お見合い結婚します―お断りしたはずですが?

僕は到着時間にゆとりをもって、その日の朝に新幹線で出かけた。今日は父親が同席することになっている。

父とは会場のホテルのラウンジの前でお見合いの始まる1時間前の午後1時に待ち合わせることにしてあった。

12時半ごろに着いたので、駅の土産物売り場を見て歩いた。帰省するのは久しぶりで売り場は随分変わっていた。昼食は新幹線の中で駅弁を食べてきた。

ラウンジの前に父親が立っている。また、少し歳をとったみたいだ。まあ、早く結婚して安心させてやるのも親孝行かもしれない。

「父さん」

「よく来たな」

「中で待っていることにしよう。目立たないように奥に席を取ろう」

二人は奥の目立たない場所を見つけて座った。とりあえずコーヒーを注文する。

「先方は誰が付いてくるの?」

「母親が付いて来ると聞いている」

「こっちは父さんでいいの?」

「母さんがまかせるというので」

「そうか、しかたないな」

本当は父さんよりも母さんに来てほしかった。嫁姑の関係は難しいと聞く。後々のためにも始めから会って相性が良いか見てもらった方が良いと思っていた。ただ、今回は父さんが間に入っているので、これが自然なのかもしれない。

父さんと最近の暮らしぶりなどを話していると、すぐに時間が過ぎた。約束の時間の5分前に先方の母娘が現れた。僕たちが分かったとみえて会釈している。父と先方の母親とは面識がある。

「初めまして、植田(うえだ)健二(けんじ)です」

新野(にいの)直美(なおみ)です」

「父親の植田(うえだ)(みつる)です」

「母親の新野(にいの)外美子(とみこ)です」

彼女は僕を見るとにっこり笑った。僕に好感を持ってくれたと思った。彼女はやはり奈菜にとても似ていた。ただ、歳よりもずっと若く見えて初々しかった。化粧もおとなしい。

話し方もとても初々しかった。僕は大学の専攻と就職した時の会社について聞いた。それから会社を変わった理由を聞いた。彼女はセクハラに合ったからと言っていた。

彼女は僕に会社での仕事について聞いていた。僕は今の仕事の内容を簡潔に説明した。僕は彼女が気に入ったので好印象を与えようと話し方に気を遣った。

彼女が母親の方を見たとき、右の耳の後ろにホクロがあるのに気が付いた。僕は目を疑った。間違いなく奈菜のホクロだった。僕は彼女を後ろから抱き締めていた時に何度も目の前でそれを見ていた。

僕の驚いた様子に彼女も気が付いたようだった。

「二人でお話させてもらってよろしいでしょうか?」

「お母さん、いかがですか?」と父が言った。

「私は差し支えありません。お父さまとしばらくお話していきますから、あなた方は二人だけでどこかでお話をしてください」

そこで、二人はそのラウンジを出て、近くのホテルのラウンジへ場所を変えた。席に座るとすぐに奈菜が話しかけてきた。

「やっぱり、植田さんだったんですね。本名で来られていたんですね」

「ああ、でもはじめは全く気が付かなかった。髪がショートになっていて、化粧の仕方も違っているし、初々しくてとても若々しく見えたから」

「私はすぐに分かりました。お写真と履歴書を見た時にそうじゃないかと思っていました。そして一目見て分かりました」

「女性は変わるんだね。お化粧と髪型で別人に見える。でもほくろで分かった。目の前で見ていたからね。同郷だったとは思いもつかなかった。それに良い大学を卒業しているんだね。話が合うと思った」

「あなたこそ、よい会社にお勤めですね。私と分かったらお見合いしてくれましたか?」

「なんとも答えようがないけど。でも僕は君が好きだった。だから3年も通っていた。君のような娘を嫁にもらいたいと思っていた。それに君に似ていたから会ってみたくなった」

「私はあなたとすぐに分かったのですが、どうしてお会いしようという気持ちになったか今でもよく分からないのです」

「僕は君だと分かっていたら、お見合いしたかどうか分からない」

「そうですね」

「ひとつだけ、教えてくれないか? どうしてあの仕事をするようになったのかを」

「2年間も通ってくれたのに、一度も聞かなかったですね」

「それがエチケットだと思って、それに本当のことを話してくれるとも限らないからね」

「今も本当のことを話さないかもしれませんけど」

「それでもいいから、聞かせてくれないか?」

「さっきも話したけど、始めに就職した会社でセクハラに合いました。直属の上司が40歳前の独身で私のことが好きになったみたいで、迫られました。入社して3年目にそれが顕著になって耐えられないくらいになりました。そのころ会社で付き合っていた人がいたのですが、それが原因で関係が悪くなって別れました。結局、何もかもが耐えられなくなって、会社を辞めました。それから余計な気を遣わなくてよいと思って派遣社員になりました。でも派遣先ではもっと耐え難いセクハラにも合いました。お給料は少ないし、精神的にも追い詰められて、結局、あそこで働くことになりました。働いてみるとお金は入るし、そんなに気を遣わなくてもいいし、Hも嫌いではありませんでしたので、つい長くなってしまいました。両親から帰郷してここで結婚することを勧められて、歳も歳なのでその気になりました」

