「ケイナは?」
部屋には入ってきたアシュアにカインは言った。
「うん…… 今日はとりあえず普通にカリキュラムこなして部屋に戻った」
アシュアは疲れたような顔をして座り込んだ。
「何か分かったか?」
アシュアはデスクに向かっているカインに尋ねた。
「ジェニファはアパートに専用の回線を持っていなかったと思う」
カインは振り向いて答えた。
「そもそも外の人間とのコンタクトは取らないんだろうな。ノマド出身だし…… ただ、念のため調べてみたら、やっぱり最近一度だけケイナに直接連絡してきていたよ。ただ、発信元はジェニファの部屋じゃない。どこかで借りたんだろう」
「ジェニファが『ライン』に?」
アシュアは目を丸くした。カインはうなずいた。ちょうどトウが『ライン』に来訪したときだったが、それはアシュアには言わなかった。
「物騒なことをケイナに言ってるよ」
カインが手招きしたので、アシュアは気乗りのしない様子で立ち上がり、カインに近づいた。
カインがキイボードを押すとジェニファの声が聞こえてきた。
(そこを出たほうがいいと思うの。命の危険があるんじゃないかしら)
(ケイナ、あなたの体は何か大きな爆弾を抱えてるわ。あなたはいずれそのために死んでしまう運命だった。 ……あの子はあなたを助けてくれる。あの子はあなたの剣となり盾となってあなたの力になると思うわ。だからふたりでいつも一緒にいなければならないの)
「問題はこのあと」
カインはつぶやいた。
(ケイナ、『ノマド』には緑色の髪と緑色の目を持つ者がいたのよ)
(それじゃあ、遅すぎるわ! ケイナ、『ノマド』に帰って!)
「『ノマド』に帰ってって……」
アシュアは戸惑った表情になった。
「ケイナが『ノマド』に戻ればどうにかなるのか?」
「分からない…… でもケイナは『ノマド』にいたんだ。ケイナの両親はケイナを『ノマド』に託したたあと死亡しているんだろう? もしかしたら、『ノマド』にケイナを託すことが彼を助けることになるのだと知っていたのかもしれない」
「うーん……」
アシュアはやはりよく分からないという表情で声を漏らした。
「ぼくも全く分からないよ……」
カインは頬杖をついた。
「でも、緑色の髪と目の人間がかつては『ノマド』にいた。そのことがケイナと何か関係があるんだろう」
「セレスの髪と目は……」
「うん…… それも」
カインはため息をついた。
「ジェニファにこっちから連絡とれないんだったら、会いにいくしかない」
アシュアは厭な予感がして顔をしかめた。その顔をカインは見つめて言った。
「明日一日で『ライン』のゲートのパスワードを読んでおく。夜になったらここを抜けだせ」
「お、おまえが行ったほうがいいんじゃないのか?」
アシュアは唸った。
「朝までに戻って来るんだ。そのときに内側からまたゲートを開けるのはぼくしかいないだろう」
アシュアは顔をしかめて渋々うなずいた。
「やってみるよ」
彼は答えた。
「ジェニファはいい人だと思うけど、なんか苦手なんだよな……」
カインはじろりとアシュアを見た。
「分かった。分かったよ。行くよ」
アシュアは答えた。
ケイナはもう部屋に戻って眠っただろうか。
セレスは自分の部屋でじっと考え込んでいた。
ユージーの言葉を何度も何度も頭の中で反芻した。
ユージーはケイナを憎んでなんかいない。むしろケイナを助けたかがっていた。
本当にそうなんだろうか。
ケイナは18歳になったらホライズンに行く。リィ・カンパニーとそういう契約が交わされている。
仮死保存だなんて……。
どうして?
ロウラインの部屋なら、すぐ横にケイナがいたのに、ハイラインにあがったほうがケイナの距離が遠い……。
ケイナ、教えてよ。あんたは本当に18歳になったらいなくなるの?
