ハルドとリーフが戻って来たのはそれから20分後だった。
 フロアを横切って部外者が立ち入り禁止になっているエレベーターに入り、4人は二十階まであがった。
「ぼくはここで失礼します。ゆっくり見学していってください」
 リーフは笑みを浮かべ、分厚い扉の向こうにセレスとケイナを促した。
「父はなんて?」
 ケイナはリーフの横をすり抜けるとき彼に尋ねた。リーフは肩をすくめた。
「めずらしいこともあるもんだ、と」
 ケイナは少しほっと息を吐いた。
「大丈夫ですよ。司令官はむしろあなたが外に出てくれたことを喜んでおられるようでした。クレイ指揮官に一任しておられます」
 ケイナはうなずいて先に部屋に入っていったふたりのあとを追った。リーフは黙ってその後ろ姿を見送った。
 広い部屋の中にエアポートの様子を映すモニターが無数に並んでいる。
 目の前の壁には大きなスクリーンがあって、ちかちかと無数の点が点滅していた。
「エアポートに出入りする人間はすべてここで掌握されるんだよ」
 ハルドは言った。セレスはこぼれ落ちそうな目をさらに大きく見開いて 呆然と部屋の中を見回していた。
「半分はエアポート指令室、半分は軍の警備管轄だ。ここで異状が発見されたら、すぐに十階の警備本部に伝わるようになってる」
 ハルドはふたりを機械の間を縫うように案内し、ひとつひとつのデータの説明をしていった。
「『ライン』のコンピューター室なんか比べ物にならないや……」
 セレスはつぶやいた。
「当たり前だよ。ここはエアポートの第二の頭脳だぞ」
 ハルドは苦笑いした。
「あそこのモニターはエアポート内のすべての様子が映像とデータで把握されるようになってる」
 ハルドが指差したのでケイナとセレスは指さされた方向に顔を向けた。壁面一面にモニターが並んでいる。モニターに映るひとりひとりに数字がまとわりついたり消えたりしているのはきっと違法な武器や所持品がないかどうかをチェックしているのだろう。
 ケイナは何か厭な予感がしていた。ここに入ったときから妙に神経がざわつく。
「こっちに来てみるといい。もう少し詳しくデータが見られるから」
 ハルドが言ったので、ふたりはモニターに背を向けた。そのとき、ケイナは自分の目の端に映ったものにひっかかった。彼は再びモニターに顔を向けた。
 いったいどのモニターにひっかかったんだろう……。
「どうした?」
 ハルドがケイナの表情に気づいて近づいた。
「なにか見えた……」
 ケイナはつぶやいた。
「見えた?」
 ハルドは目を細めた。近くのオペレーターに目を向けると、オペレーターは異状はないというように首を振ってみせた。
(どのモニターだ……)
 ケイナは焦りを感じた。
 異様な警戒の思いに囚われた。なぜ、こんな気持ちになるのだろう。
「どうしたの、ケイナ」
 セレスがケイナの顔を見た。
「何かが見えたんだ……」
 ケイナはつぶやいた。セレスはケイナの視線の先を追ったが、彼が何を探しているのか分からなかった。
「あれだ」
 ケイナはようやく探し出した。ハルドもセレスも急いでケイナの視線を追う。
「どこのモニターだ」
 ハルドが言った。
「左から二番目、上から六番目のやつ。B08」
 ケイナは答えたモニターの中央にはひとりの中年の男が周囲の群集とともに映っていた。長い黒っぽいコートを着ている。
「拡大します」
 オペレーターはすばやくキイをたたいた。画面が前面にクローズアップされる。
「気のせいだろう…… アラートが出ていない」
「コンピューターでとらえられないものもある」
 ケイナは険しい口調で言った。
「あの男の視線はおかしい」
「マード・クレーターです」
