そんな人だ。遅れてぎりぎりに到着したことを謝った。

二人ですぐにメインダイニングへ向かう。亮さんは予約を告げて、料理を確認している。それから窓際の席へ案内された。11月の今の時間、外はもう真っ暗で夜景がきれいだ。

飲み物は亮さんがグラスで赤ワインを、私は帰りが心配なのでお酒は飲まないでジンジャエールを注文した。すぐに運ばれてくる。

「誕生日おめでとう」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさえていただきました。お祝いしてもらって嬉しいです。それにプレゼントもいただきましたから」

乾杯する。私の左腕にはブレスレットが、左手の薬指には婚約指輪がしてある。出勤する時は婚約指輪をすることにしている。ただ、同居前の話し合いで結婚指輪は二人ともしていない。

アペタイザーが運ばれて来た。食べながら話し始める。

「初めてだね、外でゆっくり食事をするのは? 式の前にも東京で会いたかったのに、そんなにウイークデイも忙しかった?」

「忙しかったのは本当です。それにせっかくまとまった縁談ですので、式を挙げる前に破談にはしたくなかったからです」

「東京で会っても破談にはならないと思うけど、なぜ?」

「例えば、こうしてホテルで食事をして帰るときに誘われたら返答に困ります」

「だって、もう婚約する時にしないと約束しているじゃないか。誘っても、だめと言えばいいだけだから。それに僕は無理やり誘ったりはしない。でも誘わないと返って失礼になるのではと思ったりはするけどね」

「それでも拒まれたら、いい気持ちはしないでしょう」

「否定はしないけど」

「1年ほど前にお見合いしたんです。あなたと同じ地元の方です。先方がとても気に入ってくれて、私も断るほどの理由がなかったので、お付き合いすることになりました。二人とも東京に住んでいましたので、東京で会うことにしました。3回目にお会いした時に求められました」

「随分、早いですね」

「相手の方はそういうことに慣れていたのかもしれません。私はまだそういう気持ちになれないと言って、お断りしました」

「それはそうだ、少しせっかちすぎると思う。僕は気が長い方だけど」

「そうしたら、破談にされました。でもそれで良かったと思いました。私の気持ちを考えてくれないような人でしたから」

「彼のプライドが許さなかったのかもしれないね。拒絶されて」

「分かりません。私もその時、お断りしようと思いました」

「だから、あんな約束を僕としたのか?」

「それもあります」

「僕はそんなことで破談にはしないし、そんなことで理奈さんを失いたくない。そんなことを心配していたということは、僕を相当気に入ってくれていた?」

「今思うとそうかもしれません」

「それなら、それでいい。そういう気持ちだったのなら嬉しい」

「そうなら、お話ししてよかったです」

「今日はそんなこと気にしなくていいから、手を繋いで帰るだけだから」

「複雑な気持ちです」

「誘わないと失礼かな?」

「いつも目がそういっています」

「そう思っているから、僕に見られていると緊張するんだ」

「そうかもしれません」

「そんな風には理奈さんを見てはいない。ただ、愛おしくて見ているだけだから」

そう言って何を思ったのか、亮さんが窓の外に目をやった。私もつられて外の景色を眺める。夜景が驚くほどきれいだった。

「夜景がきれいですね」

「さすがに大都会東京だ。この景色を見ていると、人が集まる魅力が分かるし、エネルギーを感じる」

「あの明かりの下で、今も働いている人がいるんですね。でも私は山や海の景色の方がずっといいです。夜、月明かりで見る山や海の景色が好きです。静かで落ち着ていて好きなんです」

「今度、山か海の温泉にでも行ってみようか? 新婚旅行にも行かなかったから」

「そうですね、それもいいですね」

亮さんは食べるのが早い。話しながらでも、さっさと食べている。ちゃんと味わっているのかしら?

「さすがにここの料理はおいしいね」

「こんな深い味はとても出せません」

「理奈さんは料理をいつ覚えたの?」

「中学生の時から母の手伝いをしていて覚えました」

「料理が好きだったの?」

「生のお肉やお魚やお野菜がおいしい料理になるところに関心がありました」

「理科の実験みたいな感じ?」

「そんな感じの興味です」

「理論的なんだ」

「『さ・し・す・せ・そ』って知っていますか?」

「もちろん、調味料を入れる順序だ。食品会社の新製品のプロジェクトのメンバーなんだぞ。さ、砂糖はなかなか浸透しにくいので入れるのは早い方がよい。し、塩は浸透圧が高く食材から水分を呼び出すため、砂糖の前に入れると砂糖の味が食材に入らなくなるため、砂糖より後に入れる。す、酢は早く入れ過ぎると酸味がとんでしまうし、塩以上に食材に味が染みるのを妨げるので、塩より後に入れる。そ、醤油や味噌は早く入れると風味を損なうので仕上がりに入れる」

「さすがですね。ではほかにも『さ・し・す・せ・そ』があるのをしっていますか? 私はほとんど使いませんが」

「理奈さんはほとんど使わない? 分からないなあ」

「教えてあげましょうか? 男性に使うと効果があるそうです。さ、さすがですね! し、知らなかった! す、すごい! せ、センスいい! そ、そうなんですか! だそうです」