カインとアシュアはあんたを見張ってたの? あんたの人生って、じゃあ、なんなんだよ。
セレスはがたりと立ち上がった。
「おれ、絶対納得できない」
誰に一番聞きやすいかと考えたとき、セレスの頭に浮かんだのはアシュアだった。
アシュアに聞こう。アシュアならきっと教えてくれる。真正面から聞いたら、彼はきっと逃げない。
部屋を出て隣のアシュアのドアに向かったとき、セレスはそのすぐ向こうに人影を見つけてぎょっとした。
部屋をひとつ置いてその隣はケイナの部屋だった。ケイナは今まさに自分の部屋に入ろうとしているところだったのだ。
「どうした」
彼は怪訝な顔をしてセレスを見た。
「あ、えと……」
セレスはくちごもった。
「あ、あの…… 講議に必要な資料が……」
言ってしまってからセレスは顔をしかめた。おれって…… なんてバカなんだ……
ケイナはうんざりしたように髪をかきあげ、そして手招きした。
「はいんな」
セレスはうなだれてしかたなくケイナの言葉に従った。
「顎はどうだ」
ケイナは持っていたタオルを椅子の背にかけて振り向かずに言った。
「うん……」
セレスは目を伏せた。
「やっぱり一週間は訓練だめだって」
「そうか」
「ケイナ…… ごめんよ。おれ、全然だらしなくって。あんたをまたあっちの世界に行きかけさせた」
ケイナはしばらく黙っていたが、セレスを振り返ると近づいて来た。
「行ってないよ。もう、暴走はしない」
「……」
セレスはケイナの顔を見上げ、そしてまた目を伏せた。
ケイナはセレスをしばらく見つめたあと再び口を開いた。
「おまえ、謹慎処分受けるのが怖いか?」
「え?」
セレスは思わずケイナを見た。
「謹慎じゃすまないかな…… でも、まあ除籍にはならないかも」
ケイナはかすかに笑っていた。
「何をするの?」
「おれについてくる?」
「何をするの?」
再び尋ねたが、ケイナはそれには答えずデスクの上からヴィルのキイを取り上げた。
「まさか」
セレスは仰天した。
「どっちでもいいよ」
ケイナは言った。
「あんたにつき合うよ」
セレスは慌てて答えた。
ケイナは廊下を突っ切って『ライン』のゲートに向かった。
セレスはびくびくしながらそれに続いた。
『ライン』を脱走する?
でも、ケイナと一緒なら怖くない。そんな気持ちもあった。
「今日の当直担当はホッジスなんだ」
ケイナは言った。
ゲートは中からは許可がなければ開かない。おまけに監視カメラがついている。
「ホッジスはいつも午前12時45分になると席を立つ。たぶん腹がすくんだろう。戻ってくるのが50分だ。その間にセキュリティコードを破って出る」
セレスは驚いてケイナを見た。
「どうしてそんなことを知っているの?」
ケイナはセレスをちらりと見てかすかに笑った。
「何度も脱走しようと思ったからだよ」
「え?」
セレスは呆気にとられたが、それ以上ケイナは何も言わずにセレスについてくるように顎をしゃくった。12時45分になったからだ。
ケイナはホッジスのいた監視室に身を滑り込ませると、手馴れた様子でコンピューターのキイを操作した。
30秒ほどで出てくると、セレスに走るように目配せし、ふたりはゲートを走り抜けた。
「ホッジスが戻ってきたらすぐにバレるよ」
セレスは大急ぎでケイナとともにエレベーターに駆け込むと言った。
「バレないよ」
ケイナは答えた。
「おれたちが出たら再び閉まるようにセットしてきた」
「なんでセキュリティコードを知っていたんだ?」
ケイナは髪をかけあげてシースルーになっているエレベーターの外の風景を眺めていたが、セレスをちらりと見て再び外に目を向けた。
「キイボード見ただけで分かることがあるんだ。おまえもそうだろ?」
「分かるわけないだろ」
セレスは口を尖らせてケイナを見た。ケイナは可笑しそうにくすくす笑った。
束の間ふたりは外の景色を見つめていた。
「ケイナ……」
しばらくしてセレスは口を開いた。ケイナの青い目がこちらを向く。
「どうして何も聞かないの?」
