なぜコンピューターと女神が関係あるのか? 英斗には皆目見当がつかず、レヴィアの方を向く。

 レヴィアはチラッと英斗を見ると目をつぶり、無言でうなずいた。なんと、レヴィアも魔王のバカバカしい話を受け入れてしまっているのだ。

「ちょ、ちょっと待って! ここはコンピューターの中だって? 僕たちはゲームの世界にいるってこと?」

 英斗は混乱した。確かに不老不死とか不可解な出来事ばかりのこの世界。明らかに異質であるから何らかの仕掛けはあるのだろう、とは思っていたが、この世界全部がコンピューターによって合成された世界とはバカバカしい、冗談めいた話だった。

「我も独自にこの世界を調べておった。結論は魔王の言う通りじゃ」

 レヴィアは肩をすくめ首を振る。

 英斗はレヴィアの手を取ると、

「いや、ちょっと待ってくださいよ! 見てください、ほら、プニプニですよ、プニプニ! こんなのコンピューターじゃ合成できませんよ」

 そう言って、やわらかなレヴィアの小さな手のひらを揉んだ。

「お主が言っとるのは地球のしょぼいコンピューターのことじゃろ? この世界を作っておるのは桁違いに高性能なコンピューターじゃ。このくらい造作もないわい」

 レヴィアはそう言って英斗の手を振り払う。

「そ、そんな……」

 英斗はがく然として手のひらを眺める。指のかすかな動きに追随(ついずい)して盛り上がる手のひら。その皮膚の奥で縦横無尽に走る血管。これがコンピューターによる合成とは到底思えなかった。

 しかし、紗雪が受精卵から再生された様を思い出せば、それはコンピューターによる合成という話の方がしっくりくるのもまた事実である。

「わ、分かりました。この世界はコンピューターによる合成。そうかもしれない。でも、ここの魔物がなぜ日本に行っても動いているんですか? コンピューターによる合成像が地球上でも動くって矛盾してますよ」

 レヴィアはクスッと笑うと、

「地球がなぜ特別だなんて思うんじゃ?」

 と、返した。その瞳にはある種の諦観(ていかん)が浮かんでいる。

「はぁっ!?」

 英斗は耳を疑った。生まれてきて十六年、日本が仮想現実世界だったなんて一度も感じたことはなかった。どこまでもリアルで、高精細で、ち密な世界。それが全てコンピューターによる合成像だったなんてとても認められない。

「いやいやいや、地球上には高度な観測装置もあって、厳密に世界はリアルで破綻してないって話ですよ? そんな訳ないじゃないですか!」

「そんなの観測装置の所だけ精度上げて終わりじゃ。結局は人間に違和感のない精度だすだけで何の問題もないんじゃから」

 レヴィアはウンザリしたように首を振る。

「そ、そんな……」

「そんなことはいいから人類復活の方針を決めろ。我も協力してやる」

「ほ、方針って……」

 英斗は困惑した。なるほど、地球がコンピューターによる合成だとしたら、昔のバックアップをリストアするだけでみんな元通りに復帰するだろう。それは確かに可能だし現実解だ。そしてそれがコンピューターシステムの管理者(アドミニストレーター)ならできるというのも筋が通っている。

 しかし、そんなことを認めてしまっていいのだろうか? それはつまり、自分はゲームの中のキャラクターに過ぎないということを受け入れることだ。確かな肉体をもってリアルな世界に自立していると考えていた自分にはもう戻れない。