「そういえば理奈さんは使わないな、まあ、言われて悪い気はしないが、あまり言われてもね。言うタイミングによるかな? ただ、あまりこれをつかうと軽薄な感じがするから注意した方が良いと思う」

「だから私はあまり使いません。よっぽどの時でないと」

「理奈さんが使う時は本当に感心した時だけなんだ。覚えておくよ」

亮さんと話が弾んだ。家だとこうはいかない。ここの独特の雰囲気のせいかもしれない。こんなに打ち解けて話をしたのは初めてのような気がする。来てよかった。

食事を終えて外に出ると雨が降り始めた。私は傘を持ってくるのを忘れていた。天気予報では今日は晴れると言っていたからだ。亮さんはしっかりと傘を持っていた。

それを褒めると「弁当忘れても傘忘れるな! と言われているところで育ったからね」と言われた。

私は東京の気候に慣れて傘は持ち歩かなくなっていた。ハンドバックに入らないし、なくても何とかなる。

最寄りの駅まではタクシーに乗るほどの距離ではないので、相合傘で歩くことにした。亮さんは私が濡れないように肩を抱いて身体を寄せてくれる。私は亮さんの腰に手を廻した。

晴れていたら、こうはならなかった。まるで恋人同士? のように、いい感じで駅まで歩いた。私は肩を抱かれて相合傘で歩くのは初めてだったけど、悪くはないなあと思った。亮さんは私を大切に抱いて歩いてくれている。嬉しかった。

9時半過ぎにはマンションに着いた。一休みしてから、亮さんが先に私があとからお風呂に入った。

いつものように亮さんは私が上がるのを待っていてくれて、ハグしてからそれぞれの部屋に入った。

でもしばらくして私は亮さんの部屋のドアをノックした。

「理奈さんか? どうかしたの?」

「お布団に入れてもらっていいですか?」

「もちろん、僕が断る理由なんかない。どうぞ」

亮さんが掛け布団を開けて私を招き入れる。私はこの前と同じようにしてもらいたいと背中を向けて横たわった。

「この前と同じに抱いて寝てください」

「いいよ、嬉しいな。本当に良い誕生日になった」

緩く抱いた亮さんの両手を私はしっかり掴んでいる。亮さんはそのまま動かない。何もしようとしない。

「背中を撫でてもらえませんか? 小さい時、父がよく寝かせる時に撫でてくれました」

「いいけど、後向きでは撫でにくいので、こちらを向いてくれるかな?」

私は向きを変えたけど、そのままでは顔が正面なるので、下を向いて亮さんの胸に顔を隠した。

亮さんがゆっくり背中を撫で始める。まず背中の真ん中をゆっくり撫でてくれた。脇腹の方へ手を進めてくるけど嫌ではなかった。

お尻の方へ手が伸びて来る。気持ちがいい。脇の下へ手が伸びてきたので思わず脇を締めた。くすぐったい。

背中をゆっくり撫でてくれる。気持ちよくて眠ってしまいそう。あとは憶えていない。
(11月第4水曜日)
11月の終わりはずっと雨が降っている。秋から冬に移る冷たい雨、山茶花梅雨だ。今日はまだ水曜日、寒い1日だった。仕事も結構トラブったりして疲れた。

昼頃に亮さんから、[外勤をしていて、関連会社で打合せの後に懇親会があり、遅くなるから、夕食はパス]とメールが入っていた。

10時を過ぎているのにまだ帰ってこない。また風俗に行ったのではと不安がよぎる。でもしかたがないとのあきらめの気持ちもある。亮さんを満足させてあげられていない。お風呂に入っていても気持ちが落ち込む。上がるとすぐに部屋に入って布団の中へ。

ドアの開く音がした。玄関まで迎えに行った方が良いか迷った。前の時のようにその痕跡を見つけるのが怖い。

そのうちに亮さんが浴室に入るのが分かった。匂いが付いているからすぐにお風呂に入った?

お風呂からはすぐに上がってきたみたい。しばらくして隣のドアの閉まる音が聞こえた。亮さんは声をかけなかった。後ろめたいから? でも確かめたい。しばらく迷ったけれど決心した。

ドアをノックする。

「理奈さんか?」

「はい、入ってもいいですか?」

少し間があった。戸惑っている?

「いいけど、大丈夫?」

部屋に入ると亮さんが布団から起き上っていた。私は少し離れてそばに座った。

「一緒に寝てもいいですか?」

「どうしたの? 何かあったのか? 身体の具合でも悪いのか?」

「いいえ、そばにいたくて」

「もちろん、いいよ、じゃあ入って」

亮さんは布団をまくり上げて横になって、ここへと隣に場所をあけてくれた。私はゆっくり横になるとすぐに亮さんに抱きついた。

突然抱きついたので亮さんは戸惑っていた。でも思い出したように私をしっかり抱き締めてくれた。抱き締められると緊張する。

「理奈さん、無理することはないのですよ。どうしたのですか?」

「一人で亮さんを待っていると、また風俗に行ったのかもしれないと思って、悲しい気持ちと申し訳ない気持ちとでやりきれなくなって、帰りを待っていました」

「理奈さんらしくないね。でも今日は行っていない。仕事で関連会社まで出かけて懇親会もあって帰りが遅くなった」

「私、本当はとても寂しがりやなんです。亮さんの前では強がって見せているだけです」

「会社で何かあったのか? 相談にのるけど」

「いやなことと言うほどではありませんが、時々あるようなことです。それもあって、今日はお天気も悪いし、少し気が滅入っていたのかもしれません。このままここにいてもいいですか? でも今までと同じで抱き締めるだけにしてもらえますか?」