ケイナはすぐに目をそらせた。長いまつげが夜のライトの中で光っている。彼はしばらくしてから言った。
「何を聞くってんだ……」
「……」
セレスは黙ってケイナの視線の先を追った。エアポートにちょうど船が停船するところだった。
「自由にいろんなところに行けたらいいな……」
ケイナはぽつりとつぶやいた。
エレベーターが最下階に着き、ふたりは静まり返ったエントランスを抜けて駐車場に向かった。
「乗れよ」
ケイナはヴィルの前座席にまたがると自分の後ろに顎をしゃくった。セレスはそれに従った。
ヴィルは勢いよく駐車場を滑り出すとふわりと上昇し、西に向かった。
「どこへ行くの?」
セレスは尋ねた。
「湖」
ケイナは答えた。
「湖?」
「おれのアパートよりもまだ西に行ったところに人工だけど湖が作られてるんだ。おまえ、行ったことないのか?」
「ないよ」
ケイナはそれ以上何も言わなかった。
1時間半ほど飛んだ頃、目の前に見渡す限りの水平線が広がった。
セレスは思わず目を見張った。水平線の彼方に地球の青い姿が浮かんでいる。
ケイナは湖を取り巻く林を越えて、湖岸の砂の多い部分にヴィルを降下させた。
「すごいなぁ……」
セレスはヴィルを降りると感嘆のため息とともに星空の下で輝く湖を見つめ、ゆっくりと波うち際に歩み寄った。
「水がきれいだ……」
セレスは足下に寄せる透明な波を見てつぶやいた。
「ほんとは海のつもりで作ってんだよ」
ケイナは砂浜に腰をおろして言った。
「だけど、水は淡水だし、ちっせぇし…… どう見たって湖だよな……」
「ケイナは海を見たことがあるの?」
「ない」
ケイナは即座に答えた。
「おれはここの『ノマド』で育ってるんだ」
「ほんとの海はこんなにきれいじゃないよ」
セレスは肩をすくめた。
「海水だけじゃなくて、周囲の大気も汚れているから防菌マスクなしでは近付けないんだ」
「知ってるよ…… 『ライン』のライブラリで見た」
ケイナはぱたりと身を倒して仰向けに寝転んだ。
「ここだって似たようなもんさ。空調システムが壊れたら息できねぇじゃねえか」
「今度一緒に地球に行こうよ。休暇のときにでも」
セレスはケイナに近づくと、その脇に腰をおろした。
「叔母さんにケイナのこと紹介するよ。叔母さんの作るミートパイはうまいんだ」
ケイナはぼんやり空を眺めていたが、やがてその目を閉じた。
「地球か…… いいな……」
「そうだよ。絶対一緒に行こう」
セレスは言ったが、ケイナは何も言わなかった。
部屋には入ってきたアシュアにカインは言った。
「うん…… 今日はとりあえず普通にカリキュラムこなして部屋に戻った」
アシュアは疲れたような顔をして座り込んだ。
「何か分かったか?」
アシュアはデスクに向かっているカインに尋ねた。
「ジェニファはアパートに専用の回線を持っていなかったと思う」
カインは振り向いて答えた。
「そもそも外の人間とのコンタクトは取らないんだろうな。ノマド出身だし…… ただ、念のため調べてみたら、やっぱり最近一度だけケイナに直接連絡してきていたよ。ただ、発信元はジェニファの部屋じゃない。どこかで借りたんだろう」
「ジェニファが『ライン』に?」
アシュアは目を丸くした。カインはうなずいた。ちょうどトウが『ライン』に来訪したときだったが、それはアシュアには言わなかった。
「物騒なことをケイナに言ってるよ」
カインが手招きしたので、アシュアは気乗りのしない様子で立ち上がり、カインに近づいた。
カインがキイボードを押すとジェニファの声が聞こえてきた。
(そこを出たほうがいいと思うの。命の危険があるんじゃないかしら)
(ケイナ、あなたの体は何か大きな爆弾を抱えてるわ。あなたはいずれそのために死んでしまう運命だった。 ……あの子はあなたを助けてくれる。あの子はあなたの剣となり盾となってあなたの力になると思うわ。だからふたりでいつも一緒にいなければならないの)
「問題はこのあと」
カインはつぶやいた。
(ケイナ、『ノマド』には緑色の髪と緑色の目を持つ者がいたのよ)
(それじゃあ、遅すぎるわ! ケイナ、『ノマド』に帰って!)
