四章

 二日ぶりに目を覚ました柚子に、子鬼が飛びついてくる。
「あい~」
「あーい」
「子鬼ちゃん、ごめんね」
 心配そうにする子鬼をなだめる。
 玲夜は柚子の隣でベッドに腰掛け、本家に連絡している。
 柚子が目覚めたことを千夜と沙良に報告しているのだ。
 また迷惑をかけてしまって、なんと謝ったらいいのやら。
 柚子自身は二日も眠っていたとは思えないほど体調はいい。
 むしろ調子がいいほどだ。
 けれど、玲夜は心配なのか、まだベッドの上の住人となっている。
 これから鬼龍院おかかえの医者がやって来るので、医者の許可が出るまで着替えるのすら駄目だと言われてしまった。
 柚子のことになると心配性になる玲夜の悪いところが出る結果となった。
 本当になんともないのだが、逆に玲夜が二日も目覚めなかった時の立場を想像すると文句が言えないので、柚子は仕方なく大人しく医者が来るのを待っている。
 どうやら電話が終わったらしく、玲夜がスマホをサイドチェストの上に置く。
 そして、柚子を横抱きにして膝の上に乗せた。
 柚子の首筋に顔をうずめる玲夜に、柚子は気恥ずかしそうに身じろぎすると、なにを思ったか柚子の首筋に吸い付いた。
 首筋に感じるわずかな痛みに、柚子は言葉を詰まらせる。
「れれ玲夜!」
 激しく動揺する柚子は、顔を赤くする。
 うろたえる柚子とは反対に、冷静そのものな玲夜はやや半目で恨めしそうに柚子を見る。
「仕置きだ。まったく、最近の柚子には心配をかけられてばかりだからな」
「うっ……」
 痛いところを突かれる。
 それを言われると柚子としても文句が言えないではないか。
「でも、神様がしたことなのに……」
 決して柚子が望んで心配をかけさせるようなことをしているわけではない。
「今度会ったら二度と顔を見せるなと言っておけ」
「それ、撫子様が聞いたらブチ切れると思うよ」
 誰よりも神を崇拝しているように感じる撫子である。
 神へ不満を述べるなど許されそうにない。
 当然のように龍も文句を言うだろう。
「俺の柚子を何度も呼び出す奴には当然の苦情だ」
 玲夜はそうとうお怒りらしい。
 今、神が目の前にいたら殴りかかりそうな勢いだ。
「まあ、私はなんともないから」
「当然だ。なにかあれば苦情だけで許すわけがないだろ」
 玲夜の眼差しが本気すぎてちょっと怖い。
 ご機嫌斜めの玲夜をどうにかこうにかなだめながら、しばらくして医者がやって来た。
 体調に問題なしというお墨付きをもらい、やっとこさベッドの住人を脱して、遅い朝食を取ることに。
 二日ぶりの食事なので、胃に優しい雑炊が卓に並ぶ。
 出汁のきいた熱々の雑炊を胃に収めてから、ほっとひと息つく。
「アオーン」
「にゃーん」
 ゴロゴロと喉を鳴らしてみるくが柚子に頭を擦りつけ、まろは柚子の膝の上で丸くなる。
 この夏の日に熱いものを食べたせいか、暑くなってきた。
 持っていたヘアゴムで髪を後ろでひとつに結いあげようとしていると、その様子を見た雪乃が困ったように止める。
「奥様。髪を結ぶのはやめておいた方がよろしいかと」
「どうしてですか?」
 分かっていない柚子に、有能な雪乃はなにも言わずそっと手鏡を渡した。
「お首の方に……」
 多くを語らぬ雪乃に言われるがまま首を見ると、雪乃が止めた理由が分かり柚子は恥ずかしくなった。
 そして、原因である玲夜にじとーっとした眼差しを向けた。
「玲夜、こんなとこにつけてどうするのよ~」
 思わず情けない声を出してしまう柚子が鏡で確認した首筋には、くっきりとしたキスマーク。
 向かいに座る玲夜はクスクスと意地悪く笑っている。
「さっき仕置きだと言っただろう」
「だからってこんなくっきりつけなくてもいいじゃない」
 見る者が見ればすぐにキスマークと分かる。蚊に噛まれたなんてごまかしはきかないだろう。
「透子の結婚式に出席するためにドレスを買いに行くって言ってたでしょう? これじゃあ、恥ずかしくて首元の開いた服は着られないよう」
