目覚めるとそこは見知らぬ部屋だった。
白い床に白い壁。
見上げたが天井は異常に高くてよく見えない。
その部屋は学校の教室ほどの広さで、見渡すと、私の他に六名がいた。
皆、私と同じように壁にもたれて座り込んだまま、周りを見回している。
ここはどこだ?
私はどうしてここにいる?
これまでの記憶がなかった。
私はゆるゆると立ち上がり部屋の出口…入り口でもあるが…の方へ歩いて行った。
扉は外され開放されている。
そこから部屋を出ると正面と左右に廊下が伸びていた。
勿論、どの廊下がどこに続いているかは分からない。
他の六名ものろのろと出口に集まってきた。
「ここはどこなんだ?」
「分からなねぇよ、そんなの、何にも思い出せねぇんだよ」
「僕もです」
「何がどうなってるんだよ」
皆、私と同じ状況のようだ」
「これからどうすんだ」
「なんか分からないけど、兎に角こんなところから出なきゃならないだろ」
「そうだな。外へ出ればここが何処か分かるかも知れない」
「でも、どっちへ行く?」
「この先はどうなってるんだ」
「行って大丈夫なんだろうか」
訳の分からないところだ、どんな危険が待っているか分からない。
何となく連帯意識を持った我々は、一緒に行動しようという事になった。
「左へ伸びている廊下から順番に行ってみたらどうだろう。行き止まりだったらまたここに戻って真ん中を行ってみるとか」
「そうだな」
我々は一列になり先ずは左の廊下を進んだ。
私は先頭から三番目を歩いた。
歩きながら私はある事に気付いた。
前を歩く二名の背中に何か書いてある。
それは何か記号のようにも見えたが意味は不明だ。
先頭を行く者の背中に書いてあるものと二番目を進む者の背中に書いてあるものは微妙に違って見える。
すると、私の背中にも何か書いてあるのだろう。
我々にこんなことを仕掛けた誰かが書いたものかも知れないが、今のところ書かれた内容も、書かれた意味も不明だ。
無機質で単調な廊下はしばらく進むと右に折れていた。
右に曲がってさらに進むと、左右に伸びる廊下に出た。
その廊下の左右にはいくつもの入り口があった。入口と言っても扉はない。
「どうする?」
廊下に出た我々は迷った。
どの入り口を選べばいいかという根拠など何一つない。
七名でアレコレと議論した後、結局ここからはそれぞれの判断で単独行動しようという事になった。
廊下の壁は、そう厚くない。
壁の向こうを誰かが通ればその音は聞こえそうだ。
その時は互いに確認しながら進もうと言い合った。
私は、廊下に出たところから右に五番目、今いるところからから最も離れた入口から入る事にした。
そこに決めた根拠はない、なんとなくだ。
今の状況でどれを選べばいいか等分からないのだから、どれを選んで進んでも同じだ。
入り口を入っていくと丁字路や十字路がいくつも出てきたが、その度に適当な道を選びどんどん歩いて行った。
時々壁の向こう側を誰かが歩いている音が聞こえた。
その度に声を掛け合って進む。
人生とはこういうものだろうか。いくつもの分岐点で自分が行く先を決めて進んでいく。
しかし人生の分岐点では少なくともその先にあるものを想定して進んで行ける。
それに比べて今私が進んでいる廊下の分岐はその先に何があるのかも分からないし想定もできない。
目標? 今私は何の為にひたすらこの白い廊下を歩いているのだ?
