—1—
「横瀬仁くん、人間ってどんな味がするのかな?」
クラスでも影が薄く、友達のいない井上蔵理が突然耳元でそう囁いてきた。
「は? そんなの分かる訳ないだろ」
「どうしたの、仁?」
同じサッカー部の丸岡がオレの声を聞いて駆けつける。
「いや、井上が人の味が気になるんだってさ」
「気持ち悪っ。お前、そんなことばっかり言ってるから友達できないんだよ」
丸岡がなかなかに辛辣な言葉を浴びせる。
「丸岡くんは、太ってるから食べ応えがありそうだね」
それでも井上は普段の調子を崩さない。
至って真剣な眼差しで丸岡の腹部を見ていた。
「ダメだ。話にならない。仁、行こう」
「そうだな」
丸岡と2人で教室を出る。
今日はテスト期間で部活は休み。
この後はサッカー部のモテ男、金田の家で勉強会兼ゲーム大会が開かれる予定だ。
「おーい、仁! もう帰るのか?」
丸岡と廊下を歩いていると、教室から出てきた金田に呼び止められた。
「お前の家で勉強会するんだからいい加減早く帰るぞ!」
金田が教室で女子グループといちゃいちゃしていたことは知っている。
モテる男の特権だから仕方がないけど、公の場で見せつけられたら良い気にはならない。
だから無理矢理にでも金田と女子を引き剥がすことにした。
「悪い。俺、横瀬たちと約束あるから帰るわ」
「分かった。私たち、この後芽依の家でお菓子パーティーをするんだけど、良かったら遊びに来てね」
「お、いいね! んじゃ、行けたら行くわ」
「えー、それ絶対来ないやつじゃん」
金田と女子との楽しそうな会話が廊下まで漏れている。
オレと丸岡は羨ましそうに聞いていることしかできない。
「横瀬くん! よかったら横瀬くんたちもお菓子パーティーに来てね!!」
クラスのマドンナ的存在、虻川芽依が教室からひょこっと顔を出してオレと丸岡に手を振ってきた。
「お、おう」
オレも丸岡も予想外の誘いに固まることしかできなかった。
「ごめん2人とも、待たせたな」
「いや、全然」
先程まで金田に抱いていた嫉妬心のようなものは完全に吹き飛んでいた。
むしろ今では感謝の気持ちさえ覚えている。
まさか、芽依から誘われるとは。金田と友達でよかった。
悲しいことに男とは単純な生き物なのだ。
—2—
「それで、井上が人間ってどんな味がするか聞いてきたんだって?」
「ああ、あいつ根暗で友達がいないから話を聞いてくれる人もいないだろ。だからクラスメイトに手当たり次第話し掛けてるんだよ」
「それってある意味メンタル最強だよね」
金田の家に着いたオレたちは、勉強道具をテーブルに広げてテレビゲームをしながらダラダラと雑談をしていた。
毎度のことながらテスト勉強に集中できるのは最初の1時間くらいで、そこからは気分転換とかなんとか適当な理由を付けて、雑談メインのテレビゲームに移行するのが定番となっている。
話題はクラスの問題児である井上について。
そもそも井上が避けられるようになったのには明確な理由がある。
高校2年生に上がったオレたちは、金田や芽依たちの提案でクラスで金魚を飼うことになった。
なんでも「教室で魚が泳いでたら癒されるよねー」という芽依の発言をきっかけに「だったら飼えばいいじゃん!」と盛り上がったらしい。
その後、金田が担任に許可を取り、すぐさま飼育係を設立。
オレや丸岡も金田と芽依たちに巻き込まれる形で飼育係に任命された。
飼育係の主な仕事は毎朝の餌やりと水槽の水が濁ってきたら洗うくらいだ。
正直言うと面倒臭かったのだが、世話をしていると不思議と愛着が湧くもので全然苦ではなかった。
金魚を飼育し始めてから3ヶ月。事件が起きる。
サッカー部の朝練が終わり、教室に入ると井上がよく分からない歌を口ずさみながら水槽に手を突っ込んでいた。
時計回りに円を描くように水槽の水をかき混ぜ、弱った金魚を素手で掴む。