 試着したら店員に絶対見られてしまう。そんな恥ずかしい思い、したくはない。
「なら、ちょうどいいだろ。露出の少ないドレスにしたらいい」
 玲夜の狙いは、最初からそれだったのではないかとさえ思い始める。
「着ていくドレスの目星つけてたのに……」
 がっくりとする柚子だったが、思い直す。
「結婚式までもう少し時間あるからそれまでに消えるかな?」
「なら消えたらまたつけてやる」
 玲夜なら本気でやりかねないので、首元の詰まったドレスにせざるを得なそうだ。
「そういえば、玲夜。仕事はいいの?」
 いつもならとっくに仕事に行っている時間だ。
 そういうと、玲夜から責めるような視線が返された。
「柚子が眠って起きない状況で、仕事に手がつくと思ってるのか?」
「そうでした」
 自分が元気いっぱいなために、二日間も目が覚めなかったのをすっかり忘れていた。
 最愛の花嫁がそんな状態で、平然と仕事をしていられる玲夜ではないのは、柚子がよく知っているのに。
「もしかして、玲夜寝不足じゃない?」
 今さらになって気付いた。
 いつ起きるか分からない柚子を前に、玲夜はちゃんと睡眠を取っていたのだろうか。
「問題ない」
 柚子のことは過保護なほど気を遣うのに、自分のことになると一転しておろそかになる玲夜の言葉はこういう時信用できない。
 柚子は事実を求めて雪乃へ視線を向ける。
「雪乃さん、どうでした?」
「奥様がいつ目を覚ますか分からないからと、この二日間ほとんど睡眠を取られておりません」
 あっさり主人を売った雪乃は、それだけ玲夜を心配してのことだ。
 それなのに、困ったように頬に手を当てる雪乃を、玲夜がにらむ。
 けれど、雪乃をにらむのは見当違いである。
「玲夜ったら」
 咎めるような柚子の視線はなんのその、玲夜はしれっとしている。
「玲夜を怒っちゃ駄目だよー」
「玲夜は柚子が心配なだけー」
 子鬼がすかさずフォローに回る。
 柚子の腕にひしっとすがりつく……いや、張りつく子鬼はかわいらしく、ほだされそうになるが、それとこれは別物だ。
 膝の上に乗っていたまろを横に移動させ、玲夜の腕を掴む。
「ほら、玲夜、行こう」
 柚子は腕を引っ張って立たせようとする。
「どこに?」
「部屋に。睡眠取らないと、今度は玲夜がどうにかなっちゃうよ」
「あやかしはそんなやわじゃない」
「問答無用」
 自分のせいで玲夜が倒れてしまったら、自己嫌悪に陥るに決まっている。
 自分のためにも玲夜には睡眠を取ってもらわねば。
 真剣な様子の柚子に、玲夜はクスリと笑ってされるがままに引っ張られると、寝室へ向かった。
 玲夜をベッドに寝かせて満足そうにする柚子は、ライトも消しカーテンも閉じて部屋を暗くする。
 一緒についてきたまろとみるくもベッドに上がり玲夜の足下で丸くなる。
 こうなったら皆でお昼寝だと、柚子も玲夜の横に転がった。
「気持ちよく眠れるように子守歌でも歌おうか?」
 いたずらっ子のように笑う柚子に、玲夜も優しく微笑む。
「柚子が隣にいてくれるだけで十分だ」
 柚子を腕の中に閉じ込め、少しすると玲夜は目をつぶる。
 それを見届けると、二日も眠ったというのに柚子もなにやら眠くなってきた。
 大きなあくびをして、規則正しく動く玲夜の胸に顔を寄せ眠りについた。

 翌日、柚子は玲夜とともに買い物に出かけた。
 透子と東吉の結婚式に出席する時に着るドレスを買うためだ。
 玲夜の仕事は大丈夫なのか心配になったが、玲夜いわく「桜河がなんとかする」らしい。
 副社長も務める桜河のなんと不憫なことか。
 妹の桜子はすでに高道と結婚しているというのに、桜河にはいまだ決まった相手がいないらしいのだが、玲夜がことあるごとに面倒ごとを放り投げるからではないのかと思ってきた。
「玲夜。桜河さんにはもう少し優しくした方がいいよ」
 柚子に問題が起こるたび、なにかとしわ寄せが桜河に向かっている気がして、柚子は桜河がかわいそうになってきた。
