お経の声。白檀の匂い。
 姉の遺影は、いつ撮られたのかわからない、最後に見た姉よりもやけに幼くて綺麗な写真だった。
 私と姉が会話をしてから、ひと月昏睡状態のあと、息を引き取った。
 両親も祖父母たちも、皆泣いている。従兄弟たちはどこかしらけ切っている中、私の世話をしてくれたのは叔母夫婦だった。

「蛍ちゃん。ご飯食べられてる?」

 喪主たちが悲しみに暮れている中、叔母夫婦だけが私のことを気遣ってくれたものの、私は力なく首を振るのだけで精一杯だった。
 私は泣くことも悲しむこともできず、ただぽっかりと空いた穴を持て余していた。
 今更気付いてしまったんだ。
 姉は、余命幾ばくもない自分を嫌がっていた。だからこそ、せめて死ぬときに誰からも疎まれないようにと、誰に対しても丁寧な対応を忘れなかった。
 私はどうだったんだろう。
 余命幾ばくもない姉の妹という立場に甘えて、ただの悲劇のヒロインに陥っていただけで、なにもしていない。
 そして姉が死んだら、ただの抜け殻の私だけが残ってしまったんだ。
 そんな状態で、誰も私のことをかまってくれる訳がないじゃないか。
 気付いてしまったけれど、もう動くことすら億劫で、お通夜もお葬式も、ただ周りのすすり泣く声を聞きながら、ひとりで震えていることしかできなかった。
 姉の妹ということ以外で個性のない私は、自分のことばっかり考えて、姉のことを悲しむ暇がない。最低じゃないか。
 葬式が終わり、家に帰ってからも、私の虚脱感は抜けきれず、しばらく寝込んで学校に行くことすらできなくなってしまった。
 両親は私の寝込みようを、心配していた。でも今まで私をしっかり者だと思っていて放置していたから、どう接するのがいいのかわからないようで、うろうろしているのばかりが目に付く。

「私のことはいいから、お姉ちゃんの部屋の掃除とかしといて」

 見かねてそれしか言えなかった。私もこの十数年ずっと放置されていたので、今更「かまって」とふたりに言えるはずもなく、ふたりとの距離感の詰め方がわからなかった。
 学校に行かなくっても、当然ながら誰から心配の連絡も来ない。担任だけには忌引きの連絡をしていたため【ご愁傷様】とアプリのメッセージをくれたけど、それだけだ。全部自業自得。
 しばらく布団の中で、指一本動かせないほどにくたびれていたけれど。
 そろそろ学校に行かないと、ノートを人から借りられない私は授業についていけなくなるなと、重い体を起こそうとしたとき。
 うちのチャイムが鳴った。
 心配していた両親だけれど、いい加減仕事があるからとふたりとも出かけてしまった。さすがに娘が寝込んでいるから、食材を冷蔵庫に入れるのは忘れなくなったけれど。

「はい」
「榎本です」
「……榎本くん?」

 榎本くんだった。私は慌ててパジャマの上にカーディガンを着て、玄関に出る。
 制服を着た榎本くんが、プリントをたくさん持ってきていたのだ。

「担任に言われて来たけど。東上さん大丈夫?」
「……うん。体は大丈夫。ただお姉ちゃんが死んだことで、いろいろ疲れて寝てばかりいた」
「うん。仏壇はある? 手を合わせても平気?」
「あ……うん。どうぞ」

 うちの仏壇のセッティングを全部やってくれたのは叔母夫婦であり、姉の使っていた部屋は、今は仏壇と骨壺が置かれている。火事防止の関係で線香はあげてないけれど、代わりに毎日花と果物を供えている。
 私が案内すると、榎本くんは慣れた手つきでちりんを鳴らし、手を合わせてくれた。
 しばらく手を合わせてから、それを降ろして振り返る。

「東上さん、大丈夫?」

 また同じことを聞かれてしまった。私はそんなに駄目に見えているんだろうか。

「……本当に、体は大丈夫なんだよ。ただ、お姉ちゃんが死んで、気が抜けたというか」
「わかる。うちも、ばあちゃんの施設行きが唐突に決まったから」
「え……?」

 唐突な言葉に、私の声は上擦った。
 榎本くんの言葉は、いつも通り淡々としていた。

「何年待ちだって言われていた空きが、唐突に空いたから。今まで張ってた気が抜けて、ずっと虚脱感が抜けてないところ。東上さんも同じじゃない?」

 そう指摘されて、私はポロリと涙を流した。
 叔母夫婦だって私をさんざん心配してくれていたのに、私はそれを自分のことで精いっぱいで受け止め切れていなかった。
 でも、似た者同士だと思っている榎本くんの言葉は染みた。

「……私、お姉ちゃんのこと、最後まで嫌いになれなかった……私のもの、全部取ったのに……私の欲しいものも、時間も、お父さんお母さんも、おばあちゃんおじいちゃんも……」
「うん」
「……でも私、お姉ちゃんいなくなったら、本当になにもなくなっちゃうのに……なにもなくなった自分を……認められなくって……」
「……俺じゃ駄目?」

 本当に世間話のように言われて、私は嗚咽を漏らしたまま、榎本くんを見た。
 彼は淡々としたままだった。

「ずーっと介護してて、今から普通の高校生に戻れって言われて、途方に暮れているところだけど、ひとりでぼーっとしてても仕方ないし、一緒に途方に暮れない?」

 その言葉は、今まで私の欠けていたものを埋めるには、充分だった。

 私たちは、普通からぽいっと外れてしまった。普通の高校生のやり方がわからないし、今から一生懸命勉強しても、ちゃんと大学生になれるのか、就職できるのかさえも、定かではない。
 おまけにお互い、いろんなものが欠けている。多分ひとりじゃもう立つこともできないけれど、互いにもたれあいながらなら、なんとかやっていける。
 ふたりでどこまで行けるか、試してみようか。
 私は「よろしく」とべそをかいた。

<了>