「でも、僕にはとても気を遣っていてくれていたと思うけど」

「特にしていませんが、そうだとしたらその程度なら自然にできるのです」

「僕は本当に君に癒されていた。あの逢瀬が毎月楽しみだった」

「あなたはどうしてあんなところへ来ていたのですか? あなたならいくらでもいい女子が寄ってきそうですが」

「僕はそういう女子との付きあいが面倒くさいというか、億劫になって」

「だから手っ取り早いところへ来ていた?」

「そのとおりだと思う。そして良いところだけを楽しんでいたのかもしれない。僕も女子に気を遣うのに疲れて来ていた。でも、気を遣いたいと思う良い娘と出会わなかったのかもしれない。でも、そこで君と出会った」

「さっき、私と分かっていたら、お見合いしたかどうか分からないといっていたけど、やっぱり気になるの?」

「気にならないというと嘘になるかもしれない。僕は相手を自分のものにしたいと思う。過去も現在も未来もすべてを」

「よく言われていますね。男は最初の男になりたいと、女は最後の女になりたいと」

「ああ、聞いたことがある。最初の男になりたいというのは分かる。最後の女になりたいはよく分からない」

「あなたには分からないかもしれないわ」

「それで、ここで直接君に言う話ではないと思うけど、あえて言っておきたい。後で正式に交際を申込むつもりだけど」

「お付き合いしたいと」

「ああ、僕は君が好きだった。今日会った時も、初々しくてあの奈菜と同じ人とは分からなかった。だから、今日、初めて会ったことにして、お付き合いを始めてくれないか?」

「ありがとうございます。そう言ってもらえてとても嬉しいです。でも、少し考えさせてくれませんか?」

「いいけど、良い答えを待っている」

答えを留保されたが、お見合いにも僕と分かってきてくれたのだから、受け入れてくれると思っていた。
帰宅してから父親に交際の希望を先方に伝えてくれるように頼んだ。父も彼女を気に入っていた。父はすぐに彼女の母親へ電話を入れたようだが、返事を留保されたと言っていた。

実家に一泊して僕は日曜日に東京へ帰ってきた。奈菜からの返事を待っていたが、なかなか来なかった。それで悪い予感はしていた。

3日後の水曜日、帰宅するとレターパックが郵便受けに入っていた。開けてみると、父親からの手紙、それに封をした奈菜からの手紙が入っていた。

父親の手紙には先方が断りを入れてきたと書かれていた。また、良い人がいたら紹介するから心配するなとも書かれていた。奈菜からの手紙には断った理由が書かれていた。

『植田健二様 こんな私を好きだと言って、お付き合いの申し出をいただきありがとうございました。また、初めて出会ったようにお付き合いを始めたいとも言っていただきました。とても嬉しかったです。ただ、私はこの申し出をお受けできません。あなたは私の過去も未来も自分のものにしたいと思っていらっしゃるのでしょう。でも私の過去をあなたのものにすることはやはりできません。それは私の負い目でもあります。私はあなたとお見合いをして、初めて出会った方とお付き合いをしていける自信ができました。あなたには私よりももっとお似合いの女性がいるはずです。どうかその方を面倒がらずに探してください。 新野直美』

やはり、断られた。僕は彼女にとって良い客の一人に過ぎなかったのかもしれない。僕は彼女と何回もHをしたが、一度もいってくれなかった。それは間違いない。もともとそういう体質かもしれないが、それが唯一の不満だった。ひょっとするとそれが彼女のプライドだったのかもしれない。

彼女は自分の過去にこだわって断られるかもしれないお見合いを僕とあえてしてくれた。その理由が分かったような気がした。自分の過去と僕を見極めたかったのだと思う。彼女には良い結婚をして幸せになってほしい。

僕はそれからというもの、気力がなくなって、風俗に行くことを止めた。すべてが空しくなった。一時は男の抜け殻のようになってしまった。
奈菜とのお見合いから1か月ほど経っていた。また、お見合いの話があった。こんなことは続くものなのかもしれない。そういう年齢に達していることなのか? めぐり合わせだとしたら、もう成り行きに任せてみようという気になった。

上司の小山部長からの話だった。会議室に呼ばれた。何の話だろうと行ってみると、始めに付き合っている人がいないか尋ねられた。今はいないと答えると、お見合いの話を始めた。

奥さんの付き合いがあって、会社に適当な人物がいれば紹介してほしいと頼まれているそうだ。ここに写真と履歴書があるので、見るだけでもいいから見てもらって、良ければお見合いをしてみないかと言われた。

部長からの話なので、お見合いをすると断るのが面倒だと思って、写真や履歴書も見ないで、今は結婚する気がないと丁寧にお断りした。

「家内から私の顔を立ててほしいと頼まれている。植田君も結婚してもおかしくない歳だろう。付き合っている人がいないならどうかな、なんとか見合いだけでもしてくれないか? むろん私や家内に義理立てする必要は全くないから、断ってもかまわない。どうかな」

そこまで言われると、これ以上断り続けて部長の機嫌を損ねるのもどうかと思った。

「分かりました。お受けします。ご期待に沿えるかどうか分かりませんが」

「結婚は本人同士の気持ち次第だから」

「そう言っていただけると気が楽です」

「それで、ご両親のどちらかにでも同席してもらえると格好がつくのだが」

「ちょっと実家とは距離があるので無理です。兄なら近くに住んでいるので兄でもよろしいですか?」

「お兄さんは結婚していられるのか?」

「3年前に結婚して子供もいます」

「それなら、お願いできないかな。その方が良いから」

確かに兄貴に同席してもらえば、部長の奥様の顔も立つだろう。僕一人で見合いに臨むよりもよっぽど体裁が良い。

兄に見合いの同席の可否を聞いてみると、僕が結婚もしないで独身でいるので心配していたとのことで、喜んで同席を承諾してくれた。

相手の履歴書と写真を渡された。プロが撮った見合い写真だった。目を見張るほどの美人ではなかったが、清楚で気品のある顔立ちだ。人によってはすごい美人だと思うに違いない。

