「あら、血が出てるわね。どうしたの?」
「バスケしてたらゴールのとこで腕擦って」
彼はそう言うとテッシュで押さえていた傷口部分を畑中先生へと見せる。
私は今のうちに保健室を出ようとソファから立ち上がった。
すると「なぁ、飴ちゃん食う?」と手当てを受けていた彼が私に話しかけてきたのだ。
この質問でただ首を横に振るのは失礼だよね?
(な、何か言わなきゃ)
私がそう考えていると、彼は話を続けた。
「母ちゃんが朝、ポケットに突っ込んできてん。こんなようさんいらんって言うたのに。おかげでポケットパンパンや」
「大阪のおばちゃんがよう飴ちゃんくれるあれ、なんやろな?」と言うと彼は大きく口を開けて笑った。
大阪のおばちゃんのことを不思議そうに語る彼が話すのは関西弁。
「おーい、聞いてる?」
何の反応もよこさない私に、彼はひらひらと手を振った。
き、聞き入ってる場合じゃなかった。
えっと、何を聞かれてたっけ?
あっ、確か飴を食べるかって……。
(早くメモに返事を書かなくちゃ)
「織田くん、あのね」
私が黙り込んだのを見かねて、畑中先生が口を開く。
こういう状況は初めてじゃない。
私は『大丈夫です』という意味を込めて先生に視線を送った。
そうだ、メモに返事を書くよりも先に私が話せないことを伝えないと。
私は手に持っていたメモとペンをソファへと置き、代わりに生徒手帳を取り出した。
余白の1ページ目には私が失声症を患っていること、それによって話せないこと、耳は聞こえていることが簡潔に書いてある。
そのページを織田くんと呼ばれる彼に向けた。
書いてある文章を読むために、織田くんの視線が動く。
そして、数秒の沈黙が続いたあと「ああ噂で……聞いたことある」と口にした。
私が筆談やジェスチャーを使って話すうちに、一部の生徒の間で『話せない子がいる』と噂になっていたのだ。