どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ。そんなどうしようもない「私」が出会った「彼」の話。え?何も話はそれてないわ、いいから聞きなさい。ほら座りなさいよ、話はそこそこ長くなるから。
 私の親はさ、今で言う毒親だったの。まあ、それに気付いたのは、あんたの歳になったくらいの頃。その歳まであれが普通だと思っていたから。「あなたのため」という言葉を免罪符に全てを強いられた。え、免罪符?うーん……なんでも許される魔法みたいな?気になるなら自分で調べなさい。ていうか歴史とかの授業で習わなかったの?覚えがないって、あんたそれ聞いてないだけでしょう。後で教科書見返しときな。続けるよ……その強要に逆らうと叩かれたり蹴られたりした。ご飯を抜かれたこともあったね。寒い外に締め出されたことも。ってそんな顔しないでよ。今でこそおかしいって分かるけど、その時はそれが普通だったんだってば。それで私が辛い思いをしてるから、それを誰かにやろうとは思わないよ。絶対に。
 「あなたのためを思って言っているのにどうして分からないの!?」ってひたすら言われた。「分かる」ことと「出来る」ことは同じではないのに。それが一緒ならこの世界は天才だらけだよね。あぁだらけ、なら天才とは言わないか。凡人の中にいるからこそ天才と呼ぶんだから。少なくとも、私はその天才の周りにいるその他大勢の凡人だった。そのお高すぎる期待に応えられる訳もなかったの。んー、ただの諦めとはちょっと違うかな。
 小さい頃って、将来の夢を聞かれても「プリキュア」とか、もう少し大きくなったら「お花屋さん」とか「ケーキ屋さん」って言う子多いよね。極端に言えば、そう言ってる子達の中に一人だけ「公務員」って言ってるみたいな。良く言えば周りより大人だった。包み隠さず言うなら、世間を斜めに見てるっていうか。純粋に夢を見なかった。でもそのくせ何もかも出来るわけじゃなかった。まあ、可愛くない子だったんだよ。で、当然出来なければ怒られる。
 だからちょっとでも怒られないように、怒られても少しで済むように顔色を伺うようになった。機嫌が良さそうだったら、どんなに体調が悪くてもにこにこした。機嫌が悪そうだったら、学校で満点のテストを貰ったとしても神妙な顔で過ごした。それは体に染み付いて、そんなことを続けるうちに自分を失った。

 ところで、あんたは「自分」ってなんだと思う?
 まあ、急に言われても分からないよね。Google大先生によると「その人自身」のことを指すんだって。曖昧だよねぇ。何?私だってGoogle使うよ。部屋の辞書?昔使ってたけど今となってはオブジェクトになってるね。文明の利器バンザイ。で、なんだっけ。あ、自分の定義づけの話か。じゃあ、自身って何だろう。体?心?戸籍とかの紙切れ?どれだと思う?じゃあここで再びGoogle先生にご登場願おう。するとなんてことだろう、今度は「自分そのもの」って書いてあるんだ。ループしちゃったね。長くなったけど、何が言いたいかと言うと「自分とはとても定義づけしにくい曖昧なもの」ってこと。 
 でもね、判別する方法はすごく簡単。あんた、今食べたいものは?……パフェ。随分と甘いものをご所望だね。話が少し難しかった?そう、流石にパフェは出せないけども、後でケーキを食べようか。あいつも帰ってくることだしね。ところで、何が言いたいか分かったかい。それが、君の「自身」なんだよ。そしてその自身が自分という訳だ。君の意見、君の意志、君の望み。それがあんた自身を形作っているというわけ。

 私はそれを失った。周りの顔色を伺って笑顔を作ってるうちに、私の意見も意志も望みも失くした。うん、かつてはあっただろうね。でも、精神的に折られ続けて持つことすらしなくなった。私の「自身」を殺したのは、他でもない私だったんだよ。もちろんきっかけは「あなたのため」なんて言ってた偽善者たちだけど。確かに「私のため」だったのかもね。でも、その裏に間違いなく大人側の事情があったのも、なんとなく分かるでしょ?それを聞こえが良いようにしたのが「あなたのため」って言葉だと思ってる。それが本当に私のためになるか、なんて彼らはどうでも良かったんじゃないかな。皮肉なもんだよ、ほんとにね。
 そんな空っぽなお人形みたいな私に、私すら価値を見出だせてはいなかった。でもそんな私を見て、評価していた物好きがいたんだよ。それが「彼」だ。