名前は飯塚(いいづか)奈緒(なお)、28歳。東京の有名女子大を卒業している。勤務先は金融機関。趣味は料理、読書、旅行といたってありきたりだ。両親と弟の4人家族。

部長から履歴書と写真がほしいと言われたので、すぐにパソコンに作ってあった履歴書をプリントアウトして渡した。それから写真を探した。同窓会の時の写真がメールで送られてきていたのを思い出して、その中からトリミングして作った。なんとか見られる写真はできたが、実際の僕とは相当かけ離れている。実物の方がずっと良いと思う。

お見合いの日時は来週の土曜日の午後2時から、部長のご自宅でということになった。
お見合いの当日になった。部長のお宅は小田急線の成城学園にある。駅から徒歩10分と聞いていて、地図も渡されていた。兄貴とは駅の改札口でゆとりを見て午後1時30分に待ち合わせる約束だった。

僕は今住んでいる池上線の洗足池から電車を乗り継いで来たが、乗り換えに思ったより時間がかかってしまって、駅に着いたのは午後1時50分だった。

兄貴ははらはらしながら待っていたという。こういう大切な時に遅刻はまずいと随分と小言を言われた。こういうことだから結婚できないのだとも言われた。このことと結婚は関係ないと思う。まあ、少し詰めが甘いことは自覚している。

あわてて部長に電話を入れた。道を間違えたので、少し遅れるかもしれないと伝えておいた。それから駅前でお菓子の詰め合わせを買った。そして地図に沿って部長の家へ小走りで急いだ。

午後2時丁度には辿り着くことができた。遅刻はしなかった。でも心証が悪くなると兄から途中で散々小言を言われた。

兄は昔から几帳面で何事も卒なくこなしていた優等生だった。それに反して、弟の僕は兄より成績は悪くなかったが無計画で気まぐれなところがあるといつも両親から注意されていた。

でもそんなことはないはずだ。今日は少し乗り換え時間の設定を誤っただけだ。仕事の打ち合わせや会議、会合に遅れたことは一度もない。その証拠に今日も一応間に合った。

深呼吸して気を取り直す。ここからが本番だ。部長のためにも悪い印象を与えることだけは避けなければならない。

リビングに通されると、すでに先方3名はソファーに座って待っていた。さすが部長のお宅だ。広いリビングに大きなダイニングテーブルがあって、そこに6名分の席が用意されている。

席に座るように言われて、先方がベランダ側の3席に仲人の奥様、本人、母親の順に座った。それに合わせて、部長の奥様、僕、兄の順に座った。奥の端の上座に部長が座った。会社の会議よりもずっと重苦しい雰囲気だ。

飯塚奈緒、本人を間近に見た。写真よりずっと綺麗な娘だった。上品で落ち着いた感じがする。でもお嬢さんと言った感じでもない。まあ、もう28歳だから落ち着いていて当然かもしれない。第一印象は予想以上だった。

部長の奥様が僕と兄を紹介してくれた。奥様には初めてお目にかかったが、人のよさそうな物腰の柔らかい人だった。それから先方の仲人の奥さんが彼女と母親を紹介してくれた。

その奥さんは少し気取って上から目線で話すようなタイプの人だった。名前は土田さんと聞いた。僕はこういう人は苦手で嫌いだ。兄が道すがら、お見合いでは母親をよく見た方が良いと言っていた。母親もそういう人なら断った方がよさそうだ。

始めから先方の仲人の土田さんがよくしゃべった。部長の奥さんの裕子さんは大学のクラブの後輩で、先方のお見合い相手の母親の順子さんとは高校の同級生とか言っていた。それに仲人を随分していてもう何組も結婚していて幸せに暮らしていると言っていた。まあ、よくしゃべるし仕切りたがる。

本人や母親ではなくてその奥さんが僕にいろいろと聞いてくる。仕事の内容、年収、将来の見込みなどは部長の奥さんを通じてすでに聞いているはずだが、本人が聞きにくいところを聞いてあげるとか言って、今まで付き合っていた彼女はいたのかとか、これまでのお見合いの回数やら、休日は何をしているのかとか、貯蓄額などを聞いてきた。

結婚を前提にお付き合いした女性はいないと言っておいた。これは事実だ。お見合いは今回が2回目で、1回目は断られたと正直に話した。理由は?と土田さんが聞くので、自分には似つかわしくないと言われたと話した。本当にそう言われたと思っている。

僕は聞かれたことに対しては本当のところを当たり障りのないように答えておいた。こういうやりとりは仕事でもしょっちゅうしているので、そこいらの奥さんには引けを取らない。

彼女の母親は土田さんに遠慮してか、ほとんど質問しなかった。部長は黙って聞いていた。部長の顔を時々見ていたが、土田さんには好感を持っていないとみえた。

僕はこういう場合は遠慮しないで聞きたいことは聞いておくべきと思っている。何せ、僕のお嫁さんを選ぶお見合いだからだ。

「飯塚さんはこのお見合いは初めてですか?」

「私も2回目です。1回目はお断りしました。なんとなく性格が合わないようでしたので」

彼女の答えも卒がない。真面目に答えてくれていると思った。職場には適齢の男性社員はいないのかとも聞いてみた。年配の既婚者が多くていないとのことだった。

土田さんが彼女の職場について説明をしてくれた。そういうことは聞いているのかよく知っている。相当に会う前に聞いているとみえた。本人の口から直接聞きたいところだ。僕は部長の顔をそれとなく見た。目が合った。

