お気に入りの白い浴衣。赤い兵児帯を金魚の尾のように揺らして、私は人混みの間を泳ぐように抜ける。
 今日は古雅村の櫛祭。年に一度の地元のお祭りだ。
 普段閑散とした田舎において、唯一の楽しみ。私は小銭ばかり入った巾着を握り締めて、所狭しと並ぶ屋台を巡る。

 背の低い私は見えないのか、はたまたお金がなさそうに見えるのか、覗くだけで何一つ買わない私を店主も知らんぷり。
 可愛らしい浴衣を纏って、綺麗に結った髪には櫛をさして遊び歩く。村の女の子なら誰しもはしゃぐ折角の祭なのに、私は物悲しさを感じていた。

 何しろ、私は一人なのだ。
 周りを見ると親子連れだったりカップルだったり仲睦まじく、友達同士連れ添って楽しげに笑う子供達も居る。

 一人寂しく居るのは私だけ。
 そう思うと何だか楽しい気分も半減してしまい、道の端へと避け人並みを眺める。親に手を引かれ簪を揺らす少女、店先で真剣に櫛を選ぶ少女。同い年くらいの女の子は何人か通るけれど、皆誰かと一緒に居た。

 しかし不意に、上手く人混みを進めず、長い髪を無造作に靡かせ立ち往生する一人の女の子を見付けた。思わず手を掴み、少女を道の端に引き寄せる。

「大丈夫!? 大人に潰されなかった?」
「あ、ありがとう……大丈夫」

 驚いた顔をしていたけれど、私を見てすぐに安心したように息を吐く少女。背丈は私より少し高めで、白いワンピースに長い黒髪。透き通る色白の肌に、可愛らしいと言うより綺麗な顔立ち。此処等では見ない顔だ。

「あなた、どこの子? 村の子じゃないよね? 一人なの?」
「うん……夏休みで、昨日からおばあちゃんの家に遊びに来てて……今夜お祭りがあるって聞いて、こっそり来ちゃったの」
「抜け出してきたの?」
「だって、彼処は退屈なんだもの……」
「私も! 退屈してたの! 私は古雅ことり。あなたは?」
「……小山内あせび」

 やっと見つけた。私と同じ、お祭りでひとりぼっちの子。私は嬉しくなって、満面の笑みで目の前の少女を見詰める。そうすると彼女は察してくれたようで、くすりと笑みを浮かべて手を握り返してくれた。

「ねえ、ことりちゃん。良かったら一緒に遊ぼう?」
「うん!」

 はぐれないようしっかりと手を繋ぐと、同じ目線から見る屋台は先程よりも輝いて見え、露店の店主も愛想笑いをくれる。巾着の中じゃらじゃらと揺れる小銭も嬉しそうだ。

「あのね、古雅村って小さいでしょ? だから子供も少なくて……遊び相手を探すのも一苦労なの」
「そうなんだ、大変そう……」
「自給自足? が基本だから、大金持ちも居ないんだよねぇ……。お小遣いも小銭ばっかり!」
「ふふ、私もお小遣いはそんなに貰ってないよ」
「そうなの? 今日はお小遣いある? 何か買えそう?」
「実は、お財布置いてきちゃったの……」
「えっ」

 彼女は田舎暮らしが珍しいようで、興味深そうに私の話を聞いてくれた。私のとりとめのない話をこんなに熱心に聞いて貰えるなんて、いつぶりだろう。つい嬉しくなってたくさん話してしまう。
 彼女はこの村には初めて来たらしく、何も知らないようだった。
 言葉数は少なくて、自分のこともあまり話さない、何処かミステリアスな彼女。それでも、穏やかに微笑んでくれるのが嬉しくて、まるで昔からの友達のようにさえ思えてくる。

「このお祭りはね、村で唯一の楽しみなの。櫛祭って言って、簪とか櫛とかの出店もあるでしょ?」
「本当だ、珍しいね」
「村の女の子はね、お祭りの日にはこうして、親とか恋人とか大切な人に貰った櫛とか簪で髪を結うの。あなたは私が守ってますよーみたいな……魔除けとかそんな感じみたい」
「そういえば、おばあちゃんもそんなこと言ってたかも……今日は祭りの日だから、おばあちゃんが使ってたのをつけてくれるって言ってたんだけど、ちょっと気持ち悪くて」
「あー、わかる。髪は大事だもんね」

 うんうんと頷きながら、ちょうど近くにあった簪の出店へと足を向ける。キラキラと輝く色とりどりで可愛らしい細工のそれらは、彼女の言うおばあちゃんの品とは比べ物にならないだろう。