そして、反対の手に持っていた爪楊枝を金魚の口に突き刺した。
「何やってんだよお前」
机の上には同じように口に爪楊枝が刺さった金魚が3匹綺麗に並べられていた。
たかが金魚と言われてしまえばそれまでなのかもしれないが、クラスメイトと大切に育ててきたマスコットにこんな酷い仕打ちをされたら流石に黙ってはいられない。
気が付いたらオレは井上を殴り飛ばしていた。
井上は尻もちをついて近くの机を引っ繰り返す。
すでに死んでいる金魚たちも床に散らばった。
「何だ? どうした仁」
騒ぎを聞きつけて丸岡と金田も教室に入ってきた。
「金魚は口に爪楊枝を刺されたらどのくらいで息絶えるのか? 僕はその答えが知りたかったんだ」
口の端を切って血を流している井上が満足そうに口角を上げる。
こいつに人の心は無い。常識は通用しない。
オレはこのとき、井上蔵理という男に恐怖心を抱いた。
井上の奇行がクラスに広がるのは時間の問題で、後日学年主任と担任から職員室に呼び出され、保護者同席の面談が行われた。
井上は反省文を書かされたらしい。
その後もしばしば気味の悪い言動を繰り返していたため、井上に近づく生徒はいなくなった。
「悪い。ちょっとトイレしたいからいったん2人でやっててくれ」
「おう」
「わかったよ」
金田が床にコントローラーを置いて出て行った。
残されたオレと丸岡で対戦をすることに。
「なんか最近金田と虻川さんって良い感じだと思わないか?」
丸岡が連続コンボを決めながら話し掛けてきた。
こいつサッカーは体格のせいもあってそこそこだけど、ゲームはめちゃくちゃ上手いんだよな。
「元々仲良かったからなあの2人は」
必死に丸岡の攻撃をガードしながらそう答える。
金田と芽依はクラスでも同じグループに所属してるし、休みの日も予定を合わせて複数人で遊びに出掛けているらしい。
同じサッカー部のオレから見ても金田は部活、勉強、恋愛、この3つのバランスの取り方が上手いと思う。
オレはどれか1つにしか集中できないタイプだから、必然的に異性との交流を削っている。まあ、偉そうに言ったがただのコミュ障なだけなんだけどな。
ただ、金田が身近にいてくれるおかげでクラスのイケイケなメンバーとも会話はできている感じだ。
「実は俺たちに内緒で付き合ってるんじゃないだろうな」
「どうだろうな。付き合っててもおかしくはないと思うけど、流石にオレたちに報告はするんじゃないか?」
オレだけかもしれないがお互いに彼女ができたら報告するくらいの仲だとは思っている。
「というか、金田遅くない?」
言われてみればトイレに行ってから20分経っている。
丸岡ともサシで3戦しちゃったし、そろそろ目も疲れてきた。
ちなみに3戦3敗だった。丸岡が操作するキャラから怒りのようなものが伝わってきて圧倒されてしまった。
「ウンコでもしてるんじゃないか?」
「だとしてもどんだけ出てるんだよ。お腹の中スカスカになるぞ」
などと言う冗談を混ぜながら丸岡が立ち上がる。
そのタイミングで丸岡のスマホに着信が入った。
「どうした? うん、今友達の家だけど。なんだよ、面倒臭いな。鍵くらい持って行けっていつも言ってるだろ。分かった。今行くから待ってて」
丸岡が耳からスマホを離し、鞄から家の鍵を取り出した。
「妹が鍵忘れたみたいだから届けてくる。すぐ戻ってくるから金田に伝えておいて」
「うん、わかった」
金田に続いて丸岡までもが部屋から出て行った。
友達の家に他人が1人って、この状況は一体。
1人じゃないか。金田はウンコ中だったな。
「おい、金田! いつまでトイレに籠ってるんだよ! 丸岡は1回帰ったぞ!」
部屋を出て、廊下を歩きトイレに向かう。
しかし、トイレの中から返答は無い。
「なんだよ。返事くらいしろよ」