 くぅ……。

 英斗は目をギュッとつぶるとうなだれた。

 そのやり取りを見ていた紗雪は、カツカツと近づき、そっと英斗の手を取り、

「英ちゃん……。悩むのは後でいいわ。早く地球を……日本を元に戻さないと」

 そう言って英斗を見つめた。

 すっかり憔悴しきった紗雪は顔色も悪く、泣きはらした目が痛々しい。

「そ、そうだな……。管理者(アドミニストレーター)に会って直談判……。どうやるか考えないと」

 英斗はギュッと紗雪の手を握り返し、魔王を見下ろした。

 魔王はふんっ! と鼻を鳴らし顔を背ける。

「女神以外に管理者(アドミニストレーター)はいないのか?」

 英斗が聞くと、魔王は面倒くさそうに答える。

「そりゃぁたくさんいるよ。でも、この星系の担当はいつもの女神、ヴィーナだ。他の担当に声かけたって権限持ってないから無駄だろう」

「女神と会う方法は金星に行くか、人類を滅ぼすかしかないのか? 他にあるんじゃないの?」

「あったらもうやってるよ!」

 魔王は吐き捨てるように答えた。












47. 破局的噴火

「金星へはどう行くんだ?」

 英斗の問いかけに、魔王はふぅとため息をつき、偉そうに答える。

「今、ここを動かしているコンピューターをハックして上位階層へ行くしかない。だが、千年やってるのにまだ成功していないんだ。お前らじゃ無理、諦めろ」

 英斗はムッとしてニードルガンを構える。

「あわわわ、ちょっとそれ痛いからやめて!」

 魔王はおびえた様子でうねうねと芋虫のように動いた。

「で、女神を呼ぶにはいったん全人類を滅ぼすしかない……、そういう事だな?」

「そうだよ! 最初からそう言ってんじゃん!」

 なじってくる魔王に、英斗は半ば無意識にニードルガンを放った。

 ぐはぁ!

 魔王は痛がっているが、英斗は人類を滅ぼさねば次へ行けないことで頭がいっぱいだった。

「面倒なことになったのう……」

 レヴィアは涙目になっている魔王を見下ろしながらつぶやく。

「こいつの金星へのアプローチのやり方をちょっと見せてもらいましょうか?」

 英斗の提案に、レヴィアが腕を組みながら、

「確かに。まだ地球には何億人も残っておるから、殺すのは避けた……、あれ……?」

 そう言っている時だった。ゴゴゴゴと地響きが聞こえてきた。

「な、なんですかこれ……」

 英斗はレヴィアと顔を見合わせる。その間にも地響きは大きくなり、地震のように揺れ始める。

「まさか……」

 英斗が魔王を見下ろすと、魔王は勝ち誇ったようにニヤけていた。

 英斗はニードルガンで脚を撃ち、

「貴様! 何やった!?」

 と、叫ぶ。

 魔王は痛みで顔を歪ませながらも余裕を見せ、

「俺が窮地に陥ったとAIが判断したら自動的に噴火するようになってんだよ」

 と言って鼻で笑った。

 ここはまさに火山のど真ん中。噴火したら木っ端みじんである。

 レヴィアは真っ青になると、

「ダメじゃ! すぐに逃げるぞ!」

 と言って、弱っている紗雪の手を取り、裏のドアへと走り出す。

「このオッサンも連れてかなきゃ!」

 英斗はそう叫んだが、レヴィアは、

「馬鹿もん! 噴火に巻き込まれたら上手く生き返れないかも知れんぞ! 急げ!」

 と、叫びながらドアの向こうの階段を駆け上っていってしまった。

 魔王を見れば薄笑いを浮かべている。きっと噴火に巻き込まれても大丈夫な策を隠し持っているのだろう。

 せっかく捕まえた地球復活のキーマンである魔王。ここで逃がしてしまうのはあまりにも惜しいが、揺れはますます激しくなって天井からもバラバラとかけらが降り始めている。こんな太ったオッサンを担いで逃げるのはとてもできそうになかった。

 溶岩流の中に巻き込まれたら、それこそ地面の下で何万年も閉じ込められてしまうかもしれないのだ。それだけは絶対に避けねばならない。

 くっ!

 英斗は断腸の思いで駆け出し、レヴィアの後を追った。


      ◇


 激しく揺れる螺旋(らせん)階段をぐるぐると回り、たどり着いた非常口。

 レヴィアがガン! と開けると青空が広がる。そこは火山の中腹だった。

 一行はドラゴン化したレヴィアの背中に乗り、一気に空へと飛び出す。

 直後、ズン! と激しい衝撃波が一行を襲い、真っ黒な噴煙とともに火山全体が破局的な大噴火を巻き起こした。

 一瞬視界が全て真っ暗になり、マグマの雨が降り注いだが、レヴィアは巧みにシールドを張りながら力強く羽ばたき、何とか脱出に成功したのだった。

 人類再生の手掛かりである魔王はマグマの中へと消え、タニアも失った。その厳然たる事実は英斗の心に刺すような痛みを走らせる。英斗は自分のふがいなさに絶望し、レヴィアの鱗のトゲを抱きながら静かに涙を流した。


