三章

 藤悟のお店から帰ってくると、柚子は自分の部屋でひと息ついていた。
 玲夜が帰ってくるまではまだ時間がある。
 どうしようかと考えていると、子鬼たちが窓へ向かい、閉めてあった窓を開けた。
「あーい」
「あいあい」
「子鬼ちゃん、どうしたの?」
 子鬼は窓の外を見ており、不思議に思っていると、外から龍が入ってきた。
 ここ数日、龍はちょくちょく姿を消すので、あまり柚子のそばにいないことが多かった。
 屋敷内にいるようでもなかったので、外に出ていると思っていたが、どこへ行っているのかまでは知らなかった。
 聞こうにも本人がいないのだ。
 それはまろやみるくも同じである。
 ご飯の時には帰ってくるので気にはしていない。
 なにせ二匹とも普通の猫ではない霊獣なのだから。
 だから、龍に神器について聞こうにもいまだに聞けずにいる。
 柚子としては早々に神からの依頼を果たすべく神器を探すためにいろいろと質問したいのだ。
 神器に関する情報は玲夜と千夜も待ち望んでいるので、あまり後回しにしたくない。
 神に問うのが一番早いのだろうが、昨日猫田家へ出かけた帰りに社へ寄ってみたが、神は柚子の前に現れてはくれなかった。
 桜の気配もなく、実は夢だったのではないだろうかと疑いたくなってくる。
 それとも昼間だったからいけなかったのだろうか。
 柚子が呼び出されたと同じ真夜中に見に行けばもしかして……と思うも、玲夜が夜中に出かける許可を出してくれると思えない。
 それとも神と会うためなら許してくれるだろうか。
 そこは聞いてみねば分からないだろう。
 しかし、現れるかどうか分からない存在に頼るよりは、確実に情報を持っている龍に聞くのが一番手っ取り早い。
 ようやく帰ってきた龍を逃がさぬというように、柚子は龍の胴体を鷲掴みにした。
『のあぁぁぁ! なにをするのだ、柚子!?』
「文句を言いたいのは私の方よ。いったいどこに行ってたの? ここ最近姿が見えないから困ってたんだから」
 ここぞとばかりに不満をぶつける柚子だが、龍はなんのことか分かっていない様子。
『なにかあったのか?』
「神器のこと。あなたにいろいろと聞きたいの」
『お~、なるほど』
 合点がいったというような顔をする龍を、ひとまずテーブルの上に置いて、柚子はソファーには座らず、龍と目線を合わせるように床に座り込む。
「今までどこに行ってたの?」
『あの方のところだ。ようやっと目覚めたのでちょくちょく様子を見に行っておったのだよ』
「神様は姿を見せた?」
『いいや。ずいぶんと長く眠りにつかれておったからなあ。まだ力が安定しないようだ。人間でいうと寝ぼけているというところか』
 神とは寝ぼけるのか?
