「さてさて、いよいよ女神の降臨だぞ!」

 満天の星々の中、真っ赤になって鮮烈に光るマグマの球、地球に背を向け、魔王は宙を仰いだ。

 やがて、たおやかに流れる天の川の淡い濃淡の間から、すい星のように光の筋が迫ってくるのが見える。

 レヴィアは苦々しい表情で光の筋を目で追いながら、何とか手首をしめつけるバンドを取れないかモゾモゾとあがいてみた。しかし、手首に食い込むバンドはビクともせず、ギリッと奥歯を鳴らす。

 ポケットのクリスタルスティックに手が届きさえすればドラゴンになれる。レヴィアはバレないように慎重にゆっくりと身体をひねりながら、そっと指先を伸ばした。

 そうこうしているうちに光の筋は徐々に大きくなってきて、一行のそばまでやってくると、上空で止まる。それは黄金色に輝く光でできた乗り物のようで、中に人影が動いてが見えた。

 やがて白い階段が乗り物からツーっと伸びてきて一行の所へと降りてくる。途中シールドがあるのだが、干渉せずにすり抜けて通路を作り上げた。その物理法則を超越した出来事をレヴィアはウンザリしたような顔をして眺める。

 降りてくる人影、それはチェストナットブラウンの髪を揺らす美しい女性だった。透き通るような白い肌に整った目鼻立ち、そして琥珀色の美しい瞳が印象的である。純白のボディスーツの上にキラキラと黄金に輝くレースのドレスをまとい、髪には金色の髪飾りが少し浮いてゆったりと回っていた。

 レヴィアは険しい目で女神をにらむ。五百年前、自分たちを流刑地送りにして多くの同胞を殺した憎い相手である。キッチリと言うべきことを言わねば気が収まらなかった。

 まるでファッションショーのように優雅に腰を振りながら階段を降りてきた女神。シールド内に魔物が多くいて死体が転がっていることをいぶかしそうに眺めると、魔王を見つけ、

「あら、グシタムじゃない。どういうこと?」

 と、つまらなそうに肩をすくめた。
 
「ヴィーナ様、お久しぶり。そろそろ刑期も満了かと思いまして……」

「そうだったかしら? 何だか全然反省しているように見えないんだけど?」

 ヴィーナはチェストナットブラウンの髪を軽く指先で持ち上げながら、英斗の遺体を見つめて眉をひそめ、次に縛られて転がっている紗雪とレヴィアを眺めた。

「いや、千年は短くないですよ。ちょっと成果を見てくださいよ」

 そう言うと、星空を指さした。その先には虹色に光の玉があり、そこからオーロラ状の光のリボンがゆったりと伸びてきた。

 レヴィアはそれを見て焦り、

「ヴィーナ様! 見てはいけません!」

 と、叫んだ。

「え? あのオーロラがどうかし……」

 そう、答えかけたヴィーナは、まるで時が止まったかのように琥珀色の瞳を見開いたままピタッと止まってしまった。

 レヴィアは目をギュッとつぶってため息をつく。女神に文句はあるが、魔王のペースになる方がよほど問題に思えたのだ。

「クフフフ……、はっはっは!」

 魔王は愉快そうにひとしきり笑うと、微動だにしないヴィーナに近づき、何かのケーブルを伸ばすと、いきなりケーブル端子を持った手をヴィーナの脇腹にズブリと潜り込ませた。

