「撤退……か?」
レヴィアはしおれた様子で紗雪に声をかける。
しかし、紗雪はうなだれたまま動かない。全力を尽くしてもタニアを助けられなかった事実が重苦しく心を押し沈め、言葉も出せなかったのだ。
と、その時、ヴォォォンと奇妙な電子音とともに少し先の床が四角く浮き上がり始める。
「マズい! 戦闘準備!」
レヴィアは叫び、銃を構える。紗雪も急いで飛び起きてシャーペンを構えた。
英斗もあわてて起き上がり、へっぴり腰でニードルガンを向ける。
せり上がってきたのはエレベーターである。床から四角く飛び出てきた箱には扉が付いており、屋上との出入り口として使う物のようだった。
いきなりの展開に英斗の手はブルブルと震え、照準も定まらない。
鬼が出るか蛇が出るか、一行は何が出てくるのか固唾を飲んで見守った。
キャッハァ!
ドアが開くと同時に歓喜の声が響く。
なんと、タニアが一人でトコトコトコと出てくるではないか。てっきりやられたものだとばっかり思っていた幼女は、なぜかエレベーターを使って任務を果たしてきたのだ。
武器を下ろして唖然とする英斗の前を紗雪が駆けていく。
紗雪は何も言わず凄い速さでタニアの所まで行くと、ひざまずいてギュッと抱きしめた。
きゃははは!
タニアは嬉しそうに笑う。
見ると紗雪の肩が揺れている。タニアの危機に一番胸を痛めていたのは彼女だったのだ。クールを装っていたが、ママと言って人懐っこく抱き着いてくる可愛い幼女に内心情愛を感じていたのだろう。
英斗はそんな紗雪とタニアの心の交流を、少し羨ましく思いながらしばらく眺めていた。
見るとタニアのボーダーシャツには真っ青の血しぶきがかかっており、顔もほこりや血でぐちゃぐちゃである。
英斗はハンカチでそっとタニアの顔をぬぐい、タニアは幸せそうにそっと目を閉じた。
「お手柄だね、お前凄いな」
英斗は頭をなでながら話しかける。
しかし返事がない――――。
いつもならキャッハァ! と、にこやかに返事してくれるのだが。
「お、おい、どうしたんだ?」
英斗はタニアのプニプニのほっぺたをつついたが、タニアは糸が切れたように首をガクッとさせた。
「えっ!? おい!」
心配して声をかけた英斗だったが、
すぴー、すぴー、と寝息が聞こえてくる。
紗雪は驚いてそっとタニアの首を支えて様子を見た。
「ね、寝ちゃった?」
むにゃむにゃ、と口を動かしてまた寝息を立てるタニア。
二人は顔を見あわせ、ちょっと困惑した様子で微笑みあった。
『手のひら攻撃』の時もそうだったが、タニアは力を使うと寝てしまうらしい。今はゆっくりと寝かせてあげたいが、こんな敵地では寝かせておく場所もない。
英斗はレヴィアからもらったおんぶひもでタニアを背中に背負う。親戚の子供を何度か背負ったことがあるのである程度慣れてはいるが、人類の命運のかかった戦闘に子供をおんぶして突入することにさすがに困惑は隠せなかった。
それにしても、あの屈強なゴリラの群れをタニアが一掃したという事実は、少なからずレヴィアと紗雪を動揺させた。あのゴリラはすばしこく、例えドラゴン化したレヴィアであっても手こずる敵なのだ。つまり、タニアが一番強いということになる。
この不可解な幼女が人類の行方を決めるのかもしれない。
◇
可愛い寝息を聞きながらいよいよ魔王城潜入である。
一行はついにやってきた正念場に口数も少なく、口をキュッと結びながらエレベーターへと乗り込んだ。紗雪も強引にキスしたことなんてもう気にもかけていない様子で、眉をひそめ、深呼吸を繰り返している。
行先階は一つだけ、タニアが戦っていた階だろう。
レヴィアは恐る恐るボタンを押し、魔王城の中へと降りていく。
「ドアが開き次第散開じゃ!」
レヴィアは緊張感のある声で指示をする。
英斗はニードルガンをチェックし、両手でしっかりと握った。ドクドクと早鐘を打つ鼓動が感じられ、手に汗がにじむ。
チーン!
エレベーターのドアが開くと同時に飛び出す一行――――。
しかし、そこには誰もおらず、まるでビル解体現場のような瓦礫に埋め尽くされた広い空間が広がるだけだった。
床には紫色にキラキラと輝く魔石が多数転がっており、これらがゴリラの遺体からできたのであれば、相当数のゴリラがここで倒されたことは間違いないようだった。
不気味な静けさの中、英斗が口を開く。
「これ……、タニアがやったんですかね?」
元はオフィスの会議室のような空間だったような名残が見えるが、まるで竜巻に滅茶苦茶にされてしまった被災現場かのようである。
「分からんが……、そうなんじゃろう」
レヴィアは予想以上の壊滅具合に青い顔をしながら答える。
あの可愛い幼女が無数のゴリラ相手にどんな戦いをしたのかは分からないが、これを見る限り一方的な蹂躙だったのだろう。
しかし、一体どうやって?