「『ノマド』に帰ってって……」
アシュアは戸惑った表情になった。
「ケイナが『ノマド』に戻ればどうにかなるのか?」
「分からない…… でもケイナは『ノマド』にいたんだ。ケイナの両親はケイナを『ノマド』に託したたあと死亡しているんだろう? もしかしたら、『ノマド』にケイナを託すことが彼を助けることになるのだと知っていたのかもしれない」
「うーん……」
アシュアはやはりよく分からないという表情で声を漏らした。
「ぼくも全く分からないよ……」
カインは頬杖をついた。
「でも、緑色の髪と目の人間がかつては『ノマド』にいた。そのことがケイナと何か関係があるんだろう」
「セレスの髪と目は……」
「うん…… それも」
カインはため息をついた。
「ジェニファにこっちから連絡とれないんだったら、会いにいくしかない」
アシュアは厭な予感がして顔をしかめた。その顔をカインは見つめて言った。
「明日一日で『ライン』のゲートのパスワードを読んでおく。夜になったらここを抜けだせ」
「お、おまえが行ったほうがいいんじゃないのか?」
アシュアは唸った。
「朝までに戻って来るんだ。そのときに内側からまたゲートを開けるのはぼくしかいないだろう」
アシュアは顔をしかめて渋々うなずいた。
「やってみるよ」
彼は答えた。
「ジェニファはいい人だと思うけど、なんか苦手なんだよな……」
カインはじろりとアシュアを見た。
「分かった。分かったよ。行くよ」
アシュアは答えた。
ケイナはもう部屋に戻って眠っただろうか。
セレスは自分の部屋でじっと考え込んでいた。
ユージーの言葉を何度も何度も頭の中で反芻した。
ユージーはケイナを憎んでなんかいない。むしろケイナを助けたかがっていた。
本当にそうなんだろうか。
ケイナは18歳になったらホライズンに行く。リィ・カンパニーとそういう契約が交わされている。
仮死保存だなんて……。
どうして?
ロウラインの部屋なら、すぐ横にケイナがいたのに、ハイラインにあがったほうがケイナの距離が遠い……。
ケイナ、教えてよ。あんたは本当に18歳になったらいなくなるの?
カインとアシュアはあんたを見張ってたの? あんたの人生って、じゃあ、なんなんだよ。
セレスはがたりと立ち上がった。
「おれ、絶対納得できない」
誰に一番聞きやすいかと考えたとき、セレスの頭に浮かんだのはアシュアだった。
アシュアに聞こう。アシュアならきっと教えてくれる。真正面から聞いたら、彼はきっと逃げない。
部屋を出て隣のアシュアのドアに向かったとき、セレスはそのすぐ向こうに人影を見つけてぎょっとした。
部屋をひとつ置いてその隣はケイナの部屋だった。ケイナは今まさに自分の部屋に入ろうとしているところだったのだ。
「どうした」
彼は怪訝な顔をしてセレスを見た。
「あ、えと……」
セレスはくちごもった。
「あ、あの…… 講議に必要な資料が……」
言ってしまってからセレスは顔をしかめた。おれって…… なんてバカなんだ……
ケイナはうんざりしたように髪をかきあげ、そして手招きした。
「はいんな」
セレスはうなだれてしかたなくケイナの言葉に従った。
「顎はどうだ」
ケイナは持っていたタオルを椅子の背にかけて振り向かずに言った。
「うん……」
セレスは目を伏せた。
「やっぱり一週間は訓練だめだって」
「そうか」
「ケイナ…… ごめんよ。おれ、全然だらしなくって。あんたをまたあっちの世界に行きかけさせた」
ケイナはしばらく黙っていたが、セレスを振り返ると近づいて来た。
「行ってないよ。もう、暴走はしない」
「……」
セレスはケイナの顔を見上げ、そしてまた目を伏せた。
ケイナはセレスをしばらく見つめたあと再び口を開いた。
「おまえ、謹慎処分受けるのが怖いか?」
「え?」
セレスは思わずケイナを見た。
「謹慎じゃすまないかな…… でも、まあ除籍にはならないかも」
ケイナはかすかに笑っていた。
「何をするの?」
「おれについてくる?」
「何をするの?」
再び尋ねたが、ケイナはそれには答えずデスクの上からヴィルのキイを取り上げた。
「まさか」
セレスは仰天した。
「どっちでもいいよ」
ケイナは言った。
「あんたにつき合うよ」
セレスは慌てて答えた。
ケイナは廊下を突っ切って『ライン』のゲートに向かった。
セレスはびくびくしながらそれに続いた。
『ライン』を脱走する?