そう言ってドアをノックするがこちらも返答は無い。
「あれ? 鍵開いてるじゃん」
ドアノブを回して中を確認するが誰もいなかった。
「金田! どこにいるんだ?」
家の中に響き渡るくらい大声を出してみたが、シーンと言う耳鳴りのような音が聞こえるだけで人の気配は一切感じない。
ポケットからスマホを取り出して、金田に電話を掛けてみる。
が、何度コールを待っても金田が出ることはなかった。
「ワンッ!」
「おっ、すもも。よーしよしよし。金田がいなくなったんだけど、どこに行ったかわかるか?」
金田が飼っている柴犬のすももがオレの足元に擦り寄ってきたので、顔を思いっきりわしわしする。
すももはオレの言葉の意味がわかったのか、玄関のドアの前まで足を進めるとこちらを振り返った。
その姿はまるでついて来いとでも言っているかのようだった。
「分かった。外にいるんだな」
オレは玄関の扉を開けてすももと一緒に外に出ることにした。
—3—
お尻を左右にぷりぷりと振るすももの後を追いかけて行くと、とある一軒家の前で止まった。
表札には虻川の文字が。そう。ここは芽依の家だ。
すももが家を見つめて大きな声で吠える。
「この中に金田がいるのか?」
お菓子パーティーを開くとは言っていたが、なんで金田はこっそり抜けるような真似をしたのだろう。
トイレに行くと嘘をついてまで。
「おっ、すもも! なんでお前がここにいるんだ?」
すももの鳴き声を聞いて家の中から金田が出てきた。
すももの頭を撫でてから抱き上げる。
一発で金田の居場所を当ててしまうとは、犬の嗅覚は凄いな。それともすももが特別なのか?
「金田がトイレに消えた後に丸岡も1回帰ったんだ。他人の家にオレだけがいるのも変だろ。なんで電話掛けたのに出なかったんだよ」
「悪い。出なかったんじゃなくて、出られなかったんだわ」
「あ、横瀬くんも来てくれたんだね!」
芽依が玄関のドアを大きく開いたことで、中からお菓子の甘い匂いが広がってきた。
チラッと芽依の背後に目をやると、他にもクラスメイトの女子が何人かお菓子作りをしているようだ。
「とりあえず外で話すのもあれだし、中に入ろうぜ。芽依、いいよな?」
「うん、私は横瀬くんも招待してたつもりだし全然いいよ」
金田がすももに外で待っているように言い聞かせると、中に入って行った。
玄関の前で大人しく待っているすももを見るに、やはり人間の言葉を理解しているみたいだ。賢いな。
玄関で靴を揃えて家の中に入ると、一段と甘い香りが強くなった。
これはお菓子だけの匂いではない。女子特有の甘い香りだ。って何を考えているんだオレは。
女子の家に入るのが初めてだったため、少しばかり興奮してしまった。感動に近いかもしれない。
「横瀬くんはここに座って目を閉じててね♪」
芽依に言われるがまま椅子に腰を下ろすと、両手で目を塞がれた。
オレの視界を遮る芽依の手は小さくて温かった。
目は見えなくても誰かがテーブルに何かを置いた気配は感じた。
オレの後ろにも芽依の他に誰かがウロウロしている。
「じゃんじゃじゃーん!」
目を開けるとそこにはクリームとイチゴがたっぷり乗ったケーキが待っていた。
「誕生日おめでとう横瀬くん!!」
「うおっ!」
隠し持っていたクラッカーが一斉に鳴り響き、思わず声が漏れる。
「芽依たちがお菓子パーティーをするって話をしてて、テスト期間はちょうど横瀬の誕生日だったし何か作れたら面白そうだなと思って裏で計画を進めてたんだ。ビックリしただろ」
金田がしてやったとばかりに白い歯を見せる。
こいつは、本当に良い奴だなと心から思った。
「ありがとう。ビックリしすぎて変な声出ちゃたわ。というか、このケーキクオリティー高過ぎだろ」
「当然だよ。なんたってお菓子作りのプロの私が手伝ったんだからね」