一行はその凄まじさに押し黙ってしまった。
22. 特異点
と、その時、ガガガガッ! とノイズが響き渡り、3D映像が天井から降りてきて目の前に大きく浮かび上がった。椅子にふんぞり返った小太りの中年男、魔王である。少し薄くなった頭髪に脂ぎった肌、そして細い目がいやらしく一行を睥睨した。
「フンッ! 好き放題やってくれたな、おい!」
不機嫌そうに言い放つ魔王。
「何を言っとる! 好き放題やっとったのはお主の方じゃろう!」
レヴィアは鋭い視線でにらみつける。
魔王は一行をジロジロと眺め、英斗で目を止め、興味深そうに目を細めると言った。
「ほほう、小僧、お前か……」
「えっ……?」
単なるキス要員の自分になぜ興味など持つのか分からず、英斗は動揺する。
「お前を始末するのが先だったな……」
魔王はあごをなでながら、少し悔しそうに言った。
「な、何を言ってるんですか!? 自分はただの何もできない……」
「どうだ、小僧。ワシと取り引きせんか?」
魔王は英斗をさえぎるようにもちかけ、いやらしい笑みを浮かべる。
「は? 取り引き……?」
「ワシの部下になれ。地球の半分をやろう」
「はぁっ!?」「えぇっ!?」「へっ!?」
一行はその荒唐無稽な提案に唖然とする。ただの無力な高校生になぜそんな取引をもちかけたのか理解できなかったのだ。
もちろん、紗雪もタニアも英斗のキスでパワーアップしているのだから、弱体化させるうえで英斗の切り崩しは正攻法とも言えなくもなかった。しかし、そうだとしても地球の半分というオファーは異常だった。
「なぜ……、私なんですか?」
「お前は特異点だ。ただの学生だったらなぜここにいる? オカシイと思わんのか?」
「と、特異点って……、何ですか?」
「知りたいだろ? クフフフ……。部下になれ。悪いようにはせん。クフフフ」
いやらしく笑う魔王。彼は何かを知っている様子だった。
英斗はその蠱惑的な話に思わず吸い込まれそうになる。『自分は特別な人間だ』そう思わせてくれる言葉の魔力はすさまじい。何の変哲もないただの高校生が魔王討伐で魔王城まで来ていることは確かに変なのだ。
その時、紗雪が英斗の腕をつかみ、今にも泣きそうな顔で英斗を見る。その瞳にはクールビューティの鋭さはなく、捨てられそうな子犬のような胸に迫る悲哀の色が浮かんでいた。
ハッと自分を取り戻す英斗。そう、魔王の側へ行くことは全人類に対する裏切り、紗雪に対する背信なのだ。選べるわけがない。
英斗はふぅと大きく息をつくと、紗雪の手をギュッと握り、
「お断りします!」
と、毅然と断った。こんな提案をしてくるということは相当追い詰められているということだろう。自分を特別扱いしてくれることに若干の未練はあるが、ただのブラフかもしれない。そんな甘言に期待するようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせた。
「ハッ! まぁいい。後悔して死んでいけ」
魔王は肩をすくめ、首を振る。
「下らん話ばかりしおって。その素っ首叩き落としてくれるわ!」
レヴィアは親指を立てて首を切るしぐさをしながら、叫ぶ。
「クハハハ! 威勢はいいが、ここは俺の城なんだぜ? せいぜいあがいて見せろ!」
魔王はいやらしい笑みを浮かべると、親指で下を指さした。
へっ!?
レヴィアは焦って辺りを見回す。
直後、ガタガタガタっと音をたてながら床板が次々と崩落していく。なんと、魔王は一行の一帯を落とし穴にしたのだった。
「ひぃ!」「きゃぁ!」「このやろぉぉぉ!」
床板と一緒に落ちていく一行。
「クハハハハ!」
高笑いが上の方で響く。
暗い穴を真っ逆さまに落ちながら英斗は必死に手立てを探す。しかし、パラシュートも何もない英斗には打つ手など何もなかった。もはや絶望的な破滅しか考えられず、無重力の中、走馬灯が回りかける。
次の瞬間、ボン! という爆発音とともにレヴィアがドラゴン化した。しかし、穴はドラゴンが入れるようなサイズではない。レヴィアは落とし穴にすっぽりと詰まり、不完全な変形状態のまま
「痛てててて!」
と、叫び、壁面を鱗のトゲでガリガリと削りながらズリ落ちていく。
紗雪はレヴィアのシッポの上に落ち、素早く体制を整えると続いて落ちてくる英斗を上手く抱きとめた。
「ひ、ひぃぃ……。あ、ありがとう」
九死に一生を得た英斗は、ガタガタと震えながら涙目で紗雪に抱き着く。
甘酸っぱく優しい紗雪の香りがふんわりと英斗を包んだ。
「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」
紗雪は真っ赤になりながら英斗を引きはがそうとしたが、英斗の震えを見てふぅと息をつき、険しい目で上を見上げた。
かなり落ちてきてしまったようで、さっきのフロアがはるかかなた上の方に見える。これでは戻ることは現実的ではなかった。
レヴィアは徐々にゆっくりになり、やがて停止する。
「痛ててて! お主ら早く何とかしてくれぇ!」
下の方から重低音の声が響く。
紗雪は英斗を、安全なレヴィアの尻尾の裏に座らせると、シャーペンを握り締め、穴の壁面をあちこち叩いていく。
ガンガン、カンカン、キンキン、と叩く場所によってそれぞれ反響音が違う。
紗雪は目星を付けると黄色く輝く魔法陣を描いた。
魔法陣から飛び出す岩の槍たちは激しい衝撃音をたてながら壁面をうがち、やがて大穴を開けていく。どうやら外壁とは違って通れそうだった。
こうして何とか死地からの復帰はできたものの、魔王城の中は魔王のテリトリーであり、圧倒的なアウェイであることは変わらなかった。
23. 百万匹の脅威
壁を抜けるとそこは暗闇に沈む広大な空間になっていた。
コンクリート打ちっぱなしの硬い床を歩くと、コツコツと高い音を立てる足音が反響して辺りに響きわたる。
「ここは……?」
シーンと静まり返るその空間には、暗闇の中に何かがたくさん並んでいる。
紗雪はライトの魔法でフロアを照らし出し、あまりのことにギョッとする。何とそこには大小織り交ぜて無数の魔物が陳列されていたのだった。
「な、なんだこりゃぁ」
英斗はその異様な空間に背筋がゾッとした。
オーガやゴリラ、サイクロプスだけでなく、見たこともない大蛇やフクロウにコウモリなど凶悪な面構えをした魔物が静かに微動だにせず並んでいた。
最初は剝製かとも思ったが、体表は温かく熱を帯びており、いつ動き出してもおかしくなかった。
「魔物の研究室かもしれんな」
レヴィアが腰をさすりながら言う。
「研究室?」
「ここで新たな魔物を創り出し、それを量産して魔王軍にするんじゃろう」
確かに見渡す限り同じものはなく、全部別の魔物だった。ここで作っているというよりは研究目的の方がぴったりくる。しかし、どうやって創り、量産しているのだろうか? まさに魔王軍の強さの秘密がこの研究室に隠されていそうだった。
一行は静かに魔物たちの間をぬい、奥を目指す。
最奥までいくと、手術台のようなステージが見えてくる。よく見ると、多くの機械がびっしりと並んでいた。どうやらここで新たな魔物を創るようだったが、これだけでは何とも言えなかった。
レヴィアは興味深そうに機械を観察していくが、それはバイオ的な機械というよりは発電所のようなエネルギー系の機械であり、なぜ巨大電力で魔物が生まれるのか首をひねるばかりだった。
これを見ると魔物は生き物ではないということになる。魔物は倒すと魔石になって転がるので生き物ではないのではないか、とは言われていたが、それを補強する証拠といえそうだ。
さらに、散らばっているメモ書きを読み込んでいくと、ここ数年で魔物の生産速度が飛躍的に向上していることが分かった。単純に計算してみて百万匹に達する数が生産されたことになる。
「百万匹!?」
英斗は青い顔をして叫んだ。昨日の大攻勢でも十万匹しか倒していない。残る九十万匹はどこへ行ってしまったのだろうか?