 その異様な光景にレヴィアは戦慄を覚え、一体何が始まるのかその不気味さに冷や汗を流す。

 瞬き一つしないヴィーナにケーブルで繋がったタブレットを、上機嫌でタンタンと叩く魔王。

 やがていやらしい笑みを浮かべると、

「クフフフ……、これで俺様の勝ちだ」

 と、ニヤニヤしながらヴィーナからケーブルを引き抜いた。

 やがて動き出すヴィーナ。

 ヴィーナは違和感を感じ、眉を寄せて小首をかしげ、魔王をにらんだ。

 しかし、魔王は逆ににらみかえすと、

「ヴィーナよ、長い間いたぶってくれたなぁ、オイ!」

 と声を荒げた。

「あら……あたしを愚弄(ぐろう)する気? いつからそんなに偉くなったの?」

 ヴィーナは琥珀色の瞳を光らせてギロリとにらむ。

「今、この瞬間からさ。ヴィーナ、お前はもう俺の支配下だ」

「何言ってんの? 身の程知らずが!」

 ヴィーナは怒りをあらわにすると、手を前に出し、手のひらの上に、まるでお盆を持つようにピンク色の魔法陣を浮かび上がらせた。

 直後、魔法陣からは無数のピンクの花びらがブワッと噴き出し、竜巻の様に渦を巻きながら星空に吹き上がった。辺りにはハラハラと花びらが降り注ぐ。

散華吹雪(ブロッサム)!」

 ヴィーナはそう叫ぶと魔法陣を魔王やゴリラたちの方に華麗に舞わせた。刹那無数の花びらが花吹雪となって魔王たちを襲う。花びらは淡くピンクの光を放ちながらまるで刃物のように空気を切り裂きながら無数、魔王たちを目指した。

 満天の星空のもとに舞うピンクの花吹雪。それは幻想的な美しさを放ちながらその場を支配する。

 ゴリラたちは花びらを手で払い落そうとしたが、あまりの数に対応ができず、花びらの吹雪に埋もれ、無数の四角いブロックノイズを浮かべながら次々と消えていった。

 しかし、魔王は健在だった。確かに花びらは無数直撃しているのだが、全く効き目はなかったのだ。












52. 根源の焔

「クフフフ……。はっはっは!」

 魔王は大口を開けて笑う。

 ヴィーナはなぜ効かないのか理解ができず、険しい目をして魔王の醜い脂ぎった顔をにらんだ。

 この世界において管理者(アドミニストレーター)の攻撃は絶対である。どんなに物理的な対策を講じようともこの世界を動かしているのはシステムであり、システムに直接働きかける管理者(アドミニストレーター)の攻撃は防ぎようがないのだ。

 だが、花びらに込められた【消去コマンド】を浴びても魔王は平然としている。これは魔王も管理者(アドミニストレーター)権限を持っていることを示していた。

 なぜ? どうやって? どこまで権限を使える? ヴィーナはギリッと歯を鳴らして目を凝らし、魔王のデータを必死に集める。

 しかし、魔王に関する一切のデータは取れなかった。それは自分よりも高位であることを示している。

「な、なぜ……? あんた一体……」

 ヴィーナは焦り、慌てて空間跳躍(ワープ)で逃げようと扇子を取り出してパチンと鳴らした。しかし、何も起こらない。自分の権限も制限されてしまっていたのだ。

 ハッとして魔王をにらむヴィーナだったが、打つ手がない。ここに来てヴィーナは絶体絶命の窮地に追い込まれたことに気がついたのだった。

「クフフフ……。次は俺の番だな……」

 魔王は手のひらを上にして気合を込める。

 直後、ブワッと虹色のきらめきが放たれ、ヴィーナは険しい表情で後ずさる。

 魔王の手のひらの上にゆらゆらと立ち上がる虹色の炎。それは神秘的な輝きを放ちながら辺りを照らした。

「ま、まさかそれは……」

 ヴィーナはおののいて、言葉を失う。

 よく見ると、揺れている炎は全て無数の輝く「1」「0」の数字で構成され、この世界を構成するデジタルの本質をそのまま表すきらめきだった。

「そう、これは根源の焔(エッセンスライト)……。この世界の根源に揺蕩(たゆた)うこの世界の本質だ」

「な、なぜおまえがそんなものを!」

 ヴィーナは冷や汗を流しながら叫ぶ。この世界の根源にアクセスできるということは管理者(アドミニストレーター)でも触れない、この世界のさらに上位の世界全てのことにアクセスできるということ。ヴィーナは今まで感じたことのない底知れぬ恐怖にゾッとして、青ざめた顔で唇を震わせた。

「お前の権限に、俺の千年にわたる研究成果を組み合わせた。そう、まさにお前のおかげだな、はっはっは」

 ニヤニヤしながら根源の焔(エッセンスライト)を揺らめかせる魔王。

 ヴィーナは踵を返すと飛び上がり、宇宙船に向かってツーっと飛び上がる。

「逃がすか! 死ねぃ!」

 魔王はそう叫ぶと、根源の焔(エッセンスライト)をヴィーナに投げつけようと振りかぶった。

 一部始終を見ていたレヴィアは、ヴィーナが決定的な危機に陥ったことに覚悟を決めざるを得なくなった。女神には思うところはあるが、超常者となってしまった魔王が今後自分たちを放っておくとは思えない。女神だけが自分たちの希望なのだ。