       ◇


 エクソダスに戻ると英斗と紗雪は病室でメディカルチェックを受ける。

 特に紗雪は心身ともにボロボロで、ベッドに横たえるとすぐに意識を失ってしまった。

 たくさんの管に繋がれて生気を失った紗雪の顔をしばらく眺め、英斗は大きく息をつく。

 紗雪の毛布を丁寧に整えて、英斗は自分のベッドの毛布に潜った。

 みんな想像以上の活躍をしたと言っておかしくない。それなのに、またしても魔王を取り逃がしてしまった。この無慈悲な現実は英斗に重くのしかかる。

 何がいけなかったのか? どうすればよかったのか? そんなことをグルグルと考えて悶々とする英斗。

 ただの高校生にできることなど限られている。どうしようもなかったとしか言いようがない。

 だが、心はそんな簡単に割り切れないのだ。特にタニアを失ってしまったことがどうしようもなく心を絞めつけていた。

 その時だった。

『パパ、パパ』

 かすかにそんな声が聞こえた。

 えっ!?

 英斗は驚いてバッと跳び起き、

「タ、タニア……?」

 と、病室内を見回す。しかし人影は見えない。

「い、いるんだろ……、おい……」

 英斗はよろよろと立ち上がり、涙をポトポトと垂らしながら、必死にベッドの下までくまなく探した。

「おい! タニアァ!」

 だが、どんなに探しても幼女などいない。英斗は頭を抱えてしばらく動かなくなり、そのままバタリとベッドに倒れ込む。

 くぅ……。

 いつの間にか、あのプニプニほっぺの可愛い幼女が、自分の心の中でどうしようもないほど大きくなっていたことを知り、英斗はむせび泣いた。











48. 紗雪の決意

「タニアぁ……」

 宇宙に飛ばされた幼女は即死なのだ。生き返りもしない。頭ではわかっていても英斗はどこか奇跡を期待してしまう。

 英斗はバっと毛布をかぶり、ひとしきり泣きじゃくると、涙でグチャグチャになったまま睡魔に流され、眠りへと落ちていく。

 病室にはピッピッピというヘルスメーターの電子音だけが静かに響いていた。


      ◇


 紗雪の回復を待ち、数日後、三人は日本へと戻る――――。

 ゲートをくぐるとそこは一面瓦礫のだらけの大地が広がっていた。

「えっ!? ここが、うちの街?」

 英斗は焦げた臭いに覆われた惨状に驚いて辺りを見回す。

 いくつか建物は残っているが、窓枠の向こうには青空が広がっており、裏側は崩れてしまっているようだった。

 瓦礫には黒い(すす)がべっとりと付き、ガラスは全て溶けて流れ、灼熱にさらされ、破壊されたすさまじい惨状を物語っている。

 また、遺体の一部と思える見てはいけない物もあちこちに見受けられ、英斗は目をつぶって大きく深呼吸を繰り返すと、手を合わせた。

「あれ、何かしら?」

 紗雪が震えた声で遠くを指をさす。その先には煙が一条空へとたなびいていた。

「生き残りかもしれんのう。行ってみるか……」

 レヴィアはウンザリとした様子で歩き出す。

 道には電信柱が倒れ、潰れた車が黒焦げになって転がり、ビルのがれきがあちこちで山になっている。紗雪はピョンピョンと飛び越え、英斗とレヴィアは苦労しながら後を追った。