世界を簡単に焼き尽くせる圧倒的な武力がどこかに隠されている。その事実に一行は言葉を失い、お互い顔を見合わせ、腕組みをして考えこんだ。
この空間にいるのだとしたらとっくに現れていてもおかしくないが、魔王城の警備は比較的手薄だった。となると、地球にすでに送り込んでいることになるが、そんな話は聞いたこともない。一体どうなっているのだろうか?
九十万匹の大軍隊が地球のどこかに秘かに配備されているかもしれない。その可能性に英斗は胸が苦しくなり、思わず深呼吸を繰り返した。
今ここで魔王を仕留めない限り、人類滅亡は避けられないかもしれない。魔王城攻略の重要性は一気に高まってしまった。
「とりあえず、こいつら焼いちゃっていいですか?」
紗雪は不機嫌そうにレヴィアに聞く。
確かにこの数百匹の魔物たちが動き出したらとんでもない事になる。停止している間に叩くというのが得策だろう。
レヴィアはニヤッと笑い、
「よし、大暴れしてやるか!」
と、真紅の瞳に決意の色をにじませて叫んだ。
紗雪は手術台の上にピョンと跳び乗るとそこから魔物たちに向けて炎の魔法陣を次々と描いていく。オレンジ色に燃え上がるかのような輝きを帯びた魔法陣は、暗い空間を煌々と照らし、刹那、無数放たれる炎の槍はまるで花火のように美しい輝きを放ちながら次々と魔物たちに襲いかかる。
着弾した炎の槍は魔物たちを吹き飛ばし、燃やし、隅へと変えていく。
レヴィアはドラゴン化し、フロアに降りると、重低音の咆哮を放つ。ビリビリと手術台は揺れ、英斗は思わずしゃがみ込む。
不気味に光る巨大な牙の並んだ口をパカッと開けたレヴィアは、入口の方の天井めがけてドラゴンブレスを放った。鮮烈なエネルギーの奔流は天井を直撃し、やがて溶岩のような輝きを放ちながらどんどんと溶けだしてくる。こうなると魔王城も弱い。上のフロアの床も抜け、瓦礫が降り注ぎ始めた。形勢逆転である。
グワッハッハーーーー!
レヴィアの豪快な笑いがフロア中に響き渡る。
英斗は二人の圧倒的な破壊力に気おされ、手術台の裏で小さくなっていた。
ただ、魔王としたら魔王城内でここまでの破壊活動をされてはたまらないはずだ。きっと何か手を打ってくるだろう。
24. 魔王城炎上
さて、どういう手を打ってくるかと、英斗は辺りを必死に警戒した。自分のできる事なんてこんなことくらいなのだ。二人の派手な攻撃の後ろで頑張って辺りをジッとチェックしていく。
すると、隅っこの方にかすかに動く影を見つけた。それは様子をうかがうような、明らかに不穏な動きをしている。小型の緑色の魔物、ゴブリンだろうか?
「何かいるぞ!」
英斗は叫んで立ち上がり、震える手でニードルガンを構えた。生まれて初めての射撃、ドクドクと高鳴る鼓動の音を聞きながら静かに引き金を引く。
ニードルガンから放たれた針のようなニードルは、青色に美しく輝きながら光跡を描き、次々とゴブリンへと迫った。
最初は大外ししていた英斗だったが、連射しているので修正は容易である。逃げ惑うゴブリンに合わせてニードルガンを操り、最後はついに命中させた。
グギャッ!
と、断末魔の悲鳴を上げながらゴブリンは倒れ、手元から何かが転がる。
「伏せろ!」
レヴィアが叫んだ直後、それは大爆発を起こした。なんと、手りゅう弾を持たせた魔物を送り込んできているのだ。
直後、ワラワラとゴブリンたちが物陰から身を現したが、レヴィアがブレスで一気に焼き払う。大爆発が次々と起こり、英斗はその激しい衝撃に頭を抱えて何とか耐えた。
「ふぅ、油断もすきも無いのう……。英斗、よくやった!」
英斗は少しは役に立ててホッとして胸をなでおろす。
しかし、レヴィアが焼き払ったあたりの壁が崩壊すると、爆煙の向こうに妖しく赤色に光る点がならんでいる。
「へっ?」「えっ?」「きゃぁ!」
なんと、魔物たちの群れが殺る気満々でスタンバっていたのだ。
直後、サイクロプスにオーガにゴリラたちが雄たけびを上げながら瓦礫を跳び越え、一気に押し寄せてくる。
「正念場じゃ! 薙ぎ払え!」
レヴィアは立て続けにブレスを連射し、次々と魔物たちを火に包んでいく。撃ち漏らしを紗雪が魔法の風の刃で薙ぎ払い、さらに生き残りを英斗がニードルガンで始末していく。
フロアは一気に苛烈な戦場と化し、風魔法が切り裂く魔物の血しぶきが舞い、焼け焦げた死体が転がり、爆発音が響いた。
攻撃をかいくぐって飛びかかってくる魔物に英斗は必死にニードルガンを当て続け、戦線を防衛する。魔王城内ということもあって、魔物たちはレーザー攻撃を禁止されているらしく、何とか英斗も役に立てていた。レーザーを撃たれていたら英斗など即死だっただろう。
◇
激しい戦闘も終焉を迎え、やがて静けさが訪れる。何とか一行は魔物の襲撃の一掃に成功したのだ。
はぁはぁと荒い息をしながら、英斗はニードルガンをおろし、ふぅと大きく息をつくとペタンと座り込んだ。
背中からは、すぴー、すぴー、という寝息が聞こえてくる。これでも起きないとはタニアは大物かもしれない。
「どうやら敵さんの手は尽きたようじゃな」
レヴィアも一息ついて満足そうに笑みを見せた。
紗雪もひざに手をつき、大きく肩を揺らしている。まさに死闘だった。
すると、ガラガラっと音を立てて入口の方にたくさんの瓦礫が降ってくる。天井を攻撃していたのが効いてきたらしい。
「見てくるわ」
紗雪は疲れた体に鞭を打ち、ピョンピョーンと魔物の焼け焦げた死体の間を器用に飛び越えながら天井の穴の方へ行き、上を見上げる。そこには激しい炎がオレンジ色に辺りを照らしている様子が見て取れた。
上のフロアのさらに上のフロアでも火災が発生していて、次々と延焼が進んでいるらしい。
「ねぇこれ、このまま全部ぶち抜けないかしら?」
紗雪はレヴィアに聞く。
レヴィアも穴を見上げ、その延焼具合にニヤリと笑うと、
「ほう、思ったより安普請じゃな……。やってみるか」
そう言ってまたブレスを派手におみまいした。
降ってくる瓦礫を器用によけながら、紗雪も岩の槍で上層階のフロアの天井を抜き、レヴィアと一緒に魔王城を火に包んでいく。
それは想定外の展開ではあったが、確かにこのまま魔王のフロアまで焼き尽くせば勝ちである。
