6時を過ぎると暗くなってきた。春になったとはいえ、夜は冷えるから少し厚着をして出かける。
マンションを出て大通りを公園の方に歩いて行くことにした。電車で行ってもいいが、ここからは歩ける距離だし、時間もそんなに変わらない。久恵ちゃんにそれを言うと、歩きたいと言った。
マンションを出るとすぐに久恵ちゃんが腕を組んできた。目をやるともう当然のことのように腕を組んでいる。こちらは嫌な訳がない。ご厚意に甘えることにした。いい感じだ。
12~3分で公園についた。思っていたよりも人が多い。ゴーというような音がする。人ごみの音だ。
「すごい人だね」
「東京はどこへ行っても人が多いですね」
「でもそれが当たり前になると、だんだん人ごみに慣れてくる。人が多いと何故か安心感があるから不思議だ。皆と同じことをしているという安心感かもしれないね」
「私も慣れてくるかしら」
「自然と慣れてくる。そのうち都会の生活が良くなってくるから」
「私も都会の絵の具にすっかり染まってしまうのかしら」
「良しにつけ悪しきにつけ、染まらないと生きていけない。でも大丈夫だから、僕が久恵ちゃんを守ってあげるから」
「パパは結婚しないの? 誰か良い人いないの?」
「いない。この歳になったから、もう考えないことにした。マンションを買ったのも一人での老後に備えるためだったから」
「そうなんだ」
久恵ちゃんは何か言いたげだったけど、それからは何か考え事をしているようで黙ってしまった。
桜が満開で照明に映えてとても綺麗だ。人が多いからもう腕を組んで歩けない。それでも手を繋いで桜を見上げながら公園を一回りする。
突然、久恵ちゃんの手が離れた。驚いて足元を見ると転んで倒れていた。すぐに起こそうとするが立てないみたい。
「大丈夫か?」
「足首が」
「ひねったかな、捻挫したかもしれない。いつもよりヒールが高かったからかもしれないね」
今日買ってあげた白い靴をそのまま履いてきていた。何とか起き上がらせるが、足首が痛くて歩けないという。困った。大通りまで行けばタクシーを捕まえられるが、ここではどうしようもない。
もうこうするしかないと、久恵ちゃんの前にかがみ込む。久恵ちゃんもそれが何をしようとしているのかすぐに分かったみたいだった。少し間をおいて僕の背中に身体を預けた。
ゆっくり立ち上がる。大人をおんぶするのは初めてだ。久恵ちゃんは意外と軽かった。これなら何とか大通りまで歩いて行けそうだ。
おんぶして歩いていると道を開けてくれる。皆何事かと好奇の目で僕たちを見ている。そんなことを気にしてはいられない。早く大通りまで行ってタクシーを拾おう。
背中の久恵ちゃんは黙ったまましっかり抱きついている。背中に二つの柔らかいものを感じる。それがなんだかすぐに分かった。その感触からそんなに大きくはないが間違いない。背中に神経が集中する。
それに手は久恵ちゃんのおしりというか太ももを抱えている。柔らかい太ももだ。その感触もたまらない。ずっとこのまま歩いていたい! でも早く大通りまで行かなくては! 複雑な思いで一生懸命に歩いた。
ようやく大通りが見えるところまで来た。人ごみも空いてきた。
「もうすぐ大通りだ。大丈夫か? すぐにタクシーを拾うから」
「大丈夫です」
「歩いてみる?」
「このままおんぶして行って下さい」
「分かった」
大通りに着いて、久恵ちゃんを下ろして、タクシーが通りかかるのを待っている。久恵ちゃんは何とか立ってはいられるようだけど、僕に摑まったままで歩こうとしない。
ようやくタクシーが捕まった。乗り込んで段差の少ないマンションの裏口までの道順を説明する。着くまでの間、久恵ちゃんは黙り込んで僕に寄り掛かったままだった。
ようやくマンションの裏口に到着した。僕が先に降りて久恵ちゃんが降りるのに手を貸す。タクシーが戻って行った。
久恵ちゃんは歩こうとしないで立ったままだ。おんぶしてほしいの意思表示か? 背を向けてかがみ込むと背中に身体を預けた。望むところだ。黙って抱き付いてきた。
エレベーターに乗ってようやく部屋までたどり着いた。ソファーに座らせる。
「大丈夫か?」
「捻挫したみたいです」
「今日は土曜日でこの時間だから、このままここで手当てして様子を見よう」
「手当てしてください」
「まず、氷で冷やそう。それから湿布する。今日はお風呂はやめておいた方がいい。下手に入ると悪化するから」
「そうします」
すぐに氷を持って来て濡れタオルで包んで足首に巻いて冷やす。小さな可愛い足だ。それから自分の部屋に戻って湿布薬を探す。確か買い置きがあったはずだった。すぐに見つかった。これでいい。
こんな場合、始めは冷して後から温めるが基本だ。お風呂は禁物! 足首が冷えたところで、湿布薬を張って、その上からまた氷で冷やす。
落ち着いてきたところでコーヒーを入れる。久恵ちゃんの手にカップを持たせる。
「これで一応の処置をしたから様子を見よう」
「ありがとうございました。私の不注意でした。はしゃいでしまってご免なさい」
「いや、今日は渋谷に出かけたり、夜桜見物に歩いて行ったりして、それに新しい靴だったから疲れて足に負担がかかったからだと思う。僕の配慮が足りなかった」
「おんぶしてもらって嬉しかったです」
「いや、いいんだ、こちらこそ」
それから後は久恵ちゃんが気にするだろうから言わなかった。でも僕の背中に胸が当たっていたことや太ももを抱えていたことは本人が一番分かっているはずだ。
久恵ちゃんは足を引き摺りながら部屋に入って行った。おやすみ!