 
 意味もなくぼんやり外を眺める。
「京野さん、国語の予習見せてくれない!?」
 予習の範囲先週言われたじゃん。どうせ聞いてなかったか、別のことしてたんでしょ?それくらい家でやってこいよ。
「全然いいよ〜かなり間違えてるかもだけど」
「まじ助かる!ありがと」
「京野、黒板消してくれね?」
 何ふざけたこと言ってんだ?それくらい自分でやれよ、今日の日直はお前だろうが。
「仕方ないな〜」
 言葉を全て飲みこんで笑う。こうやって笑うことに、何か価値を感じているんじゃない。これはもはやクセのようなもので、意識しなくたって出来る。最適な答えも口調も表情も、そうプログラムされたみたいにすんなり出てくる。まるでロボットだ。いや、ロボットなら感情もなく処理するだけだからその方がいくらかマシだろう。
 なんてつまらないんだろう。なんて退屈なんだろう。そういう性格に自分でなったくせに、ふと我に返ってしまう瞬間がどうしようもなく辛い。つまらないのは、退屈なのは自分のせいだ。怖いものから逃れるために自らお人形になった。チョークの粉が塵のように舞い、視界を隠す。だから黒板消しは嫌なんだ。粉に混ざった私も価値が無いように思えるから。私がこれを嫌うように、嫌われているんじゃないかと思ってしまうから。分かってる、人はそれほど他人に興味がない。私の思い違い。
 気持ちが悪い。嫌い、なんて安っぽい言葉じゃ足りない嫌悪感。本当に、大嫌いだ。
「ケイちゃん手伝おっか?」
 ケイちゃん、と呼ばれ自分だと分からなかった。私の名字は京野《きょうの》なんだが。下の名前も結(むすぶ)なので掠ってもいない。素で間違えてるのかわざとなのか、絶妙に判断つかない。ていうかこの声、アイツだよな。
「私に言ってくれたの?」
 だがしかし、当然そんなことは表に出さずにっこりと対応する。完璧。声で予想した通り、そこにいたのは月永遊だった。これも初め「ゆう」かと思いきや「あそぶ」らしい。こちらの名前の方が、よっぽど間違えられやすいだろう。男女や学年に問わず友達が多いらしい。見るたびに違う人と一緒にいる。授業中も、調子良く先生の質問に答える姿をよく見る。生意気だが憎めないような彼を気に入っている様子の先生も多い。絵に描いたような人気者。
 しかし、私はそんな彼が正直苦手だった。言葉を選ばずに言うなら、嫌いだった。ここまではっきりした感情が出たのはかなり久しぶりな気がするので、よっぽど嫌なんだと思う。よく分からないけど。人気者、とは言えどその裏で何を考えているのか分からない。彼の笑顔がどこか影があるように思えるのだ。彼を見てそんなことを思う私は、やっぱりどうしようもなく捻くれていて、嫌になってくる。彼がどんな人かを私は詳しく知らない。が、そんな思い(偏見ともいう)からほとんど話したことはなかった。
 そんな月永遊がいきなり何の用だ。
「うん!大変そうだから」
 これは善意なんだろうか、それともたまたま目に入っちゃったけど無視するのも悪いしー的な社交辞令?え、これなんて返すのが正解?どっちだ?
「あー……大丈夫だよ、気を使ってくれてありがとう」
 ここは逃げるが勝ちだと判断。もし善意で言ってくれていたなら悪いが、社交辞令で言ってた場合が辛いので。私が。本当は背が低めの私は、上の方とか届かないので手伝ってほしい。ただ、ここで「お願い」と言ってしまうと、彼にとって面倒くさいのは確実。ここは断るのが正解だ。
「んー上の方とか消しとくよ!俺なら平気で届くし」
「えっ」
 人の話とか聞かないスタイルの人なのか?ていうか私の心読んだの?いや私の小ささは言わなくても分かるってかこの野郎。違う、彼は何も言ってない。さすがにこれはただの八つ当たりだ。
「えっと、ありがと」
 とりあえずお礼は言っておく。が、これ本当にどうしよう。いやこんなの想定してなかったんだが。
「いえいえ〜いつもありがとね」
「え、いつもって」
「いつも黒板消してないっけ、俺の気のせい?」
「あ、いや毎日ではない、けど」
 嘘だ。ほとんど毎日、その日の日直に押し付けられている。良いように使われているのは分かっている。だが、今更断るのはそれはそれで波風が立つ。正直そっちの方が面倒くさい。し、万が一それを断ったことで誰かに目付けられるのもダルい。それくらいならと言われるまま引き受けている。
 だがしかし。それを今まで誰かに手伝われたことはおろか、指摘されたことすらない。それをこいつは見ていたと言うのか。それでいいかげん居た堪れなくなって声をかけた、そういうこと?
「あり得ない……よね」
「何か言ったー?上終わったよん」
「あ、ありがと」
「困った時はお互い様!頼って良いんだよ」
 あ、こういうところか。こいつが人気なのは。さらっと人の心まで救い出す。優しくて、気がきいてて、ノリもいい。そりゃ人気にもなるわな。
「分かった、本当に助かったよ」
 まあ、二度目はないけど。口には出さないがひっそりと心のなかで思う。こいつが人気な理由が分かった。だから何だというのか。私のこれはもはや癖なのだ、今更変わりはしない。変える気もない。人気者の月永遊に関わることは危ないと本能が言っていた。色々狂わされそうになる。これからも私が彼に関わることは極力無いだろう。というか極力関わらない。