「そろそろ二人で場所を変えてお話してみたらどうかな? 年寄りがいたら若い人が自由に話せないから」

「そうさせていただけるとありがたいです」

僕はすかさずそう言った。彼女を見ると頷いていた。兄と彼女の母親はもう少し話してから帰ると言っていた。あとは交際を希望するかはよく考えてそれぞれの奥様に連絡するということになった。

それで二人が先に部長宅を離れた。駅前にファミレスがあったので、そこで何か食べながらお話をすることにした。途中二人は話をしなかった。彼女も話しかけてこなかった。ちょっと気まずかったかなと思った。

席に案内されると彼女の方から話しかけてきた。

「土田さんには、私のために熱心に縁談を進めていただいておりますので、お気を悪くなさらないでください」

「いや、そんなに頼りになる人がいると心強いですね」

「何組もまとめていらっしゃるみたいです。二人を見ると相性が分かると言っておられました」

「それなら僕たちをどうみたのか、聞いてみれば良かった」

「お気になさらないでください。二人のことですから二人で決めればいいことです」

「僕もそう思ったから、部長の言葉に賛成したんだ」

「私もそう思っていました」

「何か聞いておきたいことはありますか? 何でもいいですから率直に遠慮しないで聞いてください。結婚することになるかもしれませんから今の内です」

「どうしてお見合いをする気になったのですか?」

「もう私も31歳です。結婚はしたいと思っています。それで良い人を見つけるのに手段は選ばないといったところでしょうか? いろいろな出会いの仕方があると思いますが、お見合いは事前に相手の経歴も分かるし、仲介者もいるから信用が置けます。それにお互いが希望すればすぐに結婚を前提にしたお付き合いができますから」

「私もそう思っています。結婚を前提にした真剣なお付き合いができますから、それに紹介者がおられるので、安心してお付き合いができます」

「昔からある良いシステムなのかもしれません。最近は減っていると聞いていますが」

「土田さんのようにお世話をしてくれる人が減っているのかもしれません。それに合コンやスマホなど便利なツールもあるのでお付き合いが容易にできるようになったからだと思います」

「合コンには参加しているのですか?」

「私の職場では年配の人が多いので、誘われることがありません。2度ほど大学の友人に誘われていったのですが、どうもなじめません」

「なじめない?」

「ただ、付き合う相手というか遊び相手を探すために来ているみたいで、結婚まで考えているのかどうか、真剣さがないような気がして」

「合コンでは、まず気が合う相手を見つけて、付き合ってみて、それからゆっくり結婚を考えようとしている人が多いと思う」

「あなたはどうなのですか?」

「合コンも何回かは行きました。それで何人かとも付き合ってみましたが、この人という人が見つからなくて」

「それは相性のようなものですか?」

「良くわかりません。本能的に合うということかもしれませんが、そういう人と出会っていないということなのでしょう。何人かと付き合ってみると、それぞれ異なった長所と短所があって、分からなくなってしまうのです。迷ってしまうということかもしれません。それは運命の人に出会っていないということなのかもしれません」

「運命の人に出会うとピンとくるのでしょうか?」

「僕は出会っていないので分かりません。おそらく何か感じるものがあるのでしょう。結婚した人はそう言いますね」

「私はその人だと決心できるかどうかだと思っています」

取り留めのない話が続いたが、彼女の考え方と結婚観などが分かるような気がした。彼女はとても誠実な感じがして好感が持てた。それに見た目とは違って何でも気軽に話せそうだった。今まで合コンであった女子とは違っていた。

それからお互いの家族や趣味の話などをした。1時間ほど話していたと思う。彼女は田園都市線の藤が丘に住んでいる。帰る方向が違っていたので駅で別れた。

彼女は写真よりも初々しくて綺麗だった。少し話しただけだが、性格も悪くないと思った。特段に気になるところもない。断る理由がない。むしろ、お付き合いをお願いするべき相手だと思った。

折角の土曜日なので新宿の家電量販店を見て回った。今使っているパソコンの調子が今ひとつ良くないので、新しいパソコンを見て回った。回復を試みて難しいようなら買替えよう。

帰ると兄に電話を入れた。兄はもう自宅に戻っていた。彼女の印象を聞くと、僕と同じで印象は良かったようで、交際をしてみることを勧められた。

それから、すぐに部長に連絡を入れた。そして、お付き合いしてみたいからお願いしますと伝えた。部長の彼女に対する印象も良かったみたいで、それは良かったと言っていた。
2日後に部長の奥様から連絡があった。先方の飯塚奈緒さんも交際を希望しているとのことだった。奈緒さんの携帯の電話番号を教えてくれたので、僕の携帯の番号を知らせた。

その日の夜、帰宅してから教えてもらった奈緒さんの携帯へ電話を入れた。9時近かったが、番号が知らされていたようで、すぐに出てくれた。それで次に会う約束をした。彼女は自宅へ来て父親にも会ってほしいと言った。

そんな申し出をされるとは思ってもみなかったが、すぐに承諾した。彼女の家で二人にしてもらえれば周囲にかまわずに話せるし、自宅を見て置くことも、父親がどういう人物か知っておくことも交際が進めばいずれはしなくてはいけないことだ。確かにその方が手っ取り早い。

