「君、名前はなんて言うの?」
 「……泉。片霧泉」
 「へえ、聞いたことも見たこともない名前だね!」

 それはこっちのセリフだよ、と突っ込みたくなる気持ちを押し殺し、曖昧に頷く。

 「私はねぇ、風原ひな!よろしくね!」

 おどけたように笑って、畳の上にどかっと座るひな。風原ひな、なんて名前、俺だって聞いたこともない。
 そのまま返してやりたい。

 「でも、どうしてこんなところにいるの?っていうか、どうして青子ちゃんから見えないの?」
 「俺が聞きてぇに決まってるだろ、てか、青子って誰だよ……」
 「えっ、知らないの!?知らないくせにここにいるの!?」

 俺が一番知りたいことをどんどん俺に尋ねてくるひなにイライラと頭を掻く。

 「あのなぁ……」
 「じゃあ君はユウレイだね」
 「は……?」

 ビシッと俺に向かって人差し指を向けるひなに、ポカンと口を開ける。
 ユウレイ?俺が……?
 なんでそうなるんだよ。

 「違うし」
 「じゃあどうして青子ちゃんのこともわかんないの?」
 「え……」
 「だって青子ちゃんはこの家にずぅっと住んでるんだよ?」

 そこでふと思いとどまる。
 この家って、俺のばあちゃんがずっと住んでたんだよな?他にだれかがすんでいたなんて聞いたことがない。

 ……ばあちゃんの名前って、なんだ?
 たしか、片霧……。

 「青子……」

 思わず、口から片霧に続くばあちゃんの名前が溢れる。
 そうだ、確かにばあちゃんの名前は片霧青子。でも、あんなに若くはなかった。

 「っ、どういうことだよ……」
 
 全然理解ができない。ばあちゃんの“今”はあんなではないはずだ。それなのに……。
 
 「ユウレイって本当にいるんだ!初めて見たかも……!」

 混乱している俺をよそに、彼女まじまじと俺を見る。
 俺はユウレイじゃない。だって俺、死んだ覚えはないし。鏡の前に突っ立っていたら、急に知らない世界に来たみたいな感覚に陥っただけだろう。

 「……そうだ、鏡……!」

 こんなよくわからないことになっているのは、必ずあの鏡が何か原因なんだ。
 あの鏡の中にひなが立っていたから……。

 「あ、その鏡いいよね!去年、私がバレエ習い出したら、おばあちゃんが買ってくれたの。うちは狭くて置けないからって」

 だからいつもここへ来てバレエの練習をしてるんだ、と口を緩めて語り出すひなの手が、大鏡に優しく触れる。
 違和感を覚えた。

 去年?
 去年、この鏡を買ってもらったってことか?

 腹の底から何か冷たいものが込み上げてくる。
 違う、そんなはずはない。
 だって、この大鏡は俺が生まれる前からあったって。
 そう、ばあちゃんが言っていたから。

 「う……」

 わけのわからない状態に吐き気が込み上げる。違う、そんなはずがない。

 俺が生まれる前にあったはずの鏡。
 若返っているばあちゃん。

 「ちょっと、大丈夫?顔色悪いけど……」

 ひなが心配そうに俺の顔を覗き込む。
 違うんだ、ここは絶対に俺の存在がない場所ではないはずだ。俺はちゃんと日本という国で生まれて、この家で半分育って……。
 
 俺の中に、ひとつの答えが浮かんだ。
 辻褄が合うのに、それを認めたくない。絶対にそうであってほしくないと願う俺の震える手が、それを主張していた。

 「……なあ、あんた、どこの学校通ってんの?」
 「どこって……制服見ればわかるとおり、桜川高校だけど」


 やっぱりだ。
 彼女の身につけている、時代にそぐわない制服。


 ここ、俺の今いる世界は間違いなく。
 


 ___過去だ。



 確信してしまったからには、全ての辻褄が合っていることに気づいた。

 ボーン、ボーン、と低い音を鳴らして、部屋にある時計が鳴った。見ると、見慣れていた止まっている振り子時計ではなく、しっかりと動いているデザインの変わらない振り子時計。しかも、短針は五の数字を指している。
 少なくとも、俺の物心がついたときにはもう、この振り子時計は動いていなかった。

 つまり、この時代は俺が生まれる前……なのか……?

 「それにしても泉くん、すっごく派手な格好をしてるねぇ。しかもその制服、どこの?」

 もちろん、俺が未来の人間だと知る由もない彼女は、不思議そうに俺の髪色や制服を見て首を傾げている。
 彼女の通う高校、桜川高校は、現代で言う、旧清輝校舎。俺の通っている清輝高校の旧校舎として隣に立っている木造の学校だ。

 もうすぐ廃校になる学校の代わりに通う学校の制服だ、など言えるわけがなく。
 
 「知らない。俺が死ぬ前にでも着てたんじゃないの」

 なんて、その場思いつきの言葉でしのぐことにした。こんな嘘、隠し通せる気がしない。俺がひなの立場なら普通に怪しむだろう。まずこんな時代にブレザーが登場しているのかすらわからないから。
 
 「へえー、やっぱり田舎と都会じゃ違いますな!」

 なぜか誇らしげに胸を張るひながバカでよかったと密かに思っている自分がいた。

 「別に、どっちも一緒だろ」
 「またまたぁ〜、最近のユウレイはわかってないなぁ!」

 バシン!と肩を叩かれた。

 「いって」

 ___と思った。
 反射的に声が出てしまったけれど、そんな痛みや感覚は全くないわけで。

 彼女の勢いのついた掌は、俺の肩をすり抜けて、空中を仰ぐようにからぶっていた。

 「え……」

 戸惑う俺に、何かがわかったように手を叩いた。

 「それもそっか、泉くんはユウレイだもんね。触れられるわけないか!」

 あははっと豪快に笑うひなを見ていると、なぜか俺の口元まで緩んでくる。俺とはかけ離れたポジティブ思考を持つ人は嫌いだったのに。
 なぜかこの人を、ひなを。
 拒絶しようとは思えなかった。