「理奈さんの言うとおりにする。抱き締めて寝られるなんて、それだけで嬉しいから」

「じゃあ、お願いします」

「じゃあ、やっぱり後ろから抱き締めることにしよう。その方が眠りやすいと思う」

「そうですね」

「少し前かがみで丸まってみて、僕がそれを包み込むように抱いてあげる。理奈さんもその方が楽ちんだと思うよ」

「確かにそうですね。それに背中が温かくて」

「じゃあ、お休み」

「目が冴えてすぐには眠れません。何か話してください。私を寝かせる時に父はよくお話しをしてくれました」

「じゃあ、今思っていることを話そうか。今が一番良い時だって思っていること。いつだって今が一番いい時だといつも思うことにしているし、本当に今が一番だと思う。だって、理奈さんをこうして抱いて寝られるから」

「昨日はどうだったんですか?」

「昨日はハグしたときに嬉しそうに笑ってくれた」

「一昨日は?」

「コーヒーがとってもおいしいと言ってくれた。その時も今が一番と思った。昨日の今は昨日しかない。今日の今は今日しかない」

「そんなに私のことを思ってくれているんですか?」

「ようやく巡り会えた大切なお嫁さんだからね」

「入籍していませんが、それに」

「それはもうなるようにしかならないと思い始めている。少しずつだけど気心が通じ合っているし、一緒に暮らしてくれているのだから、そのうちに時間が解決してくれると思っている」

「ありがとうございます。一緒に寝させてもらってよかったです。おやすみなさい」

「おやすみ」

私はしばらく足を動かして亮さんの毛むくじゃらの足の感触を確かめていた。背中が温かくて気持ちよくなって眠ってしまった。

朝、目が覚めると、私はいつものようにそっと布団を抜け出した。
(12月第1金曜日)
先週も布団に入れてもらった。あれからいろいろ考えていたが、ようやく心が定まった。亮さんの部屋のドアをノックする。

「はい?」

「入っていいですか?」

「どうぞ」

私は部屋に入るとすぐに亮さんの布団の中に身体を滑り込ませた。そしていつものように背中を向けた。

「撫でてもらっていいですか?」

「もちろん、喜んで」

「お願いします」

亮さんが撫で始めると私は話し始める。

「母に電話して聞いてみたんです。父との最初の夜、どんな気持ちだったかって。そうしたら、自分が信じて結婚を決めたのだからすべて父に任せようと思っていた。そして、とても幸せだったと言っていました。それから今頃何でそんなことを聞くの? と言われました」

「それで何と答えた?」

「知りたくなったからと答えました。母は薄々察したかもしれません。あなたが信じて結婚を決めた人でしょう、すべて任せて受け止めて貰えばいいのよと言われました。聞いてもらえますか、今までお話ししなかったことがあります」

「聞くよ、何でも話して」

「私、高校2年の時、同じクラスの男の子が好きになって、彼も私のことを好きになってくれて、いつも一緒にいたんです。秋の日に彼の家へ行って一緒に宿題をしていたんです。

すると、突然彼が私に抱きついてきて、キスして、私はそんなこと思ってもみなかったので、抵抗したんですけど、すごい力で組み敷かれてしまいました。

しばらくもがいていたのですが、あそこに痛みが走ったので、思い切り力を出してはねのけて、逃げだしました。

あそこに何かついていたので、家に帰ってお風呂で洗いました。彼がそんなことするなんて思ってもみなかったので、すごく悲しかった。

翌日、学校に行くと彼はすぐに私のところへきて謝ったけど、もう話すのも顔を見るのもいやでそれからは口もききませんでした」

「それで男性不信になったのか?」

「それから男の人とは普通のお付き合いができなくなりました」

「よっぽどショックが大きかったんだね。理奈さんと初めて会った時に僕が感じた寂しそうな何かというのはこれだったのかもしれないね。2回目に会った時にセックスレスだなんておかしなことを言うので、何か嫌なことがあったのではないかと思っていたけどね」

「あのときは何も聞きませんでしたね」

「それはそうだろう、あなたはバージンですか? と聞くのと同じだろう」

「そうですね。そんなこと聞かれたらきっと私はお断りしていました」

「僕も断られたくないから何も聞かなかった」

「気にはならなかったですか?」

「気にならないといえば、嘘になるかもしれない」

「ごめんなさい、黙っていて、あの約束をした時にお話ししておけばよかったと思っています」

「でもそんなことがあったとしても、本人しか知らないことだろう。黙っていれば分からないことだ。知らせないことや知らない方が良いこともあると僕は思っている」

「理奈さんはずっと気にしていたの?」

「はい、いずれすれば分かるかなと思っていました」

「同居を始めた時すぐにざっくばらんに聞けばよかったかな? なぜ派遣社員になったのかを聞いたように」

「その時に聞かれたらお話ししていたと思います」

「僕はあの時、やはり聞かないでおいた方がよいと思った」

「ずっと黙っていた私が嫌いになりましたか?」

「いいや、何でそういうことを聞くのかな。始めから何か嫌なことがあったかなと思っていたし、それを承知で結婚式もあげて一緒に住んでいる。それに今までずっと理奈さんと気持ちを通じ合って、早く僕のものにしたいと思っている。嫌いになる訳がない」