 いや、龍は柚子に分かりやすいように表現してくれているだけだろう。
 どっちにしろ神が現れなかったというのは残念なお知らせだ。
 だが、とりあえずは龍から情報を仕入れるしかない。
「いろいろと聞きたいんだけど、神器ってどんな形をしているの? 大きさはどれぐらい?」
 烏羽家の人に渡すぐらいなのだから手で持てる大きさであるのは想像に難くない。
『分からぬ』
「は?」
 柚子は素っ頓狂な声をあげた。
 そして、龍を両手で力いっぱい握りしめる。
「分からないってどういうこと!?」
『ぎゃあぁぁ! 強い。掴みすぎだ、柚子!』
「そんなの今は気にしてる場合じゃないの。分からないってなに? あなたは当時、神器が烏羽家に渡された時のことを知ってるんじゃないの?」
 当時を知る生き証人。
 これほど確かなものはないはずだ。
『うぐ……。苦しい……』
 ぐてっとなった龍に、子鬼たちが慌てて駆け寄ってくる。
「柚子~」
「龍が危ないよ~」
 はっとした柚子は少し握る力を弱めた。
 霊獣である龍が、人間の握力程度でやられるわけがないのだが……。
 少々大げさな龍から手を離さないまま、再度問いかける。
「どういうこと?」
『柚子はだんだん我の扱いが雑になってきておらぬか?』
 グチグチと文句を言いながら、龍は神器について教えてくれる。
『神器とは神が作った神気の塊。それは決まった形があるものではないのだ。神が烏羽の当主に神器を渡していた時、それは水晶でできた数珠のようだった。だが、それを使う時、それは剣にもなる。他にも扇、笛、玉と、いかようにも形を変えるのだ』
「……神様はそんなものを探せと?」
『うむ』
 柚子は一気に脱力した。
 どんな無理ゲーなのだ。
『あれからずいぶんと時が経ち、今はどんな形をしているか、我でも想像がつかぬ』
「他になにか、これが神器だっていう見分け方はないの?」
『ある。それはあの方の神気から作られたもの。それゆえ、神器からはあの方の力が感じ取れる。だからこそ、あの方は鬼龍院ではなく柚子に頼まれたのだろう。神の力を感じ取れる神子の素質を持った柚子だからこそ』
「神様の力……」
 それは社がある場所で感じる澄んだ雰囲気のことだろうか。
 撫子の屋敷に訪れた時にもとても神聖な空気を感じた。
 あれが神の神気だというなら、確かに神器を探すのは柚子が適任だろう。
 透子には感じ取れなかったそれを、柚子なら分かる。
「でも、どの当たりにあるか見当もつかないのに、広いこの世界のどこにあるかなんて……」
『いや、神器を使用された可能性がある者がひとりおるであろう』
「……あっ」
 少し考えた末に柚子は声をあげた。
 芽衣を花嫁とつきまとっていた風臣だ。
 あれだけ花嫁と言っていたのに、急に興味をなくした風臣。
 神器を使われた可能性は大いにある。しかも神も同じことを言っていたではないか。
 ならば、風臣の行動範囲を調べればいい。
 それも、まだ風臣の執着が見られた借金を返す後から、その後芽衣に会って間違いだと言うまでの間、どこに行き誰に会ったかを。
「玲夜なら分かるかな」
『そやつには監視を置いていたようだし、すぐに行動を知れるのではないか?』
 可能性が見えてきたと、柚子は仕事から帰ってきた玲夜にすぐさま相談した。
「なるほど、それならかなり範囲を狭められる」
 玲夜は高道に連絡して、風臣の詳細な行動記録を送るように頼んだ。
 そして……。
「お手柄だな、柚子」
 そう微笑んで柚子の頭を撫でた。
『助言したのは我なのに……』
 部屋の隅でうじうじしている龍を、子鬼たちが慰めていた。
 風臣の行動を書いた書類は、夕食を食べる頃には届いた。
 いったん箸を置いて内容を確認する玲夜は、次第に眉間のしわを深くしていく。
「なにか分かった?」
「確かに行動と奴が会った者の記録は記されているが、少し厄介だな……」
「なにが?」
「奴は疑わしい期間の間、あやかしのパーティーに出席している。そこで多くの人物と会っているので、特定はかなり難しいかもしれない」
 そのパーティーとは、玲夜が風臣を牽制するために出席したパーティーではなかろうか。
「そういえば、そのパーティーの翌日だったかも。私が芽衣から聞いたの。間違えたって言われたって」