「やっぱりつけるなら、こういうのが良いよね!」
「わ……綺麗。ことりちゃんの櫛も可愛いけど、こういうのも素敵」
「ありがとう! この櫛は去年友達に貰ったんだけど……次使うなら、こういうのが良いかも」
「去年……。その友達は、今年は?」
「……その子は他の友達と居るみたい」
「そっか……」

 私がひとりぼっちだったから、気を遣ってくれているのだろう。僅かに眉を下げるあせびちゃんは、優しい子だ。
 先程までの寂しさを忘れ、ほっこりしながら手に取ったのは、私の帯と同じ赤い色の櫛。可愛らしい赤地に、金で花の絵が描かれていた。少し大人びたデザインだったけれど、綺麗な黒髪と色白の肌の彼女には良く似合う。

「あせびちゃんの黒髪に似合いそう……あ、でも、なんだか白雪姫みたい」
「白雪姫?」
「白雪姫って、毒林檎の前に毒の櫛で殺されかけるらしいよ」
「えっ、そうなの!?」

 それまでの凪いだ水面のような穏やかな表情が崩れ、ぎょっとした様子の彼女は初めて年相応に見えて、つい嬉しくなってしまう。その隙に私は、櫛を差し出しながら店主に声をかけた。

「おじさん、この櫛ちょうだい!」
「まいど! お? 嬢ちゃん見ない顔だな?」
「へへ、この子遠くから遊びに来たんだ!」

 商品越しに店主が私達の方を見下ろし、髪を結っていないあせびちゃんを見て驚いた様子だったけれど、今買った櫛を彼女に贈るのだと目配せすれば安心したように頷いてくれた。

 櫛を受け取り、出会った時と同じように手を引いて道の端へと出る。
 ちょうど小山の上へと続く参道の近くだった。石段に腰掛けて貰い、私は彼女の長い黒髪を結う。

「ことりちゃん、後でお金払うよ?」
「いいのいいの、私からの贈り物! お友達の印!」
「……ありがとう」

 後ろから結っている最中は彼女の表情は見えなかったけれど、振り向いた顔には櫛のように朱が差し、綻んだ頬には嬉しさが滲んでいた。

「うん、やっぱり赤にして良かった! 似合う!」
「そうかな? 初めて言われた……ねえ、この上には何があるの?」
「えっとね、小さい神社があるの。古雅神社」
「村の名前と、ことりちゃんの名字と同じ」
「うん! 古くから伝わる家柄の名前みたい」
「そうなんだ……神社、折角だしお参りして行こうかな」
「えへへ、実はね、最後に誘おうと思ってたんだ。この後花火が見られるの。神社の境内は特等席!」
「本当? 花火は今年初めて。楽しみ」

 穏やかに微笑む彼女は、やっぱり綺麗な子だ。心を開いてくれたのか、表情の変化も出会った時より分かりやすい。
 花火までは時間が少しあるので、暇潰しがてら近くの出店でフルーツ飴を買う。私の小銭もこれで尽きてしまった。来年の祭までに、また貯めなくては。

 その後も無一文でぶらぶらと露店の冷やかしをして、頃合いを見て彼女の手を引き寂れた赤い鳥居を潜り、少し急な石段を休み休み上る。
 やがて拓けた場所に着けば、小さな古い神社が私達を出迎えた。

 露店の明かりも届かない暗く静かなそこは、花火を見るのに最適だ。
 祭の期間は神隠しを畏れて誰も近付かない、私だけの秘密の場所。
 二人並んで境内に腰掛けて、互いの手を握ったまま、空いた手で飴を舐めた。私はお気に入りのいちご飴、彼女は定番のりんご飴だ。りんご飴を舐める彼女の唇は紅を引いたように赤く艶めいて、本当に白雪姫みたいだった。

「ね、お祭り、楽しかった?」
「うん。抜け出してきて良かった」
「あはは、今頃皆心配してるかもね?」
「平気。お酒飲んだりしてたから、まだきっと、誰も私が居ないのに気付いてないよ」

 切なげな、諦めたような横顔を照らすように、不意に夜空を裂くような大輪の花が咲く。次々打ち上がるそれは、身体全部に響くような心地好い振動と、暗闇に慣れた目には眩い光をもたらした。