 
 と思っていた時期が私にもありました。
 頭の中にそんなテロップが流れてきそうな事態に、現在陥っています。放課後の教室、私ともう一つの動き回る影を見つめる。バレないように小さく息をついて黒板、正確には黒板の上を消してる彼に近づく。
「あの、本当に悪いから私やるよ」
「そうやって全部引き受けてきたの?」
「え」
 え、今こいつが言ったの、今のセリフを? ちなみに字面ではほとんど分からんであろう読者の皆様に説明しようと思う。声のトーンがいつもより低い。し、いつもスキップでもしているような弾むような声音なのが、今はとても平坦だ。淡々と問い詰めるような声、だった。この時の私の心情を答えよ。答え︰普通に怖い。
「別に否定はしないよ、それが京野の生き方なら」
 完全に向けていた背を反転させ目を合わせる。その顔に表情はない。いっつも鬱陶しいくらい笑っているこいつが。ていうかやっぱり名前分かってたのか、なんて頭の片隅で思う。いやそんなこと考えてる場合か?実は双子でした、なんて言われたほうが信じられるかもしれない。なんだこの変化っぷり。
「なんかさ、シンパシー感じるんだよ」
「は」
「怖いよな、嫌われるの」
 ……こいつは何を言ってる?
「笑って眺めて、なんでもはいはいって誤魔化すのが一番楽だよな」
「分かるよ、俺もそうだし」
「でもさ、ソレする度に自分が消えてく感じがすんだよね」
「心底興味ないどうでもいい話にゲラゲラ笑って、したくもないこと全部引き受けて」
「まあ、そう思ってんの俺だけっぽいけど」
 淡々と薄い唇が言葉を紡ぐ。なんとか、何か返さなくては、何か、何でもいいから。
「……そうって」
「似てるなって、俺と京野」
「本当に、いきなり何を言ってるの」
「やっぱ京野はそう思わないか。認識の違いかな」
 そこで、手に持っていた黒板消しを静かに置いた。再び振り返った彼の顔は、いつも通りだった。胡散臭いほど綺麗な笑顔。さっきまでの怖いほど無表情だった顔の面影は、どこにもない。その切り替えの速さ。
「それじゃ、これからも何かあったら勝手に手伝うね」
「え、いやちょっと待ってよ」
「どうせ呼んでねって言っても呼んではくれないだろうから」
 図星すぎて反論もできない。私が言葉に詰まっている間に、置いてあった鞄を取り悠々と教室を出ていった。なんだかやっぱり腹が立つ野郎である。そもそも、そう簡単に「似てる」なんて言う辺りが気に食わない。お前に私の何が分かるんだ。
「あれ、逆もか」
 私だって彼をよく知らない。もっと言うなら遠目からでも私を観察してたらしいあいつは、私の外側はよく見てただろう。その結果なんらかのきっかけで、私の内側まで見えたのかもしれない。だからこその、あの言葉。  
 それに対して、私はどうだろうか。私は彼の外側も外側、上っ面しか知らないと思う。しかしそこでふと、彼が本当に何も考えずに私に話しかけた可能性を思いつく。ここまで人に考えさせといて、大して何も考えてないとかだったら怒り通り越して笑ってしまう。
「もう少し観察してみようかなぁ……」
 彼女の口角が上がっていたのを知っているのは、窓の外に留まって鳴いていた鳥だけだっただろう。


「おはよー」
「え、おはよう?」
 思わず語尾に疑問符が付いた気がする。今まで大して話したこともなかったのに。こいつに挨拶なんて初めてされた。ていうかこれ、まさか物理的に距離詰めてくる気か?遠くからじっくり眺める気だったんだが、これではなかなか難しい。
「いい天気だね」
 何言ってんだこいつ。
「どっからどう見ても今日は雨じゃん、どう頑張ってもいい天気にはならないでしょ」
「『晴れがいい天気』なんて誰が決めたの?俺は雨の方が好きだから、今日はいい天気だよ」
「……そう」
 なんか本当に調子が狂う。言っていることはたしかにそうだ。晴れが好きな人が多いから、晴れ=いい天気になったんだろうか。でもそれも、本当は雨が好きでも言えてないだけなのかも。
「ケイちゃんは雨嫌い?」
「えー……分からない」
「じゃあさ、今日をいい天気だって思う?」
 聞かれてふと考えてみる。空気が湿って、じめじめする。傘を差さなきゃ濡れてしまう。水溜りを踏む度に水が跳ねる。学校でも大きな声で話さなきゃ雨音で聞こえないし、廊下も滑るし。
 でも、空気が乾燥してるよりは息がしやすい。たくさんの傘が並んでるのは綺麗だ。それに、水溜りが景色を映す一瞬。それが揺らぐ時の儚さ。思わずしちゃった失言は雨音が消してくれる。
「悪くは、ないんじゃない」
「ん?」
「天気。悪くはないんじゃない」
 僅かに目を丸めた遊は、ニッと笑って見せた。
「遊〜!おはよ♡」
 耳につく砂糖を煮詰めたような女子の声が、彼の後ろで響いた。僅かに私の顔が歪んだのが見えたんだろうか。くるっと無言でその女子の方へ去っていく。仲が良いようだし、気を悪くしたのかもしれない。後で謝った方がいいかも。でもわざわざ後で蒸し返すのも変か。大して気にしてないかもしれないし。
「どうしよ」
 久々にこんなに考えた気がする。あいつといるとなかなか退屈しないようだ、なんて上から目線で思う。結局その件は放置することにして、彼を横目で眺めることにしたのだった。

