メモとペンはポケットにある。
だから、行ける。
それなのに、足はその場から一歩も動かない。
腕時計に目をやると次の授業が始まるまであと6分。
帰る時間に4分……いや走れば3分。
それでも残りは3分しかない。
私は一度深く深呼吸をすると、メモに《突然、すみません。7組の狩野です。織田くんはいますか?》そう書き殴った。
私が失声症を患ってからも、里菜ちゃんはずっと側にいてくれた。
畑中先生は私に居場所をくれて、寄り添ってくれた。
そして、織田くんは私と話すのが楽しいと言ってくれた。
皆がこんな私でもいいんだって思わせてくれた。
今の私は決してマイナスなんかじゃないんだって。
(よし、行ける。私ならできる!)
織田くんから二人の話はよく聞いていた。
確か茶髪でピアスを開けている方がミヤくん。
黒髪で八重歯が印象的なのが幸太郎くん。
メモを持った私は手前にいた幸太郎くんの肩をトントンと叩いた。
そして、さっき書いたばかりの文章を二人に見せる。
すると幸太郎くんは「あー!もしかして狩野乙葉ちゃん!?」と口にした。
続いて隣にいたミヤくんが「ああ、飴の子な」と付け加える。
失声症の子でもなければ、保健室の子でもない。飴の子。
気を遣ってそう言ってくれたのか、それとも本当に飴のイメージだったのか。
それはわからないが、少し気持ちが軽くなった。
「えっと、狩野乙葉ちゃんであってる?」
名前を呼ばれてから黙り込んだままだった私に今度はミヤくんがそう尋ねる。
(へ、返事しなきゃ……!)
私は二人に向かって大きく頷いた。
「あってて良かった。翔吾ならさっき保健室に行ったよ。なんか4限の途中から体調悪いってずっと寝てたから、そんなにしんどいなら保健室行けよって。な?幸太郎」
「ああ。本当は昼休みに行きたかったみたいだけどな」