「こうして私を撫でていて、私がほしくならないのですか?」

「そう思って撫でていた。こうしていると、押さえつけてでも、縛り付けてでも、僕のものにしてしましたいという衝動にかられる。でも今、理奈さんのその何かが分かったから、それは決してしないでおこうと思う。理奈さんを絶対に失いたくないから。あの約束をした時に、そんなことをしたらすぐに離婚しますと言ったけど、その意味と気持ちが良く分かった」

「してください。今すぐに」

「ええ、何て言った?」

「してください」

「いいのか?」

「はい、お願いします。でも避妊はしてください。まだ、子供を産む覚悟ができていませんから」

「分かった」

亮さんは私の気が変わらないうちにと思ったのか「こっち向いて」と私の身体の向きを変えさせた。そして、両手を頬に充てて、ゆっくりと私の唇の感触を確かめるようにキスをした。私はどうしてよいかわからず目をつむってただ受け入れる。

いつものように亮さんは背中を撫でてくれる。段々と体の力が抜けて来る。心地よい。もう亮さんに任せるほかはない。力が抜けてゆく。心地よい。

痛みが走った。あの時の痛み、いやもっと痛い。亮さんの右手を掴んでいたので強く握りしめた。痛いのが分かったみたいで、亮さんが動きを止めてくれた。

私は亮さんに抱きついた。すると亮さんが動きだす。痛い! 我慢する。

でも耐えられなくなって、力一杯手を握った。亮さんは気が付いて身体を離してくれた。ほっとしたのと同時に涙があふれてきた。亮さんの胸に顔をうずめる。

そんな私をいたわるようにそっと抱いてくれる。幸せな気持ちでいっぱいになる。もう涙が止まらない。

亮さんは何も言わずに私の髪を撫でていてくれる。身体から力が抜けて行く。眠りたい。このまま眠りたい。いつの間にか眠ったみたい。

明け方だったと思う。薄明るくなっている。時間は分からない。亮さんの腕の中にいる。亮さんは眠っているみたいで、力が抜けている。

胸から顔をあげて亮さんの顔を見上げる。やっぱり眠っているみたいだ。しばらく顔を見ていたい。見上げて見ているその寝顔は柔和だ。きっと人柄が出ているんだ。じっと見ている。

亮さんが下を向いて突然目を開けたので、二人の目が合った。亮さんは私をじっとみつめている。照れくさいし、恥ずかしくて顔を見ていられない。亮さんは私のおでこにそっとキスしてくれた。

「薄明るくなって、すぐに目が覚めました」

「起こしてくれてもよかったのに」

「亮さんの顔を見ていたかったのです」

「昨晩はありがとう」

「こちらこそありがとうございました。うまくできましたか? よく分からなくて」

「ああ、できたよ」

「よかった」

「もう一度してみる?」

「いいえ、もうだめです。今も痛みがあって」

「ごめん、痛がっているのは分かっていたけど、止める訳にはいかないと思って」

「それでよかったです。我慢しましたから」

「我慢してくれているのは分かっていた。ありがとう」

「このまま、ずっとこうしていたいけどいいですか?」

「今日は土曜日だからこのままでゆっくりしよう」

「今日、入籍していただけませんか? 婚姻届けはいつでも受け付けてもらえるそうですから」

「そうだね、今日12月2日を結婚記念日にしよう。できるだけ早く役所に行こう」

私が亮さん抱きついたら亮さんも私をしっかり抱き締めてくれた。いい感じ。ようやく結ばれた。二人抱き合ったまま、またまどろむ。

気が付くとすっかり夜が明けていた。お腹の鳴る音が聞こえた。

「お腹が空いたね」

「誰かのお腹が鳴りましたね」

「そろそろ起きようか? 気が済んだ? これからは理奈さんが望むだけ可愛がってあげる」

「はい」

私は裸のままパジャマと下着を抱えて自分の部屋に戻った。それからしばらく自分の布団に横になって、幸せをかみしめた。よかった、勇気を出して決心して。
(12月第1土曜日)
私はいつものように朝食を準備する。亮さんが身繕いをしてテーブルにつく。私は浮き浮きしている。こんなに浮き浮きするのは始めてだ。

そんな私を亮さんは時々チラ見している。亮さんは目が合うとニコッと笑ってくれる。

「10時になったら役所にでかけようか、書類を確認しておくから」

「分かりました」

後片付けを終えると、ソファーに座っている亮さんの隣に座る。甘えたい気分だ。寄りかかって身体を預ける。亮さんは手を握ってくれた。それが嬉しい。

丁度10時に区役所に二人で出かけた。書類はすべてそろっていたので、すぐに受理された。亮さんは必要となるかもしれないと言って受理証明書をもらっていた。

帰りに公園を散歩した。私は二人きりになりたかったので、家に帰ろうと言った。家に着くと二人共ひと仕事終えた気分になってほっとした。ソファーに座ってお互いによりかかる。

「そうだ、指輪、結婚指輪をしよう!」

「そうですね、入籍して正式な夫婦になったのですから」

二人はそれぞれの部屋に戻って、大切にしまってあった結婚指輪を持ってきた。そして結婚式の時のようにお互いの指にはめた。それから、どちらからともなく自然にキスをした。