えっへんと、大きく胸を張る芽依。
その言葉通り、食べるのが勿体無いくらいの出来栄えだ。
記念に写真に収めておこうっと。
「よーし、みんなで食べようぜー」
金田がケーキを小皿に取り分けて配っていく。
終始、楽しいムードであっという間に時間は過ぎ去って行く。
このときはまだここにいる誰もが大して気にも留めていなかった。
ここにいない丸岡のことなど。
—4—
外はすっかり薄暗くなり、お菓子パーティーは解散となった。
クラスの女子に別れを告げ、オレと金田とすももは金田の家に荷物を取りに行くことに。
「そういえば丸岡はどうなったんだ?」
「電話しても繋がらないし、メッセージを送っても既読になってない」
普段だったらすぐに返信が返ってくるだけに違和感がある。
というか、金田の家で1人でゲームをしている姿は想像できない。
真っ先にオレか金田を探すはずだ。
その段階でスマホを確認しそうなものだが、一体何をしているのだろうか。
「置いて行かれたと思って帰ったのか?」
「さあ? どうだろうな」
オレも金田も丸岡の所在が気になっていると、大人しく歩いていたすももが突然低い唸り声を上げた。
どうやら前方から歩いてくる人物に威嚇をしているようだ。
薄暗くて遠目では顔まで見えなかったが徐々に近づいてきたことで、その人物の顔が鮮明に浮かび上がる。
「井上……」
オレの声に気が付いたのか井上が視線をこちらに向けてきた。
井上は金魚を殺したときと同様、満足そうな笑みを浮かべていた。
口には赤い液体がべったりと付いている。
「横瀬仁くん、今日君にした質問の答えが分かったよ」
「何を言っているんだ?」
あり得ないことだがこいつならやりかねない。
オレの脳内では最悪な結果が導き出されていた。
そんなことはあり得ない。あり得ないはずだが、井上は例の質問をした際に丸岡に対して強い興味を持っていた。
井上は1度興味を持ったことはどんな手を使ってでも確かめないと気が済まない。
だから今回もきっと。
「人間はね、甘くて少し酸っぱかったよ」
その日以降、丸岡が学校に来ることはなかった。
甘くて酸っぱい神隠し、完結。
「横瀬仁くん、人間ってどんな味がするのかな?」
クラスでも影が薄く、友達のいない井上蔵理が突然耳元でそう囁いてきた。
「は? そんなの分かる訳ないだろ」
「どうしたの、仁?」
同じサッカー部の丸岡がオレの声を聞いて駆けつける。
「いや、井上が人の味が気になるんだってさ」
「気持ち悪っ。お前、そんなことばっかり言ってるから友達できないんだよ」
丸岡がなかなかに辛辣な言葉を浴びせる。
「丸岡くんは、太ってるから食べ応えがありそうだね」
それでも井上は普段の調子を崩さない。
至って真剣な眼差しで丸岡の腹部を見ていた。
「ダメだ。話にならない。仁、行こう」
「そうだな」
丸岡と2人で教室を出る。
今日はテスト期間で部活は休み。
この後はサッカー部のモテ男、金田の家で勉強会兼ゲーム大会が開かれる予定だ。
「おーい、仁! もう帰るのか?」
丸岡と廊下を歩いていると、教室から出てきた金田に呼び止められた。
「お前の家で勉強会するんだからいい加減早く帰るぞ!」
金田が教室で女子グループといちゃいちゃしていたことは知っている。
モテる男の特権だから仕方がないけど、公の場で見せつけられたら良い気にはならない。
だから無理矢理にでも金田と女子を引き剥がすことにした。
「悪い。俺、横瀬たちと約束あるから帰るわ」
「分かった。私たち、この後芽依の家でお菓子パーティーをするんだけど、良かったら遊びに来てね」
「お、いいね! んじゃ、行けたら行くわ」
「えー、それ絶対来ないやつじゃん」
金田と女子との楽しそうな会話が廊下まで漏れている。
オレと丸岡は羨ましそうに聞いていることしかできない。