 
 視界の隅をスラックスが通り過ぎた。男子かと思ったら女子で、僅かな違和感を感じる。
「どーしたの、難しい顔しちゃって」
 またか、てかするっと現れるのなんなんだ。一体どこから出てきてるんだよ。
「別になんでもないけど」
「えー?そんな顔には見えないけどなあ、で本当は?」
「……いや、スラックスの女子がいたから」
「いたから?」
「ん、いやなんて言うんだろう」
「違和感、みたいな?」
「まあそんな感じ」
 んー、と言いながらスッと彼女が通った方を見た。そのまま視線をわずかにさまよわせる。
「ケイちゃんは私服でズボン持ってる?」
「私服でなら」
「それとさ、どう違うの」
「私服でズボン持ってるのは、好みで履くからだよね?制服を好みでスラックス履くのとどう違うの?」
「え」
「大した差は無いんじゃない、もっと自由で良いんじゃないの」
 今度は私が視線をさまよわせる番だった。さっき通り過ぎた、名前も知らない女子を思う。好きでスラックスを履いているだけかもしれない彼女を。さっきの私みたいに、奇怪なものを見る目で見られたことも多いかもしれない。あからさまに何かを言われたこともあるかも。親と揉めたりした可能性だってある。
 それでも彼女の自身を貫いているなら。それであの姿なら。それって、すごくかっこいいんじゃないだろうか。しっかりと自分を持ってるのって、すごいんじゃなかろうか。
 それに比べてさっき私のしたことは。
「そこまで重く捉えなくてもいいとは思うけどね」
 ちょっと顔を上げると苦笑している遊。こいつ、こんな顔もするのか。苦笑はしているが、その目に呆れや軽蔑の感情は見えない。ただただ、本当に笑っているだけだった。
「……視野が広いんだね」
「ん?なんで」
「いや、そんな考え方もあるんだなって」
「まあ考えってそれぞれだからさ」
 遊の目からふと光が消える。自分の目を疑った瞬間、その目には元の明るい光が戻っていた。その時、なんとなく分かった。私は、彼のことをやっぱりほとんど知らないんだな、って。


「なあなあ、京野〜英語の予習ノート貸して」
 当然のように、男子生徒が私のノートを借りに来る。まともに予習も出来ないなら、部活を辞めればいいのに。そう思う私は真面目すぎるんだろうな、とも思う。高校生らしいノリとか、多少悪でもオッケー的なの本当によく分からない。まあでもそれを誰かに言ったところで、「真面目でつまんないな〜」みたいになるだけだろうというのも分かっている。無言でノートを差し出そうとした時だった。
「あ、悪いけどケイちゃんのノートは俺が予約してたから無理だよ。他当たってねー!」
 後ろから伸びてきた腕が、スルッと私の手からノートを抜き取った。
「えーなんでだよ月永」
「どうもこうもないの、早いもん勝ちです〜」
 目の前の攻防をぼんやりと眺める。一応言っておくが、月永遊は私にノートのノの字も言っていない。当然予約なんかされた覚えもない。と、困惑しているうちにノート争奪戦は月永の勝利に終わったようだ。
「……ねえ、なんか約束してたっけ」
「まあね。はい、これ」
「えっ、使うんじゃないの」
「使わないよ?予習は家でちゃんと終わらせてきてる」
「じゃあなんで」
「何かあったら勝手に手伝うって言ったでしょ。あいつ毎回ケイちゃんに借りに行きすぎだし。ケイちゃんも嫌そうな顔一瞬してたからさ」
「あ、約束ってそっち……?」
「ノート借りるなんて話ケイちゃんとしてないもんね、驚かせちゃったか。ごめんね」
「私が言えた事じゃないけどさ、君が謝ることじゃないよね。助けてくれてありがとう」
 今度は心の底からありがとうが言えた。遊は、目を少し見開いた後にっと笑った。
「どーいたしまして」
 ちなみにノート争奪戦に敗れた男子生徒は、その後英語の先生にこっぴどく叱られていた。どうやら他の人から、予習ノートを借りられなかったらしい。それを見て振り向いた遊とクスリと笑いあった。

