4月から久恵ちゃんが勤め始めた。勤めるに当たって僕は社会人の先輩として父親として心構えを話してあげた。
「職場には自分と相性の良い上司と相性の悪い上司がいるのが分かるようになると思うけど、どちらも必要なんだ。僕も会社で両方の上司に付き合ってきたけど、大体、良い上司と悪い上司には交互に仕えるようになっているみたいだ。良い上司はスキルを身につけさせてくれる。一方、悪い上司は忍耐を身につけさせてくれる。両方にうまく仕えていかないと、職場では生き抜いていけないよ」
「パパ、ためになる話ありがとう」
「久恵ちゃんなら、きっとうまくやっていける」
ホテル勤務は早く帰る早番の日と遅く帰る遅番の日がある。ただ、早番の日の出勤は朝早く、遅番の日の出勤は昼からでいいので勤務時間は変わらないという。
遅番の日は午後11時ごろには帰ってくるが、顔を見るまでは心配だ。ここのところ遅くなる日は誰かにつけられているような気がすると言っていた。
まあ、この辺でストーカーとか不審者のうわさはなかったが、帰りは必ず大通り沿いの歩道を歩くように言っておいた。
11時過ぎに久恵ちゃんから携帯に電話が入った。
「パパ、やっぱり誰かにつけられている。歩くのを早めると早くするし、遅くすると遅くして一定の距離を保っている。怖い。すぐ迎えに来て」
「分かった。今どこ?」
「大通りを渡って、こちら側を歩いて、半分くらいのところ」
「すぐ行くから、落ち着いて」
すぐに玄関から駆け出して、階段を駆け下りて、大通りへ走った。
50mほど駆け足で進むと、久恵ちゃんの姿が見えたので、安心した。久恵ちゃんも僕が迎えに来たと分かって、足を速めてこちらへ近づいてきた。
久恵ちゃんの顔が引きつっている。僕に抱きついた。しっかりと抱きしめる。こんなことはめったにない。いや初めてだ。華奢な身体、良い感じだ。
いや浮かれていてはいけない。危機は去っていない。僕はすぐに後ろからくる男に身構えた。
「あれ、山本さんじゃないですか」
「今晩は、川田さん」
「どうしたんですか、そちらはお嬢さんですか?」
「まあ、そういったものです」
「誰?」
「丁度上の階に住んでいる山本さんだよ」
「ストーカーじゃないの?」
「まず、大丈夫だと思う。奥さんもおられるし」
「なんで知っているの?」
「一昨年、マンションの自治会の役員を一緒にしていたから」
「そうなの」
「山本さん、この娘がストーカーにつけられているというので、迎えに出てきました。どうも山本さんをストーカーと間違えたみたいです」
「そうですか。それは申し訳なかったです。この時間ですから、僕もストーカーか何かに間違えられないように、帰りが同じになるとお嬢さんとはいつも一定の距離を取ってあまり近づかないように歩いていました。帰るところが同じだから誤解されたみたいですね」
「速足で歩くと、速足でついてくるので怖かったです」
「僕も早く家へ帰りたかったので、一定の距離が空いていればいいと思って、速度を合わせました。誓ってストーカーなんかじゃないから」
「それなら安心しました。これからは声をかけて一緒に帰って下さい。安心ですから」
「そうします」
やれやれ勘違いでよかった。でも万が一のことがあるかもしないから用心に越したことはない。久恵ちゃんはマンションの住人とはほとんど顔を合わす機会がないからこういうことも起こるかもしれない。
久恵ちゃんとの二人だけの生活が誰からも干渉されることなく送れるのはいいことだけど、二人のほかの住人は誰も知らないというのはどうなんだろう。
知らないもの同士でお互いに干渉しないのもいいのかもしれないが、不審者がいても分からないから、同じマンションの住人の顔ぐらいは知っておきたい。だから、自治会の会合にはできるだけ出るようにしている。
部屋に帰ってくると早速小言を言われた。
「さっき、山本さんからお嬢さんですか? と聞かれたときに、『まあ、そういったものです』とか言っていたけどそれはないでしょう。ちゃんと言ってください。誤解されます」
「なんて」
「管理人さんに言ったように妻ですと。ここでは妻ということになっているのですから、辻褄が合わなくなります」
「でもそうは言えないだろう」
「だったら、正確に義理の姪というべきだったのでは、誤解されます」
「ごめん、今度から気を付ける」
確かに「まあ、そういったものです」はまずかった。でも、妻と言ったらもっと誤解される。これは言いがかりだと思う。
