(11月第1金曜日)
翌朝、私はいつものように朝食の準備をする。亮さんはいつものように身支度を整えてから、テーブルで私の作ったミックスジュースを飲んでいる。これまでと変わりのない朝だ。確かめたいことを聞いてみた。
「昨晩は女性とご一緒でしたか?」
「いや、同期と飲んだだけだけど」
亮さんは普通に答えたつもりのようだけど、動揺が隠せないのが分かった。鎌をかけてみる。
「洗濯して匂いで分かりました」
「匂いで?」
「女性の匂いがしました」
亮さんはもう動揺が隠せない。正直な人だ。
「そうか、御免なさい。理奈さんに分からないようにすると約束しましたが、分かりましたか」
亮さんはあっさり浮気を認めた。ショックだった。私がいるのになぜ? 理由は自分でも良く分かっている。私のせいでもある。
「やはりそうですか。謝らなくていいんです。私が認めたことですから」
素直にそう言った。亮さんも素直に認めたからだ。
「気分を害した?」
「約束した時には平気だと思っていましたが、いざとなるとショックでした」
「同期の友達に誘われて一緒に行った。理奈さんには絶対に分からないという自信があったから」
「亮さんは私のために精一杯してくれているのに、今の私のままでは亮さんを満足させてあげられていないということが改めて分かりました」
私はそれ以上何も言えない。もう行かないでほしいとは言えなかった。自分のせいだ。亮さんは悪くないと思いたかった。
でもなぜかとても悲しい。私はなぜ亮さんを拒んでいるのだろう。分からなくなった。私は黙って朝食の後片付けをした。
亮さんもどう言ったらいいか分からないようで、黙ったまま出勤の準備に部屋に戻って行った。そして「今日はいつもと同じころに帰ります」と言って出勤した。
私はしばらくテーブルに座って茫然としていた。悲しい。なぜ? 裏切られたから? 自分が招いたこと? 出かける時間だ。ひとりになって少し考えてみたい。テーブルにメモを書いた。
『実家に帰ってきます。ご心配なさらないで下さい』
無難な書き方にした。亮さんはこれをどんな気持ちで読んでくれるだろう? 今日は金曜日だから、実家に帰ってこよう。両親の顔が見たくなった。
今日は仕事に集中できなかった。仕事を終えてすぐに東京駅に向かう。18時24分の「かがやき」に乗車できた。9時には金沢に到着する。7時過ぎに実家へ電話を入れる。父が出た。
「理奈です。今、新幹線に乗っています。家には9時過ぎにつきます」
「どうしたんだ、急に、亮さんと何かあったのか?」
「いいえ、何も、ただ、両親の顔が見たくなって、家に帰りたくなったから」
「分かった、気を付けて、待っているから」
電話を終えると、携帯の電源を落とした。亮さんとは今、話したくない。しばらくそっとしてほしいと思った。
2時間半はあっという間に過ぎた。その間、居眠りしていたわけでもなかった。A席から真っ暗な外を見ていただけだった。
時計を見ていなくとも、どこを走っているのかが分かった。何も考えたくなかった。考えると自分を責めることになる。亮さんを責めることになる。
家についたのは9時を少し回ったころだった。母親がすぐに聞いてくる。
「どうしたの? 亮さんと喧嘩でもしたの?」
「いいえ、二人の顔が見たくなったから、帰ってきました。日曜には戻ります」
「亮さんから電話があったよ。携帯の電源を切っているから繋がらないといっていた。亮さんは気持ちの行き違いがあって理奈が気分を害したようだと謝っていた。日曜の朝に迎えに来ると言っていた」
それを聞いて嬉しかった。亮さんが迎えに来てくれる。期待していた訳ではなかった。でも迎えに来てほしいと思っていたのかもしれない。
自分でも分からなかったが、そうだったに違いない。迎えに来てくれることが分かったら鬱積していたものがなくなってすっきりした。自分でもこれを期待していたのだと思った。