 ケイナの言葉にオペレーターが答えた。該当者の身分証明が別の画面に拡大される。
「地球籍ウエストBA110、エンジニア。前科歴なし。病歴なし。金属探知異状なし…… 一瞬微弱な電流を感知…… 恐らく身につけたベルトかアクセサリーかと思われます」
「ケイナ、ここで察知できる危険は99%だ。残りの1%の確率も人工知能が常に情報をアップデートしている。潜り抜けるのは無理だよ」
 しかしハルドの言葉にもケイナは譲らなかった。
「あのコートだ。あのコートはシールドだ。あいつは懐に銃を持ってる。違法改造した銃だ」
「なぜコートの下の銃がわかるんだ」
 ハルドは目を細めた。にわかに信じられなかった。
 最先端のコンピューターが感知できないものを、どうして生身の人間のケイナが画面を見ただけで見抜けるというんだ。
 セレスは身体中の皮膚がぴりぴりとしてくるのを感じた。まるでケイナの緊張が伝染したようだ。
 ケイナの顔が急に青ざめた。コートの男の行く先に、さっき言葉を交わした少女の姿が見えたのだ。
 彼は身を翻すとドアに突進した。
「ケイナ……!」
 セレスはあわてて彼のあとを追った。
「ナンバー3、362ブロックに出動指令を出せ!」
 ハルドはオペレーターに怒鳴った。
「さっきの彼の言葉を指令根拠にするんですか?」
 オペレーターが困惑した表情でハルドを見た。
「いいからやれ!」
 ハルドは一喝すると、ふたりのあとを追った。途中でリーフに会うと、リーフは分かっているというように手をあげてみせた。 飲み込みの早いリーフの存在は有り難かった。
 ケイナの顔にはただならぬ気配があった。どうしてだか分からないが、彼はコンピューターが捕らえられない危険を察知したのだ。単に思い過ごしならそれでもいい。そうであって欲しいと願った。

 ケイナはエレベーターに身を滑り込ませ、追ってきたセレスが乗り込む前にドアを閉めていた。自分が何の武器も持ち合わせていないことにはまだ気づかなかった。
 そしてエレベーターのドアが開き切る前に外に飛び出した。
 モニターで見た場所がどこなのか見当もつかなかったが、自分の直感が信じる方向に向かって走り始めた。
 そしてその男を見つけた。男はゆっくりとコートの下から黒い銃を抜き出すところだった。
 銃身がびっくりするくらい長く大きい。
「伏せろ!」
 ケイナが大声で叫ぶのと、銃が爆音を立てたのとが同時だった。悲鳴とともに、群集がパニックに陥った。
「動かないで伏せろ!」
 ケイナは叫んだが、喧騒にかき消された。
 あいつは逃げまどう人間を標的にする。人が恐怖に陥るのを見て快感を感じている。
 ケイナは自分にぶつかって逃げまどう群集の中で言い様のない憤りを感じた。
「ママ!」
 視線の先に泣き叫ぶあの少女の姿があった。ケイナは彼女に突進した。
 彼女と男とは十数メートルしか離れていない。格好の標的だった。
「撃つな!」
 ケイナは男の銃口が彼女を狙うのを見て声を限りに怒鳴った。
「撃つな!」
「お兄ちゃん!」
 少女をかき抱こうとした時、ケイナは銃が爆音をあげるのを聞いた。
「ミリ!」
 女性の金切り声が響いた。
 ケイナは少女の体を必死の思いで抱き締め、うずくまった自分の右の耳もとを風が通り過ぎたような気がした。


 しばらくあたりは静寂に包まれていた。
 ケイナはゆっくりと顔をあげた。男の歓喜に満ちた顔がわずか数メートル先に見えた。
「お兄ちゃん……」
 腕の中で少女が怯えた声を出した。
「よく聞いて」
 ケイナは男を油断なく見つめながら言った。
「合図したらママのところに走るんだ。ママがどこにいるか分かる?」
「うん…… 柱のところにいる」