それで、土曜日の午後2時に訪ねることにした。自宅の住所は履歴書に書いてあった。駅から徒歩10分と聞いていた。事前に地図アプリとグーグルビューで見ておいた。お見合いのために部長のお宅を訪問した時とは違って随分気合が入っている。

◆ ◆ ◆
土曜日の午後1時30分には藤が丘駅に着いた。今回は乗り換えも容易で時間どおりに来ることができた。駅前のケーキ屋さんでケーキの詰め合わせを買って家へ向かう。

ここは郊外の住宅地で良いところだが、都心への通勤には大変そうだ。通勤電車が非常に混んでいると聞いている。

彼女の家はすぐに見つかった。まだ、2時まで時間があるので、そのあたりを散策した。すぐ近くに小さな公園があった。母親が子供を遊ばせている。丁度、奈緒さんくらいの年齢かもしれない。彼女も母親になっていても可笑しくない年齢だ。

丁度、2時に玄関チャイムを鳴らす。すぐに玄関ドアが開いて、母親と彼女が迎えに出てくれた。手土産を渡して玄関を入る。

他人の家を訪問するときにはその家の匂いが気になる。すぐにそのにおいには慣れるというか感じなくなるが、始めの印象はそのにおいだ。不快なにおいではなかった。

リビングへ通されると父親が立ち上がって僕に挨拶した。いやみのない柔和な印象だった。母親もあの仲人の土田さんのような出しゃばったところがない控え目な人だった。

「よくいらっしゃいました。父親の飯塚《いいづか》正人《まさと》です」

「初めまして、植田健二です」

勧められてソファーに座った。母親と彼女がコーヒーを入れてくれている。良い匂いだ。父親はなにも言わずに僕を見ている。コーヒーが僕の前に出された。僕から離れて隣に奈緒さんが座った。斜め前に父親が、正面に母親が座っている。面白い座り方になっている。

何から話したらいいのか分からないので、コーヒーを飲んだ。僕はコーヒーにはうるさいというか、好きだ。豆を買ってきていつもドリップで入れて飲んでいる。

「このコーヒーはとても美味しいですね。今まで飲んだ中で一番かもしれません。ブレンドはなんですか? ブルーマウンテンかな」

「ブルーマウンテンミックスです」

「当たっていた。僕はコーヒーが好きでいつも豆を挽いて飲んでいます」

「私もコーヒーが好きでいつも飲んでいます。これはこの近くにある焙煎している専門店で買ってきました」

「入れかたも上手だと思います」

「奈緒が入れたのですよ」

「コーヒーが好きだなんて、お見合いの時には一言も言わなかったですね」

「あなたも聞きませんでしたし、話しませんでした」

「まだまだお互いに知らないことばかりですね」

それからは話が弾んだ。父親は僕に会社の事業内容と行っている仕事、帰宅時間、休日と休暇などについて聞いていた。僕も父親の会社の話と役職を聞いた。通信機器の会社の人事部長をしていると言っていた。それでしっかり面接されたと思った。

奈緒さんが頃合いを見て、二人で話したいから部屋に来てほしいと言った。両親がかまわないからと言うので、彼女の部屋に行った。

その部屋は2階にあった。階段を上がったところにトイレと洗面所があった。2階のもう一部屋は弟さんが使っていると言っていた。今日は出かけているという。

引き戸を開けて部屋に入ると8畳の畳敷きの和室だった。部屋の端の方に座り机が置かれている。また、和室といっても床の間や掛け軸があるわけではない。押し入れもなくクローゼットになっていた。ただ、窓は障子になっていた。

部屋の真ん中に座卓があって座布団が2枚用意されていた。机の上にはお盆にポット、急須、お茶碗が載せてある。促されて座布団に座った。今度はお茶を入れてくれる。入れてくれたお茶もとても美味しい。

「和室なんだね。そういえば君のイメージに合っているかも知れない」

「そうですか? 弟が洋室を使っていますが、ベッドだと部屋が狭くなりますし、お掃除もしにくいので」

「お布団で寝ているの?」

「その方が落ち着いて眠れますので」

「家具も和風なんだ。その机とてもいいね、それにスタンドも」

「本が落ち着いて読めます」

「趣味は読書だったね。どんな本を読んでいるの?」

「いろいろです。推理小説から恋愛小説、エッセイなんでもです」

「音楽は聞かないの?」

「テンポの速い曲は苦手です。どちらかというとゆっくりしたテンポの曲を聞いています」

「クラシックとか?」

「聞きますが、人気のあるヒット曲も聞いています。ヒットしている曲はそれなりに理由があってやはり良い曲が多いと思います。スマホに入れて何も考えたくないときに聞いています」