「私の我が儘です。亮さんには心配をかけてしまいました」
「そういうことなら、こちらも安心した」
「そういうことがあってだんだん理解し合えるようになるのよ、お父さんともそうだったから」
「そうなの?」
「そんなことあったかな」
両親は痴話げんかと思ったみたいだ。そう思ってくれた方がこちらも気が楽だ。本当のことを知ったら亮さんも私もなんと言われることやら。
土曜日は一日中自分の部屋に閉じ込って亮さんとのことを考えていた。実家はいい。母親が食事を用意してくれる。それも私が好きな献立だ。呼ばれると食べに行って、また部屋に戻る。久しぶりにのんびりした。
考えることは亮さんのことばかりだ。好きになっていると思った。これまで亮さんはとても気を遣ってくれた。約束はしっかり守ってくれている。私が嫌がることはしない。
ただ、ぎりぎりの線まではしてくる。亮さんなりに何もしないと返って私に悪いと考えてのことだろうけど。
私は亮さんに何をしてあげているだろう。朝食と夕食を作ってあげている。美味しいと言って食べてくれている。でも、肝心なところでは期待に応えてあげていない。私の努力が不足していると言えば間違いなく言える。
私も努力すると約束したが、約束を十分には果たしていないことはよく分かっている。何とかしないと、また亮さんがあれを繰り返してしまう。悲しい。どうすればいいか分かっているけど、どうしても前に進めない。
(11月第2日曜日)
日曜日の朝、母と買い物に出かけることにした。亮さんが迎えに来るというので、お昼に何か美味しいものをと考えてのことだった。デパートの地下の食料品売り場の開店に合わせて出かけた。それから駅まで足を延ばして、美味しそうなお弁当とお寿司を仕入れてきた。
12時少し前に家に帰ると、もう亮さんが着いていて父と話していた。私は両親に心配をかけまいと、笑顔を作って亮さんにお礼を言った。
「迎えに来ていただいてありがとうございます。母と金沢のおいしいものを買い出しに行ってきました。お昼用と夕飯用にいろいろなお弁当も買って来ました」
亮さんは私の笑顔を見て安心したみたいだった。私も安心した。
それから買ってきたお弁当やお寿司をお昼ご飯に4人で食べた。その時に父が亮さんに言った。
「亮さんは私と似ているところがあるので安心しています。どうか、我が儘な娘をよろしくお願いします」
「分かりました。ご心配をおかけしました。もうこのようなことはないと思います」
私はそれを微笑んで聞いていた。そして私も謝った。
「本当にご心配をかけました。これからはこのようなことがないようにしますから、安心してください」
亮さんと両親に言ったつもりだった。
食事を終えると二人で駅に向かうことにした。両親は心配なのか駅まで見送りにきてくれた。
私は新幹線が動きだすまでは亮さんに話しかけなかった。でも自分の気持ちを伝えようと亮さんの手をしっかり握っていた。亮さんは私の気持ちが分かったようでほっとしたようすだった。
「ご心配かけて申し訳ありませんでした」
「ああ、心配した。でも二人で一緒に戻れてよかった。ご両親には何も話さなかったんだね」
「心配かけたくないし、私たちの約束事を説明できるはずがありません。でも父から迎えに来てくれると聞いて嬉しかったです。わざわざ迎えに来てもらって本当にありがとうございました」
「僕を試した?」
「そんなことありません。でも意識していないけど、そうだったのかもしれません」
「『神を試してはならない!』という聖書の言葉を知っている?」
「聞いたことがあります」
「僕は神ではないけれど、信じてほしい。試されると悲しくなる」
「ごめんなさい。もう二度とこういうことはしませんから」
私はずっと亮さんの手を握り続けていた。亮さんは嬉しそうに私の手を握り締めていてくれた。ご機嫌が直ったみたいで安心した。わざわざ迎えに来てくれた亮さんの気持ちがありがたかったし、また亮さんが好きになった。