 
 彼は本当に不思議な人だった。困ったことがあった時、彼は何度も助けてくれた。私の考えが固まっている時は、色々な考えを聞かせてくれた。あくまで、こんな考え方もあるというように。強制するのではなく、考えさせる。丁寧に絡まった紐を解くように、「なぜそう考えるか」をちゃんと聞いてくれた。二週間ほどそんなことが続いて、私はすっかり彼に惹かれてしまったのだ。彼の話を聞く度に、初めて「自分」という人間が出来ていくような気がした。当然、彼が言ったことを鵜呑みにするわけじゃない。けど、親によって創られた私という人間が、内側から壊れていくのを感じたのだ。今まで不快だったはずのそれが、なぜだかひどく心地よかった。
「ねえ、ケーイちゃん」
「何」
 まあそんなことを表には出さないが。こいつはすぐに調子に乗るのが本当に玉にキズだと思う。
「ちょいと話があるから放課後残っててもらえる?」
「はあ、いいけど……」
 話ってなんだろ。ていうか今日部活休みなのかな、いっつも忙しくしてた印象だったが。何部だっけ。あとでクラス名簿でも確認してみるか。
「ていうかそれ、誰かに聞かれたくない話なの?今じゃだめってことは」
「まーそうだね。先に言っておきたいってカンジ」
「先に……?じゃ分かったよ、待っとく」
「ありがとケイちゃん」
 相変わらず誰か他の人がいる時は、私のことをケイちゃんと呼ぶ。それも本人なりになにかを考えた結果なのか。他の誰もしない呼び方を、彼が続けることに感じたのは僅かな優越感だった。これも初めは嫌だったのに、すっかり絆されてしまったみたいでちょっと腹が立つ。でもそれさえ心地よく感じる気がして、思わず笑ってしまった。彼といると本当におかしくなりそうだ。
「で、話って?」
 それから数時間後、放課後。外は太鼓の音(おそらく応援団部)やら怒号や掛け声(サッカー部かラグビー部、もしくはその両方)やらが聞こえる。比べて二人しかいない教室はやけに静かで、この空間だけが外と切り離されたような、夢の中のような浮遊感があった。何か一つでも違う音が混ざれば壊れてしまうような、そんな危うささえあった。
 先にそれを壊したのは遊だった。
「この空間、俺好きだわ」
「わかる」
「たぶんしばらく味わえないからさ、この空気」
「……どういうこと」
 ぼんやりと外を眺めていた彼がふっとこちらを見た。その顔はいつか見たあの表情。今なら分かる、この表情は無の感情じゃない。諦めだ。つい最近まで私がよくしていた表情だ。
――なぜ、遊がそんな顔をしている?
「俺ね、留学行くの。一週間後から、イタリアに」
「一週間後から、イタリアに。えっどういうこと!?」
「誰にも話すなって言われてたんだけどね、京野にはなんか話しておきたくて」
「誰にも話すな……?それこそ誰に言われたのさ」
「誰だと思う?」
「……」
「そんな顔しないでよ。親だよ、言ったの。もっと言うなら留学を一方的に決めたのも親」
「なんで」
「最初に言っただろ、似てるんだって」
「あ……」
「まあ留学も悪いことばっかじゃないかなって思ってるし、そもそも今更取り消しなんて出来ないからさ。本当は色々詮索されるのめんどいから、誰にも何も言わないで去る予定だったんだけど……」
 意味が分からない。いや、分かってはいるが脳が理解を拒んでいる。来週から遊が学校にいない。日本からも遠く離れた場所に行く。それも、本人は大して望んでないのに。
「どうして私に言おうと思ったの」
「さあね」
 飄々と返す遊。それを見ていると次第に腹が立ってきた。さっきまでの照れ隠しのような腹立だしさとは違う、本当の怒り。
「なにそれ」
「え」
「そんな態度なら、理由も説明しないなら言ってくれない方が良かった」
 違う、打ち明けてくれて本当は嬉しかった。
「イタリアにもどこにでも勝手に行けばいいじゃん、私にとってはどうでもいいし」
 本当は行って欲しくない。でもそんなこと言ったって困らせるだけだ。
「じゃあね、さよなら」
 鞄を引っ掴み、振り向きもせずに走る。色々な感情がごちゃまぜになる。自分は今、どんな顔をしているんだろうか。目も当てられないような、酷い顔をしているに違いない。立ち去ってよかったかもしれない。そんな顔を彼には見せたくない。
 変われたと思ってた。彼が私を変えてくれたと心の底から思ってた。確かに変わった。前の人形みたいな私ならきっと「そっか、遠い場所でも頑張ってね!」と、完璧な答えが出来ただろう。にっこりと、人に不快感を与えない表情を出来ていただろう。でも変わった結果がこれだ。傷つけてしまった。せっかく言ってくれたのに、突き放した。
 ふと、足を止める。入れ替わりのように目から雫が落ちた。あまりにも情けなくて、悔しくてどうしようもなかった。あんなことを言ってしまうくらいなら、変わらないほうが良かった。嫌われただろうな、と思ってその考えにまた嫌気が差した。自分のことしか考えてない。
 彼のおかげで自分が出来た気がした。そうやって新しく出来た自分は好きな気がした。
「仕方ないじゃない」
 私という人形に命を吹き込んだのは、他でもない「月永遊」という私と同じ人のフリした人形だった。今なら彼が「似てる」と言った意味が分かる。似てるどころの話じゃなかった。気付くべきだったのだ。彼は、確かに人の心をさり気なく助けてくれる。その人が背負っている重い荷物を引き受けてくれる。……じゃあ、彼はどうなんだろう。彼の荷物は増え続ける一方で、誰が彼を助けるんだろう。彼は日に日に増える荷物を抱え込んで、笑っていたのだ。彼に会うまでの、私みたいに。気付けなかった。私が一番分かるはずだったのに。
 自宅までの道をいつもよりゆっくり歩く。空にはいつの間にか綺麗な星が瞬いていた。それになぜか無性に腹が立つ。伸ばしても届かない光が、彼によく似ていた。