ようやく夫婦になれたと思った。二人の絆が少しずつ強くなっていく。新婚ってこんな感じなのだろうと初めて思った。

ここまで来るのに亮さんには随分我慢をしてもらった。私のこだわりのせいだった。でも時間が解決してくれた。

実際は亮さんの私への働きかけの努力によるものが大きい。私は亮さんに努力すると約束したけど、あまり積極的ではなかったように思う。

お昼はサンドイッチを作った。亮さんはドリップで二人分のコーヒーを入れてくれた。私は亮さんの顔をじっとみている。

「そんなにじろじろみてどうしたの」

「今まで余り顔を見ていなかったから」

「ええ、そうなの」

「じっと正面から見たことがなかった」

「そういえば僕も理奈さんをじっと見つめることはなかったように思う。じっと見ると緊張するみたいだったから」

「すみませんでした。気を遣わせて」

「でも、後ろや横からはいつもじっと見ていた。綺麗で、可愛いなと思って」

「気が付きませんでした。これからは好きなだけ見つめてください」

「そうしよう」

「今日は結婚記念日だから外で食事しないか? 雪谷大塚においしいイタリアンレストランがあるから。一度しか行ったことがないけど、料理はおいしい」

「そうですね。連れていって下さい」

亮さんはすぐに電話して6時に予約を入れた。

◆ ◆ ◆
丁度6時にレストランに着いた。開店したばかりで、誰もいなかった。窓際の席に案内された。

「外で夕食を食べるのは2回目ですね」

「もっと連れて来て上げればよかった。毎日夕食を作ってくれるので甘えてしまっていた」

「いいえ、お家で食べるのが好きなんです。落ち着いて食べられますから」

「準備も後片づけもいらないからたまにはいいんじゃないかな」

「そういえば亮さんも外食はあまりしていないと言っていましたね」

「理奈さんはもう分かっていると思うけど、僕は晩酌をしないと緊張が解けない方なんだ。だから外食しないで家で食べて飲んでいることが多かった。外で食べて飲むと帰るのが辛いし、せっかく酔いが回っていい気持になっているのに帰るのもおっくうだからね」

「でも亮さんは家で飲んでも乱れたことがないですね」

「そんなに多くは飲まないし、それに理奈さんがいると緊張して酔わないんだ」

「酔ってもいいですよ」

「でも酔ったらきっと嫌われる」

「酒乱なんですか?」

「そんなことはないけど、理奈さんがいやがることをしそうで」

「嫌がることって?」

「抱き締めたり、キスしたり」

「それくらいならかまいません」

「それを聞いて安心した」

「でもやっぱり酔っ払わないでください」

「分かっている」

料理が運ばれて来た。まずアペタイザーだ。

「せっかくだからアルコールを頼んでいい?」

「いいですよ」

「じゃあ、赤ワインをグラスで注文するから、理奈さんも少し飲んでみない?」

「せっかくの記念日ですから私もいただきます」

「赤ワインをグラスで二人に!」と注文してくれた。すぐに運ばれて来た。

「ちょっとだけ飲んでみて、美味しいから」

一口飲んでみるととてもおいしい。

「とっても美味しい。お料理に合いますね」

料理がどんどん運ばれてくる。食事しながら会話が弾んで楽しかった。私は勤め先のことや学生時代のことなど何でも話した。亮さんも学生時代や研究所時代のことを話してくれた。二人の間にあった見えない垣根がなくなっていくのが嬉しかった。

会話がはずんだのはよかったが、私はワインのグラスを空けてしまったのに気が付いた。弱いけど大丈夫だろうとその時は思った。でも大丈夫ではなかった。

すごく機嫌よくおしゃべりをした。そしてデザートを食べ終わるころには眠くなってきた。

「大丈夫? 少し酔った?」

「大丈夫です。とっても気持ちいいです」

立ち上がろうとしたら,脚がふらついた。亮さんが支えてくれる。

「大丈夫です」

「車を呼んでもらおう」

それからの記憶があまりない。抱えられて歩いて部屋に寝かされた。ほっとして亮さんに抱き付いたような気がする。そして抱き締められて、とても嬉しかったのは憶えている。夢を見ているようだった。

