不倫ごっこしてみませんか?―なぜあなたも好きになってはいけないの?

直美とは高校2年生の時に同じクラスになって始めて知り合った。目がクリっとした僕の好みの顔立ちで髪はショートカットで活発な可愛い女子だった。また、成績もクラスの上位にいた。

僕はそのころはとってもシャイで女子に話しかけることすらできなかった。ただただ、彼女を横から、後ろから、眺めて憧れているだけだった。ときどき視線が合うとドキドキしてすぐに目をそらせていた。そのころ彼女と会話をした記憶は残っていない。

それで彼女は僕が好意を持っていることに気づいていたのかもしれない。僕が地元の大学に合格した日に思いもかけず電話をしてきてくれて「合格おめでとう」と言ってくれた。彼女も希望の学部に合格していたので、話がはずんだ。高校が進学校だったのでようやく僕たちは受験から解放された。その時は彼女が僕に好意をもっていてくれていたなんて思いつかなかった。

学部は違っていたけれど、それから僕たちは時々会って話をするようになった。せいぜい2、3か月に1回くらいだったように思うが、まあ、はじめは情報交換といったところだった。そのうちに学園祭に招待したり、招待されたりして、親しさは少しずつ増してはいったように思う。ただ、好きだとコクルことや付き合ってくれとかは、お互いに口にしなかった。

そのころの二人は共に学生生活を謳歌して、お互いに自由であって束縛されたくないという思いがあったのだと思う。彼女から見て僕は One of them だったと思っている。今からしてみると、友達以上恋人未満などとは到底言えない間柄だったと思う。

学生生活を謳歌していたのもつかの間、僕たちは就職戦線に臨まなければならかった。お互いに就職活動のため、次第に会う機会もなくなっていった。

僕は東京の食品会社に就職が決まって上京した。彼女も東京の旅行代理店に決まったと聞いた。大学を卒業してそれぞれの会社へ勤めだしてからも、仕事が忙しくて、疎遠になっていた。

就職してから2年くらいたって、ようやく仕事を覚えたころに、高校2年生のときの同窓会を、秋谷(あきたに)幸雄(ゆきお)君が幹事となって地元のホテルで開催してくれた。秋谷君は僕の親友でもあり、同じく東京の電機会社に就職していた。

久しぶりに参加すると、そこに田代直美も来ていた。すっかりOLが板について、見違えるように洗練された女性になっていた。

そのころの僕もすっかりスーツが身についた社会人になっていた。また、合コンなどにも参加できるほど仕事にも生活にも余裕ができていた。でも特定の彼女がいる訳ではなかった。

僕と直美はそこで再会したのがきっかけとなって、また時々会って、まあ、いうなれば情報交換をするようになった。時々一緒に食事をしたり、イベントに行ったりしたが、このときもお互いに付き合ってほしいとか言うことはなかった。まあ、学生時代から長く付き合っている友人のままで、男女の関係にもならなかった。

お互いに好意を持っていることは感じていたが、彼女でなければならないとか、運命の人だとかの思いはなかった。でも会わなくなることもなかった。

安全パイをキープしておいて、良い相手が見つからなければ、最終的には、というような気持ちもあったのかもしれない。彼女もそう思っていたのかもしれない。ただ、お互いに優柔不断だっただけかもしれない。

就職してから5年ほど経っていたと思う。その時まで付かず離れずという怠惰な関係は続いていた。会う間隔もせいぜい2~3か月に1回とかになっていた。

「私、お見合いをしようと思っているの」

久しぶりに会ったときに、直美が唐突に話し出した。

「仕事に行き詰ったのか? それとも本当に結婚したくなったのか?」

「どっちもかな?」

「それなら、会ってみるだけ、会ってみれば」

僕は軽い気持ちで答えてしまった。今でもそれを後悔している。「それなら、会ってみるだけ、会ってみれば」に「僕より良い人ならば、考えてもいいんじゃないか」と軽く付け加えておいたならば、状況は変わっていたかもしれない。

いや、あのとき「お見合いは止めて、僕と結婚する?」と言えば良かったに違いない。でも、その言葉が僕の口から出ることはなかった。

彼女はそういう僕のそっけない態度に失望したのかもしれない。それとも本当に会って、彼と僕を比較したのかもしれない。そこのところは分からない。その日が二人で会った最後の日となった。

しばらく音信不通になっていた。いままでそういうこともあったので特段気にもならなかった。7か月後に結婚したとの挨拶状が手元に届いた。僕は驚いて何度も何度もその挨拶状を読み返した。そのとき、大事なものを失ってしまったと体中から力が抜けたのを覚えている。
眠っていたはずの直美が突然寝返りをうって僕の方に向きを変えてしがみついてきた。そしてはにかんでいるのか、いたずらっぽい目をして僕に小声で聞いた。

「目が覚めた? こうなったことを後悔している?」

「いや、君の方こそ後悔していないか? 僕があんなことをするとは思ってもみなかっただろう?」

「昔のあなたならね。でも試してみたくなったの。だから私の部屋に誘ってみたの。私のせいにしていいから」

「君のせい? 誘った? あの時拒絶されたら、久しぶりに会った親愛のハグだと言おうと思っていた」

「あなたらしいわ、少しも変わっていない」

「お見合いの話をした時のこと覚えている? その時、僕は君にそっけない返事をしてしまった。挨拶状をもらって君が結婚したと知った時はショックだった。君を手放すべきではなかったと後悔した。それで君のことはずっと心のどこかにあった」

「また、会えるかしら?」

「いいけど、できればまた会いたい」

「よかった。勇気を出してあなたを誘惑して」

「誘惑? いや、僕の方こそ、君を誘惑してしまった」

「後悔していないでしょう?」

「ああ、もちろん」

「お互いにパートナーには分からないにして会いましょう」

「僕は君の家庭を壊すようなことはしたくない」

「私も主人を悲しませたり困らせたりしたくありません。ただ、あなたと会いたいだけ」

「分からないように会うのは難しくないか?」

「難しくはないわ。あなたはお母様のお世話で帰省しているのでしょう。私もそうですから。それなら今回のように疑われずに会う機会は作れるわ。帰省の間隔はどれくらい?」

「一昨年末に親父が亡くなってからだけど、母親はまだそんなに年をとって衰えているわけではないから、だいたい2~3か月毎に2泊3日くらいで帰省しているけど」

「私も同じくらいの間隔です。やはり2泊3日です。このくらいの方が母親も疲れないからと言っています」

「うちの母親も同じことを言っている。来てくれるのは嬉しいけど3日以上いられると疲れるというので、ほどほどにして戻ることにしている」

「それなら二晩もゆっくり会えるわ。このことは絶対にパートナーに悟られないようにすることをお互いに約束しましょう」

「ああ約束しよう。連絡方法はどうする?」

「ハンドルネームでメールにしましょう」

「無料の新しいメールアカウントを作った方がよいと思う」

「主人は私のスマホを見たりはしないけど、念のために。ここには友人が何人もいるから分からないと思います」

「連絡頻度と内容は最低限にする。そしてすぐに消去しておく。リスクはできる限り少なくした方がよいと思う」

「次に会うのは2か月後ね。帰省はだいたい金、土、日の2泊3日ですが、祝日を利用することもあります。1か月くらい前に予定のメールを入れますから、都合を知らせて下さい」

「了解した。事前に日程の調整をしよう」

すっかり明るくなっていたが、もう一度愛し合う。お互いの気持ちを確かめ合った今はもうゆとりをもって愛し合える。

◆ ◆ ◆
3月14日(日)目が覚めたら8時を過ぎていた。直美はすでにシャワーを浴びて身づくろいを終えるところだった。

「今日はここでお別れしましょう。朝食も別々にして、私は9時54分の特急で大阪へ帰ります」

「そうしよう。どこで二人一緒にいるところを見られるか分からない。慎重に越したことはない。僕は10時57分の新幹線で帰る」

僕は身づくろいをして自室へ戻ってシャワーを浴びた。10時にチェックアウトをする途中に1025号室の前を通ったが、部屋にもう掃除の係の人が入っていた。
3月14日(日)ホテルのロビーから実家へ電話を入れる。母親にこれから新幹線で帰るが、変わりがないかを確認する。2日間のお礼を言われた。これで安心して戻れる。それから、妻の(みち)に電話を入れる。