 
 それから約束の一週間が過ぎようとしていた。彼は何事も無いように、クラスメイトや知らない誰かと話している。でも、今日か明後日には彼が日本からいなくなることを知っているのは私だけみたいだった。そのことに優越感を感じかけ、その結果を思い出すたびへこんだ。
 そしてついに最後の日。
 あれから一度も話していない。何度か話しかけようとしたが、なぜだか毎回タイミングが悪い。彼と楽しそうに話す砂糖声の女子を、何度睨んだか分からない。SHRが終わった後、最後のチャンスだと彼を探す。しかし、どこにも見当たらない。そこにいたおそらく学級総務の女子に尋ねると、帰りの挨拶をするなり帰っていたという。思えばそれもそうだ。留学となれば二、三日の旅行とはわけが違うのだ。しかも海外なら特に準備は多いだろう。
 しかし、私はこれで完全に遊と話す機会を失ったことになる。せっかく仲良くなれた気がしたのに、こんな終わり方しちゃうんだ。というか最後に壊したのは自分じゃないか。何を勝手なことを言っているんだろう。また息が詰まって、何かが溢れそうになった。
 もう帰ろう、と思う。目的だった遊を捕まえて話すことはできなかったんだから。このまま彼のことを色々思い出してしまうと、泣いてしまいそうだ。教室には少ないながらも人が残っている。人前で泣くのだけは避けたかった。昇降口で靴を履き替え、ようとした。
「……手紙?」
 靴の上に置いてあったんだろうか、白い便箋がパサッと落ちてきた。ひっくり返して宛名を確認すると「京野結へ」とあった。私の名前なのでそれはまあ良い。問題無し。問題はその筆跡だ。
(この字……遊の字っぽいよな)
 そう、その宛名の字がどうにも遊っぽいのだ。彼の字はかなり特徴的で、あちこちがハネる。正しいか分からないぐらいハネる。私の名前で言うなら、結の糸へんの下のとことか。
 まさにその通りハネている糸へんを見つめながら考える。もしも、これが本当に彼からの手紙なら。
「家で読も」
 少なくとも呼び出し、は無いだろうから家でじっくり読もう。紙の厚さ的に一枚じゃなさそうなんだもん。もし万が一、他の誰かからだったら破り捨ててやろうと思ったが、それはちょっとかわいそうな気もした。太陽がいる明るい道を少し早歩きする。手紙を入れた鞄を大事に抱えて。




『京野 結へ
 本当は直接色々伝えたかったけど、まずは謝らせてほ
しい。本当にごめん。わざわざ呼び出してわけもよく説 明せず、留学に行くなんて驚かせたよな。詳しく話すと長くなるけど、イタリアにはサッカーで留学することになってる。現地のそこそこ有名なチームに入ることになった。これを京野が読んでる頃はもう飛行機の中だと思
う。本当は学校早退しろって言われてたけど、どうしてもこれが渡したかった。もし直接渡せなかったら、俺が直前で日和ったってことなので、心の中で盛大に罵倒してくれて構いません。
 なんでこれを書いたかというと、まだ伝えてないことがたくさんあるから。最初京野を見た時に、すぐに俺と同じなんだと分かった。なんでだろうな?直感みたいなもんだと思う。黒板消すの、本当は毎日だっただろ。気づいてたんだよ、見てたから。ノートだっていつも誰かに貸してた。関係ないけど京野の字大人っぽくて綺麗だよね、あの字俺好きだよ。京野はあんま好きじゃなかったみたいだけど。話がそれた。親か兄弟か、それ以外の誰かなのかまでは分からない。けど、その【誰か】に自分を奪われた人だって。同じなんだって思った。
 でもある時気づいた。京野、すごく息がしにくそうだなって。俺と同じ、って思ってたけど多分俺よりずっとキツイとこにいたんだなって。気づいたらなんか無視できなかった。でも最初、京野は俺のこと嫌いだったでしょ?京野が分かりやすいってよりは、それに気づくくらい俺が京野を見てたんだよ。
 直接伝えられなくて本当にごめん。これから書くのは俺の体験に基づく話。これを参考にするかどうかは君次第です。
 まず、人は案外単純です。いくら最初は「こいつ無理!」と思っていても長く関われば「意外といいやつ」くらいにはなります。でも、「どうしても無理」ってやつはいるのでそういう人とは一線引いたほうが楽。
 二つ目。何もかもが受け入れるのが、正解じゃないってことです。黒板消しやノートは他の人でも出来るし、そもそも自分でやれよって話。それでもし断って何か言ってくるやつがいたら、そいつがおかしいんだ。京野は何も気にしなくていい。
 三つ目。一人で抱え込まないでください。自分が一人だって思わないで。何かあったら、自分が一番信頼できるやつに相談すること。話を聞いてもらうだけでも少しは楽になるしと思うし、そういう存在がいるってだけでも少しは息がしやすくなるはず。
 ざっと、こんな感じかな。なんかめっちゃ偉そうになっちゃったかもしれない。読み終わったら焼くなり煮るなり、自由にしていいから。あともう少しお付き合いください。
 俺から見た京野は、すごく頑張り屋でしっかり者。それでいてたまに抜けてるところがかわいい。基本的に優しくて、だから人にはっきり言えない。でも芯があるような強さもある。ね、京野はすごいんだよ。だから、もっと自信を持って、自分のことを京野自身が知ってあげて。そして京野の意見をもっと周りに伝えて。君が思っているより周りの人は、君の心を知りたがってる。
 短い間だったけど、ありがとう。どうか元気で。
                月永 遊より』
 


