菜々恵から引っ越し屋さんの都合がつかないので、引っ越しは10日後の水曜日になると連絡が入った。急な引っ越しだから仕方がない。その日は休暇を取ることにした。

菜々恵は不用品の整理や手続きなどもあるから結果的には良かったと言っていた。それから勤め先の病院に休職届を出したと言っていた。そのことで会ったら相談したいと言った。

土曜日には新たに購入した座卓の搬入も終わり、僕のマンションの整理が終わった。それで日曜日に菜々恵のアパートに荷造りの手伝いに行く約束をした。

◆ ◆ ◆
お昼ごろに昼食になるもの買って行くから昼食は不要と伝えておいた。ドアを開けると菜々恵が抱きついて来た。1週間ぶりだから抱き締めてキスをする。菜々恵はなかなか離れようとしない。

「お昼にサンドイッチと飲み物を買ってきた。食べよう」

菜々恵は頷いてようやく離れた。部屋はもうすっかり片付いているように見えた。引っ越し屋さんが下見に来た時に不用品の整理も合わせて頼んだと言っていた。

テーブルに二人で座ってサンドイッチを食べ始めようとすると菜々恵が言った。

「相談があります。今の病院は休職にしたけど、結婚したら仕事を辞めたいと思っています。いいかしら? あなたに負担がかかるけど、できればそうしたいと思って」

「通勤時間が長くなるから?」

「二人の時間を大切にしたいから」

「僕もそれを言おうと思っていた。でも君を家庭に縛り付けることにならないかと言いそびれていた。また、君の口から言わせてしまって申し訳ない」

「あなたが私のことを考えてくれているのはよく分かっています。でも少し考え過ぎです。してほしいことは遠慮しないで、はっきり言ってださい。優しすぎるところがあなたの欠点でもあります」

「そうしてくれないか。経済的には全く問題ないから」

「専業主婦というものもしてみたいんです。しばらくでもいいから」

「できればずっとそうしてほしい。でも退屈しないか、あんな狭いところで」

「飽きたら飽きたで、それで満足です。近くで勤め口を探します」

「君らしいな。でも君らしく生きてほしい。僕に遠慮はいらない。一緒に居てくれるだけでいいから」

菜々恵は今の病院に退職届と出すと言っていた。それから今日は荷造りを終えたら母親がいる実家へ移り、結婚式までそこで暮したいと言った。結婚式まで母親との時間も大切にしたいからと言っていた。それがもう一つの相談だった。

僕は引っ越しが終わったら一緒に住めると思っていた。僕は自分のことしか考えていなかった。菜々恵にとってかけがいのない母親としばらくでも一緒に暮らしたいのだろう。それも菜々恵の大切な思い出になる。僕はそれが良いと勧めた。

◆ ◆ ◆
引っ越しの日、僕は朝の9時過ぎに菜々恵のアパートに着いた。菜々恵はもう来ていた。3日前に会ったばかりなのに、とても長い間会っていないように思えて、しばらく抱き合った。

10時に引っ越し屋さんが来たが、荷物が少ないのですぐに搬出は終わった。12時には僕のマンションに搬入できるというので、僕たちは電車でマンションに向かった。マンションにはすぐに着いた。まだ、時間が十分あるのでソファーでもたれ合って休んだ。

12時に搬入が始まったが、これもすぐに終った。菜々恵はすぐに荷造りを解いて前もって決めていた場所にしまっている。僕は手伝うこともなさそうなので、途中で昼食用に買ってきたパンやカットフルーツを座卓に並べて準備した。

コーヒーを入れると菜々恵に声をかける。もう1時を過ぎているのでいいタイミングだ。寝室から出てきた。寝室のクローゼットに衣類を片付けたから、あとはキッチンの片づけだけだと言って食事を摂り始めた。

「ここが片付いたら、夕食はレストランでしないか? 落ち着けるレストランが商店街のはずれにあるから」

「何か簡単なものでも夕食に作ろうと思っていたけど」

「引っ越しの記念日だから、外でどうだい。片付けに疲れただろう。外で二人でゆっくり食べる機会もなかったから」

「そうしたいのなら、そうしましょうか?」

「じゃあ、6時に予約を入れておくよ。それまでゆっくり片付けをしたらいい」

昼食が終わると菜々恵はキッチンを中心に片づけを始めた。運び込んだ食器棚に、この前かった二人分の食器をしまった。手伝いを申し込んだが、使いやすいように考えて入れるから私だけですると断られた。

僕は菜々恵の片づけをソファーに座って見ていた。菜々恵は食器を楽しそうにしまっていた。せっかく入れたのにまた出して入れ直しをしていた。気の済むようにしたいのだろう。

3時に近づいたので、コーヒーを入れて、二人で飲んだ。食器が片付いたので、少し休んでから、今度は調理器具を片付けると言っている。もう少し休んだらと言ったが、すぐに取り掛かった。

調理器具は結構数があったようだが、キッチン下の収納スペースにうまく収まったみたい。調理師だから調理にはこだわりがあるのだろう。これから作ってくれる食事が楽しみだ。

4時前にはすべて片付けが終わった。菜々恵はソファーの僕の隣に座って寄りかかってきた。「少し眠らせて下さい」と言うと、すぐに眠ってしまった。

顔を覗き込むと気持ち良さそうに寝息を立てている。彼女がとてつもなく可愛く思える。もう少しの辛抱だ。毎日、ここで一緒に暮らせる。何事もなく彼女との生活に入りたい。そうなることを祈るばかりだ。

ゆっくりした心地よい時間が過ぎてゆく。僕もうつらうつらする。大きめのバスタオルを持って来て菜々恵にかけてやる。一瞬目を開けたがすぐに僕に寄り掛かってまた眠った。

気が付いたら日が陰っていた。まだ明るいが5時半を過ぎている。そろそろ出かけようかと菜々恵に声をかける。よく眠れたと菜々恵は満足した様子だ。食事を終えたらそのまま実家へ帰ると言ってバッグを持って外へ出た。