 パーティーの翌日に芽衣から聞いたのは、『昨日鎌崎がやって来た』であった。
 つまりはパーティーのあった日、それもパーティーが終わった後に芽衣に会いにいったことになる。
「なら、そのパーティーでなにかあったかもってこと?」
「まだ、その可能性が高いというだけだ」
 柚子は玲夜から一枚の紙を渡される。
 そこにはずらりと名前が書いてある。
「これは?」
「当日のパーティーの出席者の名簿だ。気になる人物はいないか?」
「そう言われても……」
 パーティーにはそれなりの人数が出席していたようで、柚子にも覚えのある名前もいくつか発見した。
 けれど、それだけ。
 名前を見ただけで、この人が疑わしいと名指しできるものではなかった。
 柚子は玲夜に紙を返しながら首を横に振る。
「分からない。ごめんなさい……」
 役に立たないのがもどかしい。
「いや、これだけの情報で見つけられるとは俺も思っていないから、柚子が気にする必要はない」
「うん……」
 玲夜に慰められてしまうが、こんなことで見つかるのかと柚子は心配になってきた。
 すると、玲夜は突然話を変える。
「柚子、明日パーティーがあるから、一緒に参加してくれないか?」
「パーティー?」
「ああ、急用ができた父さんの代わりに、急遽参加することになったんだ」
 玲夜が千夜に変わって会合やパーティーに出席することはよくある。
 鬼龍院グループの社長をしている玲夜と違い、千夜はいったいなにをしているのだろうかと疑問に思うことは多々ある。
 しかし、千夜は千夜で、それなりに忙しいらしい。
「私は夏休み中だし、特に予定はないから大丈夫」
「それならばよかった。そのパーティーには、先程見せた名簿に載っていた人物もいる」
 柚子ははっと玲夜の顔を見る。
「もしかしたらなにか収穫があるかもしれない」
「うん」

 そして迎えた当日。
 柚子は淡い水色のワンピースを着てパーティーに臨んだ。
 残念ながら子鬼たちと龍はお留守番である。
 今回はあやかしが多く出席するパーティーだ。
 あやかしの多くは仕事で成功した者が多くおり、自然とお金がかかった華やかなものになる。
 そういう場に玲夜の付き添いで何度か出席した経験のある柚子は、さすがに驚いたりしなくなったものの、やはり豪華さに気後れしてしまう。
 緊張した様子の柚子を見てクスリと笑う玲夜にじとっとした眼差しを向ける。
「笑わないでよ。桜子さんみたいに堂々はいかないもの」
「桜子のようにする必要はない。柚子は柚子らしくあればいい」
「私らしくしてたら絶対に鬼龍院に恥を掻かせちゃうこら駄目」
 なにせ柚子の実態は小心者の庶民である。
 せめて取り繕うぐらいのことはしなくては。
「俺がいるだろう?」
 柚子だけしか目に入っていないというに柔らかく微笑む玲夜に、柚子は頬を染めるが、外野からも押し殺した女性の悲鳴が起こる。
 そっと視線を移動させると、先程の玲夜の微笑みにノックアウトされた女性たちがクラクラしていた。
 気持ちは大いに分かるが、自分だけの玲夜を横取りされたようで、ちょっと嫉妬してしまう。
 そんな自分に柚子は苦笑した。
「柚子、とりあえず挨拶をしていくが、なにか気になることがあったらすぐに俺に教えてくれ」
「うん。分かった」
 神器の持つ神気は神子の素質がある柚子でないと分からないので、柚子の感覚だけが頼りである。
 柚子は意識を集中させながら、ひとりまたひとりと挨拶を重ねていく。
 けれど、今のところ神気を感じるどころか、変わった様子もない。
 そして、次となった時、柚子は見知った人と出会う。
「穂香さん……」
 初めて出席した花茶会で会った、穂香であった。
 花茶会が逃げ場だと訴え、結婚を喜ぶ柚子に噛みついてきた彼女とは一度しか会っていないが、記憶に強く残っていた。
 花嫁であることを喜ぶ柚子とは違い、息苦しさを感じている様子だった。
 隣にいるのは彼女の旦那だろうか。
 ニコニコとした微笑みを携えており、人当たりはよさそうに見える。
「おや、玲夜様の奥方は私の妻を覚えていてくださいましたか?」
「は、はい。もちろんです。花茶会でいろいろとお話をさせていただきましたし」
 柚子の口から『花茶会』という言葉が出ると、穂香の旦那は顔をしかめる。