上の方のフロアで断続的に発生する爆発音、ガラガラと次々と降り注ぐ瓦礫、初めて見えた勝ち目らしいチャンスに英斗は手に汗握って二人の活躍をジッと見つめていた。もしこれで魔王を仕留めることができたら、自分も世界を救った英雄の一員なのだ。それは人類八十億人を救った偉業であり、ただの高校生が成し遂げたとんでもない英雄譚になる。
英斗は早鐘を打つ鼓動を感じ、湧き上がってくる興奮を抑えられずにいた。
◇
激しい爆発音が上の方で上がり、いよいよクライマックスが近いことを感じさせたその時、いきなりレヴィアは攻撃をやめてしまう。
「やられた!」
と、叫びながら英斗の方へ、ズシンズシンとフロアを響かせながら駆けてくるレヴィア。
「えっ……?」
英斗はいきなりの展開に焦ってキョトンとしてしまう。
レヴィアは手術室脇の非常口らしきドアのところまでやってくると、
「ダメだ! 逃げられた! 追うぞ!」
そう言って、シッポをブンとものすごい速度で振り回し、ドアを吹き飛ばす。
英斗はガックリとうなだれ、ふりだしに戻ってしまったような脱力感に大きなため息をつき、大きく首を振った。
25. 無慈悲
外で戦っていた黄龍隊から連絡があり、シャトルが上層階から射出され、北の方へと飛んでいるらしい。今、メンバーが追跡しているということなので急いで後を追うしかない。
ドアが吹き飛ばされた非常口からは太陽の光が差し込み、外の景色が良く見えた。外からは一切侵入を受け付けない外壁だったが、内側からは簡単に開けられてしまうらしい。
英斗は恐る恐る首を出して辺りを見回した。先ほどまで激しい戦闘が行われていた周囲も今は静まり返り、くすぶっている木々から白い煙がうっすらと上がるばかりである。
下を見ると、はるかかなた下の地面まで何もない。手すりや非常階段など何もない、実に魔王城らしい割り切った作りだった。落ちたら一巻の終わりだと思うと、英斗は肝がキュッと冷える。
レヴィアは一足先に外へと飛び出し、翼の調子を確かめてステップに頭を横付けして叫ぶ。
「早く乗れ!」
紗雪はピョンと跳び乗り、眩しそうに目を細めて辺りを見回した。
英斗も跳び乗ろうと思ったが、レヴィアは羽ばたいているので、揺れ動いて隙間もそれなりにある。普通に人間にはとても跳び乗れそうにない。英斗が恐る恐る鱗のトゲに手を伸ばすと、紗雪はすっと手をつかみ、
「は、早くしてよね!」
と、真っ赤になりながら英斗を引っ張り上げる。
「あ、ありがとう」
うまく乗り移れた英斗はニッコリと笑ったが、次の瞬間、足を滑らせて思わず紗雪にしがみついた。
うわっ!
「ちょ、ちょっとなにやってるのよぉ」
口調は厳しかったが、紗雪は微笑みを浮かべながら優しく英斗を確保すると、そっと座りやすいところへと移動させた。
英斗はそんな紗雪の心遣いが嬉しくなり、紗雪を隣に座らせるとしっかりと手を握る。
紗雪はちょっと驚いたような表情を見せたが、拒むわけでもなくプイっと向こうの方を向いた。
英斗は柔らかな紗雪の手の温かさを感じながら、早く穏やかな日々を取り戻したいと願った。
◇
「つかまっとれ! 急いで追うぞ!」
そう言うとレヴィアは力強く大きな翼をはばたかせ、一気に高度を上げていく。
振り返るとブスブスと黒い煙を噴き上げている魔王城が小さくなっていくのが見えた。拠点を潰せたことは大きな成果ではあったが、英斗は胸騒ぎが押さえられず、キュッと唇を結ぶ。
どこかに隠された九十万もの魔物たち、あっさりと捨てられた魔王城。自分たちは追い詰めたつもりでいるが、もしかしたら魔王にしてみたら想定の範囲内なのかもしれない。
英斗は紗雪の手を握りなおし、気持ちを落ち着けようとなんども大きく息を吸った。
◇
雲を抜け、さらに加速した時だった。
いきなり激しい閃光が天地を埋め尽くし、体中の血液が沸騰するかのような激しい熱を受け、英斗は思わず気を失いそうになる。
グハァァァ!
レヴィアは絶叫するとドラゴン形態を維持できなくなり、気絶したまま少女の姿に戻ってしまった。
空中に放り出された一行。
ただ地面へ向かって一直線へと落ちていった。
いきなりの大ピンチに何が何だか分からないながら、英斗は必死に歯を食いしばって意識を保つ。全身がやけどしたように激痛が走りながらも、何とか顔を上げた。
紗雪を見ると、気絶してしまったようでぐったりとしてしまっている。
「さ、紗雪!」
そう叫んだ時、巨大な灼熱のもくもくとした塊が視界に入ってきた。
え……?
その禍々しいエネルギーの塊に唖然とする英斗。
それはやがて巨大なキノコ雲へと成長し、熱線をまき散らし、赤く輝きながら上空へと舞い上がっていく。
それを見て英斗は全てを理解した。核兵器だ。魔王は核を使って魔王城を爆破したのに違いない。
証拠を残さないため、そして、あわよくば自分達を抹殺するために核で魔王城を吹き飛ばしたのだろう。
その、容赦ない蛮行に英斗は震え、生ぬるかった自分の発想を反省した。自分たちが戦いを挑んでいる全人類の敵とは、こういう無慈悲で容赦ないサイコパスなのだ。
英斗はギリッと奥歯を鳴らし、キノコ雲をにらむ。
しかし、このままでは地面に激突して全滅である。
英斗は紗雪の手をつかんだまま、手足をうまく動かして落ちる向きを変え、少し離れたところを落ちていくレヴィアの手をつかんだ。
レヴィアは全身赤く腫れあがっていて、とても意識を取り戻せるような状態には見えない。
万事休す。
英斗はギュッと目をつぶり、事態の深刻さに混乱する頭を必死に動かした。
レヴィアはしおれた様子で紗雪に声をかける。
しかし、紗雪はうなだれたまま動かない。全力を尽くしてもタニアを助けられなかった事実が重苦しく心を押し沈め、言葉も出せなかったのだ。
と、その時、ヴォォォンと奇妙な電子音とともに少し先の床が四角く浮き上がり始める。
「マズい! 戦闘準備!」
レヴィアは叫び、銃を構える。紗雪も急いで飛び起きてシャーペンを構えた。
英斗もあわてて起き上がり、へっぴり腰でニードルガンを向ける。
せり上がってきたのはエレベーターである。床から四角く飛び出てきた箱には扉が付いており、屋上との出入り口として使う物のようだった。
いきなりの展開に英斗の手はブルブルと震え、照準も定まらない。
鬼が出るか蛇が出るか、一行は何が出てくるのか固唾を飲んで見守った。
キャッハァ!