「何も考えたくない時って?」

「仕事や人付き合いに行き詰ったときです」

「僕はそんなときには気の合った友人と飲んで愚痴を言い合ったりしているけど」

「男の人はそれができるからいいですね」

「女子も最近は女子会とかやっていると聞くけど」

「私の周りには愚痴を言い合えるような同じ年代の人が少ないので。それに会社の人には話し辛いことがありますから」

「ご両親には相談しないの?」

「あまり深刻な相談をすると心配をかけますからしないようにしています」

「お父さんとはあまり話をしない?」

「いえ、大切なことは相談しています」

「人事部長をしているとか聞いたけど、いろんな人を見ているから、頼りになると思う」

「結構、貴重なアドバイスをしてくれます」

「僕をどう見ておられたか、実は心配している」

「まだ聞いていませんが、悪い印象は持たなかったと思います」

「気に入れられたかな?」

「まあ、反対はしないと言うところでしょうか? 断る理由はないと思います」

「それはあなたの意見ですか?」

「同じだと思います」

「欠点がないという理解でいいのかな? じゃあ、良いところは?」

「それがよく分からないのです。どこが良いところなのか」

「分からない」

「あまり、男の人とお付き合いしたことがないので」

「会社では周りは年配の人ばかりと言っていましたが、彼らも男でしょう」

「そういう意味では、あなたの方がずっと良い人だと思います。結構、癖のあるおじさんが多いですから」

「お母さんは何と言っている?」

「母も悪い印象は持っていません。私が判断しなさいと言っています」

「君次第ということか?」

「実は父と母は見合い結婚なのです」

「それで君も見合い結婚する気になったのか?」

「それもあります。父と母は仲がよくて喧嘩しているのを小さい時から見たことがありません」

「それはお父さんが亭主関白で、お母さんがただ従っているだけではないの?」

「いえ、母も結構、父には言いたいことは言っています。父はそれをちゃんと聞いています」

「うまくいっているんだ。俗にいう仮面夫婦ではないんだ」

「そう信じています」

「お母さんは穏やかな人だね。君は母親に似ていると言われない?」

「そうかもしれません。私は母も好きです。でも大人になったので適当な距離を保つようにしています」

「どうして」

「あまり、甘えてはいけないと思って、いずれは家を出なければなりませんから、精神的に自立しないといけないと思っています」

「十分に自立していると思うけど」

「そうじゃないんです。このごろは落ち込むことも多いです」

「相談にのるよ」

「ありがとうございます。男性の方が考え方が論理的で多面的だと思いますから」

「いや、女性の方が考え方がシビヤーだと思っているけどね。男は相手の立場を思いやったりして情に流されるところがある」

次々と話が続いた。打ち解けて本音で話ができたと思う。彼女も本音を話してくれたと思っている。時計を見ると4時少し前になっているのでお暇することにした。

今日は彼女の家を訪ねて本当に良かった。街で会って数回デートするよりもお互いの理解が深まったと思った。

自宅に帰ってから7時過ぎに部長へ彼女の家を訪ねてご両親に会ってきたことを伝えておいた。あと1、2回会ったらどうするか決めようと思っていると伝えた。
次の週の火曜日、8時過ぎに小山部長の奥様から電話が入った。お見合い相手の飯塚奈緒さんから仲人の土田さんを通して破談の連絡があったと言う。

土曜日にそんなそぶりはご両親にも微塵もなかった。まして奈緒さんは交際の継続を望んでいるように見えた。

腑に落ちなかったが、ご縁がなかったと了解した。わざわざ先方の自宅まで訪ねて行ったのに、うまく進んでいたと思っていたので、全身から力が抜けた。

◆ ◆ ◆
次の週になって、また部長の奥様から連絡が入った。飯塚奈緒さんのお母様からなぜ僕が断りを入れて来たのか、腑に落ちないので理由だけでも教えてほしいと連絡があったと言う。奥様は土田さんから断りの連絡が入ったので、こちらからはお断りしていないと答えたそうだ。

それで奈緒さんのお母様がよろしければ僕に交際を続けてほしいとおっしゃっていると伝えられた。もちろん、奈緒さんも交際の継続を希望しているとのことで、僕にどうすると聞いてきたのだった。

僕はあれから気が滅入っていた。ご縁がないとあきらめていた。それにここで交際を再開すると言うことは、僕が彼女に決めたということと同じになり、今度はこちらから断りにくいと思った。

あのまま交際を続けていたら、もっと自由に判断できたのにと思わないではいられなかった。ご縁がないのかもしれない、一度こういうことがあるとまた面倒が起こるかもしれないとも思った。

それで、こんな行き違いが起こることになるのも、やっぱりご縁がなかったのだと、断りの意思を伝えてもらった。
奈緒とのお見合いから1か月ほどたった7月ごろに、また実家からお見合いの話があると言ってきた。

両親には6月に東京で上司の紹介で縁談があって、兄貴に同席してもらったが、うまくいかなかったことを伝えていた。

それで両親は僕が結婚をしたがっていると思ってか、母の知人に縁談をお願いしていたらしい。

このころの僕は縁談があった時には無下に断ったりしないで、自然体で会ってみようと言う気になっていた。相手のあることだし、こちらが気負っても二人の気持ちが通じ合わないとうまくいかないと思ったからでもある。

お見合の相手は上野(うえの)瑞希(みずき)といった。僕より年齢は5歳年下の26歳だった。地元の私立大学短期大学部を卒業して役所の臨時職員をしている。二人姉妹の妹だが、姉はすでに結婚しているという。本人は国立大学の受験に失敗してしかたなく短大に入ったと言っていた。彼女は親元に居たかったらしい。

僕は会ってすぐに気に入った。とても美人で僕の好みのタイプだった。僕は小さい時から面食いだった。すぐに可愛い子に目が行く。学校でもクラスの可愛い子をじっと眺めていることが多かった。それでも声をかけたりはできなかった。ただ遠く離れたところから憧れてみていたといったところだろう。

歳が離れて26歳と若かったこともあり、とても新鮮な感じがした。話していても受け答えに卒がない。頭も悪くないと思った。ただ、漠然と良い娘だと思った。断る理由が全くないから交際をお願いした。