「これから10時57分の新幹線で帰る。東京駅には13時52分着、家には3時前には着けると思う。いつものように夕食にお弁当を買って帰るけど、ほかにほしいものは?」

「お母様は元気だった?」

「ああ、変わりなかった。家の片づけを手伝ったけど、やはり親父の遺品の整理が進まなかった。なかなか捨てさせないから」

「根気よくやることね。お土産はおいしそうなお弁当とそれからいろいろ食べてみたいから和菓子の詰め合わせを買ってきて」

「恵理は良い子にしている?」

「言うことを聞かないで困っているわ。早く帰ってきてお勉強を見てほしい」

「分かった」

帰省すると帰り際に母親が旅費と小遣いをくれる。必要ないと断ってもくれるので、いくつになっても息子は息子のままなのだと思って、それに甘えることにしている。それでお土産を買って、残りは小遣いにしている。

母は父の遺族年金と自身の年金が入るし、実家の脇の空いたスペースを駐車場にして貸しているのでその収入もある。特段、生活に不自由している様子はない。それでこちらも援助の必要もなく助かっている。

チェックアウトして外へ出ると、昨晩の雨が嘘のように晴れ上がっている。歩いて駅へ向かう。駅の近くに宿をとると時間が読めるから、出張でも必ず駅の近くにしている。土産物売り場で注文の和菓子の詰め合わせと弁当3人分を仕入れる。コンビニで昼食用のおにぎりとつまみと缶ビールを仕入れる。

北陸新幹線が開通してからずいぶん便利になった。金沢から片道で最短2時間半、長くても3時間足らずで到着する。いつも昼食に飲んだビールでうとうとしているとすぐに東京駅に到着する。

今家族で住んでいる2LDKのマンションまで東京駅から45分くらいだ。5年前に買って、まだローンは残っているが負担になるような額ではない。父親が生前に援助してくれたのと、廸の実家も援助してくれたので、ずいぶん助かった。

予定どおりに午後3時前にはマンションに帰ってこられた。2泊3日の予定で出かけてはいるが、帰りの3日目は早めに向こうを立って、この時間には着くようにしている。月曜からはまた仕事が待っている。だから家でゆっくりして身体を休めたい。

「お弁当を見繕って買ってきたけど、気に入るかな?」

「3つとも違うのね。すぐ食べようよ。3つとも開いていい?」

「まだ、3時過ぎだぞ。これは夕飯に買ってきたんだけどね」

8歳になった娘の恵理(えり)がもう食べようと言って聞かない。2日半も家を空けていたのだから仕方がない。

僕はちょうど40歳になったばかりだ。(みち)は4歳年下の36歳だ。お弁当を3人でつつきながらかなり早めの夕食を食べている。

「次の休みには恵理の勉強をみてくれる? 私だと恵理が言うことを聞かないから」

「恵理そうなのか?」

「ママはすぐに怒るから、パパの方が教え方はうまいし分かりやすい」

「そうでしょう。お願い」

「分かった」

廸も恵理も機嫌が良い。お弁当を食べ終えると、今度はお菓子の詰め合わせを開けて、お茶を飲みながら食べ始めている。僕も好きな餡の入ったお菓子を2つほど食べた。そのあと、僕は恵理の勉強をみてやった。

恵理は勉強が嫌いではないし、学校の成績も悪くない。やる気はあるので教えるのも苦にならない。この娘の勉強をいつまでみられるかなと思うと今の時間がとても大切に思えてくる。

日曜の晩は早めに休むことにしている。恵理は今年から6畳ほどの部屋を勉強部屋にしてそこで一人で寝るようになった。それまでそこは僕の書斎だった。

僕と廸は8畳ほどのメインルームを寝室にして布団で寝ている。それまでは親子3人で寝ていた。それで廸との夜は疎遠になりがちだった。このごろは向かいの部屋に気を使いながらも愛し合うことがふえた。

隣に寝ているとついお互いに手が伸びる。僕が誘ったときに廸は拒んだことはないし、廸が手を伸ばしてきたときには僕も拒んだことがない。ただ、二人とも途中で寝落ちすることが何回もあった。お互いに働いていて家事や仕事で疲れているのでしかたがないと思っている。

僕はHが嫌いな方ではもちろんないし好きな方だと思っている。廸もどちらかというと好きな方だと思う。感じやすいし、昇り詰めているのも分かっている。

廸が僕の布団に入ってきて身体を寄せてくる。しばらく留守にして寂しい思いをさせた。この前に愛し合ってから時間がたっていた。昨晩の直美の身体との違いを確かめるように廸を愛し始める。

廸と直美、二人共、感じやすい方だと思うが、感じやすいところと感じ方がまるで違っている。押し殺した声も違っている。僕はなぜかそういう時は冷静でいられて観察ができる。

廸を愛するときの流れはほぼ決まっている定番といった愛し方がある。何度も重ねるうちに自然と流れが決まってきている。マンネリというか、代り映えしないが、それでも廸は毎回満足していると思っている。

直美とのことがあったせいか、今日はいつもの流れに違った体位を入れてみた。これは昨晩、直美が僕に望んだ体位だった。直美がそれで何度も昇り詰めていたのが分かったから廸にも試してみたかった。

廸はいつもと違う流れなので戸惑ったかもしれないが、それが刺激になったのか、すぐに昇り詰めていった。

◆ ◆ ◆
満ち足りた表情をした廸が僕から少し離れたところで横向きになってこちらを見ている。昨晩の後ろめたさもあってこちらから話しかけた。

「久しぶりだから今日はいつもと違ったことをしてみたかった。どうだった?」

「すごく良かった。たまには変わったこともいいわね」

「そうだね。これから毎回少し工夫してみよう。いやか?」

「おまかせします」

廸は「どうして」とか僕に聞いてこなかった。それから僕の腕を抱いて眠ってしまった。昨晩、僕に起こったことに廸は気づいていないと思う。
僕が若狭(わかさ) (みち)と出会ったのは12年ほど前だった。直美の結婚を知ってから1年くらいは経っていたかもしれない。あのころの僕は直美の結婚からまだ立ち直れていなかったように思う。

それまでの僕は恋愛には無頓着で一人の人を愛することなど考えたことがなかった。まだ20代でもあったし、結婚もまだまだ早いと思っていた。同期の連中も皆独身を謳歌していた。

ただ、直美とのことが契機になったのは間違いない。あの喪失感はなんだったのだろうと考え続けていた。そんなときに廸と出会った。彼女は関連会社に勤めていて、会議で同席するようになったのがその始まりだった。

彼女は入社して3~4年くらいで、まだ初々しさがあって、僕にはまぶしく輝いて見えた。髪は肩までのセミロングで、顔立ちも整っていて僕の好みだったこともあって、会議中は彼女を見ていることが多かった。

後で聞いた話だけど、彼女は僕が会議中に彼女を見つめていることにたびたび気が付いていて、私に好意を持ってくれているのかしらと思ったと言っていた。まあ、そこまでは考えていなかったとしても、男は綺麗な若い女性には自然と目が行くものだ。

仕事の関係で、会議で同席することも、2対2で会うことも、1対1で会うことも増えていった。2対2の打ち合わせの後では親睦のために軽く飲み会をすることもあった。それで廸とは個人的な話をする機会も増えていった。

彼女は仕事にしっかり向き合っていて、自分の意見を持っていた。議論しても理路整然としていて論破されることもあった。男同士ならお互い妥協できないところは、なあなあになったりするが、そういうこともなく、ビジネスライクでかえって仕事を進めやすかった。

また、年下だとは思っていたが、意外と芯のしっかりしたところがあった。始めは僕が彼女に恋愛感情を持っていなかったのは間違いない。それは関連会社の人と付き合うことはまずいと考えていたためでもある。

誰かと誰かが付き合っているとすぐに社内で噂になったりする。付き合ってうまく行けばよいが、別れたりすると、あとあと気まずいし、人事考査に影響したり、悪くすると配転になったり転勤になったりしかねない。

ある時、飲み会の後で僕は廸と偶然帰る方向が同じで駅まで二人きりになった。廸は少し酔っていたのかもしれない。いつもより口数が多いように思った。それで歩きながらとりとめもない話題で話が弾んだ。

「吉田さんって、彼女いるんですか?」

何がきっかけで聞かれたのか覚えていない。彼女は僕が独身であることは知っていたが、突然こういう聞き方をされるとは思わなかった。こういう質問をするのは相手に関心がある時だと分かっていた。でもどういう訳か、彼女には誠実にありのままを答えても良いのかなと思った。

「いない。ただ、1年前、高校時代からの女友達にお見合いすると告白された。そしてほどなく彼女は見合い結婚した。結婚の挨拶状を突然もらって、すごい喪失感を覚えた。ただの女友達だと思っていたのにね」