「まっすぐに走れ。何があっても立ち止まるなよ」
「怖い……」
 ケイナは男を睨みつけながら立ち上がった。
「そんな怖い顔をするな。もっと泣いてくれなければ困る」
 男は言った。落ち窪んだ目はどろんと濁り、無精髭の奥の口が歪んでいる。
「行け!」
 ケイナは叫んだ。少女はまっしぐらに走り始めた。
 男の銃が少女を狙おうとする前にケイナは男に飛びかかっていた。爆音が響いたが、ケイナは銃口を力づくで天井に向けていた。
 ハルドはようやく現場に駆け付けると、すばやく先に配置していた警備兵たちに群集を安全な場所に誘導するように指示をした。そしてケイナに走り寄ろうとするセレスの腕を慌てて掴んだ。
「何をする気だ!」
「ケイナが……!」
 セレスは喚いた。ケイナの右耳のあたりからおびただしい量の真っ赤な血が流れている。
「おまえに何ができる!」
 ハルドは弟の腕を掴みながらひとりの兵士から銃を受け取った。ほかの兵士たちに合図を送るのと、男がケイナを力まかせに撥ね除け、床に転がったケイナの眉間にぴったりと銃口を押しつけるのが同じだった。
「ケイナ!」
 セレスは悲痛な声をあげた。
「邪魔をしやがって…… 泣いて命乞いをしろ。泣き喚け」
 男は低い声でケイナに言った。ケイナは無言で男の顔を睨み返した。
「薬をやってるな……」
 ハルドは男のどす黒い顔を見てつぶやいた。
「薬?」
 セレスはびっくりして兄を見上げたが、ハルドはそれには答えなかった。
「銃を捨てろ!」
 ハルドは男に向かって怒鳴った。しかし男はにやりと笑っただけで相変わらずケイナに狙いをつけている。
 周囲が銃を構えた兵士に取り囲まれているのを何とも思っていないようだ。
「撃てるもんなら撃ってみろ」
 男はケイナに銃口をつきつけたまま、身をかがめてその肩を抱き寄せるようにして首に腕を回し、無理やり立ち上がるとそのままぐるぐると動き始めた。
「なんで撃たないのさ!」
 セレスはいらだたしそうに兄に怒鳴った。
「すぐに狙撃班が来る。それまで待つんだ!」
 ハルドは言った。
「きれいな顔をしたお兄ちゃんじゃねえか」
 男は饐えた匂いのする息を吐きながらケイナに言った。
 ケイナを片腕で締め付けながらぐるぐると動き回る。
「じっとしやがれ、この野郎……」
 セレスは兄が呟くのを聞いた。
 次の光景は誰も予想していなかったものだった。
 ケイナは目の前のある男の左手に思い切り噛みつくと同時に片足を引き、男の右手にある銃口を掴んであっという間に背負い投げのようにあっという間に男を投げ飛ばした。
 掴んだ銃口からまるで細いバトンのように銃が軽々とケイナの左手に移り、床にたたきつけられた男が呻き声をあげるのと、ケイナがその額にぴたりと銃口をつきつけるのが同時だった。
「下衆野郎……!」
 ケイナは床に血を吐き出した。床に血と共に小さな肉片が落ちる。
 ケイナは男の手の皮膚を噛みちぎっていた。
『なんだ…… あの動きは』
 ハルドは茫然としていた。こんな動きができる人間は見たことがない。ましてや訓練生の身で。
 警備兵たちが男を捕獲するために走り出そうとした。 しかしそれに向かって叫ぶケイナの声が響いた。
「来るな! この下衆野郎はおれが殺す! 近づくとおまえらも撃つ!」
「ばかな……!」
 ハルドはかすれた声でうめき、セレスが再び走り出そうとしたので慌ててその腕を掴んだ。
「ケイナ! ダメだ……!」
 セレスは叫んだがケイナは聞こえていないかのように反応しない。
「泣いて命乞いをしろと言ったよな。そのまま返してやるよ」
 薄く笑みさえ浮かべていた。
「ケイナは左手で銃を持ってる…… もう、自分の意識で動いてないんだ」
