もうすっかり日が暮れてしまった夜道。私は「いつものことだから大丈夫」と断ったのに、「なんかあったら危ないから」といって私を家まで送ってくれる三上君は性格までいいらしい。
その帰りは二人でしばらく他愛もない話をした。私が個人的に気になったため、「三上君の家ってどんな感じ?」と聞くと、最初はその話をすることを渋っていたが、少しずつ聞いていると、彼は渋々ではあったが少しずつ話してくれた。
「俺の親、二人とも弁護士なんだよね」
「すごいね」
「もっとなんか言われるかと思った。まあいいや。で、そんなわけだから俺も弁護士を目指そうと思ってて」
「へぇっ、それは知らなかった。うん、いいんじゃないですか。頑張って」
「ありがと。でもさ、両親を弁護士に持つと、当たり前だとは思うけど、周囲からの期待がすごいんだよな。親戚からは『渚くんも将来弁護士になるのかな』って」
「確かに。私も期待しちゃうかもしれない」
「だよなー。でも、それってすげー辛い。弁護士を目指すのだって中途半端にはできないし、かといって別の仕事に就きたいって言うのだって、その人達の期待を裏切ってしまう気がするし」
そんな話をしばらく聞いていると、だんだん私の悩みなんかなんだかちっぽけに感じた。私は彼の家の裕福さを羨ましく思っていたけど、実際その裏には私が思っているより複雑なものがあるのかもしれない。
話が終わると彼は「水瀬さんはどんな感じ?」と私に尋ねた。私もあまり話したいことではなかったが、彼も渋々話してくれたということもあり、少しずつそれを口にする。
「私の家は裕福じゃないんですよ。両親は共働きで、それでも結構切り詰めてるくらい」
「そっか」
「……だから私が努力してるのは、この環境を覆したいから。親を安心させたいから。でも塾なんかは行きたいけど行けない。だから自分で頑張ろうって」
「え、ちょっと待って。塾行ってねーの?頭いいからてっきり行ってるもんだと思ってたんだけど」
「行ってないです」
「マジかぁ。尚更すげぇ」
「そうかな。ありがとう」
そんな話をしている途中、私は目の前にコンビニを見かけた。私が「少し待っていてほしい」と頼むと、彼は「外で待ってる」と言ってくれたため、私は素早く用事を済ませることにした。
私は入店して真っ先にパンコーナーへ向かった。幸いにも、今日は半額あんパンが一個だけ残っていた。やったぁと心の中ではしゃぎながらあんパンを手に取り、レジで会計を済ませる。
外に出た私は、外で待っていた彼に「ごめん待ってもらって」と言うと、彼は突然こんなことを言った。
「あのさ、俺、先生になるよ」
「え、将来についてあんなに真剣に考えてそうだったのに、この五分でもう弁護士諦めたんですか」
「あぁ、ごめん。言い方が悪かった」
なんだろう。私が不思議に思っている中、一呼吸おいて彼はこんな提案をした。
「さっき、水瀬さんは金銭的に余裕がなくて塾行けてないって言ってたよな」
「ですね」
「だから、俺が教えるよ、勉強。もし塾に行きたいっていうことだったら、こんな俺でも一応教えれるし、なんならそこら辺の教師よりうまく教えてみせるよ」
三上君はとても真面目そうにそう言った。私は驚いた。まさかそんな提案してくれるとは思ってもみなかった。でも私は慌てて首を横に振る。
「申し訳ないよ。三上君は忙しいだろうし。それに私は今まで独学で頑張ってこれてるし」
私はそう言って断ろうとしたが、彼は引かなかった。
「水瀬さんは今のままでいいって言うけど、もし何か力になれることがあるんなら手伝うよ。水瀬さんが両親が必死に働いてることを不安に思ってるみたいに、俺も水瀬さんが一人で頑張ろうとしてるの、心配なんだよ。」
どうして、こんなにも苦しいのだろう。今一言でも口にすれば、耐えかねていた何かが溢れてしまいそうだった。
何も言わない私に、三上君は話を続ける。
「だから、どうか一人で抱え込まないで。人が辛い思いをしてるなんて、俺には耐えれない。人に相談するのは勇気がいることかもしれない。でも、誰かを頼ることが大切なことだってあるから、……水瀬さん?」
「……ありがとう」
私はその言葉を聞いて胸がいっぱいになった。そして、何か大切なことに気が付いたような感じがした。まだひんやりと肌寒い夜だったが、三上君の優しさはどこまでも温かかった。
一人だけで頑張らなくてもいい、生まれもった境遇がどんなに私を追い詰めようとも、案外近くに手を差しのべてくれる人がいる。
そう実感できた今日、私は少しだけ息がしやすくなった気がした。