彼女も僕のことが気に入ってくれて交際が始まった。僕は出来るだけ帰省した。毎週とはいかなかったが、月3回は帰省して彼女と会って話をした。それに毎日帰宅すると電話を入れた。

彼女は家にいて携帯で受けてくれた。電話したら僕の話をよく聞いてくれた。僕は好かれていると思っていたし、実際に好かれていた。

今考えると交際中に帰省した時はどうして過ごしていたか思い出せない。二人で遠出した記憶がない。街中で会って話をしていただけだったと思う。ただ、毎日電話していたことだけはよく覚えている。

それで9月はじめに婚約することになった。そこまでは順調だった。婚約してから初めて彼女との齟齬に気付き始めた。お互いに遠慮がなくなったからかもしれないが、僕は自分の不満が自覚できるようになった。

ずっと毎日電話していたが、彼女からかかってきたことは一度もなかった。僕の帰りが随分遅くなってかけられなかった時もかかってくることはなかった。

それに帰省するのはいつも僕だけで、彼女の方から東京に遊びに来てくれたことは一度もなかった。遊びに来ないかと誘っても仕事の都合がつかないからと言われた。

なんとか時間を作って遊びに来てくれても良いのではないか。こちらで無理に関係を迫ることなど考えてはいないが、それを心配したのかもしれない。

それにしても腑に落ちなかった。本当に僕が好きで結婚する気があるのかとも思った。まあ、彼女の都合もあるので、こちらへ来られないのは仕方がないとも思った。いずれ結婚すれば二人でずっと一緒にいることになるのだから強いる必要はないと思っていた。

婚約したので彼女の家で新婚旅行先について相談した。彼女は海外へ行きたいと言った。僕は国内旅行にしたかった。慣れない外国へ彼女とすぐに行くのは気が進まなかった。

僕は結婚してから夏休みに行けば良いと提案した。でも彼女は海外旅行にこだわった。それもカナダへ行きたいと言った。なぜカナダにこだわるのか聞いたら誰も行っていないからというのが答えだった。

確かに新婚旅行には誰も行ったことのないところへ行ったと友人に自慢したいのだろう。僕の気持ちを何も考えてくれていない。それで彼女の今までの行動が理解できた。

彼女は自分のことしか考えていない。僕のことなんか考えてくれていない。そう思うと、力が抜けてきた。今まで何をしていたのだろう。彼女のどこを見ていたのだろう。

これから一緒に暮らしていく自信がなくなってしまった。あのとき彼女の無理を聞いてカナダへ新婚旅行に出かけていたら、いわゆる成田離婚になっていたかもしれない。

僕は帰宅するとすぐに両親に今までの不満を話した。そして今日のいさかいから一緒に生活していく自信がなくなったから、婚約までしたけれど仲人さんに破談にしたいと伝えてほしいと言った。

両親は驚いていたが、結婚してから別れるよりはいいだろうと僕の急な我が儘を聞き入れてくれた。

僕は翌日の日曜日に東京へ戻った。夜になって実家から、先方が謝っているから破談の話はないことにしてほしいと言ってきているがどうすると、連絡が入った。

僕は一旦壊れたものはもう元には戻らない、今、元に戻してもお互いの不信感から、またきっと壊れるから断ってくれるようにお願いした。僕がかたくな過ぎたのかもしれない。

お見合いして初めて会ってから3か月余りで破談になった。今思うと彼女には申し訳ないことをしたと思っている。彼女への不満をため込まずにもっと始めから率直に話をすべきだったとも思っている。そうすれば避けられたかもしれないし、もっと早く判断できたかもしれない。

ただ、彼女には元々そういう我が儘なところがあったのかもしれない。それに可愛い娘だったので、いつも男子にちやほやされて、相手からしてくれることに慣れていたのかもしれないと思った。

だから彼女はただ無意識に自然にふるまっていただけだったのかもしれない。言ってみれば僕との相性が悪かっただけかもしれない。僕とはご縁がなかった、そう思うことにした。

さすがに今回は懲りた。間に入ってくれた仲人さんにも両親にも迷惑をかけた。まして彼女にも多大な迷惑をかけた。

しばらくは縁談もないだろうし、すぐにまたその次という気にも当然なれなかった。自分がいやになった。僕は9月で32歳になっていた。
その破談からしばらくは合コンに誘われることもあったが、とても行く気になれないので断っていた。

一人でいる寂しさはある。僕は手っ取り早い風俗に月1でまた通うようになっていた。これがとりあえず心と身体を満たしてくれている。

小山部長からももう縁談の話はない。部長もあの一件で懲りたみたいだ。まあ、その方が部下としては気が楽だ。

あの時はなぜか話がもつれた。僕はきちんと付き合っていた。歯車があっていなかったと言うか、ボタンの掛け違えと言ってもいいだろう。うまくいかないときはそういうものだと思っている。

飯塚奈緒はどうしているだろう? どういう訳か少し気になった。今思うと良い娘だった。僕の気持ちを理解しようとしてくれていた。

彼女のことを考えると、どうしても様子を聞いて見たくなった。未練がある? いや断ったはずだ。でもだめもとで電話してみる気になった。

昼休みに消さずに残っていた携帯の番号に電話を入れてみた。出た!