ドアが開くと同時に歓喜の声が響く。
なんと、タニアが一人でトコトコトコと出てくるではないか。てっきりやられたものだとばっかり思っていた幼女は、なぜかエレベーターを使って任務を果たしてきたのだ。
武器を下ろして唖然とする英斗の前を紗雪が駆けていく。
紗雪は何も言わず凄い速さでタニアの所まで行くと、ひざまずいてギュッと抱きしめた。
きゃははは!
タニアは嬉しそうに笑う。
見ると紗雪の肩が揺れている。タニアの危機に一番胸を痛めていたのは彼女だったのだ。クールを装っていたが、ママと言って人懐っこく抱き着いてくる可愛い幼女に内心情愛を感じていたのだろう。
英斗はそんな紗雪とタニアの心の交流を、少し羨ましく思いながらしばらく眺めていた。
見るとタニアのボーダーシャツには真っ青の血しぶきがかかっており、顔もほこりや血でぐちゃぐちゃである。
英斗はハンカチでそっとタニアの顔をぬぐい、タニアは幸せそうにそっと目を閉じた。
「お手柄だね、お前凄いな」
英斗は頭をなでながら話しかける。
しかし返事がない――――。
いつもならキャッハァ! と、にこやかに返事してくれるのだが。
「お、おい、どうしたんだ?」
英斗はタニアのプニプニのほっぺたをつついたが、タニアは糸が切れたように首をガクッとさせた。
「えっ!? おい!」
心配して声をかけた英斗だったが、
すぴー、すぴー、と寝息が聞こえてくる。
紗雪は驚いてそっとタニアの首を支えて様子を見た。
「ね、寝ちゃった?」
むにゃむにゃ、と口を動かしてまた寝息を立てるタニア。
二人は顔を見あわせ、ちょっと困惑した様子で微笑みあった。
『手のひら攻撃』の時もそうだったが、タニアは力を使うと寝てしまうらしい。今はゆっくりと寝かせてあげたいが、こんな敵地では寝かせておく場所もない。
英斗はレヴィアからもらったおんぶひもでタニアを背中に背負う。親戚の子供を何度か背負ったことがあるのである程度慣れてはいるが、人類の命運のかかった戦闘に子供をおんぶして突入することにさすがに困惑は隠せなかった。
それにしても、あの屈強なゴリラの群れをタニアが一掃したという事実は、少なからずレヴィアと紗雪を動揺させた。あのゴリラはすばしこく、例えドラゴン化したレヴィアであっても手こずる敵なのだ。つまり、タニアが一番強いということになる。
この不可解な幼女が人類の行方を決めるのかもしれない。
◇
可愛い寝息を聞きながらいよいよ魔王城潜入である。
一行はついにやってきた正念場に口数も少なく、口をキュッと結びながらエレベーターへと乗り込んだ。紗雪も強引にキスしたことなんてもう気にもかけていない様子で、眉をひそめ、深呼吸を繰り返している。
行先階は一つだけ、タニアが戦っていた階だろう。
レヴィアは恐る恐るボタンを押し、魔王城の中へと降りていく。
「ドアが開き次第散開じゃ!」
レヴィアは緊張感のある声で指示をする。
英斗はニードルガンをチェックし、両手でしっかりと握った。ドクドクと早鐘を打つ鼓動が感じられ、手に汗がにじむ。
チーン!
エレベーターのドアが開くと同時に飛び出す一行――――。
しかし、そこには誰もおらず、まるでビル解体現場のような瓦礫に埋め尽くされた広い空間が広がるだけだった。
床には紫色にキラキラと輝く魔石が多数転がっており、これらがゴリラの遺体からできたのであれば、相当数のゴリラがここで倒されたことは間違いないようだった。
不気味な静けさの中、英斗が口を開く。
「これ……、タニアがやったんですかね?」
元はオフィスの会議室のような空間だったような名残が見えるが、まるで竜巻に滅茶苦茶にされてしまった被災現場かのようである。
「分からんが……、そうなんじゃろう」
レヴィアは予想以上の壊滅具合に青い顔をしながら答える。
あの可愛い幼女が無数のゴリラ相手にどんな戦いをしたのかは分からないが、これを見る限り一方的な蹂躙だったのだろう。
しかし、一体どうやって?