「失恋したような?」

「いや、彼女とは付き合っていた訳でもないんだ。ただ、長い間の友人だった」

「その方、吉田さんが好きだったのですね。でないとそういうことは話さないから。それに吉田さんもその方が好きだったのは間違いありません」

「確かにその時はそういう意識はなかったけど、あとから少しずつそれが分かってきた。僕は恋愛には向いていないね」

「吉田さんに彼女がいないのは分かる気がします。吉田さんは会議で意見が対立しても相手を追い詰めたりは決してしないし、自分が折れて相手の顔を立てたり気配りがすごくできて、尊敬しています。ただ、自分を抑え過ぎるところがあると思います。女性に対しても自分の気持ちに素直になれなかっただけだと思います」

「僕はその自分の素直な気持ちが認識できないのだと思っている。どうしようもないね」

「じゃあ、私と『恋愛ごっこ』してみませんか? 素直な気持ちというものが分かるようになると思いますが」

「『恋愛』じゃなくて『ごっこ』? 恋愛の振りをする?」

「『ごっこ』ですから、本気じゃなくていいんです」

「若狭さんとその『恋愛ごっこ』をすると素直な気持ちが分かるようになるというのか?」

「はい。きっと」

唐突な提案に驚いたが、今思うと、廸は僕が彼女に好意を持っていると確信していたに違いない。それを僕自身が気づこうとしていないこともよく分かっていた。

「でもこのことは絶対に秘密にしましょう。周りからいろいろ言われたり、興味を持たれたり、気を使われたりするのはいやでしょう。職場関係の恋愛は仮に『ごっこ』だったとしても、いろいろリスクが高いですから」

「分かった。若狭さんが協力してくれるなら、その『恋愛ごっこ』をしてみようかな」

こうして『恋愛ごっこ』なるものを始めることになった。それからは誘われて週末にデートをするようになった。デートのときには自然に手をつないできたし、腕を組んできた。廸は僕の恋人のように振舞ってくれた。

でも廸は仕事の関係で会議に同席したときや2対2や1対1で打ち合わせをするときは決してそのような素振りは見せなかった。

会議で時々可愛いなと見ていた女性と週末にデートして、そういうことが自然にできることをいつか楽しむようになっている自分がいた。(みち)と「恋愛ごっこ」で話していると心が和んで癒された。週末に会うのが待ち遠しいと思うこともあった。

ただ、僕が(みち)に取った態度は、彼女が関連会社の社員で仕事上の付き合いがあるということが前提というか頭の中にあったので、また「ごっこ」が前提になっていたので、誠実というか真面目そのものだった。やはり恋愛には向かないやっかいな性格だった。

だから1年ほどそういうつきあいというか「恋愛ごっこ」が続いていたが、それ以上に進もうとはしなかったし、できなかった。ただ、(みち)をとても大切に思っていたことは間違いないし、前へ進むことを自ら戒めていた。それで(みち)はこれが限界と思ったのだろう。僕に真正面から仕掛けてきた。

「お見合いの話があるので、もう『恋愛ごっこ』を終わりにしたいのですが?」

廸が僕を試すためにお見合いの話を持ち出したのはすぐに分かった。廸には僕の失敗談を話していたからだ。でも、それを聞いたとき、僕の答はもう決まっていた。自分の素直な気持ちが分かっていた。過去の失敗を繰り返してはいけないことも分かっていた。

「ああ『恋愛ごっこ』はもう終わりにしよう。終わりにする代わりに僕と結婚してくれないか?」

僕ははっきり言った。でもこんな時にこんなタイミングでプロポーズの言葉を言うことになろうとは思ってもみなかった。僕はもうすっかり変っていた。

廸は突然の僕のプロポーズに驚いたのか、期待していなかったのか、黙ってしまった。突然のその沈黙に僕は気が動転してしまって、その沈黙の時間がとても長く感じられた。僕の思い過ごしだったのか? いやいや、そんなはずはない。

「すぐに決められないなら、僕と本気で恋愛してみてくれないか?」

すると彼女は僕の目を見てニコッと笑った。

「はい、結婚を前提にした恋愛をお受けします」

それからの僕は堰がきれたように廸との関係を深めていった。次の週末には僕の部屋に誘った。もう、すぐにでも廸を僕のものにしたかった。

廸は以前に付き合っていた人もいたみたいだが、男女の関係になったのは僕が初めてだった。そのころは秋谷君と遊び歩いたりもしていたので、女性の扱いに気後れすることもなく、冷静に廸を自分のものにすることができた。

だから僕には直観的にそう思えた。それがとても嬉しかったことを覚えている。そのときの一部始終の記憶が今でも鮮明に残っている。

そして1年後に僕たちは結婚した。廸は普通に正式なプロポーズをしてほしかったから、最初のプロポーズの時はとても嬉しかったけど、どうしようかとすぐに答えられなかったと言っていた。

その2年後に恵理が生まれた。廸は今も仕事を続けている。その時の僕の給料では専業主婦は無理だったし、廸も働き続けることを望んだからだ。

廸は運命の人とまで言ってもよいかもしれない。僕にぴったりの女性だと思っている。出会いから結婚までの経緯を振り返ってもそうだ。さっぱりしていて性格も良いし、彼女と一緒にいると気が休まって癒される。特に不満もないし、これまで大きな喧嘩もなく仲良く暮らしている。

だから浮気しようという気も起るはずがなかった。でも直美とはすぐにあんな関係を結んでしまった。自分でもどうしてあんなことになってしまったのか理解できなかった。彼女には思い残すことがあったからだ。そうとしか思えなかった。
3月24日(水)昼休みに親友の秋谷君から電話が入った。秋谷君は高校2年の同窓生で学部は違っていたが、同じ大学に進学した。学生時代も仲が良くて夏休みに一緒に旅行にも行った。彼の就職先は東京の電機会社だった。

働き始めてからも休日に一緒に旅行に行ったり、遊びに行ったりした。何事も経験とソープへも二人で一緒に行ったりもしていた。仕事に慣れてくると世話付きの秋谷君は合コンも主宰してメンバーにも誘ってくれた。

秋谷君も僕とほぼ同じころに合コンで知り合った岡田(おかだ)順子(じゅんこ)さんと結婚した。今では同じく一児のパパとなっている。結婚してからも時々二人で会って飲んでいる。お互いの結婚式に招待し合ったり自宅へ招待したりもしているので廸も秋谷夫妻を知っている。

久々に会って飲むことになった。場所はアクセスが良くてお互いの会社の中間にある駅近くのいつもの居酒屋で6時半に約束した。すぐに廸には[秋谷君と飲むことになったので夕食は不要]とメールを入れておいた。すぐに[飲み過ぎないでね]と返信が入った。

◆ ◆ ◆
「久しぶりだな、元気だったか?」

「ああ、この前はすまなかったな。せっかく誘ってもらったのに帰省の予定が入っていて」

「お袋さんの様子はどうだった?」

「元気そうで特に変わりはなかった。親父が亡くなってから、しばらくは落胆していたが、もう立ち直れたみたいだ。遺品の整理にも付き合ってきた。でも、なかなか捨てさせないので困っている。もう少し時間が必要かな」

「俺もしばらく実家に帰っていないが、兄貴が地元に残っているから任せている」

「次男は気楽でいいな。うちの弟も兄貴任せで困っている」

「そんなもんさ」

「町はどうだった?」

「実家の周りは徐々に寂れていくのが分かる。地方都市はみなそうみたいだけど、少子化で活気がないな。近所にも子供がいない」

「俺たちが出てきたせいもあるな」

「そうだが、就職口がなかったからしかたがないだろう」

「誰かに会ったか?」

「いや、2泊3日だけど、そんな時間は毎回ない。1日目と2日目はほとんど実家で家の掃除と片付け、庭の手入れなどを手伝って、3日目は早めに戻ることにしているから」

「しばらく同窓会をしてないな。確か前回は10年ほど前だったかな」

「秋谷君が幹事をしてくれたからできたんだ。皆どうしているかな?」

「地元に残っているやつと戻ったやつが半数くらいだったな。あとは関東と関西などに散らばっている。もうほとんどが既婚者だろうし、子供もいるだろう」

「また世話好きの秋谷幹事で同窓会をやってみるか?」

「そうだな、昔の彼女にも会ってみたいからな。前回はホテルでの夕食会にしたが、今回はゆっくり飲んで話せるから一泊したらどうだろう。地元の温泉旅館のオーナーに大学時代の友人がいるから一泊することにしても彼に頼めば場所の確保などに便宜を図ってくれると思う」