「植田健二です。その節は失礼しました」

「こちらこそ、ご縁がありませんでしたね。どうされました?」

「その後、どうしているかと思って、気になったから。突然で申し訳ないが、もし今、誰とも付き合っていないのだったら、僕ともう一度付き合ってみてくれませんか?」

成り行きというか、彼女の声を聞いたら、交際を申し込んでいた。僕らしくない。断った相手に未練がましいし、常識的に考えてもおかしい。

「君も一度断った。僕も一度断った。お相子でもう一度考えてみてくれませんか?」

「私自身はお断りしていませんでした。せっかくですが、今、交際している人がいますので、お受けできません」

「そうでしたか。申し訳なかった。突然電話してしかも不躾な申し出をして。忘れて下さい。じゃあ」

まずい。僕らしくない。何でそんなことを言ったのだろう。本当に未練がましくて恥ずかしい。また、気が滅入ってきた。でも逃がした魚はデカかった?
5月の連休に5年ごとに開かれている高校の同窓会に出席した。この前は27歳の時だったので、結婚している人は少なかった。今回は結婚している人の方が多くなっていた。

親友の小川(おがわ)紘一(こういち)君が出席していた。彼とは高校時代からの親友で大学も同じだった。僕は東京の食品会社へ就職を決めたが、彼は地元志向で地方公務員の試験を受けていた。首尾よく合格して今は立派な地方公務員になっている。

「やあ、久ぶりだなあ、元気そうじゃないか。嫁さんはもらったのか?」

「いや、まだ一人だ。小川君はどうなんだ」

「婚約したよ。6月末に式を挙げることになっている」

「それはよかった。もうお互いにそんな歳だからな。お相手は?」

「今年の1月にお見合をしたんだ。それで気に入ったと言うか気が合って交際して、少し前に婚約した」

「それで、結婚式には招待するから出てくれないか? それと友人の挨拶を頼めないか?」

「ああ、いいとも、休日なら大丈夫だ。日にちを早めに知らせてくれれば予定に入れておくから」

「招待状を出すところだったから丁度良かった。植田君なら頼んで安心だから」

「式を挙げるのか? それと披露宴もするのか?」

「ああ、役所の関係もあるし、親のこともあるから、しない訳にはいかないだろう」

「そうか。それで、どんな人?」

「可愛くてすごい美人だ」

「それで」

「東京の大学を出て、東京で就職していたそうだが、歳も歳だから帰ってきて結婚する気になったとか」

「幾つなんだ?」

「29歳になったばかりだ」

「東京で遊び疲れて帰ってきたんじゃないのか?」

「僕も最初はそう思った。でも会ってみると初々しくてとてもそんな風には見えなかった」

「それで」

「交際して3か月で婚約した」

「それで、彼女とはうまくやっているのか? 僕と違って昔から女の子には手が早かったからな。結婚しても浮気はしないだろうな」

「内緒だけど実はもう彼女を抱いた」

「ええ、手が早いな」

「どこで」

「彼女の部屋で」

「まあ、婚約しているからいいだろうけど」

「彼女は経験がないみたいだった」

「へー、悪い奴だな」

「もう完全に僕のものだ」

「年下の初心な娘を手籠めにした」

「人聞きの悪いことをいうなよ」

「それで今日もニコニコしていたのか。彼女を大切にしないとね」

「ああ、僕にはもったいないくらいに可愛くて美人だ」

「うらやましいな、ところで名前は?」

「新野直美というんだ」

「ええー」

「知っているのか? まさかお前の東京の元カノとかじゃないよな」

「ああ、心配するな。僕のお見合いの相手だったけど、断られた」

「そういえば、僕が3人目とか言っていたな」

「おそらく僕が一人目だと思う」

「植田君の方がカッコいいのになあ、どうして断られたんだ」

「よく分からない。可愛くてすごい美人だったから、僕は交際を希望したけどね。ご縁がなかったんだ。それだけだと思う。でも逃した魚はデカいなあ。本当に」

「悪いな、結婚式に出てもらって、それに挨拶まで頼んで、いやならいいよ」

「いや、親友の結婚式には出させてもらう。彼女とはご縁がなかっただけだから。お前と彼女とはご縁があったのだろう。結婚ってそういうものだと思う。彼女は僕のことを覚えているだろうから、伝えておいてくれないか。僕の親友だから君を幸せにしてくれる。安心していて良いと。それから僕がおめでとうと言っていたことも。まあ、僕が挨拶をするときにも言うけどね」

「分かった。伝えておく」

小川君は機嫌がよかった。それで二人は離れた。振り向くと小川君は、もう次の友人と話している。小川君は真面目で良いやつだ。だから僕の親友だった。間違いなく彼女を幸せにしてくれるだろう。

奈菜は頭のいい女性だ。どういうふうに男の前では振舞ったら良いのかよく分かっている。彼女が今までの経験を生かして、この人だと思って全力で攻略したら相手は間違いなく落ちるだろう。

現に小川君は彼女にメロメロだった。もし、僕が小川君の立場だったら僕も間違いなく落ちていただろう。あのホクロに気が付くまではそうだったから。

女性は奥が深い。僕は選ばれなかったということだ。好きになるよりも好きになられることの方が難しいのかもしれない。

◆ ◆ ◆
6月末の休日に行われた結婚式と披露宴に僕は帰省して出席した。ウエディング姿の奈菜はとても清楚で綺麗だった。小川君がうらやましかった。

その恨みつらみを友人の挨拶で話した。僕は新婦にお見合いで断られたことも話した。小川君がうらやましいとも話した。それを奈菜は嬉しそうに聞いていてくれた。

本当に彼女には幸せになってほしい。さようなら。言いようもない空しさを胸にしまって、僕は帰りの新幹線に乗り込んだ。