翌朝、私はいつものように朝食の準備をする。亮さんはいつものように身支度を整えてから、テーブルで私の作ったミックスジュースを飲んでいる。これまでと変わりのない朝だ。確かめたいことを聞いてみた。
「昨晩は女性とご一緒でしたか?」
「いや、同期と飲んだだけだけど」
亮さんは普通に答えたつもりのようだけど、動揺が隠せないのが分かった。鎌をかけてみる。
「洗濯して匂いで分かりました」
「匂いで?」
「女性の匂いがしました」
亮さんはもう動揺が隠せない。正直な人だ。
「そうか、御免なさい。理奈さんに分からないようにすると約束しましたが、分かりましたか」
亮さんはあっさり浮気を認めた。ショックだった。私がいるのになぜ? 理由は自分でも良く分かっている。私のせいでもある。
「やはりそうですか。謝らなくていいんです。私が認めたことですから」
素直にそう言った。亮さんも素直に認めたからだ。
「気分を害した?」
「約束した時には平気だと思っていましたが、いざとなるとショックでした」
「同期の友達に誘われて一緒に行った。理奈さんには絶対に分からないという自信があったから」
「亮さんは私のために精一杯してくれているのに、今の私のままでは亮さんを満足させてあげられていないということが改めて分かりました」
私はそれ以上何も言えない。もう行かないでほしいとは言えなかった。自分のせいだ。亮さんは悪くないと思いたかった。
でもなぜかとても悲しい。私はなぜ亮さんを拒んでいるのだろう。分からなくなった。私は黙って朝食の後片付けをした。
亮さんもどう言ったらいいか分からないようで、黙ったまま出勤の準備に部屋に戻って行った。そして「今日はいつもと同じころに帰ります」と言って出勤した。
私はしばらくテーブルに座って茫然としていた。悲しい。なぜ? 裏切られたから? 自分が招いたこと? 出かける時間だ。ひとりになって少し考えてみたい。テーブルにメモを書いた。
『実家に帰ってきます。ご心配なさらないで下さい』
無難な書き方にした。亮さんはこれをどんな気持ちで読んでくれるだろう? 今日は金曜日だから、実家に帰ってこよう。両親の顔が見たくなった。
今日は仕事に集中できなかった。仕事を終えてすぐに東京駅に向かう。18時24分の「かがやき」に乗車できた。9時には金沢に到着する。7時過ぎに実家へ電話を入れる。父が出た。
「理奈です。今、新幹線に乗っています。家には9時過ぎにつきます」
「どうしたんだ、急に、亮さんと何かあったのか?」
「いいえ、何も、ただ、両親の顔が見たくなって、家に帰りたくなったから」
「分かった、気を付けて、待っているから」
電話を終えると、携帯の電源を落とした。亮さんとは今、話したくない。しばらくそっとしてほしいと思った。
2時間半はあっという間に過ぎた。その間、居眠りしていたわけでもなかった。A席から真っ暗な外を見ていただけだった。
時計を見ていなくとも、どこを走っているのかが分かった。何も考えたくなかった。考えると自分を責めることになる。亮さんを責めることになる。
家についたのは9時を少し回ったころだった。母親がすぐに聞いてくる。
「どうしたの? 亮さんと喧嘩でもしたの?」
「いいえ、二人の顔が見たくなったから、帰ってきました。日曜には戻ります」
「亮さんから電話があったよ。携帯の電源を切っているから繋がらないといっていた。亮さんは気持ちの行き違いがあって理奈が気分を害したようだと謝っていた。日曜の朝に迎えに来ると言っていた」
それを聞いて嬉しかった。亮さんが迎えに来てくれる。期待していた訳ではなかった。でも迎えに来てほしいと思っていたのかもしれない。
自分でも分からなかったが、そうだったに違いない。迎えに来てくれることが分かったら鬱積していたものがなくなってすっきりした。自分でもこれを期待していたのだと思った。
「私の我が儘です。亮さんには心配をかけてしまいました」