でも、ケイナと一緒なら怖くない。そんな気持ちもあった。
「今日の当直担当はホッジスなんだ」
ケイナは言った。
ゲートは中からは許可がなければ開かない。おまけに監視カメラがついている。
「ホッジスはいつも午前12時45分になると席を立つ。たぶん腹がすくんだろう。戻ってくるのが50分だ。その間にセキュリティコードを破って出る」
セレスは驚いてケイナを見た。
「どうしてそんなことを知っているの?」
ケイナはセレスをちらりと見てかすかに笑った。
「何度も脱走しようと思ったからだよ」
「え?」
セレスは呆気にとられたが、それ以上ケイナは何も言わずにセレスについてくるように顎をしゃくった。12時45分になったからだ。
ケイナはホッジスのいた監視室に身を滑り込ませると、手馴れた様子でコンピューターのキイを操作した。
30秒ほどで出てくると、セレスに走るように目配せし、ふたりはゲートを走り抜けた。
「ホッジスが戻ってきたらすぐにバレるよ」
セレスは大急ぎでケイナとともにエレベーターに駆け込むと言った。
「バレないよ」
ケイナは答えた。
「おれたちが出たら再び閉まるようにセットしてきた」
「なんでセキュリティコードを知っていたんだ?」
ケイナは髪をかけあげてシースルーになっているエレベーターの外の風景を眺めていたが、セレスをちらりと見て再び外に目を向けた。
「キイボード見ただけで分かることがあるんだ。おまえもそうだろ?」
「分かるわけないだろ」
セレスは口を尖らせてケイナを見た。ケイナは可笑しそうにくすくす笑った。
束の間ふたりは外の景色を見つめていた。
「ケイナ……」
しばらくしてセレスは口を開いた。ケイナの青い目がこちらを向く。
「どうして何も聞かないの?」
ケイナはすぐに目をそらせた。長いまつげが夜のライトの中で光っている。彼はしばらくしてから言った。
「何を聞くってんだ……」
「……」
セレスは黙ってケイナの視線の先を追った。エアポートにちょうど船が停船するところだった。
「自由にいろんなところに行けたらいいな……」
ケイナはぽつりとつぶやいた。
エレベーターが最下階に着き、ふたりは静まり返ったエントランスを抜けて駐車場に向かった。
「乗れよ」
ケイナはヴィルの前座席にまたがると自分の後ろに顎をしゃくった。セレスはそれに従った。
ヴィルは勢いよく駐車場を滑り出すとふわりと上昇し、西に向かった。
「どこへ行くの?」
セレスは尋ねた。
「湖」
ケイナは答えた。
「湖?」
「おれのアパートよりもまだ西に行ったところに人工だけど湖が作られてるんだ。おまえ、行ったことないのか?」
「ないよ」
ケイナはそれ以上何も言わなかった。
1時間半ほど飛んだ頃、目の前に見渡す限りの水平線が広がった。
セレスは思わず目を見張った。水平線の彼方に地球の青い姿が浮かんでいる。
ケイナは湖を取り巻く林を越えて、湖岸の砂の多い部分にヴィルを降下させた。
「すごいなぁ……」
セレスはヴィルを降りると感嘆のため息とともに星空の下で輝く湖を見つめ、ゆっくりと波うち際に歩み寄った。
「水がきれいだ……」
セレスは足下に寄せる透明な波を見てつぶやいた。
「ほんとは海のつもりで作ってんだよ」
ケイナは砂浜に腰をおろして言った。
「だけど、水は淡水だし、ちっせぇし…… どう見たって湖だよな……」
「ケイナは海を見たことがあるの?」
「ない」
ケイナは即座に答えた。
「おれはここの『ノマド』で育ってるんだ」
「ほんとの海はこんなにきれいじゃないよ」
セレスは肩をすくめた。
「海水だけじゃなくて、周囲の大気も汚れているから防菌マスクなしでは近付けないんだ」
「知ってるよ…… 『ライン』のライブラリで見た」
ケイナはぱたりと身を倒して仰向けに寝転んだ。
「ここだって似たようなもんさ。空調システムが壊れたら息できねぇじゃねえか」
「今度一緒に地球に行こうよ。休暇のときにでも」
セレスはケイナに近づくと、その脇に腰をおろした。
「叔母さんにケイナのこと紹介するよ。叔母さんの作るミートパイはうまいんだ」
ケイナはぼんやり空を眺めていたが、やがてその目を閉じた。
「地球か…… いいな……」
「そうだよ。絶対一緒に行こう」
セレスは言ったが、ケイナは何も言わなかった。