 果たして、煙は崩れたショッピングモールから上がっていた。つい先日まで多くの家族連れでにぎわっていた華やかなショッピングモール【アエオン】も、今や廃墟同然である。

 生き残りがあそこで生活しているに違いない。

 一行は無言で【アエオン】を目指した。


       ◇


 もうすぐでショッピングモールと言うところまで来た時のこと。

 タッタッタ……。

 どこからか足音が聞こえた。

 一行は立ち止まり、お互いの顔を見合わせる。

「おい! 動くな!」

 崩れたビルの上から若い男の声がする。

 慌てて見上げると、刺青をしてバンダナをかぶった男がボウガンを構えてニヤニヤしている。

「な、なんだ。生き残りか?」

 英斗は怪訝そうな顔で聞く。

「【アエオン】はおれらの縄張り(しま)だ。勝手に近づくんじゃねーぞ!」

 男はクッチャクッチャとガムを噛みながら言う。

「そうか、悪かった。【アエオン】には用はない。立ち去るよ」

 事を荒立てたくない英斗は両手を上げて戻ろうとした。

「おーっと! 女どもは置いてってもらうぜぇ」

 すると、似たような格好した半グレっぽい連中が瓦礫の裏から次々と顔を出し、日本刀や斧を見せびらかしながら英斗たちを囲み、いやらしい笑みを浮かべた。

「ちびっこいのはまだ早そうだが、JKは随分な上玉。いい声で鳴きそうだ。グフフフ……」

 バンダナ男がいやらしく笑う。

 英斗は肩をすくめ、首を振る。欲望のままに暴虐を働くクズども、これが人間という生き物の本性なのかと、心底ウンザリしたのだ。

 直後、ボン! と爆発音が上がり、上空に巨大な漆黒のドラゴンが現れる。

 へ? はぁ?

 男たちは目を丸くして固まった。

 直後、ギュォォォォ! というすさまじい重低音の咆哮が響き渡る。

「誰が『早そう』じゃって? このクソたわけが!」

 レヴィアは大きな翼をゆったりとはばたかせながらそう叫ぶと、くるりと素早く回転し、その巨大なシッポを鞭のようにしならせながら、男たちのいる一帯を吹き飛ばした。

 ぐはぁぁぁ! うぎゃぁぁ!

 男たちはあっさりと吹き飛ばされ、

「化け物だ! 逃げろ! 逃げろー!」

 と、慌てて逃げていく。

 レヴィアはギュァァァ! と、雄叫びをあげ、逃げていく男どもを睥睨した。

 紗雪は座り込み、うっうっう……と涙を流し始める。

 英斗は紗雪の手を取り、優しく両手で包み込んだ。

 自分たちの街が廃墟と化し、生き残りも半グレに支配されている。それは想像以上の絶望だった。

 女神には何とかしてこれを復旧してもらうしかないが、その道のりも見えてこない。英斗も目をつぶって大きく息をつき、肩を落とした。

「一回滅亡、、させましょ」

 紗雪がつぶやいた。

「え?」

 英斗は驚いて聞き返す。

「あんな奴ら一回死ねばいいのよ!」

 紗雪は涙をポロポロとこぼしながら叫んだ。

 英斗はなんて答えたらいいか分からず、言葉に詰まる。確かに確実に生き返るのであれば一度殺すというのは選択肢だ。しかし、女神に会えるかも、復旧してもらえるかもわからない状態で残っている何億人を全員殺すわけにはいかないのだ。

「いや、ちょっと落ち着いて」

「じゃあ、どうすんのよ! パパもパパもみんな死んじゃったのよ? 理想語ってる場合じゃないわ!」

 紗雪は真っ赤な目で英斗に食って掛かる。

 英斗はそんな紗雪をそっとハグし、

「わかった。今日はもう帰ろう」

 そう言って泣きじゃくる紗雪の背中を優しくさすった。











49. 新魔王

「ちょっと、英斗、いいか?」

 その日の夕方、病室のベッドでウトウトしているとレヴィアが入ってきて起こされた。

「ん? 何かありました?」

「紗雪が、人類を滅ぼすそうじゃが……お主はいいか?」

「え……? どうやって?」

「月を……落とすんじゃ」

「は? 月って……、あの空に浮かんでいる……」

「そうじゃ、直径四千キロの超巨大ゲートを月の軌道上に開いて、そのまま地球へと跳ばすらしい」

 英斗は唖然とした。確かに魔王のタブレットを上手く使えばできないことはないだろう。だが、それは地球を失うことだ。もし、女神に復旧を断られたらもう、自分たちには帰る場所も無くなってしまう。