 それなのに、玲夜ときたら……。
「問題ない。桜河だからな」
 それは桜河を信頼しているからの言葉なのか、都合よく利用しやすいという意味なのか定かでないが、後者だった場合、本当に不憫すぎる。
 桜河にいつか春がやって来るのを切に願うばかりだ。
 そんな話を交えながらやって来た店。
 透子たちは洋風の結婚式をするというから、着物では浮いてしまいそうなので、ワンピースかドレスを見に来た。
 透子のドレスの色が分からないので、被らないように気をつけたいところだが、当日のお楽しみといって教えてくれない。
「玲夜は何色がいいと思う?」
「露出が少ないのだ」
「色を聞いてるんだけど……」
 困ったように笑う柚子は、チラチラと玲夜が店の中ではなく外を気にしているのに気がついた。
「玲夜? どうかした?」
「なんでもない」
「そう?」
 気のせいかと柚子はドレス選びに戻る。
「これー」
「僕はこれー」
 子鬼たちも柚子に似合いそうなドレスを選んでくれる。
 もしここに龍がいたら子鬼以上に口を出しただろうに、柚子が二日も眠っていた時から姿が見えないらしい。
 玲夜も、眠り続ける柚子のことを龍ならなにか分かるのではないかと探していたのだが、屋敷にすら帰ってきていないのだとか。
 柚子が目覚めてからも帰ってきた様子はない。
 まろとみるくならなにか知っているのだろうか。
 しかし、二匹は無言を貫いたため、いつもなら二匹の言葉を理解し教えてくれる子鬼たちもお手上げ状態のようだ。
 玲夜ですら勝てなかった霊獣なので、龍の心配はしていないのだが、自分の知らぬところでなにか起きているような気がして、なんだがすっきりとしない。
 まあ、気にしたところで柚子にできることなどたかが知れている。
 神器の捜索も難航しているようだ。
 だが、神はそこまで重要視していないと夢の中で知ったし、とりあえずは目の前に迫った結婚式のためのドレスを選ぶことに集中する。
 何着か試着して、最終的に淡い水色のドレスに決めた。
 柚子の予想だが、透子は暖色系のドレスを選ぶと思ったのだ。
 これで間違っていたら落ち込むが、柚子好みのかわいらしいデザインに一目惚れだった。
 試着した姿を玲夜に見せると、玲夜の基準もクリアしたようで、許可が下りた。
 子鬼も手をパチパチと叩いて褒めてくれ、柚子はほっとする。
 この店にはアクセサリーも置いているとあって、ドレスに合わせたアクセサリーも一緒にそろえることにした。
 さすがに今から藤悟にオーダーメイドしてもらう時間はない。
 それに、藤悟には柚子のものより大事な、主役である透子のアクセサリーを作ってもらっているところなのだから。
 会計はもちろん玲夜。
 柚子が着替えている間に、さっさと会計をすませてしまうスマートさはさすがである。
 以前に龍の力を試すためにと買って当たった宝くじの当選金だが、祖父母の家のリフォームに使っただけで、それ以降減る様子はない。
 なにせ、必要なものは全部玲夜が用意してしまうのだから。
 玲夜と暮らすようになり、最初は遠慮していたものの、結婚したのだから玲夜が稼いだお金は夫婦の共有財産という考えが根付きつつあるが、やはりまだ気後れしてしまう。
 十年、二十年と経てば、遠慮もなくなってくるのだろうか。
 それはその時になってみなければ分からない。
 包んでもらったドレス一式は、護衛の人に渡り、店まで乗ってきた車に乗せられた。
「この後はどうするの?」
 柚子としてはせっかく玲夜とふたりで外に出たのだから、デートのように過ごしたい。
 厳密にはふたりではなく、柚子の肩には子鬼がいるし、護衛の人たちも少し離れてついてきている。
 だが、まあ、これはもう仕方ないとあきらめている。
 なにせ玲夜は天下の鬼龍院。柚子はそんな彼の花嫁なのだから。
「少し歩こう」
「うん」
 柚子はすぐに帰るということにならなかったと純粋に喜んだが、どこか玲夜の様子がおかしかった。
