近頃、目がおかしい。どうにも片目だけ突然視力が落ちたようで、世界がぼんやりと朧気で、まるで輪郭を失ってしまったように映るのだ。

「……十夜、どうかした?」
「いや、最近左目変でさ……今日は特にぼやけるというか、霞む感じで」
「えー、何だろうね。病院とか行った?」
「いや、まだ……近い内行かないとかな」

 久しぶりの彼女とのおうちデートの最中。ソファーに並んで座りのんびり映画を見ていても、頻りに左目を気にして擦ったり瞬きを繰り返す俺に、『まひる』もさすがに気付いて心配してくれる。

 首を傾け覗き込んでくる姿は大変可愛らしいものの、やはり左目はうっすら靄がかかったようで、せっかくの彼女の顔も見えにくい。

「そうしなよ、目って怖いし、早めにさ」
「そうだな、怖……」

 そこまで言いかけたところでふと、彼女の奥側、部屋の隅に蹲るようにして置かれた血みどろの男の人形に気付き、今まで見ていたホラー映画の影響もあり思わず声を上げてしまう。

「……って、こわっ!?」
「? 大事なことだから二回言ったの?」
「いや、えっ? 待って、俺だけ? あれだよあれ!」

 血色が悪い顔なのに服にはべったりと鮮やかな赤がこびりついていて、その対比がやけにリアルで気持ち悪い。投げ出された四肢は力なく目は虚ろ。何とも趣味の悪い人形だ。

「なあ、あれって、まひるの? 来月の学祭お化け屋敷でもやんの? ホラーにかこつけて俺のこと驚かせようとした? 大成功だよこのやろう!」

 思わず指をさすけれど、可愛い物が好きなまひるの持ち物にしては今更ながら違和感がある。
 動揺のあまり声が上擦り早口になるのも仕方ないだろう。
 しかし当のまひるは不思議そうに振り向いて、首を傾げた後再び俺に向き直った。

「……? 何のこと?」
「いや、だからあの人形……」
「え、人形なんて持ってきてないけど……」
「え……?」

 両目を擦り、改めて良く見ると、そこには何もなかった。
 目の不調のせいだろうか。それにしてはやけにはっきりと見えた人形の不気味な姿を思い出し、ホラー映画が本物を引き寄せてしまったのかと背筋がぞわぞわとした。

「……本当に大丈夫? 病院行く?」
「おう……ごめん、今日は目休ませるわ。映画はまた今度な」
「うん、わかった。お大事にね」

 正直一人にはなりたくなかったが、青ざめた俺を見て心配したまひるの意見により、今日のデートはお開きとなる。彼女を駅まで送るために部屋を出ると、迎えに行った時よりも更に視界がぼやけているのに気付いた。

 黄昏時の道すがら、左右で異なる不明瞭な視界は不安定で、まるで揺らめく炎の中を歩いているようだ。
 そんな中で、いつも一番側に居てくれるまひるだけが唯一の道標のように見えた。

 そしてふと、違和感を覚えた。あの不気味な人形が見えたのは、果たしてどちらの目だったのかと。


*****


 あの日、思い返すのもぞっとする死体のような人形の幻を見て以来、この左目には時折不思議なものが見えるようになった。

 せめて可愛げがあったり綺麗だったりすればマシなのだが、あの人形までとはいかずとも、それらはあまりテンションの上がる見た目をしていなかった。

 赤黒い艶のある謎の形状の物体だったり、全身黒髪ロングの人毛に覆われているような揺れる長細い物だったり、はたまた宙を漂うくらげのような透明な膜だったり。とにかく未知過ぎて近付くのも躊躇われる。

 けれどやはり、見えているのは俺だけのようで。一緒に下校するまひるは気にせずそいつらに近付くし、何ならその謎の膜を頭に乗せて歩いたりもする。

 ウェディングドレスのベールのようだと言えば聞こえはいいが、パッと見くらげの宇宙人に寄生された哀れな地球人だ。

 さりげなく取ってやろうとまひるの頭に手を伸ばせば、頭ぽんぽんと勘違いされたのか、然り気無く避けられた。照れただけだと信じたいが、地味にショックだった。

「まひる……おまえってやつは……」
「?」

 その後もその不思議な物体の蔓延る世界は、俺の目に映り続けた。

 日頃俺達の二つの眼球は、どちらの目で見たものだとかは意識せずに、二つで一つの世界を多面的に認識している。
 そうして左右の世界は混ざり合い、いつしかどちらが現実の光景なのか曖昧になっていった。


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