「綺麗……」
「うん、綺麗……でもお祭り、花火が終わったら終わっちゃうんだ」
「そうなの? 残念。ずっと見ていたいな……」
「ずっと、……ねえ、あせびちゃん。花火が終わっても、ずっとお友達で居てくれる?」
「もちろん。ことりちゃんのお陰で、今日は本当に楽しかった」

 お金がなくてほとんど見て回るだけだったお祭りも、二人で居れば楽しかった。
 お祭りが終わっても彼女と友達で居られるのなら、きっともう寂しくない。繋いだ手を少し緩めて、私は小指同士を絡める。

「約束、だよ」
「ふふっ、約束。明日には家に帰らないとだけど……また来年も、遊びに来るね」

 彼女の呑気な言葉に、私は微笑む。

「何言ってるの? 帰れないよ?」
「……え?」

 血よりも赤い花火が、彼女の顔を照らす。呆然とした顔もまた、子供らしくあどけない。大人びて見えていた彼女が見せてくれる様々な表情に心が踊る。

「古雅の櫛祭。古雅、櫛の祭り……『子隠しの祭』ってね。そんなお祭りに、子供一人、守りの櫛も付けずに遊びに来るんだもん。帰れっこないよ」
「こが……え? でも……櫛、なら、さっき」
「うん。私が買ってあげた。だからもう、あせびちゃんは私のもの。櫛は大事な人にさして貰うって、教えて貰ったでしょ?」
「ことりちゃん……何、言ってるの? ことりちゃんのものって……」
「私ね、お友達が欲しいの。だって、ずっと一人は寂しいんだもん」
「ずっと? おうちの人は?」
「この神社、村の外れにあるでしょう? 参拝客もたまには来てくれるけど、お小遣い……お賽銭くれてお参りしたら直ぐ居なくなっちゃうから、つまんなくて」 

 呆然とした顔が、みるみる内に強ばっていく。僅かに絡めた小指を外そうとする手に、心の中で「指切った」と呟けば、手を離してあげた。
 それでもそれ以上離れるでも逃げるでもない彼女は、まだ混乱しているようだ。

「神社……に、住んでるの? えっと、神社と同じ名前だもんね」
「嗚呼、うん。古雅は村と神社の名前だけど……ことりは、子取りで子盗り。皆、ことり様って畏れて敬うの」
「……子隠しに、子盗り?」
「そう、お友達が欲しいだけなのに物騒だよね! 年に一度のお祭りでしか、お友達連れ帰ったりしてないのに。その代わり村の平和は守ってあげてるんだから、もっと感謝して欲しいよ」
「……、去年その櫛をくれた友達は?」
「あー……あの子? 約束破って、神社の敷地から逃げようとしたの。だから、櫛に頭を貫かれて死んじゃった」
「!?」
「櫛、血で汚れたのを綺麗にするのは大変だったんだよ。だから、念のため今年は赤にしたの。本当は汚して欲しくないけど……ね、あせびちゃん?」
「……私も、逃げたら死ぬの……?」
「神様との約束を破るんだから、仕方ないよね?」

 怖くないように、私はせめてにっこりと微笑むけれど。彼女の目には、今の私はどう映っているのだろう。

 先程までの楽し気な雰囲気から一転、まるでお通夜だ。つまらない。
 でも、お友達はお友達だ。私は約束を反故になんかしない。
 櫛を与え、買い与えた飴も口にした。彼女はもう、私の供物になったのだ。一年ぶりのお友達を慈しむように再び手を握ると、可哀想な程びくりと身体を強ばらせる。

「あせびちゃん。もしあなたが白雪姫みたいに死体になっても、私は大事にはするけど……でも、出来れば遊んだりお話ししたりして、楽しく過ごしたいな」
「……死んでも、帰れないの?」
「あなたはずーっと、私と一緒に居てね。……約束、だよ」

 彼女の答えは、最後に打ち上がった花火の音に掻き消されてしまい、聞こえなかった。


*****


 祭の次の日、あせびちゃんの親と祖母が参拝に来た。
 どうやら私の仕業とは気付いていないらしい。どうか彼女が見付かるようにと祈りに来たのだ。
 お賽銭にはちょうど、昨日私が彼女の櫛に支払ったのと同じ額入れて貰えた。
 それでも残念ながら、私の供物となった彼女の姿はもう彼等からは見えないから『見付かるように』という願いは永遠に叶えられない。

 せめてもの神の慈悲として『死んだらまた巡り会えるように』と、私はいちご飴の残りを舐めながら、夏の終わりに願ってあげた。

「ふふ。でもまあ、死んでもずっと、私の友達だけどね!」