 静かにスマホの画面を開く。クラスのグループから一人の連絡先を選び、友達に登録する。少し迷ってそれをお気に入りに登録した後、トーク画面を開く。打って、消してを何度も繰り返す。三十分以上かけて、やっと一文のメッセージを書き上げた。不必要に何度も読み返して震える手で送信ボタンを押した。


『星が綺麗ですね』
 イタリアに着き、飛行機から降りる。機内モードにしていたスマホを通常のモードに戻すと、たった一件のメッセージが届いていた。送り主の名前は【YUI】。こっそりお気に入りにしていた、一度も使ったことがないトークルーム。そこにたった一言そう表示されていた。絵文字もスタンプもないのが、あんまりにも彼女らしくて声もなく笑う。これは、彼女なりの賭けだろう。自分が分かるか、ちゃんとメッセージが届くか、その意味を俺が分かるか。その賭けに勝ったのは果たして、俺か彼女か。どっちも勝ちだな。
「たく、決めつけやがって」
「hai detto qualcosa?(何か言った?)」
「えっ、あーNo,Niente(いいや、なんでもない)」
 あっぶね基礎はイタリア語やっててよかった。つっても、本当に出来てるかはいささか不安だが。部屋に案内されて荷物を下ろす。が、すぐに外に出て真っ暗な空を眺める。曇っているのだ。星も月も見えない。日本は晴れていたがこんなに違うもんなのか。ずいぶん、離れたところまで来たものだ。
 確かに見えない、でもきっと離れた空では見えてるんだろう。――蜂蜜色の大きな満月が。
『ずっと、月の方が綺麗だよ』
 彼女のことだから意味は分かるだろう。でも追い打ちをかけるように、真っ暗な空の写真も送ってやる。真っ赤になってあわあわする彼女を想像する。うん、なかなか悪くない。
 送ったメッセージに既読が付いて、今向こうは朝か、なんて思う。本当、遠いところまで来てしまった。なんて悠長に考えていると、手の中でスマホが震えた。メッセージでバイブレーションが鳴るようにはセットしてない。鳴るようにセットしてあるのは、電話だけだ。想像通りの名前が表示されて思わずクスクスと笑う。『承認』を静かにタップする。それでも流れた一瞬の沈黙に、今度こそ声をあげて笑った。