 大きく息をつくと、レヴィアは何とか指先を届かせたクリスタルスティックに気合を込める。

 直後、ボン! という音を立てて、漆黒のドラゴンが満天の星々の中に現れ、鱗に浮かぶ黄金の光をぼうっと浮かび上がらせた。

 魔王は爆発音に振り向いたが、レヴィアの方を向いた時には長く巨大なシッポが目前に迫っていた。

 うわぁ!

 ズン! と鈍い音を立てて吹き飛ぶ魔王。

「女神さま、逃げてください!」

 そう言うと、レヴィアは転がる魔王に向けてパカッと大きな口を開いた。

 ほとばしる灼熱のドラゴンブレス。

 しかし、直後に倒れたのはレヴィアだった。

 ギュァァァ!

 レヴィアは苦しそうに巨体を倒し、痛そうにうめいた。

「バカが! 管理者(アドミニストレーター)相手にそんな攻撃が効くとでも思ってるのか」

 苦しむレヴィアの鱗には根源の焔(エッセンスライト)が美しく虹色に輝きながら燃え上がり、どんどんと火の手を広げていく。

「さて、ヴィーナ! どこへ行こうというのかね?」

 魔王はツーっと飛んで逃げているヴィーナの方に手のひらを向け、グッとこぶしを握った。

 キャァ!

 髪の毛を引っ張られたヴィーナの悲鳴が響き、動きがピタッと止まる。魔王は管理者(アドミニストレーター)の力を使いこなしていた。

「ふんっ!」

 魔王がこぶしをブンと手前に引っ張ると、ヴィーナは髪の毛を引っ張られるように引き寄せられ、宙を舞って、魔王の足元に転がった。

 もはやこの星系で最強となってしまった魔王。ヴィーナはかつてない恐怖にガタガタと震え、これから始まるであろう惨劇に言葉を失っていた。








53. オタマジャクシの怒り

「逃げられるわけがないだろう。クフフフ……」

 魔王はいやらしい笑みを浮かべると、ドスッとヴィーナの胸を踏みつけにした。

 カハッ!

 苦しそうにうめくヴィーナ。

 魔王はニヤリと笑うと、虹色の炎の中でビクンビクンと痙攣をおこしているレヴィアの方を向き、

「無駄なあがきをしおって。五百年、長かったな……。ノイズの海に消えたまえ」

 と、勝ち誇る。

 しかしもう、レヴィアには意識は残っておらず、ドラゴンの巨体はブロックノイズを残しながら徐々に小さくなり、最後には灰一つ残さずに消えていった。

「さて、ヴィーナ。これからお前は俺の奴隷だ。分かったな?」

 魔王はそう言うとヴィーナの脇腹を蹴り上げた。

 ぐふぅ!

 ヴィーナは一瞬衝撃で浮き上がり、ゴロゴロと転がった。

 何とか活路を見出そうと、荒い息をしながらよろよろと身体を身体を起こすヴィーナだったが、今度は頭を蹴り上げられ意識が飛んでしまう。

 こうして、魔王の一方的な蹂躙で地球の復旧どころではなくなってしまった。

 紗雪は火の玉となって鮮烈な熱線を放っている地球をボーっと眺めていた。英斗もレヴィアもパパもママも友達も全てが失われてしまったことに、もう生きる気力も何もすべてなくなってしまう。絶望に塗りつくされ視界すら暗くよどむ中、指先一つ動かせず、ただ力なく涙を流していた。

 満天の星々の中、ただ、魔王がヴィーナをいたぶる凄惨な衝撃音だけが響いていた。


       ◇


 時は少しさかのぼり、撃ち殺された英斗の魂は黄金の光が渦巻く全てが溶けこんだスープの中を流されていた。

 キラキラと輝く黄金の微粒子が英斗の魂の中にもいきわたり、徐々に分解して液体へと変えていく。

 英斗は全てから切り離され、ただ、スープの中を漂いつづける。

 何か大切なことがあったような気もするが、今はただ静かにこの温かな光の中へゆったりと溶け込んで全てと一つになっていきたい。必死にあがいていたが、あがく必要などなかったのだ。英斗は満足感の中でゆったりと流れに任せていた。