「横瀬くん! よかったら横瀬くんたちもお菓子パーティーに来てね!!」
クラスのマドンナ的存在、虻川芽依が教室からひょこっと顔を出してオレと丸岡に手を振ってきた。
「お、おう」
オレも丸岡も予想外の誘いに固まることしかできなかった。
「ごめん2人とも、待たせたな」
「いや、全然」
先程まで金田に抱いていた嫉妬心のようなものは完全に吹き飛んでいた。
むしろ今では感謝の気持ちさえ覚えている。
まさか、芽依から誘われるとは。金田と友達でよかった。
悲しいことに男とは単純な生き物なのだ。
—2—
「それで、井上が人間ってどんな味がするか聞いてきたんだって?」
「ああ、あいつ根暗で友達がいないから話を聞いてくれる人もいないだろ。だからクラスメイトに手当たり次第話し掛けてるんだよ」
「それってある意味メンタル最強だよね」
金田の家に着いたオレたちは、勉強道具をテーブルに広げてテレビゲームをしながらダラダラと雑談をしていた。
毎度のことながらテスト勉強に集中できるのは最初の1時間くらいで、そこからは気分転換とかなんとか適当な理由を付けて、雑談メインのテレビゲームに移行するのが定番となっている。
話題はクラスの問題児である井上について。
そもそも井上が避けられるようになったのには明確な理由がある。
高校2年生に上がったオレたちは、金田や芽依たちの提案でクラスで金魚を飼うことになった。
なんでも「教室で魚が泳いでたら癒されるよねー」という芽依の発言をきっかけに「だったら飼えばいいじゃん!」と盛り上がったらしい。
その後、金田が担任に許可を取り、すぐさま飼育係を設立。
オレや丸岡も金田と芽依たちに巻き込まれる形で飼育係に任命された。
飼育係の主な仕事は毎朝の餌やりと水槽の水が濁ってきたら洗うくらいだ。
正直言うと面倒臭かったのだが、世話をしていると不思議と愛着が湧くもので全然苦ではなかった。
金魚を飼育し始めてから3ヶ月。事件が起きる。
サッカー部の朝練が終わり、教室に入ると井上がよく分からない歌を口ずさみながら水槽に手を突っ込んでいた。
時計回りに円を描くように水槽の水をかき混ぜ、弱った金魚を素手で掴む。
そして、反対の手に持っていた爪楊枝を金魚の口に突き刺した。
「何やってんだよお前」
机の上には同じように口に爪楊枝が刺さった金魚が3匹綺麗に並べられていた。
たかが金魚と言われてしまえばそれまでなのかもしれないが、クラスメイトと大切に育ててきたマスコットにこんな酷い仕打ちをされたら流石に黙ってはいられない。
気が付いたらオレは井上を殴り飛ばしていた。
井上は尻もちをついて近くの机を引っ繰り返す。
すでに死んでいる金魚たちも床に散らばった。
「何だ? どうした仁」
騒ぎを聞きつけて丸岡と金田も教室に入ってきた。
「金魚は口に爪楊枝を刺されたらどのくらいで息絶えるのか? 僕はその答えが知りたかったんだ」
口の端を切って血を流している井上が満足そうに口角を上げる。
こいつに人の心は無い。常識は通用しない。
オレはこのとき、井上蔵理という男に恐怖心を抱いた。
井上の奇行がクラスに広がるのは時間の問題で、後日学年主任と担任から職員室に呼び出され、保護者同席の面談が行われた。
井上は反省文を書かされたらしい。
その後もしばしば気味の悪い言動を繰り返していたため、井上に近づく生徒はいなくなった。
「悪い。ちょっとトイレしたいからいったん2人でやっててくれ」
「おう」
「わかったよ」
金田が床にコントローラーを置いて出て行った。
残されたオレと丸岡で対戦をすることに。
「なんか最近金田と虻川さんって良い感じだと思わないか?」
丸岡が連続コンボを決めながら話し掛けてきた。
こいつサッカーは体格のせいもあってそこそこだけど、ゲームはめちゃくちゃ上手いんだよな。