「帰る時間を気にしなくてよいから、その方がいいね。皆への連絡はどうする?」

「クラスの名簿はパソコンに保存してある。メールやら年賀状などの交換でできるだけ更新しているから大丈夫だと思う」

「5月の連休の後くらいに開催する方向で準備したらどうかな? 僕も手伝うけど」

「連絡は往復葉書とメールの両方でした方がよいと思う。住所もメルアドも変っている可能性があるから」

「連絡がつくメンバーだけでいいんじゃないか? どうせいつも来るやつしか来ないから」

「そうだな、日時と場所を決めたら手分けして連絡しよう。助かる」

十日前に田代直美に会ったとは言えなかった。同窓会を開催するなら2か月後が好都合なので提案した。直美に再会できる絶好の口実ができた。

「ところで奥さんは元気にしている?」

秋谷君の奥さんの順子さんは彼と同い年でしっかりしたキャリアウーマンだ。結婚式の司会をして事前打ち合わせもしたのでよく覚えている。二人は共働きで確か5歳の娘さんがいる。

「仕事と子育ての両立は大変だけど協力しながらやっている。ただ、保育所の送り迎えなどもあってお互いに相当疲れてはいる」

「あっちの方はどうなの? 僕はできるだけしているけど」

「まあ、求められたら応えることにしている。こちらから望んでも疲れていると気が乗らないみたいだから」

「今でも、あそこへは行っているのか?」

「たまにね」

「相変わらずだな」

「吉田君はどうなんだ?」

「結婚してからは行っていない。なんとなく後ろめたいから、行っても気が乗らないと思うし」

「昔から真面目は変らないな。俺はプロにはもう飽きてきたから、素人さんと時々」

「ええっ、素人さんと?」

「聞いたことあるだろう、援助交際とかパパ活とか」

「ああ」

「具体的に言うとそういう専門のサイトがあるんだ。そこで知り合う」

「そんなにうまくいくのか?」

「試行錯誤で要領が分かってきた。やる気があれば教えてやるけど」

「やめておく。素人さんとは。君子危うきに近寄らず。プロなら割り切れるけど」

「プロとは違って素人さんはいいぞ、新鮮味がある。入れ込んでしまわないようには注意しているけど」

「でも、そういう娘って、プロとは言わないまでもセミプロじゃないか?」

「そこのところはちょっと違うと思う。何人もの男性を経験している娘もいるだろう。まあ、そういう感じだ」

「なるほど、それなら分かる気がする」

「プロと素人の違いを分かっている?」

「プロは金銭だけの関係だろう。でも素人が相手でもパパ活のようにお小遣いのような金銭の授受は発生するだろう。だからセミプロといったんだ」

「どちらもお金はかかるけど、プロは確かに金銭だけの関係だ。相手が素人でも食事をしたりプレゼントしたりで、もっと費用はかかる。それにお小遣いは謝礼と同じだ」

「金銭だけの違いではないと?」

「プロは相手を選べないし選ばない。素人は相手を選べるし選んでいる」

「なるほど、もっともだ」

「どちらかというと、素人が相手の場合は、金銭の授受はあるとしても、両方に選択権がある対等な関係だ。選ぶ、選ばれるというのは恋愛に通じるところがある。そう思わないか?」

「確かに。それで同じ娘とは何回も会っているのか? 好きにならないか?」

「一回限りのこともあるけど、だいたい2~3回かな。それ以上になると飽きてくるからな。それに長い期間付き合うような深入りは避けた方がよいと思っている」

「まあ、その方が賢明かな」

「それに俺は何回か会わないと顔を覚えられないんだ。顔をしっかり覚えないうちに別れた方が良いと思っている。街中で出会っても覚えていないと気が付かないだろう」

「僕も人の顔は一回会ったくらいでは覚えられないからな、ありだね。でもやっぱり浮気性だな、秋谷君は」

「男って浮気性だろう。吉田君もそうじゃないのか?」

「そういうことを想像することはあるから、あえて否定はしないけど、それを実行に移してしまう秋谷君ほどじゃないと思っている」

「もう一つ、面白いことを教えてやろうか?」

「まだあるのか? 話したいみたいだから聞こうじゃないか」

「吉田君は口が堅いからな安心して話せるし、的確なコメントもしてくれるからな」

「ああ、秋谷君の話は決して口外しない。墓場まで持っていくつもりだ」

「既婚者合コンって知っている?」

「初めて聞いた。そんな合コンってあるんだ」

「このまえ誘われて1回出席した」

「へー、どうだった?」

「同年代の既婚者の男女がそれぞれ4~5名出席して、まず自己紹介をする。自己紹介は適当な内容でよい。それで飲食しながら自由な会話をする。だいたい2時間くらいで終了する。会話が弾めば、場所を変えて二人で話をしても良い。キャリアウーマン風の女性がほとんどだった。専業主婦はいなかったな」

「それだけ」

「今のところ、それだけだけど。気の合った人がいて名刺交換をした。次に会う約束をしたところだ。うまくいったらそのうち続きを聞かせてやろう」

「ああ、楽しみにしている」

気の合った友人と飲んで気兼ねなく世間話をするのは憂さ晴らしというかストレス発散にはもってこいだ。とりとめもない話に終始した。

ただ、僕に何でも話してくれる秋谷君には悪いが、田代直美とのことは話さなかった。確かに「素人さん相手の場合、お互いに選択権がある」はもっともな話だ。恋愛もそうだが片思いでは成り立たない。
週末に秋谷君から同窓会の開催日時、会場、スケジュールなどの提案がメールで届いた。会場は近郊の温泉旅館だった。また、住所録とメルアドが添付されていた。日時は5月15日(土)午後6時から会食開始。当日の午後3時に旅館のバスが駅の西口に迎えに来てくれることになっている。会費は15,000円。

秋谷君が往復はがきで各人に案内状を出して、僕もメールで各人に案内状を送ることになった。出欠の締め切りは4月末日にした。5月初めに集計して人数を確定して秋谷君が旅館に知らせる手筈だ。

名簿を精査したが、案内状を出すのは30名くらいになった。これは前回と前々回の出席者から割りだした。何回か開催すると出席する人は限られてくる。地元にいる連中が約1/2、関東が1/4、関西が1/4といったところだった。

名簿には中川(旧姓 田代)直美の名前もあった。住所とメルアドはこの前に会ったときにも聞いていたが、全く同じだった。ただ、二人の密会用のメルアドはすでにそれぞれが作成して共有している。

◆ ◆ ◆
4月末日に締め切ったが、出席者は18名、男性が11名、女性が7名、中川直美も出席になっていた。それで密会用のメルアドで直美に直接連絡を入れた。

[同窓会の出席を確認しました。こちらは2泊3日の予定で参加します。前日の14日(金)ホテル泊、15日(土)会場泊の予定です。]しばらくして返信が入る。[同窓会に出席します。同じく2泊3日で前日はホテル泊の予定です。]これで再会を確認できた。

◆ ◆ ◆
5月14日(金)同窓会の前日に僕は東京発8時36分の「かがやき505」に乗り込んだ。金沢到着は11時5分だから、実家へはお昼前には着ける。

駅でおいしそうなお弁当を2個買って実家へ向かう。母親と二人で昼食を摂る。それから家の片づけ、庭の手入れなどを行う。

今回は同窓会に参加するので14日(金)は午後いっぱい夕食まで、15日(土)は朝から昼過ぎまで実家にいて、2時過ぎに駅へ向かうと母親には話してある。同窓会が終わったらそのまま会場から東京へ帰る予定だ。直美とは前日の今日14日(金)の夜に会って、翌日の同窓会でも会うことになる。

母親が夕食を準備してくれた。いつも僕の好きな献立を考えて作ってくれている。おふくろの味だが、もうすっかり慣れてしまった廸の手料理と違って少し味付けが濃く感じられる。二人で食べて後片付けを手伝ってからバスで駅に向かう。直美はもう着いているだろうか?