 どんどんと分解されていく英斗の魂……。

 その時、どこかから声が聞こえた。

『パパ、パパ……』

 誰のことを言っているのか? 自分には関係ない……。そう考えていた英斗だったが、次の瞬間、泣きぼくろのチャーミングなプニプニほっぺの幼女のイメージがふわっと浮かぶ。

 え……?

 英斗は混乱した。この可愛いのは一体何だ?

 幼女は必死に何かを語りかけてくる。

『パパ、そっちはダメ……』

 ダメと言われても、今さら必死にあがくような生き方になど戻れない。このまま静かに全てと溶け合っていくこと、それが人としてあるべき姿に違いないのだ。

 だが、次の瞬間、魔王に顔を蹴り上げられて転がる紗雪のイメージが浮かぶ。美しく透き通るような肌に鮮血がツーっと流れていった。

 え……?

 何だこれは……?

 これは誰……?

 えっ!? さ、紗雪じゃないか!

 直後、爆発的なエネルギーが魂の奥底から湧き上がってくる。

 うぉぉぉぉぉ!

 と、英斗は雄たけびを上げた。

『そうだ、紗雪にタニアじゃないか、思い出した。一体僕は何をやっているんだ?』

 英斗は正気を取り戻し、辺りを見回す。すると、向こうの方に巨大な手が見えた。それは幼児のプニプニとしたモミジのような手だった。

 ただの火の玉のような発光体になってしまった英斗だったが、うねうねと形を変えることで何とか推進力を得てオタマジャクシのように必死に泳ぐ。

 タニアの手もグググっと伸びてきて、最後には英斗の魂をグッとつかんだ。

 直後、激しい閃光が走り、英斗は全身が焼けるような激しいエネルギーの奔流を受け、意識をもっていかれそうになる。しかし、それは望んで得た覚悟の痛みであり、英斗は歯を食いしばりながら時空を超えていったのだった。











54. コペンハーゲン解釈

「あ、あれ……?」

 気がつくと英斗は真っ白な空間にいた。天も地も純白で穢れ一つない不思議な空間だった。自分の身体を見てみると素っ裸で向こうが透けて見える。どうやら幽霊みたいになってしまっている。

 一体、ここはどこで自分はどうなってしまったのだろうか? 死後の世界ということなのだろうが、一体ここで何すればいいのだろうか? 英斗は首をひねり、遠近感も何もない純白の世界を見渡した。

 直後、ポン! という破裂音がして空中に幼女が現れる。素っ裸で半透明なプニプニの女の子、タニアだった。

「タ、タニアーーーー!」

 英斗は思いっきり抱き着いた。

 魔王に飛ばされて死んでしまったタニア。何度も何度も後悔をして冥福を祈っていた幼女がここにいる。

 英斗はそのプニプニのほっぺにスリスリと頬ずりをして涙をポロポロとこぼした。

 キャハッ!

 タニアは嬉しそうに奇声を上げると、英斗の頭にしがみつく。

 英斗はほんのりとミルクの匂いがする温かなタニアをしっかりと抱きしめて、再会を喜ぶ。

 死んでも終わりではないというこの世界の奇妙さに、英斗は底知れぬ不気味さを感じつつも、幼女の柔らかい温かさに安堵を感じていた。


         ◇


「で、ここはどこなんだい?」

 英斗は純白の空間を見回しながら聞く。

「生と死のはざまだよ。あのね、ママが危ないの。助けて?」

 と、タニアは小首をかしげ、つぶらな瞳をウルウルとさせた。

「お、おう。紗雪がひどい目に遭っているのは見た。どうしたらいい?」

「パパ、楽しい未来を選んで」

 と言って、タニアはニッコリと笑うが、未来を選ぶも何も、自分は死んでしまっている。英斗はけげんそうな顔で首をかしげた。

「思い出して、世界はデジタルでできているんだよ」

 その言葉に英斗はハッとする。そう、この世界はコンピューター上で作られた世界。であるならば死というのは単に【状態】に過ぎないに違いない。データさえ書き換えられればいくらでも復活の目はある。