「職場には自分と相性の良い上司と相性の悪い上司がいるのが分かるようになると思うけど、どちらも必要なんだ。僕も会社で両方の上司に付き合ってきたけど、大体、良い上司と悪い上司には交互に仕えるようになっているみたいだ。良い上司はスキルを身につけさせてくれる。一方、悪い上司は忍耐を身につけさせてくれる。両方にうまく仕えていかないと、職場では生き抜いていけないよ」
「パパ、ためになる話ありがとう」
「久恵ちゃんなら、きっとうまくやっていける」
ホテル勤務は早く帰る早番の日と遅く帰る遅番の日がある。ただ、早番の日の出勤は朝早く、遅番の日の出勤は昼からでいいので勤務時間は変わらないという。
遅番の日は午後11時ごろには帰ってくるが、顔を見るまでは心配だ。ここのところ遅くなる日は誰かにつけられているような気がすると言っていた。
まあ、この辺でストーカーとか不審者のうわさはなかったが、帰りは必ず大通り沿いの歩道を歩くように言っておいた。
11時過ぎに久恵ちゃんから携帯に電話が入った。
「パパ、やっぱり誰かにつけられている。歩くのを早めると早くするし、遅くすると遅くして一定の距離を保っている。怖い。すぐ迎えに来て」
「分かった。今どこ?」
「大通りを渡って、こちら側を歩いて、半分くらいのところ」
「すぐ行くから、落ち着いて」
すぐに玄関から駆け出して、階段を駆け下りて、大通りへ走った。
50mほど駆け足で進むと、久恵ちゃんの姿が見えたので、安心した。久恵ちゃんも僕が迎えに来たと分かって、足を速めてこちらへ近づいてきた。
久恵ちゃんの顔が引きつっている。僕に抱きついた。しっかりと抱きしめる。こんなことはめったにない。いや初めてだ。華奢な身体、良い感じだ。
いや浮かれていてはいけない。危機は去っていない。僕はすぐに後ろからくる男に身構えた。
「あれ、山本さんじゃないですか」
「今晩は、川田さん」
「どうしたんですか、そちらはお嬢さんですか?」
「まあ、そういったものです」
「誰?」
「丁度上の階に住んでいる山本さんだよ」
「ストーカーじゃないの?」
「まず、大丈夫だと思う。奥さんもおられるし」
「なんで知っているの?」
「一昨年、マンションの自治会の役員を一緒にしていたから」
「そうなの」
「山本さん、この娘がストーカーにつけられているというので、迎えに出てきました。どうも山本さんをストーカーと間違えたみたいです」
「そうですか。それは申し訳なかったです。この時間ですから、僕もストーカーか何かに間違えられないように、帰りが同じになるとお嬢さんとはいつも一定の距離を取ってあまり近づかないように歩いていました。帰るところが同じだから誤解されたみたいですね」
「速足で歩くと、速足でついてくるので怖かったです」
「僕も早く家へ帰りたかったので、一定の距離が空いていればいいと思って、速度を合わせました。誓ってストーカーなんかじゃないから」
「それなら安心しました。これからは声をかけて一緒に帰って下さい。安心ですから」
「そうします」
やれやれ勘違いでよかった。でも万が一のことがあるかもしないから用心に越したことはない。久恵ちゃんはマンションの住人とはほとんど顔を合わす機会がないからこういうことも起こるかもしれない。
久恵ちゃんとの二人だけの生活が誰からも干渉されることなく送れるのはいいことだけど、二人のほかの住人は誰も知らないというのはどうなんだろう。
知らないもの同士でお互いに干渉しないのもいいのかもしれないが、不審者がいても分からないから、同じマンションの住人の顔ぐらいは知っておきたい。だから、自治会の会合にはできるだけ出るようにしている。
部屋に帰ってくると早速小言を言われた。
「さっき、山本さんからお嬢さんですか? と聞かれたときに、『まあ、そういったものです』とか言っていたけどそれはないでしょう。ちゃんと言ってください。誤解されます」
「なんて」
「管理人さんに言ったように妻ですと。ここでは妻ということになっているのですから、辻褄が合わなくなります」
「でもそうは言えないだろう」
「だったら、正確に義理の姪というべきだったのでは、誤解されます」
「ごめん、今度から気を付ける」
確かに「まあ、そういったものです」はまずかった。でも、妻と言ったらもっと誤解される。これは言いがかりだと思う。