◆ ◆ ◆
(12月第1日曜日)
朝、ドアをノックする音で目が覚めた。もう9時を過ぎている。布団に寝ているが、着替えていないのに気が付いて、飛び起きた。

「キャー」

「どうした? 大丈夫か?」

「私はどうしたんですか? パジャマに着替えていないけど」

「昨日、レストランでワインを飲んで泥酔したのでタクシーに乗せて帰ってきた。それで上着だけ脱がせて寝かせてあげた」

「すみません、あまり覚えていません」

私は部屋着に着替えてからバスルームで身繕いをしてテーブルに着いた。その時はもう私は落ち着きを取り戻していた。亮さんは自分で作ったミックスジュースを飲んでいた。

「ごめん、昨日は無理にワインを飲ませてしまって」

「いいえ、とても話が楽しかったので、知らないうちに全部飲んでしまいました」

「どこまで覚えている?」

「デザートが出てきたのを覚えていますが、あとは断片的にしか記憶がありません」

「僕に抱きついてキスしたことは?」

「私に限ってそんなことはしないと思いますが」

「僕の酔っ払った経験では何となく覚えているけどね」

「そういわれると、そんなことがあったような、嬉しくなって抱きついてキスしたような」

「理奈さんは酔っ払っていたけど、抱きつかれてキスされて嬉しかった。それに大好きといってくれた。間違いなく本心だから」

「きっと無意識にそうしたかったのだと思います」

「それならなおさら嬉しい」

「私も亮さんなら酔っ払って抱き付かれてキスされてもいいです」

「そういってくれて、飲ませたかいがあった」

「でも、醜態を見せるのは今回限りとします。もう絶対に飲みません。しらふで抱きついてキスしますから」

「それならなおさらいうことはない」
(12月第1日曜日)
私は二日酔いにはならなかった。「まあ、グラス1杯のワインで二日酔いはないだろう」と亮さんは言っていた。

今日は二人でのんびり公園を散歩してから、家で過ごした。亮さんがいつも言っているように、今が一番いい時、私にもそう思えた。

「今日の夕食は早めに作ります」といって私は料理を始めた。6時には二人でテーブルに着いていた。

夕食はオムライスにした。大井町のレストランで食べたオムライスがおいしかったので、工夫してみた。亮さんは私の味つけがいいと褒めてくれた。亮さんは休日にはビールを飲まないことにしているみたい。

私が後片付けをしている間に亮さんはコーヒーを入れる準備をする。お湯を沸かして豆を二人分ミルで挽く。テレビを見ながら待っていてくれる。私がソファーに座るとコーヒーを入れ始める。私は黙ってそれを見ている。

「確かに茶道に通じるところがありますね」

2杯分できると1杯を私の前に置く。私はゆっくり一口飲んでみる。

「おいしい」

「よかった。今のこの時間が好きだ。いつも今が一番いい時に思える」

「このまえもそう言っていましたね。これまでもそうだったのですか?」

「もちろん。理奈さんが僕の入れたコーヒーを喜んで飲んでくれていた。そして美味しいと言ってくれた」

「そんなことで一番いい時に思えるんですか?」

「それ以上に何がある?」

「私を抱き締めるとかは、したくなかったのですか?」

「それはあとの楽しみにしておけばいい。その時はそれでベストだった。欲張らないで現状で満足する。そうすると今が一番と思えてくる。いつでもすべてが自分の都合のよいことばかりではないだろう。いつでも良いことと面白くないことがモザイクになっている。そうは思ないか?」

「確かにそうです。すべてうまくいっている時なんかないですよね。そしていつも移り変わっている。うまくいっていなかったことがうまくいき、順調だったことが不調になる。いつも入れ替わっています」

「それでも、きっと今が一番なんだ。そして今日の今は今しかない。昨日の今は昨日しかなかった」

「確かに今日の今は今しかないですね」

「それに、幸せなんて心の持ちようだ。幸せと思うと幸せなんだ。不満があって不幸だと思えば不幸なんだ。人間なんて欲望のかたまりで、ひとつ不満が解消するとまた別の不満が生まれてくる。人間の欲望には限りがない」

「私はずっと不幸だと思っていました。いつも何か不満があったのかもしれません」

「はたから見ると随分幸せそうに見えるけどね」

「そんなものなんですね」

「今は?」

「亮さんが私の不満を取り除いてくれました」

「それで幸せを感じている? 新たな不満が生まれていない?」

「不満じゃないですけど、してほしいことができてきました」

「ええ、何?」

「へへ……今晩も可愛がってほしいです」

「もちろん」

私が抱きつくと強く抱き締めてくれる。

「今夜は私の部屋で寝てください」

「お布団を持っていく?」

「私のお布団で一緒に寝てください」

「そうしよう」

今日は私が先にお風呂に入った。それから部屋で寝る準備をした。今日は色っぽいネグリジェにした。下着はつけなかった。

明かりを暗くして待っていると亮さんがドアをノックする。「どうぞ」と答える。

亮さんが入ってきた。いつもと様子が違うので驚いているみたい。私は布団の上で正座して頭を下げる。

「不束者ですがよろしくお願いします」

「どうしたの、改まって、新妻の初夜の挨拶みたいだね」

「入籍して初めてですから、言ってみたくなっただけです」

「こちらこそよろしくお願いします」

亮さんは我慢できなくなったみたいで私を抱き寄せた。私も抱き付く。亮さんが私を撫で始める。私は身体の力が抜けて来てうっとりとなすがままになっている。

やはり痛かった。掴まれている右手を強く握ってそれを伝える。今日はほどほどに身体を離してくれた。でも私は亮さんに抱きついたまま離れない。

それで亮さんは私を後ろに向かせて後ろから抱き締める。亮さんは布団の中で面と向かうと照れくさいらしい。

「辛そうなので、やはり最後までできなかった」

「ごめんなさい。我慢したのに」

「初めてだと普通にできるようになるまで1週間くらいはかかると同期の友達が言っていた」

「そんなこと聞いたのですか?」

「いや、自慢げに話していたから」

「その意味が僕にもようやく分かった。可愛くて愛しくて、可哀そうで無理になんてとてもできなかったんだと」

「私は初めてではありません」

「初めてと同じだ。その証拠に未だにうまくできていない。それに」

「それに?」

「シーツに出血の跡があった」

「そうなんですか?」

「想像するに、理奈さんが話してくれたその時のことだけど、女の子が嫌がっている時に力ずくでしようとしてもできるものじゃないと思う。せいぜい入口までで、彼は興奮してもらしてしまったのだと思う」