「そういうことなら、こちらも安心した」
「そういうことがあってだんだん理解し合えるようになるのよ、お父さんともそうだったから」
「そうなの?」
「そんなことあったかな」
両親は痴話げんかと思ったみたいだ。そう思ってくれた方がこちらも気が楽だ。本当のことを知ったら亮さんも私もなんと言われることやら。
土曜日は一日中自分の部屋に閉じ込って亮さんとのことを考えていた。実家はいい。母親が食事を用意してくれる。それも私が好きな献立だ。呼ばれると食べに行って、また部屋に戻る。久しぶりにのんびりした。
考えることは亮さんのことばかりだ。好きになっていると思った。これまで亮さんはとても気を遣ってくれた。約束はしっかり守ってくれている。私が嫌がることはしない。
ただ、ぎりぎりの線まではしてくる。亮さんなりに何もしないと返って私に悪いと考えてのことだろうけど。
私は亮さんに何をしてあげているだろう。朝食と夕食を作ってあげている。美味しいと言って食べてくれている。でも、肝心なところでは期待に応えてあげていない。私の努力が不足していると言えば間違いなく言える。
私も努力すると約束したが、約束を十分には果たしていないことはよく分かっている。何とかしないと、また亮さんがあれを繰り返してしまう。悲しい。どうすればいいか分かっているけど、どうしても前に進めない。
(11月第2日曜日)
日曜日の朝、母と買い物に出かけることにした。亮さんが迎えに来るというので、お昼に何か美味しいものをと考えてのことだった。デパートの地下の食料品売り場の開店に合わせて出かけた。それから駅まで足を延ばして、美味しそうなお弁当とお寿司を仕入れてきた。
12時少し前に家に帰ると、もう亮さんが着いていて父と話していた。私は両親に心配をかけまいと、笑顔を作って亮さんにお礼を言った。
「迎えに来ていただいてありがとうございます。母と金沢のおいしいものを買い出しに行ってきました。お昼用と夕飯用にいろいろなお弁当も買って来ました」
亮さんは私の笑顔を見て安心したみたいだった。私も安心した。
それから買ってきたお弁当やお寿司をお昼ご飯に4人で食べた。その時に父が亮さんに言った。
「亮さんは私と似ているところがあるので安心しています。どうか、我が儘な娘をよろしくお願いします」
「分かりました。ご心配をおかけしました。もうこのようなことはないと思います」
私はそれを微笑んで聞いていた。そして私も謝った。
「本当にご心配をかけました。これからはこのようなことがないようにしますから、安心してください」
亮さんと両親に言ったつもりだった。
食事を終えると二人で駅に向かうことにした。両親は心配なのか駅まで見送りにきてくれた。
私は新幹線が動きだすまでは亮さんに話しかけなかった。でも自分の気持ちを伝えようと亮さんの手をしっかり握っていた。亮さんは私の気持ちが分かったようでほっとしたようすだった。
「ご心配かけて申し訳ありませんでした」
「ああ、心配した。でも二人で一緒に戻れてよかった。ご両親には何も話さなかったんだね」
「心配かけたくないし、私たちの約束事を説明できるはずがありません。でも父から迎えに来てくれると聞いて嬉しかったです。わざわざ迎えに来てもらって本当にありがとうございました」
「僕を試した?」
「そんなことありません。でも意識していないけど、そうだったのかもしれません」
「『神を試してはならない!』という聖書の言葉を知っている?」
「聞いたことがあります」
「僕は神ではないけれど、信じてほしい。試されると悲しくなる」
「ごめんなさい。もう二度とこういうことはしませんから」
私はずっと亮さんの手を握り続けていた。亮さんは嬉しそうに私の手を握り締めていてくれた。ご機嫌が直ったみたいで安心した。わざわざ迎えに来てくれた亮さんの気持ちがありがたかったし、また亮さんが好きになった。