 とはいえ、自分は管理者(アドミニストレーター)でも何でもないただのキャラクターだ。システムの動作には干渉などできない。

「理屈は……、分かる。でも、どうやったらいいか分かんないよ」

 英斗は泣きそうな顔をする。あまりに無力すぎる自分に息が詰まってしまうのだ。

「大丈夫、あたしが教えてあげる」

 タニアは可愛い胸を張り、この世界の姿を説明し始める。

「そもそも、この世界がデジタルな世界になったのはパパが選んだからだよ」

 タニアは人差し指を英斗に向け、つぶらな瞳をキラリと光らせた。

 英斗はタニアが何を言っているのか分からず、首をかしげる。なぜ、この世界の構造が自分の選択の結果なのだろうか?

「異世界系のラノベとかたくさん読んで、妄想ふくらませてたんじゃない?」

 タニアは指を振りながら英斗の目をのぞきこむ。

「そ、そうだね。中学に入ってからよく読んでた……かな?」

「異世界を実現できる世界構造って何だと思う?」

 そう言われて英斗は考え込む。そんなこと今まで考えたこともなかったのだ。異世界は異世界。物語上の空想なのだから、どう実現するかなんて興味もなかった。しかし、実際に実現するとしたら……。少なくとも物理法則が成り立たなくても構わない世界でないと無理だろう。となると……。

 英斗は首をひねった。

 思いつくのは仮想現実空間。そう、MMORPGゲームのようなコンピューターによる合成した世界ならいくらでも実現できるだろう。

「そりゃあゲームみたいな空間なら実現可能だよ? でもそれと僕の妄想と何の関係があるの?」

「パパ、宇宙は無限にあるんだよ」

 は?

 英斗はいきなり宇宙の話をされて混乱する。

「宇宙は決まった一つが時の流れに合わせて動いているんじゃないの。同時に無数の宇宙があり、さらにその宇宙一つ一つがどんどん無数の宇宙に分岐しているのよ」

 タニアはニコッと笑って言う。

「いやいやいや、宇宙は一つだろ。一つの宇宙があって、みんなその世界に住んでいる。常識だよ」

「それは【コペンハーゲン解釈】だね。量子力学を知ると、そんなナイーブなことありえないことが分かるよ。キャハッ!」

 タニアは宙に浮き上がると、クルクルッと回って楽しそうに笑った。

「ちょっと待って! なんでタニアはそんなこと知ってるの? 幼女の知識じゃないじゃないか!」

 英斗は眉をひそめ、いぶかしげに聞いた。

「ふふーん。じゃぁこれならいい?」

 ボン! と爆発音がして、黒のボディスーツに身を包んだ美少女が現れる。それはどことなく紗雪にも似た、黒髪を長く伸ばした女の子だった。その透き通るような肌にパッチリとした目鼻立ちはドキッとさせる魅力がある。