「花茶会、ですね」
 なにやら棘を感じるのは柚子の気のせいだろうか。
「鬼龍院様の奥方や孤雪様のなさることを非難したくはないのですが、花茶会などというものは早々に解散させてほしいものです」
 険のある物言いに柚子は首をひねる。
「なにか問題でもありますか? 花嫁たちが気楽に過ごせる素敵な会だと思いますが」
「素敵……。本当にそうでしょうか。無理やり旦那から花嫁を引き離してしまう、忌むべき茶会です。私は彼女が自分の目の届かぬところに行くのが心配でならないというのに、私の気持ちも無視して、花嫁だけと言って旦那を排除する。そんな茶会が本当に必要なのか疑わしくてなりません。玲夜様もそうはお思いになりませんか?」
 口を挟ませずとうとうと語る穂香の旦那には、隣にいる穂香が見えていないのだろうか。
 怒りも悲しみも喜びも感じていない、あきらめきった表情。
 人形のように意思を感じさせない。
 旦那の肩を抱き引き寄せる手に抵抗もせず、かといって受け入れているようにも見えない、されるがままの姿。
 その顔には『無』だけがあった。
「一族にとっても大事な花嫁は、屋敷の中で旦那の目の届くところにいなければ。彼女には私しか必要としない。私も彼女以外いらない。花嫁とはそうあるべきだ」
 本気で言っているのだろうか。
 しかし、穂香の旦那は心の底から思っているのだろう。
 疑いすらしていないように感じる言葉に、柚子はなんとも言えない気持ちになりながら玲夜を見上げる。
 以前に、透子にも、花茶会で会った他の花嫁にも自分は恵まれていると告げられたのを柚子は思いだした。
 確かに目の前の彼を見ていると自分はかなり自由にさせてもらっていると自覚する。
 穂香がもっと花茶会に出席したいと撫子に訴えていた理由がよく分かった。
 愛だと言えばそれまでだが、かごの鳥のようにまるで飼い殺しにされているみたいだ。 
 もし自分が玲夜以外の花嫁だったら、今の自由がなかったのかと考えると、他人事に思えない。
「花茶会は花嫁には必要なものだ。俺は別に柚子を閉じ込めたいわけではない。鳥籠の中に入れて鑑賞したいわけでもない。俺は柚子が柚子らしく生きている姿が好きなんだ。生きながらに死んだ顔が見たいためじゃない」
「玲夜……」
 毅然とした玲夜の姿に、穂香の旦那が気圧される。
 穂香も目を大きくして玲夜を見つめていた。
「そ、そうですか。……まあ、花嫁への考え方は人それぞれですからね」
 無理やり話を終わらせると、彼は別の話題へと変える。
「そうそう。そう言えば、以前に玲夜様と話をしていた鎌崎という方ですがね……」
 柚子と玲夜はぴくりと反応する。
「自分の花嫁を間違えたというんですよ。そんな間違い起こり得るものなのでしょうかね? 玲夜様はどう思われますか?」
 穂香の旦那はなにか意図したわけではなさそうだが、ここで風臣の話が出るとは思わなかった。
 すると、それまで黙ったままだった穂香が口を開く。
「旦那様、それは本当でしょうか?」
「いや、どうせデマかなにかだろう。あやかしが花嫁を間違うなど、神のいたずらとしか思えないからね」
 はははっと軽快に笑う穂香の旦那を前に、柚子と玲夜は言葉を失う。
 穂香の旦那もまさかその通りだとは思うまい。
 いや、わざわざこんな話を出すなんて、彼が神器を持っているのではないのか。
「柚子。なにか感じるか?」
 耳打ちする玲夜の声を聞きながら、柚子は目の前の穂香の旦那に集中する。
 しかし、感じるものはない。
「なにもない、と思う……」
 柚子は自信なさげに答えた。
「そうか」
「でも……」
 なんだろうか。
 この言い知れない気持ち悪さは。
 喉に小骨が引っかかったような不快感。
 後もう少しで手が届きそうなのに届かないようななにか。
 ふと穂香を見ると、穂香は顔を俯かせ小さく笑っていた。
 きっとそれが見えたのは柚子だけだろう。
 その様子に違和感を覚えるも、特に何事も起こらぬまま、ふたりは去っていった。
 柚子は先程の穂香が気になった。
「柚子? なにかあったか?」
「ううん、なんでもない」
 穂香が笑っていたからなんだというのだ。
 別におかしなことではない。
 柚子は違和感がありつつも、口には出さなかった。