7時過ぎにチェックインした。1210号室だった。部屋はシングルにしているがベッドはセミダブルくらいの大きさがある。部屋から直美に[1210に到着]とメールを入れる。

すぐに部屋の電話が鳴った。受話器を取ると直美の声が聞こえた。

「私は1125号室です。8時にお待ちしています」

「部屋で少し飲まないか? 飲み物とつまみを買っていくから」

「はい、待っています」

部屋に行けばもう流れはきまっている。もうこれからどうしようかなどと考える必要はない。ただ、今日はゆっくり話がしたい。この前は照れ臭さもあって十分に話ができなかった。

ホテルのカウンターで近くのコンビニの場所を確認して買い出しにでかけた。良さそうな赤ワイン1本とつまみになるようなもの2~3品を見つくろって買ってきた。栓抜きも確保した。

8時になったので11階へエレベーターで降りる。まわりに誰もいないことを確認して1125号室をノックする。すぐにドアが開いて直美が招き入れてくれた。

僕をじっと見つめて抱きついてきた。軽くキスと思ったがやはりディープキスになっていた。それからしばらくは気の済むまで抱き合っていた。

「赤ワインを買ってきた。飲みながら少し話さないか?」

「いいけど、ここではあなたと私とのことだけにしてくれませんか? 仕事や家庭の話は明日の同窓会でお話しましょう」

「そうだね。君のいうとおりだ。そうしよう」

直美は現実離れしたこの逢瀬を楽しみたいのだと思った。そのとおりだ。これは現実だが、いうまでもなく不倫そのものだ。何もかも忘れてのめり込みたいのもわかる。それなら、もういうことはない。

部屋にあったグラス2個にワインを注いで静かに乾杯する。直美はベッドに腰かけている。僕は正面の机の椅子に座っている。間接照明の薄暗い明りの中で直美の顔をしっかり見つめた。あのころよりもずいぶん落ち着いて見える。また、幸せに裏打ちされたような美しさが溢れている。

「再会を祝して」

「この前、お見合いの話をした時のことや私の結婚の挨拶状を受け取った時の話をしてくれたでしょう?」

「ああ」

「それを聞いて嬉しかったわ」

「あのときの本心を君に話した。君を手放すべきではなかったと後悔したことを。ずっと君のことは心のどこかにあった。だから、ああなった。ようやく思いが遂げられたといっても良いのかもしれない。だから後悔もしていないし、今また会っている」

「あの時、あなたは『それなら、会ってみるだけ、会ってみれば?』と言いました。でも『お見合いは止めて、僕と結婚する?』とは言ってくれなかった。それで思ったの、会ってみるだけ会ってみようかなと、それであなたよりより良い人でなければ、これまでどおりでいればよいと思って」

「よく覚えていたね」

「私もあの時のことは忘れていませんでした」

「それでお見合いをした?」

「ええ、それがとても良い人ですぐに好きになって結婚することになりました。よくご縁があるというけど、運命の人ってこういうことを言うのかなとも思いました」

「運命の人か? 今も幸せなんだろう?」

「ええ、11歳の男の子もいて幸せです。もちろん結婚も後悔していません。主人と結婚してよかったと思っています」

「じゃあ、どうして僕と?」

「あなたとのことでひとつだけ思い残したことがありました。それは結婚を決める前にあなたに会って『結婚しようと思うけどどうかしら』と尋ねなかったことです。どうしようかとずいぶん迷ったけど結局連絡せずに、あとから結婚の挨拶状を送ることになりました。思いを残したということはやはりあなたが好きだったのだとあとから気づきました」

「僕があのお見合いの話を聞いたときに『お見合いは止めて、僕と結婚する?』と言えば良かったに違いないがそれができなかった。だから、それは結婚を決める前に相談されたとしても同じだったかもしれない。思いを残したことは僕の優柔不断のせいだから申し訳なかった」

「今はどうして二人の人を好きになってはいけないのかと思うことがあります。どうして一人の人でなければならないのかって、そういうこと思わない?」

「まあ、繁殖するたびにパートナーを替える生き物もいるし、一生同じパートナーとつがいになる生き物もいる。世界中どこの国でも王様には正室のほかに側室がいたし、日本でも昔は金持ちにはお妾さんがいたとも聞いている。イスラム教では一夫多妻も認められている。男性は一人以上の女性を愛することはできると思う。それは男の(さが)でごく自然なことではないかと思う。ただ、女性はどうか分からないけど」

「うふふ、あなたはそう思うのね」

「ああ。でも一夫一婦制はもうすっかりこの世の中に定着している。宗教の影響が大きいとは思うけど、今は道徳的に否定されている。有名人で不倫のスキャンダルで仕事を失う人もいるけど、僕はあれほどバッシングする必要があるとは思えない。本人と配偶者と相手の三人の間のことだと思うけどね。他人の口出しする必要があるのかなとも思う」

「もし奥さんが他の人と関係を持ったらどうする?」

「僕に絶対に分からないようにしてくれればいいかな。だって知らないのだから、なかったことと同じだから」

「分かったらどうする?」

「僕は彼女と一緒にいたいから別れたくない。できれば知らないふりをすると思う。誰か有名人が言っていたが『絶対に浮気したことを自ら認めてはいけない』そうだ。嘘をつき続けてくれれば信じるしかない。嘘もつき通せば本当と同じになるから。でも本当のことだと告白されたらもうどうしようもないけどね」

「奥さんが好きなのね」

「ああ。どうしてそんなことを聞くの?」

「主人だったら、どうするかと思って」

「君のご主人が僕と同じ考えをするとは限らないと思うけど」

「あなたと主人は似ているところがあるの。だから彼と結婚したのかもしれません。じゃあ、もし、その相手の人があなたの知っている人だと分かったらどう? 例えば、あなたの友人だったら」

「知らない人だったら、知らないふりができるかもしれないけど、知人だったらまして友人だったらきっとだめだね。やはり裏切られたと思ってしまうだろう」

「知らない人だったら、知らないふりができて、知人だったら裏切り?」

「仮定の話だから確かなことはいえないけど、知らない人だったら、知らないふりができるような気がする」

「なぜ?」

「うーん、ほかにも何かあるような気がするけど、君がさっき言っていた『どうして二人の人を好きになってはいけないのか』と関わっているかもしれない」

「なるほど分かるような気がする。やはり私とあなたは同じセンスを持っているのが分かったわ。お話してよかった。だから昔から気が合ったのね。今それが分かった」

直美が手を伸ばしてきた。その手を取って引き寄せて抱きしめる。

「シャワーを一緒に浴びようか?」

「洗ってあげる」

◆ ◆ ◆
バスルームでお互いに身体を洗い合う。「いつも洗い合っているの?」とは聞かなかった。二人だけの話しかしない約束だったが、直美は彼女のご主人の話もしてくれた。なりゆきだからしかたがない。

手に石鹼をつけて、直美の身体に直接擦り付けて洗い始める。まず、背中から始めて脇腹、お尻、太もも、足先と洗っていく。次に向きを変えさせて、首、乳房、乳首、おへそ、下腹、大事なところへと降りていく。

これは結構刺激的だ。時々、直美の身体がピクピクする。大事なところを洗っていると抱きついてきたと思ったら、崩れ落ちるように膝をついた。かまわずに屈みこんで洗い続けようとした。

「もうだめ、一息つかせて下さい」

そういうと、その場にしゃがみこんだ。そこで終わりにしてシャワーでゆっくり石鹸を洗い流した。

ようやく落ち着いてきたところで、今度は直美が洗ってくれた。同じように、手に石鹸をつけて擦り洗いをしてくれたた。直美が崩れ落ちたわけが分かった。とても気持ちがいい。

洗い終わるとお互いにバスタオルで身体を拭き合う。僕は直美を抱きかかえてベッドに運んだ。彼女を初めて抱きかかえた。

乳房とお尻は大きいが意外と軽い。廸をこのごろは抱きかかえて運んでいないが、そのころと比べても廸の方が重かったような気がする。こんな時にどうして廸のことが頭に浮かぶのだろう? やっぱり後ろめたいことをしているからか?

気を取り直してうっとりした表情を見せる直美の後ろに回ってゆっくり愛し始める。

◆ ◆ ◆
心地よい疲労を感じながら僕は直美を後ろから抱いて寝ている。直美はぐっすり眠っているみたいだ。僕も眠っていたみたいだ。時計はもう12時を回っていた。

僕は愛し合ったあと、うしろから抱いて眠るのが好きだ。その方がしっかり抱けるし、完全に自分のものにしたという満足感がある。

廸と初めて愛し合って僕のものにしたとき、彼女はとても恥ずかしがって背中を向けて身体を丸くしていた。その後、後ろから抱いてそのまま眠った。彼女を自分のものにしたというすごい満足感があった。その印象が強かったせいもあるだろう。また、廸のことを思い出していた。

今日の直美はこの前よりずっと積極的になっていた。それに誘われて僕も我を忘れて彼女と絡み合い交わった。お互いに遠慮も恥らいもないメスとオスの交わりだった。廸とはこんなことは一度もなかった。直美は何度も何度も上り詰めていたし、僕も快感にのめり込んでいった。

