僕のコンドミニアムに着いた。玄関には受付のおじさんがいる。まあ、門番だ。エレベーターに乗って12階の125号室へ向かう。

玄関ドアを開いて二人を中に案内する。

玄関を少し入るとすぐに10畳くらいのリビングダイニングになっている。3人掛けのソファーと座卓、テレビを置いている。左に寝室とバスルームがある。右にはキッチンがあって冷蔵庫を置いてある。使い勝手はいい。浴室はコックをひねるといつでもお湯がでる。一人で暮らすのには十分で快適だ。

二人は興味深々で部屋を見て歩いている。確かにここなら3人で落ちついてゆっくり話ができる。リビングのベランダから景色も見える。帰りもホテルが近いので安心だ。

「ウオークインクローゼットがついているのね」

「荷物が少ないからゆとりがある」

「ここから事務所ヘはどうして通っているの?」

「歩いて20分弱くらいかな。運動にもなるから毎日歩いている」

「家賃が高いでしょう?」

「会社が借り上げてくれているので問題ない」

「結構いい生活をしているのね。うらやましいわ」

「これくらいないと、海外赴任なんてできないよ。来てみるとよく分かる。いつも緊張している」

「それは言葉が通じないから?」

「それもあるけど、ここは異国の地で日本ではない。僕たちは外国人だ。自分の身は自分で守らないといけない。その緊張かな」

「だから、私たちにも付きっきりなの」

「それもある。日本人の若い女性の旅行者を見ていて時々はらはらする。無防備すぎる。まあ、日本が安全という証拠かな」

「そろそろ、食事の用意をしようか?」

買ってきたものをお皿に盛り付けるだけだけど、3人で用意を始めた。僕は炊飯器でご飯を炊いた。飲んでいる間に炊けるだろう。

「食器が2組しかないけど?」

紗奈恵が言っている。

「2組は君たちで使ってくれればいい。僕は大きなお皿を使うから」

「誰か良い人でも訪ねてくるんですか?」

大森さんが聞いてくる。

「いや、前任者がここを使っていて、引き継ぐときに家具や家電や調理器具や食器もすべて置いていってくれた。彼が2組そろえていたんだ。だから彼女でも訪ねて来ていたのかもしれない」

「素敵ですね。こんなところで二人で暮らせたら、市瀬君、私でよかったら、どう?」

大森さんが唐突に言った。

「どうって」

「一人で寂しいんだったら、残ってあげてもいいわよ」

「ありがとう。気持ちだけいただいておきます。僕はバツイチだし、それに今はそんな気持ちにはなれないから」

「そんな気持ちになったらいつでも声をかけて、市瀬君だったらいつでもOKよ」

「ありがとう。そういう友人がいると思うと心強いよ」

大森さんは僕を励ますと言うより、本心で言ってくれたのかもしれない。彼女は昔から僕に好意を持っていてくれたのは薄々分かっていた。でも気付かないふりをしていた。

大森さんは小柄だけど可愛い女性だ。家庭的で性格もよくきっと良い奥さんになるだろう。ただ、僕からみると引きつけられる何かがない。僕は紗奈恵のような男を惑わせるような何を考えているか分からない女性に惹かれる。
 
ここで大森さんがこういうことを言い出すとは思ってもみなかった。大森さんは勇気がある。僕にはこんなことはとても言えない。

できるだけ大森さんを傷つけないように無難に答えたつもりだった。紗奈恵は僕たちのやりとりを黙って聞いていた。紗奈恵が同じことを言ったら僕はどう答えていただろう。きっと「そうしてくれないか」と素直に言ったと思う。

「じゃあ、また、しばしのお別れだから、今日は3人で盛大に飲みましょう」

大森さんは照れ隠しなのか大声で乾杯を誘った。すぐに3人で乾杯する。まずは赤ワインを飲みながら、買ってきた総菜を食べる。どれも味は悪くない。3人で食べきれるようにほどほどの量を買ってきた。選んだチーズもなかなかいい。

二人は日帰りツアーで行った時のことを話してくれた。楽しい効率的な旅行だったとスケジュールを考えた僕に礼を言っていた。

話をしている間に外が暗くなってきた。ニューヨークの夜景はエンパイヤ・ステート・ビルから見ていたが、ここから夜景はまた別と見えて、ベランダに出て3人で眺めた。

丁度、コンドミニアムの前をイーストリバーが流れている。水面に向こう岸の光が反射している。僕には見慣れた景色だったが、珍しいのか二人ともじっと眺めている。心地よい夜風も吹き始めている。

紗奈恵と二人でこの夜景を眺めてみたかった。一人で来てくれたなら、どんなに嬉しかっただろう。でもそうできたのに紗奈恵はそうはしなかった。

僕は彼女にとって今でもその程度の存在でしかないのだろうか? いや、まだ彼女は立ち直れていないのだと思いたかった。もっと時間が必要なのだろうか? 時間が解決してくれるのだろうか?

「そろそろ、中へ入らないか? 締めに僕が鰻重定食を作ってあげよう」

「日本食が食べたくなってしかたなかったから、是非お願いします」

丁度、ご飯も炊き上がっていた。冷凍の鰻のかば焼きをいつも買い置きしている。また、保存が効く豆腐と粉末の即席味噌汁もあるからすぐにできる。

お茶碗にご飯を盛りつけて湯煎した鰻のかば焼きを盛りつけてたれをかける。豆腐に鰹節をかけて冷奴、お椀の粉末味噌汁にお湯を注いで出来上がりだ。

「お待ちどうさま。鰻重定食です」

「おいしそう。このにおい、まるで日本ね」

二人は嬉しそうに食べ始めた。

「この鰻、とっても美味しい」

「日本人に生まれてよかった。ちょっと大袈裟さかな?」

そう言って、大森さんは夢中で食べてくれている。紗奈恵も美味しそうに食べている。こんなに喜ばれるとは思わなかった。ご馳走してよかった。

「市瀬君がこんなに料理が上手とは思わなかったわ」

「ただ、買ってきたものを盛り合わせただけだから、手は加えていないけど」

「いえ、見た目も美味しそうにできているから」

「ずっと、ここで一人でやっているから、うまくもなるさ」

「こんないい人と別れるなんて考えられないわ」

「大森さん、その話は」

紗奈恵が止めに入る。

「まあ、当事者でないと分からないこともあるよ。でもそういってくれると少しは気が休まるけどね」

「考えてみて、さっき言ったこと」

「ああ、ありがとう」

大森さんはどう受け取っただろう。「御免なさい」とはっきり言えばよかったのかもしれない。さっき断ったつもりだった。紗奈恵はどう受け取っただろう。

食べ終えたところで8時を過ぎていた。

「そろそろホテルへ引き上げて明日の出発の準備をした方がいい」

「もうそんな時間、お名残り惜しいけどそうさせてもらいます」

「後片付けはいいから、明日の準備をして。寝過ごして飛行機に乗り遅れると大変なことになる。ホテルまで送るから」

「大丈夫です」

「最後まで面倒を見ることにしているから、そうさせてくれ」

僕は二人をホテルに送って行った。そして明朝8時30分に迎えに来ると伝えて帰ってきた。紗奈恵とも明日でお別れだ。