一行はその凄まじさに押し黙ってしまった。
22. 特異点
と、その時、ガガガガッ! とノイズが響き渡り、3D映像が天井から降りてきて目の前に大きく浮かび上がった。椅子にふんぞり返った小太りの中年男、魔王である。少し薄くなった頭髪に脂ぎった肌、そして細い目がいやらしく一行を睥睨した。
「フンッ! 好き放題やってくれたな、おい!」
不機嫌そうに言い放つ魔王。
「何を言っとる! 好き放題やっとったのはお主の方じゃろう!」
レヴィアは鋭い視線でにらみつける。
魔王は一行をジロジロと眺め、英斗で目を止め、興味深そうに目を細めると言った。
「ほほう、小僧、お前か……」
「えっ……?」
単なるキス要員の自分になぜ興味など持つのか分からず、英斗は動揺する。
「お前を始末するのが先だったな……」
魔王はあごをなでながら、少し悔しそうに言った。
「な、何を言ってるんですか!? 自分はただの何もできない……」
「どうだ、小僧。ワシと取り引きせんか?」
魔王は英斗をさえぎるようにもちかけ、いやらしい笑みを浮かべる。
「は? 取り引き……?」
「ワシの部下になれ。地球の半分をやろう」
「はぁっ!?」「えぇっ!?」「へっ!?」
一行はその荒唐無稽な提案に唖然とする。ただの無力な高校生になぜそんな取引をもちかけたのか理解できなかったのだ。
もちろん、紗雪もタニアも英斗のキスでパワーアップしているのだから、弱体化させるうえで英斗の切り崩しは正攻法とも言えなくもなかった。しかし、そうだとしても地球の半分というオファーは異常だった。
「なぜ……、私なんですか?」
「お前は特異点だ。ただの学生だったらなぜここにいる? オカシイと思わんのか?」
「と、特異点って……、何ですか?」
「知りたいだろ? クフフフ……。部下になれ。悪いようにはせん。クフフフ」
いやらしく笑う魔王。彼は何かを知っている様子だった。
英斗はその蠱惑的な話に思わず吸い込まれそうになる。『自分は特別な人間だ』そう思わせてくれる言葉の魔力はすさまじい。何の変哲もないただの高校生が魔王討伐で魔王城まで来ていることは確かに変なのだ。
その時、紗雪が英斗の腕をつかみ、今にも泣きそうな顔で英斗を見る。その瞳にはクールビューティの鋭さはなく、捨てられそうな子犬のような胸に迫る悲哀の色が浮かんでいた。
ハッと自分を取り戻す英斗。そう、魔王の側へ行くことは全人類に対する裏切り、紗雪に対する背信なのだ。選べるわけがない。
英斗はふぅと大きく息をつくと、紗雪の手をギュッと握り、
「お断りします!」
と、毅然と断った。こんな提案をしてくるということは相当追い詰められているということだろう。自分を特別扱いしてくれることに若干の未練はあるが、ただのブラフかもしれない。そんな甘言に期待するようなことはあってはならない、と自分に言い聞かせた。
「ハッ! まぁいい。後悔して死んでいけ」
魔王は肩をすくめ、首を振る。
「下らん話ばかりしおって。その素っ首叩き落としてくれるわ!」
レヴィアは親指を立てて首を切るしぐさをしながら、叫ぶ。
「クハハハ! 威勢はいいが、ここは俺の城なんだぜ? せいぜいあがいて見せろ!」
魔王はいやらしい笑みを浮かべると、親指で下を指さした。
へっ!?
レヴィアは焦って辺りを見回す。
直後、ガタガタガタっと音をたてながら床板が次々と崩落していく。なんと、魔王は一行の一帯を落とし穴にしたのだった。
「ひぃ!」「きゃぁ!」「このやろぉぉぉ!」
床板と一緒に落ちていく一行。
「クハハハハ!」
高笑いが上の方で響く。
暗い穴を真っ逆さまに落ちながら英斗は必死に手立てを探す。しかし、パラシュートも何もない英斗には打つ手など何もなかった。もはや絶望的な破滅しか考えられず、無重力の中、走馬灯が回りかける。
次の瞬間、ボン! という爆発音とともにレヴィアがドラゴン化した。しかし、穴はドラゴンが入れるようなサイズではない。レヴィアは落とし穴にすっぽりと詰まり、不完全な変形状態のまま
「痛てててて!」
と、叫び、壁面を鱗のトゲでガリガリと削りながらズリ落ちていく。
紗雪はレヴィアのシッポの上に落ち、素早く体制を整えると続いて落ちてくる英斗を上手く抱きとめた。
「ひ、ひぃぃ……。あ、ありがとう」
九死に一生を得た英斗は、ガタガタと震えながら涙目で紗雪に抱き着く。
甘酸っぱく優しい紗雪の香りがふんわりと英斗を包んだ。
「ちょ、ちょっと離れなさいよ!」
紗雪は真っ赤になりながら英斗を引きはがそうとしたが、英斗の震えを見てふぅと息をつき、険しい目で上を見上げた。
かなり落ちてきてしまったようで、さっきのフロアがはるかかなた上の方に見える。これでは戻ることは現実的ではなかった。
レヴィアは徐々にゆっくりになり、やがて停止する。
「痛ててて! お主ら早く何とかしてくれぇ!」
下の方から重低音の声が響く。
紗雪は英斗を、安全なレヴィアの尻尾の裏に座らせると、シャーペンを握り締め、穴の壁面をあちこち叩いていく。
ガンガン、カンカン、キンキン、と叩く場所によってそれぞれ反響音が違う。
紗雪は目星を付けると黄色く輝く魔法陣を描いた。
魔法陣から飛び出す岩の槍たちは激しい衝撃音をたてながら壁面をうがち、やがて大穴を開けていく。どうやら外壁とは違って通れそうだった。
こうして何とか死地からの復帰はできたものの、魔王城の中は魔王のテリトリーであり、圧倒的なアウェイであることは変わらなかった。
23. 百万匹の脅威
壁を抜けるとそこは暗闇に沈む広大な空間になっていた。
コンクリート打ちっぱなしの硬い床を歩くと、コツコツと高い音を立てる足音が反響して辺りに響きわたる。
「ここは……?」
シーンと静まり返るその空間には、暗闇の中に何かがたくさん並んでいる。
紗雪はライトの魔法でフロアを照らし出し、あまりのことにギョッとする。何とそこには大小織り交ぜて無数の魔物が陳列されていたのだった。
「な、なんだこりゃぁ」
英斗はその異様な空間に背筋がゾッとした。
オーガやゴリラ、サイクロプスだけでなく、見たこともない大蛇やフクロウにコウモリなど凶悪な面構えをした魔物が静かに微動だにせず並んでいた。
最初は剝製かとも思ったが、体表は温かく熱を帯びており、いつ動き出してもおかしくなかった。
「魔物の研究室かもしれんな」
レヴィアが腰をさすりながら言う。
「研究室?」
「ここで新たな魔物を創り出し、それを量産して魔王軍にするんじゃろう」
確かに見渡す限り同じものはなく、全部別の魔物だった。ここで作っているというよりは研究目的の方がぴったりくる。しかし、どうやって創り、量産しているのだろうか? まさに魔王軍の強さの秘密がこの研究室に隠されていそうだった。
一行は静かに魔物たちの間をぬい、奥を目指す。
最奥までいくと、手術台のようなステージが見えてくる。よく見ると、多くの機械がびっしりと並んでいた。どうやらここで新たな魔物を創るようだったが、これだけでは何とも言えなかった。
レヴィアは興味深そうに機械を観察していくが、それはバイオ的な機械というよりは発電所のようなエネルギー系の機械であり、なぜ巨大電力で魔物が生まれるのか首をひねるばかりだった。
これを見ると魔物は生き物ではないということになる。魔物は倒すと魔石になって転がるので生き物ではないのではないか、とは言われていたが、それを補強する証拠といえそうだ。
さらに、散らばっているメモ書きを読み込んでいくと、ここ数年で魔物の生産速度が飛躍的に向上していることが分かった。単純に計算してみて百万匹に達する数が生産されたことになる。
「百万匹!?」
英斗は青い顔をして叫んだ。昨日の大攻勢でも十万匹しか倒していない。残る九十万匹はどこへ行ってしまったのだろうか?