ここから出る為だ、そうだ、こんな場所から一刻も早く脱出する為だ。
そんなことを考えながら目のまえの分岐で右の廊下を選んで進むと、左右に伸びる廊下に出た。その廊下の左右にはいくつもの入り口がある。
「うん?」
この風景は何となく見た事がある。
「そうか」
そこは先ほど五番目の入り口を選んだ時の廊下だ。
その廊下の七番目の入り口から出てきていた。
元に戻ってしまったのだ。
「ああ」
これでは駄目だ。もっと考えながら進まないと同じ場所をぐるぐると回ってしまう。
私は気を引き締め、八番目の入り口から入り直した。
進んでいくと最初の十字路が出てきた。
これを右折しよう。これで今、私はあの廊下と平行に進んでいる。
暫く進むと丁字路にぶつかった。
これは左だ。兎に角あの廊下から離れる方向を選択する事にした。
その時になって、私はこれが巨大迷路である事に気付いた。
これは迷路だ。
そう言えば過去にもこんな迷路を進んだことがあったような気がする。
遠い記憶でよく思い出せない。
しかし迷路なら、きっと出発地点から一番遠いところに出口があるだろう。
私はそう考え、今、私が取っている戦略は正しいと判断した。
そう言えば他の六名の物音が聞こえなくなった。
彼らはグルグルと同じところを回ってしまっているのだろうか。
進んでいくと、また丁字路が出てきた。
これは右へ進んでも左へ進んでもあの廊下とは並行であの廊下から離れる事にはならない。
取り敢えず右へ進んだ。
仮に行き止まりや右折しかないような廊下だったらここまで戻って左を選択すればいい。
進んでいくと、廊下の右壁から、行く手を遮るようにバーが伸びていた。
いわゆる「通せんぼ」の形である。
「なんだこれは。この先は行かせないという事か?」
私はバーのところまで進んだ。
くぐって進むのは十分に可能だ。
こんなもので「通せんぼ」する事に何の意味がある?
私はバーに触ってみた。
冷たい感触がする。
何気なく前後に動かすと、少しガタガタする。
どうやら後ろには動かないが前には動くようだ。
別にくぐって進んでも構わないのだが、それならここにバーを置く意味がない。
この迷路はかなり恣意的に作られている。
このバーにも意味があるに違いない。
私はバーを押した。
バーは反時計回りに動き右壁に付いた。
開放された道を、私は屈むことなく進んでいった。
さぁ、これで何かが変わるのだろうか。
私は振り返ってバーを見た。
私は目を疑った。
バーはしっかり壁に付いている。
そして廊下が…行き止まりになっていた。
さっき通って来た筈の道が壁によって閉ざされもう戻れない状態になっていた。
「これは…」
もう元の道に戻れない。
バーを押し回したことでこうなったのだろうか。
でもなんでここに壁を作る? その意味はなんだ?
「えっ、まさか?」
私は、先を急いだ、道は突き当り左に曲がっていた。
そこを進むと…突き当りになっていた。
閉じ込められた。
「罠だったか…」
絶望感が私を襲った。
これから私はどうなるのか。
いきなり訳の分からない状況に置かれ、さんざん歩かされて結局閉じ込められるだと?
そんな不条理があるか。
私をこんなところに閉じ込めてどうしようというのだ?
こんな迷路の罠に…迷路? そうだこれは迷路だ。
誰かが作為的に作ったものだ。
あのバーにしてもそうだ。ここには仕掛けがある。
このまま閉じ込めて終わりというほど単純なものではない筈だ。
そう考えた私は、廊下の壁を手で確認していった。
どこかに仕掛けのヒントがある筈だ。
すると、突き当たる少し前の左の壁が他と少し違っている事に気付いた。
床と接する部分が他に比べて緩い感じがする。
ピタッと床についていないのだ。
試しに壁を押してみた。
すると壁は向こう側へ傾き、ズンという音と共に倒れた。
目の前には廊下が続いていた。
こういう事だったか。
この隠し扉は、そしてこの道は、もしバーを押さずにくぐって進んでいたら…そして閉じ込められるという状況に置かれなかったら、知らなかったものだ。
私はこの廊下こそが出口に続いているものだと確信した。
少し急ぎ足になりながら、現れた廊下を進んでいった。
そこからも相変わらず十字路、丁字路が出てきたが、私は当初の方針通り、あの廊下を基準として、そこから離れるような選択をしていった。
暫く進んでいくと、ふっと冷たい空気に触れた気がした。
「外気か? 外が近いのか?」
私は駆け出した。