喉が渇いた。直美を起こさないように、そっと起き上がって飲み物を取りに行く。冷蔵庫にミネラルウォーターが入っていた。

「私にも何か持ってきて」

「ミネラルウォーターでいい?」

直美はベッドで起き上がって壁を背にもたれかかっている。すぐそばに座って封を切ったボトルを手渡した。

「ありがとう。頭の中が真っ白になった。身体がだるいけど、とても気持ちがいいわ」

「そういうのを『心地よい疲労』というんだよ」

「ふふ。冷たい水がおいしい」

「ハッピーだな」

「ハッピー? 私は今の生活には満足しているし幸せだと思っています。でもあなたと結婚していたら別の人生があったと思うの。私って欲張り? 別の人と別の人生を生きてみたかったと思ったことはない?」

「ないことはないけど。でも別の人生が思いつかないんだ。僕も今の生活が完全とは言えないまでも割とうまくいっていて、特に取り立てるほどの不満はないからね。別の人との人生がこれほどうまくいくかどうかは分からない。たとえ君とでもね」

「確かにそうね。別の人生といっても、今と生活が同じで暮らしている人だけが違っていると思いがちだけど、そのほかが今と同じでしかもうまくいっている保証はないわね」

「そう考えるということは、お互いに幸せということなのかな。今の幸せは壊したくないね。僕たちは良いとこ取りをして、お互いにずいぶん贅沢をしているということかな?」

「分かっています。しばらくはこの贅沢で我儘な生活が続けられればとよいと思っています。だから絶対に二人のことは分からないようにしましょう」

二人ともボトルを飲み干して、再び抱き合って心地よい眠りについた。

目が覚めたら5時を過ぎたところだった。そっと起き上がると直美も目を覚ました。それで駅西口で午後3時の旅館のバスに乗ることを確認して部屋に戻ってきた。これから朝一番で食事をして、実家へ向かう。今日は午後2時までしか時間がとれない。
5月14日(土)集合場所の駅西口へは3時少し前に着いた。時間があるのでバスに乗って来たが、事故渋滞があって思いのほか時間がかかってしまった。

指定の場所に何人かの顔見知りの姿が見える。直美もその中にいた。それに上野(うえの)多恵(たえ)がいた。幹事の秋谷君と話をしている。

それで思い出した。高校時代に秋谷君と上野さんが二人で歩いているところをよく見かけた。放課後二人で一緒に帰ることも多かった。大学時代もときどき二人でいるところを見かけたので付き合っていたのだと思う。でも秋谷君は卒業すると上京して就職した。

いつだったか、上野さんのことを聞いたことがあったが、秋谷君は「別れた」とそっけなく言った。それで言いたくないことがあったのだろうと思ってそれ以上のことは聞かなかったし、僕もすっかり忘れていた。

バスを待っている同窓生に挨拶をした。ほとんどが地元以外で10年前に出席していた人の顔もあった。地元の連中は自分の車で会場へ直接来るのでほとんどいない。

「吉田君、遅かったな、もっと早く来ているかと思った」

「ごめん、交通事故で道が混んでいて思いのほか時間がかかった」

「人数は?」

「迎えのバスに乗るメンバー8名はそろった。おまえが最後だ」

ほどなく迎えのバスが到着した。マイクロバスといっても20名くらいは楽に乗れる大きさがあったので、それぞれが思い思いの席をとって座った。

秋谷君と上野さんは前方の席に二人並んで座った。僕は中ほどの席に一人で座った。直美も反対側の席に一人で座った。高校時代はお互い親しく話したことはなかったのでそれが自然だった。前方の秋谷君と上野さんは親しげに旅館に着くまで終始話し続けていた。

会場は昔のままの温泉旅館で部屋割りは男性が大きな一部屋、女性にも大きな一部屋が準備されていた。到着するとすぐに秋谷君が会費を徴収していた。大広間で6時から会食をすることになっているので、その前にそれぞれ思い思いに大浴場にひと風呂浴びに行く。

秋谷君がフロントにいたので「手伝うことがないか?」と尋ねたが「もう終わったから温泉につかってきたら、俺もすぐに行くから」といった。温泉に浸かっていると、秋谷君が入ってきた。

「ドタキャンもなくすべて順調だ」

「上野さんとずいぶん話していたね」

「前回は来ていなくて、久しぶりだから積もる話があってね」

「皆10年前と変わってないように思うけど年はとったね」

「歳は平等にとるから、お互い変わっていないように見えるのかもしれない。でも女子は顔に出るね、これまでに起こったことが」

「秋谷君は女子と付き合いが広いからよく分かるんだ。男も今までのことが顔に出ていると思うけど」

「田代さんなんか、生き生きしていたな」

「そう見えるか?」

「ああ、話してはいないが分かる。幸せそうだな」

「じゃあ、後でそこのところを聞いてみよう」

宴会場の大広間にはそろそろ人が集まり始めていた。秋谷君がくじ引きで席順を決めている。秋谷君と上野さんは離れた席になった。僕と秋谷君は幹事、副幹事で並んで座った。直美と上野さんは隣同士で僕たちの向かい側に座っているが、もうすっかり話に夢中だ。

定時になったので、幹事の秋谷君の簡単な挨拶と乾杯で宴は始まった。始めの20分くらいは食事に専念して、そのあとに持ち回りで自身の近況を話すことになっている。僕たちはお互いにビールを注ぎ合って喉を潤して食事を始めた。まずまずの定番料理だ。料金の割に悪くはない。

こういう宴会の場合、できるだけ温かいうちに食べて平らげておくのが鉄則だ。食べられるときに食べておかないとお酒を注ぎに回っていたら食べられなくなる。それに食べておかないと悪酔いしやすい。ひととおり食べて準備完了だ。秋谷君もそこらは心得ていて、もうすっかり食べ終えている。

幹事の秋谷君から近況報告が始まった。今の東京での仕事の内容、10年前の同窓会の後、すぐに結婚したこと、5歳の娘がいることなどを手短に話していた。

自己紹介のうまいやつ、長いやつ、短いやつ様々だ。性格が出る。僕は短い方だ。自己紹介で自分のことを話すのはなにか自慢しているようで気が引けるのでいつも手短に終える。

上野さんは前回前々回も出席していなかったので、卒業してからのことを手短に話していた。それにめずらしく婿養子をとったと言っていた。そういえば彼女の家は旧家で資産家と聞いたことがあった。

直美は10年前の同窓会ではもう結婚していた。その1年前に男の子が生まれたと話していた。あの時は僕も出席していたが、直美の結婚を知らされていたことから、気持ちの整理がついていなくて、彼女と話をする気になれなかった。

その時、直美は結婚と子供の話をしていたはずだが、聞きたくなかったのか、聞こうとしなかったのか、全く記憶にない。

僕の方から話しかけていれば、話をしてくれたかもしれないが、それができなかった。僕の気持ちを察してか、直美も話しかけてこなかった。そして終始離れた席にいた。

だからなおさらお互いに不完全燃焼のような燃え残りの思いがずっとくすぶり続けていたのに違いない。だから、突然ああいうふうに出会って話しかけることができたから自然となるようになったのかもしれない。

直美と上野さんはそのころも仲が良かったと記憶している。二人ともクラスでは可愛い方だった。僕は直美の方が好みだったが話かけることもなかった。秋谷君は上野さんといつの間にか親しくなっていた。

その可愛かった二人の回りにはもう何人かがビールを注ぎに来ている。秋谷君も上野さんのところへ行って話し始めている。同級生たちは以前彼らが仲良かったのを知っているので、遠慮して近づかなくなった。

僕は直美の周りに人がいなくなるのを待ってビールを注ぎに前に座った。目が合った。直美がはにかんだ笑みを浮かべた。今日は身のまわりのことが聞けるはずだ。隣に座っている秋谷君に聞こえても差し支えのないように、何喰わぬ顔であたり障りのない会話を始める。

「お久しぶり。元気そうだね。ご両親は健在か?」

「四年ほど前に父が他界して、今は母親が一人で実家にいます。ときどき様子を見に来ています。この前の同窓会は主人と1歳の息子と一緒に来て実家で見てもらいました」

「ご兄弟は?」

「妹がいますが、大学を卒業して東京に就職してもう結婚もしています」

「吉田さんのご両親は?」

「一昨年、父が亡くなって、母親が気落ちしているので、ときどき家の片づけや庭の手入れの手伝いに来ている。君と同じだ」

「ご家族は?」

「さっき話したとおり、10年前の同窓会が終わって1年ほどして結婚した。妻は4歳年下の関連会社の社員だったので職場結婚に近いかな。8歳になる娘がいる。今は共働きで娘の世話などで忙しい思いをしている。弟がいるけど、今は仙台に住んでいる」

