「ただいま。……ミリア、ハンナ、レイチェル?」
男が帰宅したのは、すっかり夜も更けてからだった。
流石に妹と姪は帰っただろうか。それに、娘は寝てしまったのだろうか。珍しく明かりも付けていなかった。
しかしこんな森の奥だ、家の周辺には熊避けの罠は張っていたが、万が一ということもある。男は注意深く気配を確認しながら、部屋の明かりをつけた。
すると、扉のすぐ近く。首にナイフが刺さった状態で、既に黒く酸化した血の海に溺れるように、妹が倒れていた。
「……!? ハンナ……っ!」
ブーツに血が跳ねるのを気にせず慌てて駆け寄るが、彼女は既に息がなかった。
この異常事態に動揺し、戦慄する。しかしすぐに男は銃を構え、子供達の安否を確認するため階段を駆け上がった。
勢いよく娘の寝室に入ると、いつものようにベッドに眠る姿があり、脱力してその場に座り込んだ。
「あれ、パパ、おかえりなさい……? どうしたの?」
いつもと変わらない娘の様子と、腕の中に抱いて一緒に寝ていたらしい姪の姿を見て、力の入らない足で何とか立ち上がる。
「ミリア……良かった。お前が無事で……」
よろよろとした足取りで二人に近付いて、震える手で抱き締めようとして、気付いてしまった。
娘の腕の中の赤子は、息をしていなかった。……否。口の中に綿を詰め込まれ、息など出来なかったのだ。
固まる男をよそに、娘はいつものように新作のぬいぐるみの出来を褒めて貰おうと、赤子だったそれを掲げる。
「見て、パパ。人の形のぬいぐるみよ! 可愛くて柔らかいの、素敵でしょう?」
「……ミリア、……」
「あのね、動物のお肉は食べられるって聞いたけど、せっかく柔らかくて手触りもよくて勿体無いから、そのままにしたの」
「……」
「でも、綿を詰めたのにどんどん固く冷たくなってきちゃったから、お布団であっためてたのよ。……あ、大丈夫! ちゃんと落とさないよう、気を付けて運んだから!」
娘の言葉に、男は絶句するしかなかった。
彼女にとって、可愛いと見ていた赤子は、兎達と同じぬいぐるみの材料でしかなかったのだ。
そして完成した綿詰めの死体も、ぬいぐるみと信じて疑わない。
「あのねパパ、ハンナおばさん、レイが泣いたら起こしてねって言ったのよ。レイは泣かない良い子だったのに、起きてきておばさんが泣くんだもの」
「……」
「だから私、どうしようって思って……、泣いて喚いてうるかったから、おばさんを寝かせたの。前にパパが兎さんや狐さんを寝かせるの、見たことあったもの」
その光景は、容易に想像がついた。生まれたばかりの赤子が死んでいるのを見て泣き叫ぶ妹の絶望を思い、男の目にも涙が滲む。
狩人という職業柄、男は命を奪うことを当然のようにしてきた自覚はあった。それでも、それが歪んだ形で娘に伝わってしまっていたとは、考えもしなかった。
娘に必要だったのは、その場凌ぎのぬいぐるみ等ではなく、常識や知識、その他大切なものを教える時間だったのだ。
しかし、今更気付いても、後悔しても、もう遅かった。
「ぬいぐるみなんて、与えなければよかった……」
「あら、私、ぬいぐるみ好きよ。だってぬいぐるみのある朝は、パパ、森へ行かずに傍に居てくれるもの」
「……嗚呼……すまない、ミリア……すまない……」
「謝らないで、パパ……。寂しくても、パパのくれたぬいぐるみは、ずっと傍に居てくれたわ」
娘が求めていたのは、初めから父親の愛情だったのだ。それをようやく理解した男は、泣きながら娘を抱き締めた。
「ミリア……」
「……ねえ、パパ」
娘の声に、顔を上げる。けれど涙でぼやける視界では、娘の血濡れた手に、毛皮を裁断するための大きな鋏が握られていることには、気付けなかった。
「私、気付いたの。……パパもぬいぐるみになれば、これからは私たち、ずーっと一緒よね?」