—1—
「これから彼氏のアユムくんに突然、ねぇ、覚えてる? と聞いたらどんな反応をするのか? というドッキリをしていこうと思うんですけど——」
私は部屋の隅にドスンと鎮座している熊のぬいぐるみに向かって今日の企画説明を始めた。
動画配信サイトの登録者数20万人を超える『アユひなチャンネル』。
このチャンネルでは、カップルの私たちのリアルな日常を流している。
最近、私たちの間ではドッキリのブームが来ているので今日は私が仕掛け人となってアユムくんが私に隠し事をしていないか検証することにしたのだ。
「そろそろ帰ってくると思うんだけどなー」
時刻は21時を回ったところ。
いつもはこのくらいに仕事から帰ってくるはずなんだけど。
「ただいまー」
そう思っているとタイミング良くアユムくんが帰ってきた。
「おかえりー。ご飯とお風呂どっちにする?」
「うーん、お腹すいたからご飯にしようかな」
「了解! じゃあ準備するねっ」
隠し撮りをしていることがバレないように普段通りを装う。
台所に立ち、準備しておいたハンバーグを温める。
それと並行してお皿に野菜を盛り付けていく。お肉だけだと栄養のバランスが偏っちゃうからね。
元々料理は苦手だったけど、アユムくんと同棲を始めるにあたって書店で料理本を買い、日替わりで色々試している。
レシピ通りに作れば大きく失敗することはないので、案外楽しみながら続けることができている。
「いやー、今日も疲れたわ」
椅子に座り、大きな欠伸をするアユムくん。テレビのチャンネルを一通りカチカチと変えてからニュース番組に合わせた。
完全にリラックスしている今がチャンスだ。
「ねぇ、アユムくん覚えてる?」
「ん? 何を?」
アユムくんが私の顔を見て首を傾げる。当然の反応だろう。
「えっ、昨日のあれだよ。忘れちゃった?」
このままでは企画が成立しないので、あたかも昨日何かあったかのようにカマをかけることにした。
昨日といえば、アユムくんが会社の飲み会で珍しく酔っ払って帰って来た日だ。
「昨日? 昨日は飲み会で部長に飲まされてあんまり記憶がないんだよな」
アユムくんが難しい顔をして唸り声を上げる。
一生懸命記憶を遡っているみたいだ。
「オレ、ひなに何か言ったのか?」
「もう、それを覚えてるか聞いてるんじゃん。心当たりはないの?」
「うーん、さっぱりわからん。思ったことは全部言うようにしてるし」
アユムくんが「降参」と両手をちょこんと上げた。
「ふーん」
ドッキリも終盤に差し掛かったので、私は動画映えするようにわざと演技臭く怪しい視線をアユムくんに向けた。
出来上がったハンバーグとご飯をテーブルに並べる。
「なんだよその目は。今日のひな、おかしいぞ」
「ふふふっ」
「何笑ってんの?」
アユムくんが立ち上がって私の肩を揺らしてきた。
「テッテレー!!!」
ネタバラシの効果音を聞いてアユムくんが部屋の中をキョロキョロと見回す。
そして、熊のぬいぐるみの肩に隠していたカメラに気が付いた。
「ということで、彼氏に突然『ねぇ、覚えてる?』と聞いたらどんな反応をするのかドッキリでした!!」
「なんだそういうドッキリね。なんか変だなーって思ったんだよな」
「ふふっ、今回のドッキリは失敗、かな。アユムくんは私に隠し事はしていないみたいです」
「ああ、なんでも話すようにしてるからな」
「というわけで今日の動画はこれで終わります! 次は絶対バレないように頑張ります!!」
動画を締めて、カメラの電源を切った。
「ったく、変に焦らせるなよな」
アユムくんがハンバーグを一口サイズに切って口に運ぶ。
「焦らせるって、何もないんだから焦ることないんじゃないの?」
「それはそうなんだけど、酔っ払っててあることないこと言っちゃったのかなーとか考えちゃったじゃん。ドッキリ仕掛けるならもうちょっと幸せになるようなものにしてほしいな」
「それはごめん」
「ふっ」
アユムくんが謝った私の顔を見て笑った。
「何?」
「ドッキリの仕返し。やられっぱなしは嫌だからさ」
アユムくんがクスクスと笑う。
まんまとやられた。
「ねぇ、ひな」
和やかなムードが一変。
アユムくんの真剣な声色に場の空気が静まった。
「1ヶ月前のあれ覚えてる?」
「1ヶ月前?」
1ヶ月前のあれ?