「元々仲良かったからなあの2人は」
必死に丸岡の攻撃をガードしながらそう答える。
金田と芽依はクラスでも同じグループに所属してるし、休みの日も予定を合わせて複数人で遊びに出掛けているらしい。
同じサッカー部のオレから見ても金田は部活、勉強、恋愛、この3つのバランスの取り方が上手いと思う。
オレはどれか1つにしか集中できないタイプだから、必然的に異性との交流を削っている。まあ、偉そうに言ったがただのコミュ障なだけなんだけどな。
ただ、金田が身近にいてくれるおかげでクラスのイケイケなメンバーとも会話はできている感じだ。
「実は俺たちに内緒で付き合ってるんじゃないだろうな」
「どうだろうな。付き合っててもおかしくはないと思うけど、流石にオレたちに報告はするんじゃないか?」
オレだけかもしれないがお互いに彼女ができたら報告するくらいの仲だとは思っている。
「というか、金田遅くない?」
言われてみればトイレに行ってから20分経っている。
丸岡ともサシで3戦しちゃったし、そろそろ目も疲れてきた。
ちなみに3戦3敗だった。丸岡が操作するキャラから怒りのようなものが伝わってきて圧倒されてしまった。
「ウンコでもしてるんじゃないか?」
「だとしてもどんだけ出てるんだよ。お腹の中スカスカになるぞ」
などと言う冗談を混ぜながら丸岡が立ち上がる。
そのタイミングで丸岡のスマホに着信が入った。
「どうした? うん、今友達の家だけど。なんだよ、面倒臭いな。鍵くらい持って行けっていつも言ってるだろ。分かった。今行くから待ってて」
丸岡が耳からスマホを離し、鞄から家の鍵を取り出した。
「妹が鍵忘れたみたいだから届けてくる。すぐ戻ってくるから金田に伝えておいて」
「うん、わかった」
金田に続いて丸岡までもが部屋から出て行った。
友達の家に他人が1人って、この状況は一体。
1人じゃないか。金田はウンコ中だったな。
「おい、金田! いつまでトイレに籠ってるんだよ! 丸岡は1回帰ったぞ!」
部屋を出て、廊下を歩きトイレに向かう。
しかし、トイレの中から返答は無い。
「なんだよ。返事くらいしろよ」
そう言ってドアをノックするがこちらも返答は無い。
「あれ? 鍵開いてるじゃん」
ドアノブを回して中を確認するが誰もいなかった。
「金田! どこにいるんだ?」
家の中に響き渡るくらい大声を出してみたが、シーンと言う耳鳴りのような音が聞こえるだけで人の気配は一切感じない。
ポケットからスマホを取り出して、金田に電話を掛けてみる。
が、何度コールを待っても金田が出ることはなかった。
「ワンッ!」
「おっ、すもも。よーしよしよし。金田がいなくなったんだけど、どこに行ったかわかるか?」
金田が飼っている柴犬のすももがオレの足元に擦り寄ってきたので、顔を思いっきりわしわしする。
すももはオレの言葉の意味がわかったのか、玄関のドアの前まで足を進めるとこちらを振り返った。
その姿はまるでついて来いとでも言っているかのようだった。
「分かった。外にいるんだな」
オレは玄関の扉を開けてすももと一緒に外に出ることにした。
—3—
お尻を左右にぷりぷりと振るすももの後を追いかけて行くと、とある一軒家の前で止まった。
表札には虻川の文字が。そう。ここは芽依の家だ。
すももが家を見つめて大きな声で吠える。
「この中に金田がいるのか?」
お菓子パーティーを開くとは言っていたが、なんで金田はこっそり抜けるような真似をしたのだろう。
トイレに行くと嘘をついてまで。
「おっ、すもも! なんでお前がここにいるんだ?」
すももの鳴き声を聞いて家の中から金田が出てきた。
すももの頭を撫でてから抱き上げる。
一発で金田の居場所を当ててしまうとは、犬の嗅覚は凄いな。それともすももが特別なのか?