◆ ◆ ◆
日曜日は朝から雨だった。外は寒そうだ。こういうのを花冷えというのか? やはり昨晩、夜桜見物に行っておいてよかった。
久恵ちゃんはまだ寝ているみたいなので、今日一日は僕が食事を作ることにした。
久恵ちゃんの部屋で物音がして起きたのが分かったので、ドア越しにそれを伝えると「すみませんがお願いします」との返事があった。
食事の準備ができるたびに部屋に呼びに行った。朝食の後に湿布薬を張り替えた。特段腫れてもいなかった。月曜日になっても良くならなければ整形外科に行けばいい。
それから一日安静にしていたら良くなってきたみたいで、夜はお風呂に入った。
月曜の朝にはすっかり良くなったみたいで、朝食をいつもどおり作ってくれた。手当てがよかったのか,嘘のように捻挫は直っていた。
ひょっとして捻挫のふりをしていた? そんなことはないと思う。でもありかもしれない。
いずれにしても、久恵ちゃんをおんぶして良い思い出ができてよかった。今も残っている背中の柔らかい二つの感触を大切にしたい!
マンションを出て大通りを公園の方に歩いて行くことにした。電車で行ってもいいが、ここからは歩ける距離だし、時間もそんなに変わらない。久恵ちゃんにそれを言うと、歩きたいと言った。
マンションを出るとすぐに久恵ちゃんが腕を組んできた。目をやるともう当然のことのように腕を組んでいる。こちらは嫌な訳がない。ご厚意に甘えることにした。いい感じだ。
12~3分で公園についた。思っていたよりも人が多い。ゴーというような音がする。人ごみの音だ。
「すごい人だね」
「東京はどこへ行っても人が多いですね」
「でもそれが当たり前になると、だんだん人ごみに慣れてくる。人が多いと何故か安心感があるから不思議だ。皆と同じことをしているという安心感かもしれないね」
「私も慣れてくるかしら」
「自然と慣れてくる。そのうち都会の生活が良くなってくるから」
「私も都会の絵の具にすっかり染まってしまうのかしら」
「良しにつけ悪しきにつけ、染まらないと生きていけない。でも大丈夫だから、僕が久恵ちゃんを守ってあげるから」
「パパは結婚しないの? 誰か良い人いないの?」
「いない。この歳になったから、もう考えないことにした。マンションを買ったのも一人での老後に備えるためだったから」
「そうなんだ」
久恵ちゃんは何か言いたげだったけど、それからは何か考え事をしているようで黙ってしまった。
桜が満開で照明に映えてとても綺麗だ。人が多いからもう腕を組んで歩けない。それでも手を繋いで桜を見上げながら公園を一回りする。
突然、久恵ちゃんの手が離れた。驚いて足元を見ると転んで倒れていた。すぐに起こそうとするが立てないみたい。
「大丈夫か?」
「足首が」
「ひねったかな、捻挫したかもしれない。いつもよりヒールが高かったからかもしれないね」
今日買ってあげた白い靴をそのまま履いてきていた。何とか起き上がらせるが、足首が痛くて歩けないという。困った。大通りまで行けばタクシーを捕まえられるが、ここではどうしようもない。
もうこうするしかないと、久恵ちゃんの前にかがみ込む。久恵ちゃんもそれが何をしようとしているのかすぐに分かったみたいだった。少し間をおいて僕の背中に身体を預けた。
ゆっくり立ち上がる。大人をおんぶするのは初めてだ。久恵ちゃんは意外と軽かった。これなら何とか大通りまで歩いて行けそうだ。
おんぶして歩いていると道を開けてくれる。皆何事かと好奇の目で僕たちを見ている。そんなことを気にしてはいられない。早く大通りまで行ってタクシーを拾おう。
背中の久恵ちゃんは黙ったまましっかり抱きついている。背中に二つの柔らかいものを感じる。それがなんだかすぐに分かった。その感触からそんなに大きくはないが間違いない。背中に神経が集中する。