 ハルドは訴えるように言うセレスの顔を思わず見た。
「なに?」
「ケイナの耳からピアスが取れてる。ケイナはこっちの世界にいないんだ……!」
 セレスは兄にすがりつくように叫んだ。ハルドには弟の言っていることがさっぱり分からない。
 再びケイナに目を向けた時、ひとつの影が突進するのを見た。
 それは信じられないすばやさだった。
 影が男をケイナの構える銃の射程範囲からはじき飛ばすとの、ケイナが撃ったのとが同時だった。
 男がいたはずの床に大きな穴があいた。
 影が何者なのか確かめようとする前にハルドは弟が走り出したことに気づいた。今度は腕を掴み損ねた。
「終わりだ! ケイナ!」
 男の体を組み伏せながら影が叫んだ。真っ赤な燃えるような髪の少年だった。
 セレスはそれがアシュア・セスだと気づいた。
「終わりだ、ケイナ。銃をおろせ」
 アシュアはゆっくりと言ったがケイナは何の反応も示さなかった。
「ケイナ、おれだ、アシュアだよ。銃を渡せ」
 静かに注意深く語りかけながらアシュアが手を差し伸べても、ケイナは全く表情を変えない。
「ケイナ! アシュアを撃つな!」
 セレスはケイナの背後から叫んだ。
「アシュアだよ! 分かんないのかよ!」
 セレスは祈るような気持ちだった。ここでアシュアを撃ってしまったら、彼は決してこっちの世界には戻ってこないだろう。
 セレスは意を決してケイナに飛びかろうとした。しかし、ケイナに手を触れる瞬間に彼は振り向き、持っていた銃の銃身で思いきり殴られそうになった。
 すんでのところで身を伏せたので、銃身はセレスの緑の髪をかすって空を切った。 しかしそのまま銃口はぴたりとセレスの額に止まった。
「ばかやろう……」
 ハルドは自分の銃の照準をケイナに合わせた。
 もう、どうしようもない。
 照準の先に見えるケイナの姿が滲んでぶれた。それで初めて自分の手が震えていることに気がついた。
 これまでたくさんいろんな事件に出会って来たが、こんなことは初めての経験だった。
「ケイナ…… こっちに戻ってきてくれよ……」
 セレスは震える声で言った。やはりケイナの表情は変わらなかった。
 アシュアは隙のないケイナの背後でじりじりしている。 下手な動きをするとセレスの頭をケイナは撃ち抜いてしまう。
「ケイナ…… おれが分からない? おれのこと、覚えてない?」
 セレスは懇願するように言った。
「ケイナ! おれの声を聞いてよ!!」
 ケイナの表情にかすかな変化が見えた。アシュアはそれを見逃さなかった。
 次の瞬間、アシュアの腕がケイナに飛び、ケイナは銃を取り落とすとゆっくりと倒れた。
 床に体を打ちつける前にアシュアは彼の体を抱きかかえた。
 セレスはそのまま息をきらして床に座り込んだ。
 汗と涙で顔中ぐしゃぐしゃだった。声にならない呻きとともに服の袖で顔を拭った。
 ハルドは警備兵たちに引き摺られていく男を見送ったあと床に落ちた銃を拾い、意識を失ったケイナを抱きかかえるアシュアのそばに歩み寄った。
「クレイ指揮官、すみません。勝手なことをして……」
 アシュアはハルドを見上げて言った。
「きみは誰だ」
「アシュア・セスです。ケイナとは『ライン』で同期です」
「同期……」
 ハルドはつぶやいた。あの動きは『ライン生』の動きじゃない。そう思ったが口には出さなかった。
「ケイナの耳が半分ないよ……」
 セレスは血に染まったケイナの顔を覗き込み、ハルドに訴えた。
 ハルドは黙って口を引き結んだ。
 慌ただしい足音と共に担架が運ばれる。
「痛みなんて、ほとんど感じてなかっただろうよ」
 アシュアは言った。
 そして、
「戻ってくるかな……」
と、つぶやいた。