目の前の廊下は突き当たって右に曲がり、そこから廊下は長く一直線に伸びていた。
その直線コースを走っていると、壁を挟んで右側の廊下を誰かが並走して走っている音がした。
「おい、誰かいるのか」
声を掛けると
「ああ、長い廊下を走ってる。向こうから新鮮な空気を感じるんだ。出口かも知れない」
「ああ、こっちもだ。風を感じる」
並走する我々の足は次第に速くなり、その内全速力で走っていた。
長く続いた廊下に突き当りが見えた。
あそこは突き当りなのかそれとも丁字路なのか、はたまた左右のどちらかに折れて廊下が続いているのか、無機質で単調な壁が続く廊下は、突き当り直前まで行かないとその先を分からなくしている。
突き当り間近に来たとき、左に折れる廊下が見えた。
「よしっ」
私が思わず言った声と同時に
「ちくしょう」
という声がした。
「どうした?」
立ち止まって壁越しに声を掛ける。
「行きどまりだ。戻るしかない」
壁越しに悲痛な声がした。
この長い一本道を戻るのか。
「壁に仕掛けがあるかも知れないから、壁を確認しながら行ったらいい」
「仕掛け?」
「ああ、押すと倒れる壁があった」
「え? そうなのか。分かった、やってみる」
「じゃ、後でな」
そう言って私は左へ進んだ。
前方が明るい。
わたしはそこが出口であることを確信した。
光に向かって真っすぐに走る。
やがて私は明るい光に包まれた。
「やった。ついに脱出した」
その時、私は何かに掴まれる感じがした。

「やった、勝った」
アンディは叫んだ。
周りは喧噪に包まれている。
「アンディ、やったね。あんたのネズミは最高だよ」
声を掛けてきたのはサリーだ。
「俺の相棒は最高さ」
そう言ってアンディがゴールから出てきたネズミを取り上げその背中を撫でた。
そのネズミの背中にはマジックで「35」と番号が掛かれている。
ここはマウスの迷路脱出競技会場。
自分が育てたネズミを持ち込み、迷路に放して誰のネズミが一番早く迷路を脱出するかを競うのだ。
今終わったばかりの試合は決勝に残った七匹のネズミで行われた。
そこでアンディの育てたネズミが見事優勝した。
決勝に使われた迷路は難度Aのもので、迷路を歩き回っているだけでは脱出できないものだった。
途中にいくつか、潜れる程度のバーがある。このバーを潜って進んでいる内は脱出できない。潜って進めるバーを潜らずに押した時、初めて出口に向かう道が現れるという仕掛けがしてあった。
アンディのネズミはこれを見事にクリアしたのだった。
「お前は最高だよ」
アンディは自分のネズミに、もう一度言った。
「ただいまの決勝レース、優勝はゼッケン35、アンディマウスに決まりました」
場内アナウンスが流れた。
その後事務所に呼ばれたアンディは優勝でもらえる商品を現金で受けとる事にした。
現金と言ってもカードにポイントが付与されるものだ。
ネズミを育てるのにも金が掛かる。それに買いたい服もあった。
豪華な家に住み、贅沢な生活をしているアンディだが、それを維持する為にも、今の百万ポイントはデカい。
「これで暫くは今の生活を続けられる」
アンディは相棒のネズミをバッグに入れ、会場を後にした。
歩きなれた道を進んでいる時、突然目の前が真っ暗になった。

「もう三時じゃないか。そろそろ寝ないと」
そう呟きながら一郎は、「ゲームを終える」をクリックした。
今日は昼頃からずっとゲームをしていた。
今、一郎がはまっているRPGは、人生ゲームのように、いろいろな方法で金を稼いでは家を建てたり服を買ったりスキルを習得したりして、自分のキャラクターを成長させていくものだ。
一郎は自分のキャラにアンディと名付けた。
アンディには「飼育」というスキルを取得させ、ネズミを育てさせた。
ネズミの迷路競争で勝つと、優勝したネズミを育てた者に百万ポイント若しくは宝石十個がもらえるのだ。
金を稼ぐにはこれが一番効率がいいと一郎は考え、先週からアンディにネズミを訓練させてきた。
これが当たった。
こういった競技は決まった時間に開かれるが、夜中の方が参加者が少なく勝つチャンスが高い。
一郎はそこまで考えて、夜中の試合に参加させたのだった。
「さて、明日はこの金で家にプールでも造るか」
そう呟くと、壁に無造作に掛けられた作業服の他には冷蔵庫とパソコンしかない四畳半に敷かれた布団に潜り込んだ。
明日の仕事は早いのだ。
布団の中で一郎は思う、
「これまで何をやっても失敗ばかり。でも必ず成功して、この部屋を脱出してやる」