 柚子の肩に乗る子鬼も、警戒するように目を鋭くさせているのに、柚子は気付かなかった。
 ウィンドウショッピングを楽しみながら、祖父母へのプレゼントを選ぶ。
 柚子が神に呼び出されて行方不明となった時、当然祖父母にも連絡がされていた。
 柚子が向かう場所として可能性が高いのが、猫田家か祖父母の家だからだ。
 学校でのストーカー事件の時よりも心配をさせてしまい、ふたりには申し訳ないことをしてしまったと、柚子はすぐに電話をかけて無事を知らせた。
 度重なる問題に、ふたりの心労が気になるところなので、近いうちに泊まりで遊びに行こうと計画している。
 けれど、それは透子と東吉の結婚式の後になるだろう。
 祖父母のプレゼントを買うと、特に目的もなく歩く。
 玲夜となら、そんな無駄な時間すら愛おしく感じるから不思議だ。
 柚子は玲夜と腕に掴まり、玲夜主導で歩いていたのだが、大通りから離れ、だんだんと人通りの少ない方へと誘われる。
 特に店もなさそうな裏通りに来ると、さすがに柚子もおかしいと思い始めた。
 先程までつかず離れずいた護衛の姿も見受けられない。
「玲夜?」
 柚子は玲夜の顔をうかがうように見上げるが、玲夜は無言で険しい顔をしている。
 玲夜が柚子の声に反応しないなど、通常では考えられない。
 不安げにする柚子と険しい玲夜の前に、突如として人が飛び出してきた。
 驚く柚子は、それ以上に、飛び出してきた人物に驚く。
 それは最近離婚したと聞いたばかりの穂香だった。
「穂香さん?」
 柚子は戸惑いを持って穂香を見つめる。
「先程からずっとつけていたな?」
 玲夜の問いかけに、穂香は不気味に口角を上げる。
「なんの用だ?」
「おかしいの……。同じ花嫁だっていうのに、どうして私とあなたは違うの? どうしてあなたは幸せそうに笑っていられるの? おかしい……。おかしいわ」
 そう話す穂香の目はギラギラとしている。
 穂香は持っていた小さな鞄から、手のひらに載るほどの、水晶のような透明な玉を取り出す。
「おかしなものは正すべきなの」
 ジリジリと近付いてくる穂香の異常さに危機感を抱く柚子だが、穂香の手にある玉から目が離せない。
 けれど、玲夜は気付いていないようで、危険を感じてはいない様子。
「そんな小さな玉でどうする? そんなものであやかしに勝てるとでも思っているのか?」
 穂香を挑発する玲夜と穂香の距離は、数歩で手が届くほど。
 玲夜は柚子を庇うように前に立っており、子鬼たちも柚子の肩の上でいつでも攻撃できる態勢を取っていた。
 そして、それまで姿が見えなかった護衛たちが続々と姿を見せ、穂香の退路を断つ。
 そんな中で、柚子だけが様子が違う。
 ただひたすら、じっと穂香の持つ透明な玉に目が向けられていた。
「あれは……」
 違う。普通の玉ではない。
 最初は水晶玉かガラス玉かと思ったが、そんな簡単なものではない。
 玉からオーラのようにあふれ出る、柚子の見知った力。
 そう、あれは神の力だ。
 間違うはずがない。
 神と夢で会った時も、ずっとその神聖で清らかな力を感じていたのだから。
 玉からあふれる力が神気だと感じた柚子の中に、すぐさま答えが出る。
『神器』
 どんな形をしているかも分からない、いくらでも形を変えてしまうそれは、神の力を感じ取れる神子の素質を持つ柚子でなければ見つけられない。
「玲夜っ」
 焦りを滲ませて玲夜の腕を引く。
「柚子は下がっていろ」
 そうではない。そうではないのに、うまく言葉にならない。
 そうしている間に、穂香は玲夜に向けてその玉を差し出した。
 すると、透明だった玉の中にゆらりと光が渦巻く。
 その瞬間、玲夜はめまいを起こしたようにぐらりと体がふらついた。
「っつ。……なんだ?」
 頭に手を当てる玲夜は、自分の異変に驚いている様子。
「玲夜」
 それでも、心配そうに玲夜を見あげる柚子だけは守ろように前に立っている。