「それでそれで!?なんて話したの?」
「それは内緒」
 カチャン、とぬるくなった紅茶のカップをソーサーに置く。悠々としたその態度はよく見慣れたもの。これ以上は話してくれない時の態度だ。心のなかでそう悟りむくれる。そんな私の顔を見たママがくすくす笑う。
「いつかあんたにもそんな相手ができるさ。そいつに正解は聞いてみな」
「私がモテないの知ってて言ってるでしょ……」
「あんたが気付いてないだけで、そうでもないんじゃないかと思うけどねえ。ま、自分で気付かなきゃ意味無いか」
「他人事だと思って……」
「実際他人事だからね、私と望はいくら親子でも他人だからさ。親だからある程度は干渉しなきゃだけど、限度はあるでしょ」
 さっきの話を思い出す。ママはかなり親に縛られて生きて来て、だからこそ、この態度。ある程度は自由に私の『望む』ままにやらせてくれる。でも、放置してるとか褒めたり怒ったりしないとか、そういうことじゃない。普通に良い成績を取ったら褒めるし、頼まれたこととかをやっていなかったら怒る。部活の自主練とかをサボっても「しなさい」とは言わない。まあ、「それであんた後悔しない?試合終わってからグチグチ言わない?」とごもっともなことを言われるので、結局は自主的にやるのだが。そういうところはパパも同じだ。仕事であんまり家にいないっていうのもあるだろうけど、基本何かを強要はしない。ちょっと離れたところから、笑って眺めてるイメージが強い。
「まあ、自由にやんなさい。望の未来は望だけが決められるんだから」
 再びぬるい紅茶を口に含む。小説家のママは話すのは苦手、と本人は言っている。でもやっぱり言葉選びとか話の構成とかが上手いから、正直「下手とは?」となる。話すたびになる。そんなママでも、今回の話はちょっと疲れたらしい。その紅茶に、いつもは入れない砂糖が入っていることを私は知っている。
 外で、車が止まった音がする。
「あ、もうそんな時間か」
 ママのその言葉と同時に、バタバタとこちらに走ってくる音がした。その足音のなんとまあ速いこと。
「むーすーぶ!」
「はいはい、おかえり遊」
 スーツ姿のパパがリビングに駆け込んできた。その走って来た勢いでママに突進して、帰ってきて速攻で怒られてる。
「のーぞーむ!」
「はーい!」
「ただいま!」
「パパおかえり!」
「君たち、元気だねえ……」
 にっこにこで言葉を交わす私とパパを、ママが苦笑しながら眺めている。久しぶりの景色だ。プロのサッカー選手のパパは、オフシーズン以外外国にいる。今日はその忙しいパパが帰ってくる日だった。
「何の話してたの?」
「んー」
 ちらり、とママがいたずらっ子のような目でこっちを見る。それに目で同じように返して、ニッと笑う。
「「内緒!」」
「えーっ、俺に隠し事?」
「あ、冷蔵庫にケーキあるよ」
「食べる!」
 話を逸らすのが上手い。
「遊は帰ってきて疲れてるだろうから座ってて。望、準備手伝ってくれる?」
「はーい」
 キッチンに入るママについていく。キッチンに入るとクルッとママが振り返った。え、何?
「望」
「はい」
「さっきの話したの、パパには内緒ね」
「あ、その話?深刻そうだったから何かと思った」
「いやだって、ちょっと恥ずかしいじゃん?」
「ママ女子高生?」
 ノリが完全に女子高生の恋バナだ。あの、あれ。グループに一人はいる普段ツッコミ役の子。それか普段クールな子。そんな感じの子に、無理やり話振った時の反応だ完全に。ママ若い。アラフォーなはずなのに……。
「あんた今失礼なこと考えてない?」
「い、いいえまったく」
「まあいいか。皿出してー」
 再びクルッと前を向きスタスタ歩いていく。ほんと観察眼エグい。なんで分かったんだろ。
「はーい」
 戸棚から皿を出す。リビングから「手伝わなくて大丈夫ー?」というパパの声がした。それに「大丈夫!」と叫び返す。それを聞いていたママが「ほんとにぎやか」と笑っているのが見えた。

 

 その子の母親はプロの小説家だった。あまたの名作を世に送り出し、様々な世代から人気を博した。映画化やドラマ化された作品も多くあった。そのたびに人々を笑いの渦に落とし、涙を流させた。その巧みな言葉選びとどこか現実味のない作風から『言葉使いの魔女』と呼ばれた。
 その子の父親はプロのサッカー選手だった。高校生の途中からイタリアに留学、現地のクラブのユースチームに在籍。日本代表にも何度も選出されている。目立って背が高いわけでも、目立ってフィジカルが強いわけでもない。しかし彼が操るボールは、まるで魔法のようにその姿を消した。そんなプレーから付いた呼び名は『コート上の魔術師』だった。
 二人の魔法使いから生まれたその子は、平凡だった。
 だがしかし気が強く、負けず嫌いな彼女はのちに若き凄腕実業家になった。そんな彼女はどのインタビュアーにも、ある質問に関して同じ答えを返す。
「月永望さん、成功の秘訣は何かあるんでしょうか」
「まずはたっくさんの人と関わることです!でも、仲が良いから〜とかで頼みをなんでも引き受けたりしないこと。最後に一番大事なのは、一人では抱え込みすぎないことですね。自分一人で分かることなんてたかが知れてて、だからこそ他人の意見を聞いて、考える。そうやって自分を進化させていけばいい」


「良かった」
 一人の部屋で静かにつぶやく。その手にあるのは真新しい雑誌だ。物書きたるものいつ何時でも、情報収集を怠ってはならない。その雑誌が目に入ったのはまったくの偶然だったが。さっきのは、ちょっとかっこよく言ってみたかっただけだ。
『ご両親は共に素晴らしい成績をあまた残す方々ですが何か特徴がある教育はなされていたんでしょうか?』
『いいえ、これと言ったものはないと思います』
 自覚はしていたがやはりそうだった。彼女は、自分が放置されていたと感じていたのかもしれない。彼女は自分なりに生き方を見つけて今を生きている。それが彼女の幸せなら万々歳。だけど、私達のやり方は本当に合っていたんだろうか。静かに息が詰まり、鼓動が無意識に早くなる。
『ですが』
『どんな時も味方でいてくれました』
『悔しい時、悲しい時、イライラする時。ただ静かに側に寄り添って話を聞いてくれました』
『母の結はとても聞き上手です。口を挟まず頷くだけなのに、流している感じはないんです。父の遊はとても話し上手です。どんなに負の感情が溜まっていても、話すだけで心が軽くなる』
『今の私は』
『間違いなく、二人によって成長できたと思います』
 ふっ、空気を吐き出す。
 少しだけ息がしやすくなった気がした。