「そう言われればそうかもしれません。あの時とは痛みが違います」

「だから、理奈さんはバージンと同じだ。直感的に分かる。間違いない」

「嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気持ちです」

「僕は嬉しい。自分が初めての男だと思うとそれは嬉しい」

「でも1週間もかかるのですか?」

「分からないけど、同期はそれくらいかかったそうだ」

「我慢して頑張ります」

「頑張らなくてもいい、我慢もしなくていい、自然でいいから。僕は気が長いほうだから、1か月かかっても良いと思っている。ここまで来るのにさえ随分時間がかったから」

「分かりました」

「少しずつできるようになればいい。その方が長く楽しめる」

「楽しむんですか?」

「少しずつ絆が強くなっていくのを楽しみたい。こんな素敵で楽しいことはほかにないと思わないか?」

「ちょっと苦痛です」

「そのうち絶対に良くなるから。でも同期が注意するように言っていた」

「なんて?」

「良さを覚えさせると後が大変だと」

「どういう意味ですか?」

「言ったとおりだけど」

「そうなればいいんですけど」

「楽しみにしていればいいよ」

亮さんが私を後ろから強く抱きしめる。私は腕を掴んでいる。

「目覚ましをかけるのを忘れていました」

私は枕元の目覚ましをセットしてまたもとのように背を向けた。後ろから抱き締められる。

「こうして抱いてもらうとぐっすり眠れます。おやすみなさい」

「おやすみ」

長くて短い週末が終わった。
(12月第3水曜日)
亮さんは「今日は同期と飲むから夕食はパスします」といって出勤した。もう風俗にいったりしないことは分かっている。

10時少し前に帰ってきた。すぐに玄関まで迎えにいった。私の顔を見ると嬉しそうに笑ってくれた。

「おかえりなさい」

「ただいま。少し疲れた」

亮さんの口から「疲れた」と言うのを聞いたのは初めてだった。確かにとても憔悴して疲れているように見える。あの笑顔は私を見て本当に嬉しかったのだと思う。

「お風呂、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。心配してくれてありがとう。一息ついたらすぐに入るから、もう休んで」

いつものように私を気遣ってくれる。ありがたいけど亮さんのことが心配になる。ソファーに坐ったのでお茶を入れてあげる。

亮さんは一休みしてからバスルームへ入った。私はソファーで上がるのを待っている。でもお風呂の亮さんのことが気にかかる。

「お背中流しましょうか?」

浴室の外から聞いてみる。少し間があった。

「悪いけど流してくれる?」

それを聞いて私はパジャマを脱いで裸になった。そして浴室へ入った。亮さんは頭を洗っていた。

顔をあげて私が裸になっているのに驚いたみたい。私はもう亮さんに裸を見られるのは慣れた。浴室は明るくて恥ずかしいけど、それよりも背中を流してあげたかった。

タオルに石鹸をつけて、背中を洗いはじめると、亮さんは気持ちよさそうだ。よかった、喜んでもらえて。

今まで亮さんにしてもらうばかりで私は何もしてあげられなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でもこんなことならいくらでもしてあげられる。これで喜んでもらえるなら。

「一緒に浸かってくれる?」

「はい」

一緒にバスタブに浸かる。亮さんの前に私を招き入れる。お湯が勢いよく溢れる。そして後ろから軽く抱くように手を廻してくる。

うなじにキスされた。私は髪をアップにして留めている。思わず首をすくめたけどいやだからではなかった。くすぐったい。お礼のキス?

「ありがとう、洗ってもらっていい気持ちだった。疲れがとれる」

「喜んでもらえて嬉しいです」

「上がろう」

浴室を出ると私はバスタオルで背中を拭いてあげる。亮さんもお返しに拭いてくれる。拭き終わると「ありがとう」といって、私に軽くキスした。亮さんはとっても嬉しそうだった。よかった。

「頼みごとがあるけど聞いてくれる」

「何ですか?」

「今夜は理奈さんの布団に入れてもらえないかな?」

「良いですよ、喜んで」

「理奈さんを抱きたいとかいうよりも、一緒にいたい、いてほしい」

「お安い御用です」

亮さんは私についてきて部屋に入った。そしてお布団に入って上向きに寝転んだ。目をつむっている。

「疲れているみたいですね」

「ああ、疲れた」

「背中を撫でてあげましょうか? うつ伏せに寝てください」

亮さんは素直に身体の向きを変えた。私はゆっくりといつも亮さんがしてくれるように背中を撫で始める。

「いいもんだね、背中を撫でてもらうのは」

「そうです。とっても気持ちいいんです。いつもしてくれているではありませんか」

「そういえば、してもらったのはこれがはじめてだ。ありがとう。癒される! なぜ疲れたのかって聞かないの?」

「言いたくないと思うし、それを聞いても私は何もしてあげられないから」

「こうして撫でて癒してくれている。それで十分だ。本当に十分過ぎるくらいだ。ありがとう」

「亮さんはいつも私をこうして癒していてくれています。これくらいさせてください」

「そうか、ありがとう。このままここで眠らせてくれれば、もう言うことはない」

亮さんはすぐに眠った。やっぱりとっても疲れていたんだ。亮さんが私の腕の中で眠っている。すごく亮さんが愛おしい。きっと亮さんも私を抱いてこう思ってくれていると思うと、嬉しくなって、抱き締めた。

亮さんは「うーん」といって私を抱き締めた。きっとこれは無意識にしたことだと思う。抱き締められて幸せ!