「あなただけずるいわ」
 穂香は柚子に視線を向けたまま、玲夜に向かって走ってきた。
 もとより数歩で手の届く位置にいた穂香が、玲夜に近付くのはたやすい。
 周囲には護衛が何人もいるが、玲夜はそんな護衛たちよりずっと強い力を持っているあやかしだ。
 護衛たちは『玲夜の』というよりは、柚子の護衛としてつき添っている。
 そんな護衛たちは、玲夜なら簡単に穂香をあしらってしまうと思ったのかもしれない。
 だが、穂香をあしらうどころが、玲夜攻撃も防御の仕方も忘れたように、無防備に正面から穂香を受け止めてしまった。
 ドンとぶつかった穂香の手には、先程まで持っていた玉はあらず、変わりに小刀が握られ、深々と玲夜の胸に突き刺さっていた。
「……あ……玲夜ぁぁ!」
 柚子の悲鳴のような声に、護衛たちが慌てて穂香を玲夜から引き剥がし、地面に引き倒してから後ろ手に拘束する。
 その際に穂香の持っていた小刀が地面に落ちたが、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。
「玲夜。玲夜! 刺されたの?」
 玲夜が着ていたシャツには、小刀が貫通したように縦に裂け目ができていた。
 だが、どうしたことか血が出ている様子はない。
 確かに刺されたのを見たのに。
「玲夜!」
 返事のない玲夜は、呆然としたように胸を押さえ、足の力を失ったようにその場に倒れてしまった。
「やだ。やだ、玲夜! 玲夜!」
「奥様、そこをお退きください!」
 完全にパニック状態になっている柚子を、護衛のひとりが玲夜から離し、別の護衛が玲夜のシャツをまくり上げる。
 しかし、そこには刺された跡どころか傷ひとつなく、綺麗な状態の皮膚だけだった。
「えっ?」
 柚子は呆然としたように声が漏れる。
 玲夜の様子を見た護衛も、困惑した様子を隠せないでいる。
「どういうことだ? 傷がないなんて」
「玲夜様の意識は?」
「気を失っているだけのようだ」
「いったん病院にお連れした方がいいな。俺たちで勝手に判断できない」
 そんな会話をどこか遠くに聞きながら、柚子の視線は玲夜を刺した小刀へと向けられた。
 地面に転がる小刀を手に持つ。
 一見すると普通の小刀のように見えるが、神子の素質を持つ柚子からすると、どこか普通のものとは違う。
 なにがと問われたら困ってしまうが、ただの小刀ではない。
 そもそも、先程まで玉だったものが、マジックでもないのに小刀に変わるはずがない。
「玲夜にぶつかる瞬間に小刀に変わってた」
 柚子の見間違いでなければ間違いない。
「これがもしかして神器……?」
 だとしたら玲夜は神器に刺されたということになる。
 それはどんな意味を持つのだろうか。
 嫌な予感がしてならない。
 穂香ならなにか知っているはずだと、いまだ拘束された穂香に目をやり問いかける。
「穂香さん。玲夜になにをしたんですか?」
 穂香はふふふふっと、愉悦するように笑った。
「あなたの持っているそれはね、とてもすごいのよ。花嫁のための特別な道具なんですもの」
「…………」
 柚子は興奮する穂香を静かに見下ろす。
「それであやかしを刺すとね、あやかしは花嫁への興味をなくしてしまうの。花嫁にとって奇跡の道具でしょう? それのおかげで私はあの男から解放されたんですもの」
 小刀を持つ柚子の手が震えた。
 穂香の話が本当なら、これは間違いなく神器。
 そして、神器を使われてしまった玲夜は……。
 その先は考えたくなかった。
 玲夜からあやかしの本能がなくなったのだとしたら、自分はどうしたらいいのか、柚子には分からない。
 けれど、今優先させるべきなのは意識を失ってしまった玲夜だ。
 護衛が車をここまで持ってきて、気を失った玲夜を乗せる。
 柚子も急いで乗り込んで、玲夜の手を必死の思いで握り続けた。
 いろんな葛藤が柚子の中でされたが、考えるのは後だ。
 玲夜の無事を確認しなければいけないと、自分を奮い立たせた。