仮説が成立すると水星の守護者メルクリウスの神格が否定される。それはすなわち水星逆行効果の消滅につながる。これを矛盾なく説明する解釈は二つ。
水星逆行効果の不在あるいは微害、もしくはハルシオンが嘘をついている。
俺としては前者を採用したい。逆行の害はハルシオンの技術力で克服可能。

そう自分を納得させたいが逆に不信が募った。制御できる害悪を騒ぎすぎだ。
メッセンジャーとしてはこの疑問点を捨て置けない。オプスに報告した。
黒エルフはひざを必要以上に組み替えながらハスキーボイスを漏らした。
「あらン…そぉなの…」
「かくかくしかじかでありまして…先生」
俺は包み隠さず話し終えるとオプスはキッと睨みつけた。寿命が5年縮んだ。
すると彼女は視線を水晶玉に移し深々と吐息すると再び俺の方をむいた。
「君のせいじゃないのよ。包み隠さず報告、あ・り・が・と」
今度は優しい目だ。しかし猫なで声で感謝されるとますます怖いぞ。

「貴女ねぇ!」
「ひゃあっ!」

すりガラス一枚隔てた向こうで、どっすん、ばりばり、がしゃがっしゃーん。
派手な物音が聞こえる。水晶玉越しに破壊魔法でも撃ち合っているのか。
最後に「めっ!!!!!!!!」というひときわ大きな警句が聞こえた。

えーん。ハルの泣き声が聞こえる、

そして「終わったわよぉー」と扉が開いた。
「な、何事ですか」
おそるおそる後ろ手でドアノブを閉じると部屋がしんと静まり返った。
「うんと釘を刺しておいたわ。残留思念の安易な再利用とそれに伴う危険性」
「どういうことですか?」
俺が身を乗り出すと「こういう事よ」と立体格子模型が机上に浮かんだ。
メルクリウス寮の骨格がぐるんぐるんと回転している。
簡略に説明すると曳家に伴って積年の未練や怨念が刺激されたということだ。
幽霊の間でも残留派と賛成派の論争があったらしい。葛藤する力を水星の防御に応用できないか千載一遇のチャンスをハルシオンは狙っていたらしい。
たまりまくったうっぷんが一挙解放されるので適切な避難誘導が求められる。
そんな感情の渦中に俺は置かれたのだ。大きな声で言えないが煽情的だった。
ハルシオンのやつめ…。

「ありがとう、ハルシオンくんの件で君まで巻き込んでしまって。済まない事をした。しかし、この話を聞いて安心した」
ノース研究員が謝る必要なんてないのに。
「そんなことはありません。
ハルシオンは俺に研究のことで嘘を吐くのを止めてくれました。
こちらこそありがとうございます」
「そう……まあ、あなたがそういう人だと分かっただけで、私は嬉しいわ」
黒エルフがノースの隣でほほ笑んでいる。
肝心の張本人といえばニワトコの梢でスカートを抱えて尻もちをついている。
「ハルシオンのこと、大好きです」
俺はハルシオンを守ってやらないといけない。
ハルシオンが俺のことを認めてくれ、一緒にやろうと約束してくれたから。
「今回の騒動より得た知見の方が大きいため不問に付してくれるそうだ」
ノースは処分内容を伝えた。オプスがハルシオンを派手に擁護した成果だ。
「ふふ、ありがとう。
あなたがそのお礼に研究結果を教えてくれるとお母様が言ってたわ」
「ああ、そういえばその約束でしたね」
「そうよ、だからハルシオンも一緒にお礼を言わないとね」
「はい、そうします」
そう言いながらハルシオンは微笑んだ。
俺はハルシオンの笑顔にドキドキしていた。
ハルシオンから「ありがとう」という「お礼」をもらった嬉しさもあったし、
「あなた、本当に嬉しそうだったわね」と言われることもした。