「あたしは幼女であり、少女であり、老婆なのよ。どう……? キャハッ!」

 少女は右腕を高く掲げモデルのセクシーポーズを取りながら、挑発的な視線で英斗を射抜いた。

 英斗は頭がパンクした。ずっとプニプニの幼女だと思っていたタニアが、魅惑的な美少女となって自分を挑発している。それは想像もしなかった事態だった。








55. 海王星の衝撃

「ちょっと、君……。何者なの?」

「ふふっ、何者でしょうか? そのうちに分かるよ! キャハッ!」

 楽しそうにはぐらかすタニア。

 英斗は大きく息をついて、首を振る。

「で、宇宙が無数ある。まぁ、それはあるかもね。量子って複数の状態を同時に取れるんだろ? 量子コンピューターの話で聞いたことあるよ」

「そうそう。では、その無数の状態を確定するのは誰?」

「だ、誰……?」

 英斗は考え込む。確かに宇宙に無数の状態があるとしたら誰がそれを決めるのか? しかし、そんなことわかりようがない。

「パパだよ」

 タニアは嬉しそうに英斗を指さした。

「はっ? なんで僕?」

「正確に言うと、一人一人、魂を持つ者が独自の世界を規定していくんだ」

「え? では、一人ひとり別の世界に生きてるって……こと?」

「そうだよ? 今この世界にいる他の人も、別のことを志向したら別の宇宙へと分岐していくんだ」

 英斗は混乱する。そんなことしたらネズミ算式にどんどんと宇宙は増えまくってしまう。

「そんなことしたら宇宙だらけになっちゃうじゃないか!」

「そうだよ? だから『宇宙は無限にある』って言ったじゃん。キャハッ!」

 英斗は言葉を失った。無限、それは限りがないこと。限りが無ければいくらあっても大丈夫……。

 しかし、それはとても信じがたく、首をひねる。

「まぁ、理屈はいいよ。異世界系ラノベに影響を受けたパパは、この世界の無数の在り方のうち、デジタルな世界を選んだんだ」

「ちょっと待って! まさか、紗雪が龍族だったのもレヴィアさんたちの世界があったのも全部僕の妄想の結果?」

「もちろん!」

 タニアは嬉しそうに答えた。

 英斗はへなへなと座り込んでしまう。中学時代に『紗雪が龍族だったことを知った』のではなかった。英斗が選んだ世界で『紗雪はそういう設定を背負った』のだった。

「バカな……」

 英斗はこの荒唐無稽な話をどう理解したらいいのか途方に暮れ、頭を抱えた。

「納得するのは後でいいわ。ママがピンチなの。助けて」

 すらりとした長い指で英斗の手を取るタニア。

 英斗はその柔らかい指にドキッとしながら、

「助けるって……、どうやって? 僕死んじゃってるんだよ?」

 と、泣きそうな顔でタニアを見た。

「んもー! 助けられる世界を選択する。それだけでいいのよ」

 タニアは口をとがらせる。

「せ、選択って……、どうやって?」

 タニアはニコッと笑うと、

「選択はふつう無意識に行われているわ。でも、意識的にやりたいなら瞑想(めいそう)ね」

 そう言って、長いまつげが魅惑的な目を嬉しそうにキラッと光らせた。

「め、瞑想なんてやったことないよ……」

 泣きそうな顔をする英斗。

 タニアはふぅとため息をつくと、

「深呼吸を繰り返すだけよ。四秒息を吸って、六秒止めて、八秒かけて息を吐く。やってみて」

「わ、わかったよ」

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

「うまいうまい。徐々に深層意識へ降りていくよ」

 しかし、英斗は次々と湧いてくる雑念に流される。『紗雪は痛そうだったな、直せるかな?』『レヴィアの彼氏ってどんな人なんだろう?』『ラーメン食べたいな、ラーメン』

 英斗は頭を振り、必死に雑念を振り払おうとするが、振り払っても振り払ってもわいてきてしまう。

「ダメだ! 上手くいかないよ」

「大丈夫、もう少しだから。雑念湧いたら消そうとせずに『そういう考えもあるね』と、ただ、受け止めてそっと送り出してあげればいいわ。あたしも手伝ってあげる」

 タニアはそう言うと、そっと英斗にハグをした。

 柔らかい柑橘系の匂いに包まれ、英斗は顔を赤くしながら深呼吸を始めた。

 スゥーーーー、……、フゥーーーー。
 スゥーーーー、……、フゥーーーー。

 ドクン、ドクンとタニアの鼓動が聞こえてくる……。

 次々と湧いてくる雑念をそっと送り出し続ける英斗。

 やがて、グンっと何かに引き込まれる感覚があって、一気に感覚が鋭くなっていく。

 自分の身体や周りのものが目をつぶっていても分かるようになってきた。

 深く静かに鼓動を打つ自分の心音も聞こえてきて、タニアの鼓動とセッションしているのが分かる。

 ハグしているタニアの柔らかなふくらみも細部まで感じられる。

 さっきまで真っ白で何もないと思っていた空間の本当の姿……。そこは超巨大コンピューターの中のサイバースペースだった。その実体は、全長一キロメートルくらいはあろうかというデータセンターにずらりと並んだ円筒形のサーバー群。

 意識をさらに広げていくと、見えてきたのは巨大な(あお)き惑星、海王星だった。