「お仕事は順調?」

「食品会社に勤めていることは知っていたよね。いまはチームリーダーになっている。中間管理職だから、忙しいだけ。でもブラック企業ではないから休暇は取れる」

「田代さんいや中川さんのご主人は? 確か見合い結婚だったよね」

「十三年前、仕事に行き詰って悩んでいたところ、実家からお見合いの話があって、会ってみるだけ会ってみることにしたら、お相手が良い人で好きになって結婚しました。2歳年上の理系で医薬関係の会社に勤めています。家庭を大事にしてくれるイクメンです」

「お子さんはおひとりだけ?」

「はい、結婚を機会に仕事を辞めて大阪に移ってから専業主婦をしばらくしていましたが、子供ができないので、また仕事を始めました。11年前に子供ができました。でも仕事は続けています」

「中川さんの近況が聞けてよかった」

「私も前回の同窓会では話しそびれたから気になっていました」

「実家には寄ってきたのか?」

「ええ、昨日半日と今日の午後2時まで、お昼ご飯を一緒に食べてから駅にきました。明日は寄らずにすぐに帰ります」

「僕も同じ感じだった。明日は直接帰るつもりだ」

「実家に泊まっているの?」

「実家は古い家具やものが多く片付いていなくて、ゆっくり寝られる部屋がない。昔使っていた自分の部屋は物置になっているから、駅前のホテルに泊まっている。その方が楽だから」

「いつも同じホテル?」

「今の駅前のいつも使っているホテルは部屋もベッドも大きくてゆっくりできる。コスパがよいからここのところずっとそこにしている。これからも予約がとれればそうしたい」

「私も実家は両親の家具や荷物でいっぱいで、私の部屋もやっぱり物置になっています。整理しようにも思い出の品だとか言って、なかなか整理させてくれません。週末に時々来たくらいではなかなか片付かなくて。だから、私も駅前のホテルに宿をとっています。これからもそうします」

「その方がお互い都合がよさそうだね」

「親の面倒を見るのは大変そうだね。俺は兄貴にまかせている」

隣で上野さんと話していた秋谷君が二人に話しかけてきた。

「次男坊は気楽だな。上野さんのご両親はご健在か?」

「二人とも元気です。父もまだ働いています。私は結婚後も仕事を続けましたが、母が家にいて息子の面倒を見てくれていましたので助かりました。息子も中学生になったのでずいぶん楽になりました。最近は趣味の旅行もできるようになりました」

「東京を案内してあげるから来ないかと誘っているんだけど」

「二人だけで会うのはまずいんじゃないか? 俺も一緒に案内してあげるから声をかけて」

「そうね。そのときはよろしくね」

僕は直美の顔をそれとなく見たが、目が合った。二人だけで会うのは危ないと思っているのがお互いに分かった。実際、私たちはもうすでにこうなっている。直美の目がそう言っていた。

宴会は2時間でお開きにして、二次会のために準備してあった部屋に移動することになった。カラオケも備え付けられているので歌も歌える。話し足りない面々はそこで話をすればよい。事前に秋谷君と相談して飲み物とつまみも用意しておいた。

秋谷君と上野さんは二次会の会場でもずっと話していた。誰かが高校生の時に流行っていた歌を歌っている。僕はほかの友人や女子とも情報交換をしたが、直美とはもう二人で話しをすることを控えた。

直美もほかの友人と話をしていたが、気が付くといつの間にか引き揚げていた。もう話し疲れてもいたが、直美いない会場にても味気ないので「温泉に入りたくなった」と言ってその場を離れた。

僕は昔からお風呂好きで温泉が大好きだ。こういう機会があると最低でも3回は入る。着いてからすぐに1回、宴会を終えて酔いが醒めてきて寝る前に1回、翌朝、目が覚めて食事の前に洗顔するために1回入る。

温泉に浸かりながら、直美の話を思い出していた。パートナーと子供と幸せに暮らしているとの確信は得られた。また、これまでの彼女の振舞いから僕との関係も大切に考えていることも良く分かった。彼女も僕の振舞いからそう感じてくれたと思う。

◆ ◆ ◆
翌朝、5月15日(日)二日酔いの様子を見せながら、皆、朝食を食べている。食堂に来た順にテーブルについて準備されたトレイの食事を摂る。ご飯とみそ汁はお替り自由だ。

僕は端の方の席に座ったが、向かいの席に直美がすでに座って食事をしていた。目が合って軽く会釈をするとご飯をよそってくれた。直美は朝食をもうほとんど食べ終えていたようで、すぐに「お先に失礼します」と言って席を立った。

駅までの帰りのバスが9時に出発した。僕も直美も乗ったが、ここでも席は別々に座った。秋谷君もバスに乗っていたが、上野さんはいなかった。後で聞いたら、友人に自宅近くまで車に同乗させてもらったとのことだった。

駅に到着して解散するとき、皆と挨拶を交わしたが、直美は「また、お会いしましょう」と微笑みながら僕に言った。僕は「またね」と返した。
6月中旬の週の半ばになって昼過ぎに直美からメールが入った。[次回は7月9日(金)10日(土)11日(日)]。

すぐに仕事のスケジュールを確認した。8日(木)と9日(金)は岡山支店での打ち合わせの仕事が入っていた。9日(金)の午後の打ち合わせを終えたら直接、大阪経由で金沢へ向かえばよい。廸にも旅費の節約になるから実家に寄って行くと言えば体裁がつく。すぐに[了解]の返信を送った。

同窓会からもう1か月が経とうとしていた。2か月毎だから1か月前にはそろそろ次の帰省の日程を決めなければならない時期だった。どうしようか、こちらから予定を知らせようか考えていたところだった。メールを受け取って、気が合うというか気持ちが通じ合っているそんな気がした。

◆ ◆ ◆ 
7月9日(金)岡山支店での午後の会議は3時には終わった。その後にも簡単な打ち合わせが入って予定よりも遅れてしまったが、午後4時には岡山を立つことができた。これだと金沢には8時過ぎには着ける。それでメールで[到着は8時過ぎ]と入れた。すぐに[了解]の返信が入った。

ホテルにチェックインしたのは8時30分だった。まず、実家の母親に金沢に着いてホテルにいるから明朝9時過ぎに訪ねる旨の連絡を入れておいた。それから、直美に[無事到着1240]と知らせた。すぐに部屋の電話が鳴った。

「お疲れ様、お元気ですか?」

「岡山に出張していて、今ちょうど着いたところです。遅れてご免」

「お食事は?」

「新幹線の中で済ませた。君は?」

「母と実家で済ませました」

「これから行くけど何号室?」

「となりの1241号室です」

「隣同士になることもあるんだ。お土産にお菓子を買ってきたから持っていこう」

「今日は私の方で飲み物とおつまみを用意しました。お待ちしています」

シャワーを浴びてからとも考えたが、遅くなったのですぐにでも会いたかった。部屋のドアをそっと開けて、周りに誰もいないことを確認して、隣のドアをそっとノックする。

すぐにドアが開いて、微笑んだ直美がいた。すぐに中に入って、ドアの音がしないように注意する。直美が抱きついてくる。抱き合うとすぐにでも愛し合いたいそんな気持ちがこみ上げてくる。でも今日はとても暑かった。

「すぐに会いたくて来てしまったけど、今日は汗をいっぱいかいたからシャワーを使わせてもらっていい?」

「今日は暑かったから私も汗をかきました。もうシャワーを一回浴びましたので、ゆっくり使ってください。そのあと飲みもので喉を潤してください」

ここにいれば、もう人の目も気にしなくてもよいし、誰にも邪魔されないことが分かっている。徐々に気持ちが落ち着いてくる。ゆっくりでいい。熱いシャワーが心地よい。

身体を拭いて部屋に戻ると、テーブルにレモンサワーの缶が2本置かれていた。

「レモンサワーが好きなの?」

「さっぱりしているので時々いただきます」

「再会を祝して乾杯」

飲み終えると、手を伸ばして引き寄せて抱きしめる。直美も力一杯抱きついてくるので、すぐに気持ちが昂る。そのままベッドで愛し始める。時間は十分ある。

◆ ◆ ◆
直美は僕の腕の中で余韻を楽しみながら、うっとりしたまなざしで僕の回復を静かに待っている。

直美は何度も昇り詰めていた。そのたびに押し殺したような声を出していた。大声を出したいのかもしれないが、外へ漏れるリスクはある。でもこれは部屋の外で確かめないと分からない。