世界を簡単に焼き尽くせる圧倒的な武力がどこかに隠されている。その事実に一行は言葉を失い、お互い顔を見合わせ、腕組みをして考えこんだ。
この空間にいるのだとしたらとっくに現れていてもおかしくないが、魔王城の警備は比較的手薄だった。となると、地球にすでに送り込んでいることになるが、そんな話は聞いたこともない。一体どうなっているのだろうか?
九十万匹の大軍隊が地球のどこかに秘かに配備されているかもしれない。その可能性に英斗は胸が苦しくなり、思わず深呼吸を繰り返した。
今ここで魔王を仕留めない限り、人類滅亡は避けられないかもしれない。魔王城攻略の重要性は一気に高まってしまった。
「とりあえず、こいつら焼いちゃっていいですか?」
紗雪は不機嫌そうにレヴィアに聞く。
確かにこの数百匹の魔物たちが動き出したらとんでもない事になる。停止している間に叩くというのが得策だろう。
レヴィアはニヤッと笑い、
「よし、大暴れしてやるか!」
と、真紅の瞳に決意の色をにじませて叫んだ。
紗雪は手術台の上にピョンと跳び乗るとそこから魔物たちに向けて炎の魔法陣を次々と描いていく。オレンジ色に燃え上がるかのような輝きを帯びた魔法陣は、暗い空間を煌々と照らし、刹那、無数放たれる炎の槍はまるで花火のように美しい輝きを放ちながら次々と魔物たちに襲いかかる。
着弾した炎の槍は魔物たちを吹き飛ばし、燃やし、隅へと変えていく。
レヴィアはドラゴン化し、フロアに降りると、重低音の咆哮を放つ。ビリビリと手術台は揺れ、英斗は思わずしゃがみ込む。
不気味に光る巨大な牙の並んだ口をパカッと開けたレヴィアは、入口の方の天井めがけてドラゴンブレスを放った。鮮烈なエネルギーの奔流は天井を直撃し、やがて溶岩のような輝きを放ちながらどんどんと溶けだしてくる。こうなると魔王城も弱い。上のフロアの床も抜け、瓦礫が降り注ぎ始めた。形勢逆転である。
グワッハッハーーーー!
レヴィアの豪快な笑いがフロア中に響き渡る。
英斗は二人の圧倒的な破壊力に気おされ、手術台の裏で小さくなっていた。
ただ、魔王としたら魔王城内でここまでの破壊活動をされてはたまらないはずだ。きっと何か手を打ってくるだろう。
24. 魔王城炎上
さて、どういう手を打ってくるかと、英斗は辺りを必死に警戒した。自分のできる事なんてこんなことくらいなのだ。二人の派手な攻撃の後ろで頑張って辺りをジッとチェックしていく。
すると、隅っこの方にかすかに動く影を見つけた。それは様子をうかがうような、明らかに不穏な動きをしている。小型の緑色の魔物、ゴブリンだろうか?
「何かいるぞ!」
英斗は叫んで立ち上がり、震える手でニードルガンを構えた。生まれて初めての射撃、ドクドクと高鳴る鼓動の音を聞きながら静かに引き金を引く。
ニードルガンから放たれた針のようなニードルは、青色に美しく輝きながら光跡を描き、次々とゴブリンへと迫った。
最初は大外ししていた英斗だったが、連射しているので修正は容易である。逃げ惑うゴブリンに合わせてニードルガンを操り、最後はついに命中させた。
グギャッ!
と、断末魔の悲鳴を上げながらゴブリンは倒れ、手元から何かが転がる。
「伏せろ!」
レヴィアが叫んだ直後、それは大爆発を起こした。なんと、手りゅう弾を持たせた魔物を送り込んできているのだ。
直後、ワラワラとゴブリンたちが物陰から身を現したが、レヴィアがブレスで一気に焼き払う。大爆発が次々と起こり、英斗はその激しい衝撃に頭を抱えて何とか耐えた。
「ふぅ、油断もすきも無いのう……。英斗、よくやった!」
英斗は少しは役に立ててホッとして胸をなでおろす。
しかし、レヴィアが焼き払ったあたりの壁が崩壊すると、爆煙の向こうに妖しく赤色に光る点がならんでいる。
「へっ?」「えっ?」「きゃぁ!」
なんと、魔物たちの群れが殺る気満々でスタンバっていたのだ。
直後、サイクロプスにオーガにゴリラたちが雄たけびを上げながら瓦礫を跳び越え、一気に押し寄せてくる。
「正念場じゃ! 薙ぎ払え!」
レヴィアは立て続けにブレスを連射し、次々と魔物たちを火に包んでいく。撃ち漏らしを紗雪が魔法の風の刃で薙ぎ払い、さらに生き残りを英斗がニードルガンで始末していく。
フロアは一気に苛烈な戦場と化し、風魔法が切り裂く魔物の血しぶきが舞い、焼け焦げた死体が転がり、爆発音が響いた。
攻撃をかいくぐって飛びかかってくる魔物に英斗は必死にニードルガンを当て続け、戦線を防衛する。魔王城内ということもあって、魔物たちはレーザー攻撃を禁止されているらしく、何とか英斗も役に立てていた。レーザーを撃たれていたら英斗など即死だっただろう。
◇
激しい戦闘も終焉を迎え、やがて静けさが訪れる。何とか一行は魔物の襲撃の一掃に成功したのだ。
はぁはぁと荒い息をしながら、英斗はニードルガンをおろし、ふぅと大きく息をつくとペタンと座り込んだ。
背中からは、すぴー、すぴー、という寝息が聞こえてくる。これでも起きないとはタニアは大物かもしれない。
「どうやら敵さんの手は尽きたようじゃな」
レヴィアも一息ついて満足そうに笑みを見せた。
紗雪もひざに手をつき、大きく肩を揺らしている。まさに死闘だった。
すると、ガラガラっと音を立てて入口の方にたくさんの瓦礫が降ってくる。天井を攻撃していたのが効いてきたらしい。
「見てくるわ」
紗雪は疲れた体に鞭を打ち、ピョンピョーンと魔物の焼け焦げた死体の間を器用に飛び越えながら天井の穴の方へ行き、上を見上げる。そこには激しい炎がオレンジ色に辺りを照らしている様子が見て取れた。
上のフロアのさらに上のフロアでも火災が発生していて、次々と延焼が進んでいるらしい。
「ねぇこれ、このまま全部ぶち抜けないかしら?」
紗雪はレヴィアに聞く。
レヴィアも穴を見上げ、その延焼具合にニヤリと笑うと、