「さ、紗雪はどこにいるんですか?」

「指令室におる。だが、決意は固いようじゃぞ」

「ありがとうございます!」

 英斗はダッシュで指令室に向かった。帰ってきてから様子がおかしかったが、具体的な行動にまで出ていたなんて英斗は自分の甘い見通しを悔やんだ。


      ◇


 指令室まで来ると、紗雪がテーブルの上に地球と月の映像を浮かべて見入っていた。

「あら、英ちゃん。これで女神さまに会えるわ」

 紗雪は何かにとりつかれたように力なく笑った。

 英斗は何度か深呼吸して呼吸を整えると、

「女神さまに……地球復旧をしてもらえる目途(めど)はあるのか?」

 と、静かに聞いた。

「そんなのないわよ。ふふふ」

 紗雪は不気味に笑う。

 英斗は眉をひそめると、テーブルを叩き、叫ぶ。

「一人だって殺人だよ? 何億も殺して復旧の目途(めど)もないなんて許されないよ!」

 しかし、紗雪は意にも介さず、

「あら、誰の許しが要るの?」

 と、首をかしげる。

「えっ……、そ、それは……」

 英斗は口ごもった。もはや地球上には国も何もない。残った数億人の意志の決定など誰にもできなかった。

「私ね、魔王になるの。地球を滅ぼす魔王。もう止められないわ。ふふふ」

 紗雪は人差し指を振って嬉しそうに言う。その目は焦点が合っていないようにうつろに宙を泳いでいた。

「お、お前……正気か?」

 青くなる英斗。紗雪はあまりのショックに変な考えに染まってしまったようだった。

 紗雪はギロッと英斗をにらみ、ギリッと奥歯を鳴らすと、

「だったら、英ちゃんがパパやママを生き返らせてよ! できるの?」

 そう言って、バン! と、テーブルを叩き、英斗の顔をのぞきこむ。

 振動でカタカタとティーカップが揺れる。

「それは、じ、時間をかけて……」

「時間ってどれくらい? 千年? 一万年? 待てば必ず女神に復旧してもらえるの? いい加減にしてよー!」

 紗雪の目からは涙がポロポロ溢れ出し、英斗は答える言葉を失って目をそらした。

 確かに紗雪の言うとおりだった。女神にOKをもらえるかどうかなんて待っても変わらないのだ。むしろ、中途半端に地球が復興してしまったら、逆に復旧の目は無くなってしまうかもしれない。

「英ちゃんは責任なんて感じなくていいわ。私が魔王になって私が人類を滅ぼすの! 恨まれるのは私一人でいいわ。私がすべて悪いの!」

 英斗は何も答えられなかった。ここまで決意している人は止められない。

 大きく息をつくと、英斗はうなずき、そっと紗雪をハグした。

 英斗の胸で泣きじゃくる紗雪。数億人の命を賭け金とした前代未聞の賭け。英斗は地獄に堕ちる時は一緒に堕ちようと覚悟を決めた。


     ◇


「あと三分じゃ、もう止められんぞ?」

 地球上空の宇宙空間に展開されたシールドの中で、レヴィアは英斗と紗雪を見た。

 月の軌道上には巨大な瑠璃色のリングが光り輝き、迫りくる月を今まさに飲みこもうとしている。

「失敗したら地獄の業火に焼かれる覚悟はできました」

 英斗はそう答え、うつむく紗雪をそっと引き寄せてハグした。

「これはお主ら人類の問題じゃからな。我は決定を尊重するのみじゃ」

 レヴィアはゲートに迫る月を見ながら眉をひそめ、これから始まる宇宙規模の破滅にぶるっと身震いをした。

 やがて月は瑠璃色のゲートに接触し、ビカビカと激しく明滅する。

 いよいよ始まった地球破壊プロセス。もう誰も止められない。

 英斗はキュッと一文字に口を結び、大罪を犯さざるを得ない自分の運命を呪い、せめて一部始終を目に焼き付けておかねばと大きく息をついた。

 直径3,475mに及ぶ巨大な衛星、月。大宇宙に浮かぶ見慣れたウサギの餅つき模様はやがてゲートへと吸い込まれ、直後、地球のそばに設置されたゲートへと転送されていく。

 秒速一キロメートルで地球の周りをまわっていた月は、その速度のまま地球へと突っ込んでいく。しかし、月のサイズはデカい。衝突までまだ数分はかかるだろう。月の落とす巨大な楕円の影が不気味に太平洋一帯を覆い、これから始まる大惨事の圧倒的なスケールを予感させる。