それに手は久恵ちゃんのおしりというか太ももを抱えている。柔らかい太ももだ。その感触もたまらない。ずっとこのまま歩いていたい! でも早く大通りまで行かなくては! 複雑な思いで一生懸命に歩いた。
ようやく大通りが見えるところまで来た。人ごみも空いてきた。
「もうすぐ大通りだ。大丈夫か? すぐにタクシーを拾うから」
「大丈夫です」
「歩いてみる?」
「このままおんぶして行って下さい」
「分かった」
大通りに着いて、久恵ちゃんを下ろして、タクシーが通りかかるのを待っている。久恵ちゃんは何とか立ってはいられるようだけど、僕に摑まったままで歩こうとしない。
ようやくタクシーが捕まった。乗り込んで段差の少ないマンションの裏口までの道順を説明する。着くまでの間、久恵ちゃんは黙り込んで僕に寄り掛かったままだった。
ようやくマンションの裏口に到着した。僕が先に降りて久恵ちゃんが降りるのに手を貸す。タクシーが戻って行った。
久恵ちゃんは歩こうとしないで立ったままだ。おんぶしてほしいの意思表示か? 背を向けてかがみ込むと背中に身体を預けた。望むところだ。黙って抱き付いてきた。
エレベーターに乗ってようやく部屋までたどり着いた。ソファーに座らせる。
「大丈夫か?」
「捻挫したみたいです」
「今日は土曜日でこの時間だから、このままここで手当てして様子を見よう」
「手当てしてください」
「まず、氷で冷やそう。それから湿布する。今日はお風呂はやめておいた方がいい。下手に入ると悪化するから」
「そうします」
すぐに氷を持って来て濡れタオルで包んで足首に巻いて冷やす。小さな可愛い足だ。それから自分の部屋に戻って湿布薬を探す。確か買い置きがあったはずだった。すぐに見つかった。これでいい。
こんな場合、始めは冷して後から温めるが基本だ。お風呂は禁物! 足首が冷えたところで、湿布薬を張って、その上からまた氷で冷やす。
落ち着いてきたところでコーヒーを入れる。久恵ちゃんの手にカップを持たせる。
「これで一応の処置をしたから様子を見よう」
「ありがとうございました。私の不注意でした。はしゃいでしまってご免なさい」
「いや、今日は渋谷に出かけたり、夜桜見物に歩いて行ったりして、それに新しい靴だったから疲れて足に負担がかかったからだと思う。僕の配慮が足りなかった」
「おんぶしてもらって嬉しかったです」
「いや、いいんだ、こちらこそ」
それから後は久恵ちゃんが気にするだろうから言わなかった。でも僕の背中に胸が当たっていたことや太ももを抱えていたことは本人が一番分かっているはずだ。
久恵ちゃんは足を引き摺りながら部屋に入って行った。おやすみ!
◆ ◆ ◆
日曜日は朝から雨だった。外は寒そうだ。こういうのを花冷えというのか? やはり昨晩、夜桜見物に行っておいてよかった。
久恵ちゃんはまだ寝ているみたいなので、今日一日は僕が食事を作ることにした。
久恵ちゃんの部屋で物音がして起きたのが分かったので、ドア越しにそれを伝えると「すみませんがお願いします」との返事があった。
食事の準備ができるたびに部屋に呼びに行った。朝食の後に湿布薬を張り替えた。特段腫れてもいなかった。月曜日になっても良くならなければ整形外科に行けばいい。
それから一日安静にしていたら良くなってきたみたいで、夜はお風呂に入った。
月曜の朝にはすっかり良くなったみたいで、朝食をいつもどおり作ってくれた。手当てがよかったのか,嘘のように捻挫は直っていた。
ひょっとして捻挫のふりをしていた? そんなことはないと思う。でもありかもしれない。
いずれにしても、久恵ちゃんをおんぶして良い思い出ができてよかった。今も残っている背中の柔らかい二つの感触を大切にしたい!