僕は直美には廸にいまさら遠慮があってできそうもないことをしたかった。彼女は当然のことのようにそれを受け入れてくれた。それが嬉しかったし、僕を鼓舞してくれた。

「すごくよかったわ。こんなに気持ち良かったことは初めて」

「いつもはしないことをしてみたかっただけだけど、悦んでもらえてよかった」

「まだ、お互いのことを十分に分かっていないから、恥ずかしがらずに何でも試せるのかもしれないわね」

「お互いに知りすぎていると恥ずかしくていまさらできないし、頼めないこともある」

「お互いに知り過ぎていないから、こういうふうだという思い込みがなく、抵抗なく受けいれられるのだと思います」

「確かに、まるで恋人とHをはじめたばかりで、お互いに慣れていなくて、何でもこれが当たり前として受け入れられるのだと思う」

「慣れてくると、かえって新しいことにはチャレンジしにくくなるのかもしれませんね」

「何事も初めが肝心だとはよく聞く話だけど」

「私たちはこれからも何も遠慮しないことにしましょう。また、遠慮する間柄にはなりたくないわ」

「お互いにしたいことをする、してもらいたいことを素直に伝えることにしよう」

「毎回、新しい発見をしたいわ」

「それは結構『努力』がいるかもしれない。君も協力してくれないと」

「もちろんです。『努力』って辛いけど頑張ることでしょう。でもあなたは私もHも『好き』でしょう。私も『大好き』です。『努力』が大切と言われるけど『努力』と『好き』では『好き』の方が絶対に勝っていると思います。『好き』だから『努力』なしで寝食を忘れても続けられると思うの」

「寝食を忘れても続けられるは極端だけど、確かに『好き』だとできないことなどないと思う。その君の新しい発見をしたいという思いを大切にしたい」

「それを忘れないで下さい」

直美が抱きついてきた。僕はもうすっかり回復していた。

◆ ◆ ◆
次の晩も僕たちは新しい発見を求めて愛し合った。確かに四十八手も体位があることが知られている。僕が今まで試したものはほんの一部に過ぎないと思う。

「好き」という気持ちさえあれば、新しい発見とその奥深さを無限に探究し続けることができるかもしれない。そう思った。直美もそう思っているに違いない。二人にしかできないことをしてみたい。
8月11日(水)8月に入って相変わらず暑い日が続いている。夏季休暇が明けてからしばらくしたころ、秋谷君から電話が入った。

「久しぶりだね。同窓会の幹事お疲れ様でした。皆、喜んで感謝していた」

「吉田君こそ協力ありがとう。助かった」

「週末にでも飲まないか? 聞いてほしいこともあるから」

「今週の金曜日の夜、7時過ぎくらいなら大丈夫だと思う」

◆ ◆ ◆ 
8月13日(金)7時前だが約束した居酒屋にはもう秋谷君がいてビールを飲み始めていた。

「待たせたか?」

「いや、俺も今着いたところだ。喉が渇いたので先に飲んでいた」

「僕も生ビール、ほかにつまみを見つくろって頼もう」

「同窓会を企画してよかった。皆、喜んでくれた」

「次はまた10年後か?」

「五年後でもいいけど、希望があればしてもいいかな」

「ところで、上野さんとよく話していたな。久しぶりだったんだね」

「ああ、10年前の同窓会は欠席していたからな。15年前も欠席していた。実は彼女に会いたくて10年前と15年前は企画したんだけどな」

「そうだったのか? そういえば大学生になっても付き合っていたんじゃないのか?」

「そうだ。僕たちは相思相愛で結婚を考えていたんだ。けど事情があって別れた」

「その事情ってなに? 聞いてもいいか?」

「もう時効だから聞いてくれるか?」

「ああ」

「彼女の両親から婿養子なってくれと頼まれた。彼女の家は旧家で資産家だ。そうじゃなければ結婚に反対だと言われた。彼女は一人娘だった」

「十年前でも婿養子なんて古臭い話だな。そんなこと言われたのか?」

「俺は次男坊だからな。地元に就職して婿養子になろうかとも考えたのだが、それでは人生どん詰まりのような気がした。一流会社に就職して、できれば自分の力を試してみたい、そう思った」

「その気持ちはよく分かる」

「それでその気持ちを彼女に伝えた。そして一緒に来てくれるように頼んだ。でも彼女は家と家族を捨てられなかったというか、地元に残ることにした」

「そんなことがあったんだ。今まで話さなかったのは、思い出すのが辛かったんだな」

「そうかもしれない。とても話す気にならなかった」

「それで何かほかに聞いてほしいことがあるみたいだな」

「ああ、あれから彼女に会った」

「どこで?」

「東京で」

「いつ?」

「二か月くらい前の6月かな。それで、昔の関係に戻った」

「ええっ、戻った? 昔の関係って?」

「彼女とは反対されて別れる前に思い出づくりに二人で旅行にも行った。そのとき男女の関係にもなった」

「そうか? それで東京へ遊びに来たらと言っていたのか?」

「あれは冗談のつもりだったが、本心だったかもしれない。彼女はそう受け取った。それで同窓会のあとしばらくして遊びに来たいと連絡がきた。それで会って、すぐにそうなった。それからもう1回会った。1か月くらい前になるかな」

「分かった。それで悩んでいるのか?」

「どうしたらいいのか、会い続けるべきか」

「戻ったというけど、言うなれば不倫だな、それもダブル不倫だな」

「言われなくてもそうだ」

「秋谷君の気持ちはどうなんだ?」

「会いたい気持ちもあるし、会ってはいけなかったと後ろめたい気持ちもある。迷っている。だから吉田君の意見を聞きたいと思った」

「以前から浮気はしてきたんじゃないか? 風俗とか援助交際とか、いろいろ話してくれたよな」

「金銭の授受があったので浮気遊びと割り切っていたからだ。プロはもちろんだけど素人でも、そんなに後ろめたい気持ちはなかった。順子にも分からないようにすればよいと思っていた」

「確かに上野さんとは金銭の授受はないだろうからな。もっとある意味純粋な動機だからな、お互いに好きだという。だから迷うのも分かる」

「だから割り切れなくてどうしたらよいか迷っている。吉田君ならどうする?」

「ええっ、僕なら? うーん、僕ならか? 仮定の話だから答えにくいけど、答えは二つにひとつしかないだろう。もう会わないか、会い続けるか?」

「そんなことはもう分かっている。だから相談している」

「もう会わないなら、二人の気持ちの整理がつけばそれでよいと思う。それでなかったことにすればよいだけだ。でもこれからも会い続けるかどうするかは、上野さんの気持ちを確かめる必要がある」

「確かめるって?」

「要するに、本気か浮気か? 本気なら、お互いに今のパートナーと別れて再婚する覚悟があるのかどうかだ。浮気なら、お互いの家庭を壊さないようにすることができるかどうかだ」

「俺は今、順子と別れることなど考えていないが、上野さんはどう思っているか分からない」

「二人の思いが一致していないと、あとあと大変なことになりかねない。これを確認しないでずるずると関係を続けることは避けた方がよいと思う。もし、浮気ならばれないように細心の注意を払えばよい。嘘もつき通せば本当と同じになるし、墓場まで持っていけばよい」

「本気と浮気の中間ってないのかな? 俺たち二人はそんな感じがするんだが」

「確かに浮気という言葉は適当でないかもしれない。さっき言ったのは覚悟の問題でそう例えただけだ。好きだから関係を持った、いや戻した。それに好きだから会い続けたいのだろう。僕もなぜ一人の人だけを一生愛さなければならないのか、ほかの人も好きになってもよいのではないかと思うことがある。この方が動物としての男なら自然のように思う」

「吉田君に相談して、本質が少し見えたような気がする。要するに二人の覚悟の問題だということが分かる。確かにお互いの気持ちを確認しておくことは大切だと思う」

「いずれにせよ、このことは絶対にばれないようにしないといけない。僕は誓って口外しない。秋谷君も気をつけてもうほかの誰にも相談したりするなよ」

僕も話しているうちに、確かに見えてきた。秋谷君はよっぽど悩んだのだと思う。だから僕にあえて相談した。上野さんが好きで結婚したかったのだが、彼女の両親の反対でそれができなかった。

それで再度開いた同窓会でようやく再会したことから昔の思いが再燃してきた。それがひしひしと伝わってきた。

上野さんが10年前と15年前の同窓会に欠席したのはよく分かる。別れた秋谷君とは会いたくなかったからだろう。僕は出席したが、結婚した直美と話をしようとしなかったのに似ている。だからその分思いが募っていたのだろう。

でも僕と直美は少し違っているように思う。もともと男女の関係はなかったし、別れた方があんなふうだったからもしれないが、僕たちの今の関係には秋谷君のような切羽詰まったところはない。だから、秋谷君に落ち着いてあんな回答をしたのかもしれない。

もっとのんびりした感じでいるし、この関係を楽しみたいとお互い思っている。ただ、僕たちの関係も浮気という言葉は確かに合っていない気がする。僕たちの関係をそんな軽い言葉で表したくない。