 英斗は大きく息をつくと、一部始終を見逃すまいとじっと目を凝らした。







50. 人類最後の一人

 月の接近に伴なって、地球の大気も海も陸地も月へと引き寄せられ、月に近い側の地球表面が荒れ始めた。

 宇宙から見ていると些細な動きにしか見えないが、きっと荒れ狂う暴風と巨大津波で多くの死者が出てしまっているだろう。

 覚悟していたこととはいえ息苦しくなり、英斗は思わず胸に手を当てて何度も深呼吸をした。

 やがて、激しい閃光が月と地球の間に放たれ始める。大気圏突入である。あと数十秒で衝突だ。

 見続けられず英斗に抱き着いていた紗雪は、チラッとその様子を見るとハッと息をのみ、英斗の胸にまたギュッと抱き着く。

 英斗はそんな紗雪の髪をなでようとしたが、手がブルブルと震えてしまってうまくできず、自然と溢れてくる涙で頬を濡らした。

 次の瞬間、爆発的な光の洪水が宇宙を輝きで彩り、英斗はあまりのまぶしさにギュッと目をつぶった。

 強烈な輝きが衝突個所を中心に辺りを光で覆いつくし、そこから跳ね上げられる灼熱のマグマはリング状に宇宙へと爆散し、まるで王冠のように美しく衝突を彩った。

 大地はめくれ上がり、衝突個所から同心円状に地上を灼熱のマグマの海へと変えていく。

 英斗はそのとんでもないエネルギーの織りなす天体ショーをボーっと見つめ、破滅の美の黒い誘惑に心を奪われていた。

 宇宙に届く大津波が太平洋を徐々にマグマの海へと塗り替えていき、やがて、地球は真っ赤に輝く灼熱の玉と化した。もはや生き残っている生き物などいないだろう。

『やってしまった……』今さら後悔など何の意味もないことはよく分かってはいるが、英斗はあまりにも衝撃的な地球の破滅に心の置き場がなく冷汗をタラタラと流した。

「さて、女神の登場を待つばかりじゃな」

 レヴィアは腕組みをしてポツリと言った。

「僕と紗雪だと二人ですが……出てきてくれますかね?」

「わからん。女神なぞ呼んだことないからな」

 肩をすくめて首を振るレヴィア。

「その時は私を殺して……」

 紗雪は英斗を見上げて言った。

「いや、僕が死ぬよ」

 英斗はそう言って震える紗雪の髪をそっとなでる。

 その時だった、いきなりシールド内に笑い声が響いた。

「はっはっはー! じゃあ死ね!」

 慌てて声の方を見ると、魔王が魔物たちを引き連れてレーザー銃を構えている。

 なぜ、ここにいることが分かったのだろうか? 一行は唖然とし、言葉を失う。

 バン! という衝撃音とともに太ももに激痛が走り、英斗が崩れ落ちる。

「くぅっ! な、なぜ……?」

 直後、ワラワラと一つ目ゴリラの大群が紗雪とレヴィアに襲いかかった。いきなりの事態に二人は全く対応できず、屈強なゴリラの腕力の前にあっさりと確保され、手足を縛られ転がされる。

「特異点君、こないだはいいように(なぶ)ってくれたな? オイ!」

 魔王はツカツカと歩きながら再度レーザーを発射した。

 がはっ!

 英斗の太ももの肉がはじけ飛び、血が噴き出す。

 英斗は激痛に意識が飛びそうになりながら必死に歯をギリッと鳴らしたが、なすすべがない。万事休すである。

 今まさに死の淵に追い込まれた英斗は、耳がツーンとなって音がボワボワと反響し、時間がゆっくりと流れているように感じた。

 魔王は英斗のすぐそばに立ち、眉間に照準を合わせると、

「女神を呼ぶ条件を俺が満たしてやろう。クフフフ」

 そう言って引き金の人差し指に力をこめる。

「やめてぇ!」

 紗雪が縛られたまま、必死に体をくねらせながら魔王の足元に近づいてきた。

 魔王は汚らわしいものを見るような目で紗雪をチラッと見下ろすと、何も言わず、紗雪の頭を蹴り飛ばした。

 かはっ!

 ゴロゴロと転がった紗雪の口からは真っ赤な鮮血がタラリと垂れ、脳震盪(のうしんとう)を起こしたようにブルブルと震えている。

「何すんだ……」

 英斗が魔王の足につかみかかろうとした時、バン! と衝撃音が響いた。

 大事なところの破片をまき散らしながら崩れ落ちる英斗は、床に転がりビクビクと痙攣(けいれん)するばかりの肉隗(にくかい)へとなり果ててしまう。

「え、英ちゃん……」「小僧……」

 あまりの出来事に紗雪もレヴィアも現実が受け入れられず、ただ、呆然として転がっていた。

 頭にレーザーを食らってしまった英斗は、こうして十五年の短い人生を終えたのだった。