朝、私の部屋から亮さんが起きてきた。私はもう朝食の準備を始めている。亮さんにはゆっくり寝ていてほしかったので、気づかれないように起きてきた。

私を恨めしそうにみている。起きた時もそばにいてほしかったのだと気が付いた。次からはそうしてあげよう。
(12月第3金曜日)
亮さんの背中を洗ってあげて一緒に寝た日から私たちはいっそう親密になったような気がする。

なぜかというと、亮さんの私への行き過ぎた遠慮や気遣いがなくなってきたから。それもきっと私のせいだったけど、それも私自身で取り払うことができた。

それから私は亮さんに「理奈」と呼び捨てにしてほしいと頼んだ。「理奈さん」と呼ばれると遠慮されているみたいでいやだったからだ。

亮さんは「理奈さん」という呼び方には愛しいと言う気持ちがこもっていると言ってくれた。

でも私は「理奈」と呼ばれることで亮さんのものになったと実感できるからそうしてほしいと言うと、亮さんも確かに「理奈」と言うと自分のものにしたと実感できるといって、そう呼んでくれるようになった。

「今日は一緒にお風呂に入らないか? この前、理奈に背中を洗ってもらって、とても気持ちが良くてぐっすり眠れた。今日は僕が理奈の背中を洗ってあげたい。まあ、本当はまた洗ってほしいんだけどね」

「いいですよ、一緒に入りましょう。ここのお風呂は広いから一緒に入れます。先に入っていてください。あとからすぐに入ります」

亮さんは先に入ってバスタブに浸かっている。私が入って行くとじっと見られた。でももう気にならなくなっている。

「もう恥ずかしがらないよね」

「もっと恥ずかしいことをいっぱいしていますから大丈夫です。だからこの前も入りました」

「一緒に浸かろう」

「お湯が溢れます」

「溢れたら、またお湯を入れればいいから、一緒に温まろう」

私がバスタブに入るとこの前のように亮さんは自分の前に後向きに座らせた。亮さんはもう温まっているので身体を起こして、私の身体が肩までお湯に浸かるようにしてくれる。

「お父さん子だったね。お父さんとはお風呂に入っていたの?」

「小さい時からいつも父と入っていました。父に洗ってもらうと気持ちよくて、一緒にバスタブに浸かって数を数えて、上がるとすぐに寝てしまいました」

「いつまで一緒に入っていた?」

「小学校6年生まで一緒に入っていました。中学生になったら、一人で入りなさいと言われました」

「そうだね、中学生になったら、まずいかもね。身体も大人になって来るしね」

「私は構わなかったですけど」

「お父さんが遠慮したんだね」

温まってきたので、上がって洗い合うことにした。私を洗おうとしたけど、亮さんを先に洗ってあげた。

「洗うのが上手だね。すごく気持ちいい」

「小学生の高学年になった時ぐらいから、父の背中を洗ってあげていましたから、でも随分昔のことです」

「背中を洗ってもらうのは本当に気持ちいいもんだね。眠くなってくる。背中だけでいいから」

今度は亮さんが私を洗ってくれる番だ。

「今日は背中と言わず全身を洗ってあげるから」

「背中だけでいいですから」

「いや、洗わせて、気持ちいいから」

まず、背中から石鹸をつけたタオルで洗い始めた。肩から腕、脇の下からお尻まで洗ってくれる。始めは恥ずかしかったけれど、気持ちいいのが分かって、もう為すが儘になっている。

「とっても気持ちいいです」

「じゃあ、今度は前を洗ってあげるから、立ってくれる」

亮さんは立ち上がって、上から順に肩から胸、お腹、大事なところ、脚を洗ってくれる。

私は気持ちよくて、もううっとりしている。洗い終わると、肩から順にシャワーで石鹸を流してくれた。

「終わったよ、お湯に浸かろう」

「ありがとう、とっても気持ちよかった。癒されます」

亮さんはバスタブに先に浸かって、私を亮さんの前に後向きで座らせようとしたけど、私は前向きで入って抱きついた。

亮さんは折角だからと抱き締めてくれる。いい感じ。一緒に入って洗い合ってよかった。ずっと、このままでいたいけど、二人とものぼせてしまう。

「喉が渇きました」

「上がって、冷たいものでも飲もう」

上がって、お互いにバスタオルで身体を拭き合うが、私はまだ気持ち良くてうっとりしている。

ソファーに腰かけていると、亮さんが冷蔵庫から冷たい水を持ってきてくれる。一緒にコップの水を飲む。私は亮さんに身体を預ける。いい感じ。

私の部屋に二人で入って、ひとつのお布団に入った。お風呂で身体が温まって、気持ちよくなっていたので、抱き合ったところで、二人とも眠ってしまった。

金曜日だから疲れていたこともある。これからというところなのに、めでたい夫婦だ。

明け方、目を覚ますと、昨晩眠ってしまったことに気が付いて、慌てて愛し合った。