「金田がトイレに消えた後に丸岡も1回帰ったんだ。他人の家にオレだけがいるのも変だろ。なんで電話掛けたのに出なかったんだよ」
「悪い。出なかったんじゃなくて、出られなかったんだわ」
「あ、横瀬くんも来てくれたんだね!」
芽依が玄関のドアを大きく開いたことで、中からお菓子の甘い匂いが広がってきた。
チラッと芽依の背後に目をやると、他にもクラスメイトの女子が何人かお菓子作りをしているようだ。
「とりあえず外で話すのもあれだし、中に入ろうぜ。芽依、いいよな?」
「うん、私は横瀬くんも招待してたつもりだし全然いいよ」
金田がすももに外で待っているように言い聞かせると、中に入って行った。
玄関の前で大人しく待っているすももを見るに、やはり人間の言葉を理解しているみたいだ。賢いな。
玄関で靴を揃えて家の中に入ると、一段と甘い香りが強くなった。
これはお菓子だけの匂いではない。女子特有の甘い香りだ。って何を考えているんだオレは。
女子の家に入るのが初めてだったため、少しばかり興奮してしまった。感動に近いかもしれない。
「横瀬くんはここに座って目を閉じててね♪」
芽依に言われるがまま椅子に腰を下ろすと、両手で目を塞がれた。
オレの視界を遮る芽依の手は小さくて温かった。
目は見えなくても誰かがテーブルに何かを置いた気配は感じた。
オレの後ろにも芽依の他に誰かがウロウロしている。
「じゃんじゃじゃーん!」
目を開けるとそこにはクリームとイチゴがたっぷり乗ったケーキが待っていた。
「誕生日おめでとう横瀬くん!!」
「うおっ!」
隠し持っていたクラッカーが一斉に鳴り響き、思わず声が漏れる。
「芽依たちがお菓子パーティーをするって話をしてて、テスト期間はちょうど横瀬の誕生日だったし何か作れたら面白そうだなと思って裏で計画を進めてたんだ。ビックリしただろ」
金田がしてやったとばかりに白い歯を見せる。
こいつは、本当に良い奴だなと心から思った。
「ありがとう。ビックリしすぎて変な声出ちゃたわ。というか、このケーキクオリティー高過ぎだろ」
「当然だよ。なんたってお菓子作りのプロの私が手伝ったんだからね」
えっへんと、大きく胸を張る芽依。
その言葉通り、食べるのが勿体無いくらいの出来栄えだ。
記念に写真に収めておこうっと。
「よーし、みんなで食べようぜー」
金田がケーキを小皿に取り分けて配っていく。
終始、楽しいムードであっという間に時間は過ぎ去って行く。
このときはまだここにいる誰もが大して気にも留めていなかった。
ここにいない丸岡のことなど。
—4—
外はすっかり薄暗くなり、お菓子パーティーは解散となった。
クラスの女子に別れを告げ、オレと金田とすももは金田の家に荷物を取りに行くことに。
「そういえば丸岡はどうなったんだ?」
「電話しても繋がらないし、メッセージを送っても既読になってない」
普段だったらすぐに返信が返ってくるだけに違和感がある。
というか、金田の家で1人でゲームをしている姿は想像できない。
真っ先にオレか金田を探すはずだ。
その段階でスマホを確認しそうなものだが、一体何をしているのだろうか。
「置いて行かれたと思って帰ったのか?」
「さあ? どうだろうな」
オレも金田も丸岡の所在が気になっていると、大人しく歩いていたすももが突然低い唸り声を上げた。
どうやら前方から歩いてくる人物に威嚇をしているようだ。
薄暗くて遠目では顔まで見えなかったが徐々に近づいてきたことで、その人物の顔が鮮明に浮かび上がる。
「井上……」
オレの声に気が付いたのか井上が視線をこちらに向けてきた。
井上は金魚を殺したときと同様、満足そうな笑みを浮かべていた。
口には赤い液体がべったりと付いている。
「横瀬仁くん、今日君にした質問の答えが分かったよ」
「何を言っているんだ?」
あり得ないことだがこいつならやりかねない。
オレの脳内では最悪な結果が導き出されていた。
そんなことはあり得ない。あり得ないはずだが、井上は例の質問をした際に丸岡に対して強い興味を持っていた。
井上は1度興味を持ったことはどんな手を使ってでも確かめないと気が済まない。
だから今回もきっと。
「人間はね、甘くて少し酸っぱかったよ」
その日以降、丸岡が学校に来ることはなかった。
甘くて酸っぱい神隠し、完結。