「ほう、思ったより安普請じゃな……。やってみるか」
そう言ってまたブレスを派手におみまいした。
降ってくる瓦礫を器用によけながら、紗雪も岩の槍で上層階のフロアの天井を抜き、レヴィアと一緒に魔王城を火に包んでいく。
それは想定外の展開ではあったが、確かにこのまま魔王のフロアまで焼き尽くせば勝ちである。
上の方のフロアで断続的に発生する爆発音、ガラガラと次々と降り注ぐ瓦礫、初めて見えた勝ち目らしいチャンスに英斗は手に汗握って二人の活躍をジッと見つめていた。もしこれで魔王を仕留めることができたら、自分も世界を救った英雄の一員なのだ。それは人類八十億人を救った偉業であり、ただの高校生が成し遂げたとんでもない英雄譚になる。
英斗は早鐘を打つ鼓動を感じ、湧き上がってくる興奮を抑えられずにいた。
◇
激しい爆発音が上の方で上がり、いよいよクライマックスが近いことを感じさせたその時、いきなりレヴィアは攻撃をやめてしまう。
「やられた!」
と、叫びながら英斗の方へ、ズシンズシンとフロアを響かせながら駆けてくるレヴィア。
「えっ……?」
英斗はいきなりの展開に焦ってキョトンとしてしまう。
レヴィアは手術室脇の非常口らしきドアのところまでやってくると、
「ダメだ! 逃げられた! 追うぞ!」
そう言って、シッポをブンとものすごい速度で振り回し、ドアを吹き飛ばす。
英斗はガックリとうなだれ、ふりだしに戻ってしまったような脱力感に大きなため息をつき、大きく首を振った。
25. 無慈悲
外で戦っていた黄龍隊から連絡があり、シャトルが上層階から射出され、北の方へと飛んでいるらしい。今、メンバーが追跡しているということなので急いで後を追うしかない。
ドアが吹き飛ばされた非常口からは太陽の光が差し込み、外の景色が良く見えた。外からは一切侵入を受け付けない外壁だったが、内側からは簡単に開けられてしまうらしい。
英斗は恐る恐る首を出して辺りを見回した。先ほどまで激しい戦闘が行われていた周囲も今は静まり返り、くすぶっている木々から白い煙がうっすらと上がるばかりである。
下を見ると、はるかかなた下の地面まで何もない。手すりや非常階段など何もない、実に魔王城らしい割り切った作りだった。落ちたら一巻の終わりだと思うと、英斗は肝がキュッと冷える。
レヴィアは一足先に外へと飛び出し、翼の調子を確かめてステップに頭を横付けして叫ぶ。
「早く乗れ!」
紗雪はピョンと跳び乗り、眩しそうに目を細めて辺りを見回した。
英斗も跳び乗ろうと思ったが、レヴィアは羽ばたいているので、揺れ動いて隙間もそれなりにある。普通に人間にはとても跳び乗れそうにない。英斗が恐る恐る鱗のトゲに手を伸ばすと、紗雪はすっと手をつかみ、
「は、早くしてよね!」
と、真っ赤になりながら英斗を引っ張り上げる。
「あ、ありがとう」
うまく乗り移れた英斗はニッコリと笑ったが、次の瞬間、足を滑らせて思わず紗雪にしがみついた。
うわっ!
「ちょ、ちょっとなにやってるのよぉ」
口調は厳しかったが、紗雪は微笑みを浮かべながら優しく英斗を確保すると、そっと座りやすいところへと移動させた。
英斗はそんな紗雪の心遣いが嬉しくなり、紗雪を隣に座らせるとしっかりと手を握る。
紗雪はちょっと驚いたような表情を見せたが、拒むわけでもなくプイっと向こうの方を向いた。
英斗は柔らかな紗雪の手の温かさを感じながら、早く穏やかな日々を取り戻したいと願った。
◇
「つかまっとれ! 急いで追うぞ!」
そう言うとレヴィアは力強く大きな翼をはばたかせ、一気に高度を上げていく。
振り返るとブスブスと黒い煙を噴き上げている魔王城が小さくなっていくのが見えた。拠点を潰せたことは大きな成果ではあったが、英斗は胸騒ぎが押さえられず、キュッと唇を結ぶ。
どこかに隠された九十万もの魔物たち、あっさりと捨てられた魔王城。自分たちは追い詰めたつもりでいるが、もしかしたら魔王にしてみたら想定の範囲内なのかもしれない。
英斗は紗雪の手を握りなおし、気持ちを落ち着けようとなんども大きく息を吸った。
◇
雲を抜け、さらに加速した時だった。
いきなり激しい閃光が天地を埋め尽くし、体中の血液が沸騰するかのような激しい熱を受け、英斗は思わず気を失いそうになる。
グハァァァ!
レヴィアは絶叫するとドラゴン形態を維持できなくなり、気絶したまま少女の姿に戻ってしまった。
空中に放り出された一行。
ただ地面へ向かって一直線へと落ちていった。
いきなりの大ピンチに何が何だか分からないながら、英斗は必死に歯を食いしばって意識を保つ。全身がやけどしたように激痛が走りながらも、何とか顔を上げた。
紗雪を見ると、気絶してしまったようでぐったりとしてしまっている。
「さ、紗雪!」
そう叫んだ時、巨大な灼熱のもくもくとした塊が視界に入ってきた。
え……?
その禍々しいエネルギーの塊に唖然とする英斗。
それはやがて巨大なキノコ雲へと成長し、熱線をまき散らし、赤く輝きながら上空へと舞い上がっていく。
それを見て英斗は全てを理解した。核兵器だ。魔王は核を使って魔王城を爆破したのに違いない。
証拠を残さないため、そして、あわよくば自分達を抹殺するために核で魔王城を吹き飛ばしたのだろう。
その、容赦ない蛮行に英斗は震え、生ぬるかった自分の発想を反省した。自分たちが戦いを挑んでいる全人類の敵とは、こういう無慈悲で容赦ないサイコパスなのだ。
英斗はギリッと奥歯を鳴らし、キノコ雲をにらむ。
しかし、このままでは地面に激突して全滅である。
英斗は紗雪の手をつかんだまま、手足をうまく動かして落ちる向きを変え、少し離れたところを落ちていくレヴィアの手をつかんだ。
レヴィアは全身赤く腫れあがっていて、とても意識を取り戻せるような状態には見えない。
万事休す。
英斗はギュッと目をつぶり、事態の深刻さに混乱する頭を必死に動かした。