アユムくんは何を指しているのだろうか。
「ひな、忘れたとは言わせないよ」
—2—
約1ヶ月前。
仕事の昼休憩中、たまにはパスタでも食べようかと職場から少し離れた人気のパスタ専門店まで車を走らせたオレは、最悪な光景を目にして店の外で固まった。
混み具合を確認するためにガラス越しから店内を覗くと、そこにはひなと知らない男が二人で楽しそうに話をしていたのだ。
ただ話をしていただけなら男友達だと思えたかもしれないが、ひなが男に自分のパスタを食べさせた瞬間、オレの頭に引っ掛かりが生まれた。
ひなはオレに隠れて他の男と連絡を取り、関係を深めているのではないか、と。
動画配信サイトに二人のチャンネルを持っているため、撮影の都合上お互いのスケジュールは把握している。
ひなはオレが仕事をしている間に裏であの男と密会しているのではないか。
一度そう思ってしまったら真実を確かめずにはいられない。
オレは、撮影の合間やひながトイレに行ったタイミングを利用し、ひなのスマホをこっそり確認することにした。
人のスマホを勝手に見るのは気が引けたが、事態が事態なだけにオレの手は止まらなかった。
結果、ひなは男と連絡を取っていた。
こっそり会う約束までしていた。
オレが思っていた以上に関係は深まっているみたいだった。
オレが汗水垂らして仕事をしている間にひなは。
初めのうちは、ひなに対しての怒りが強かったが、次第にその怒りはひなにちょっかいをかけてきた男に向いた。
直接会ってどういう目的でひなに近づいたのか。いつから連絡を取っていたのか。
聞きたいことは山ほどある。
オレはひなのスマホからひなのフリをして男にメッセージを送り、会う約束を取り付けた。
もちろんひなにバレないようにオレと男とのやり取りは全て消去した。
その約束の日こそひなが疑っていた昨日なのだ。
家に帰ってくるなり「昨日のあれ、覚えてる?」なんて聞かれた時には心臓が飛び出るかと思った。
ひなには事前に飲み会に行くと話していたから上手く誤魔化すことができたけど。
やっぱり予防線を張っておいて正解だったな。
だが、いつまでも隠すことはできない。
オレはひなに隠し事はしない。
だから今全部正直に話す。
「ねぇ、ひな、1ヶ月前のあれ覚えてる?」
「1ヶ月前?」
とぼけても無駄だ。
それとも思い当たる節が多すぎてどのことを言っているのかわからないのか?
「ひな、忘れたとは言わせないよ」
静まる室内。
聞こえてくるのはつけっぱなしにしていたテレビの音だけだ。
『次のニュースです。宮城県名取市の道路で歩行者が車から降りてきた男に突然刃物で切りつけられるという事件が発生しました。現場近くの防犯カメラには犯人の車と思われる黒い車が走り去っていく様子が映っており——』
「アユムくん、この車って……」
全てを理解したのかひなの声が震えている。
オレはテーブルに置いてあったカメラを手に取って電源を入れた。
レンズをひなに向ける。
「テッテレー!!!」
「えっ?」
「というわけで、彼女の浮気相手を包丁で切りつけたら彼女はどんな反応をするのか? というドッキリでした!!」
ひなの顔がわかりやすく歪む。
今にも泣き出しそうだ。
「それって、ドッキリでもなんでもないじゃん」
「ひながいけないんだよ。オレに内緒で他の男を作ってたんだから」
オレは台所から包丁を持ってくると先端をひなに向けた。
「カップルチャンネルで登録者20万人もいるんだからその自覚を持たないと。どこで誰が見てるかわからないだろ? そうじゃなくても人としてやって良いことと悪いことがあるよな」
あれ?
自分で言っていて矛盾していることに気がついた。
それでももう走り始めてしまったら誰にも止めることはできない。
「今まで信じてたのに騙されたオレの心の痛みを受けてみろ!」
「待って! 待ってアユムくん!!」
ひなが椅子に敷いていたクッションを盾にして包丁から身を守る。
クッションが裂け、綿が飛び出して地面に落ちる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒くなった呼吸を整えながらカメラのレンズを自分に向ける。
「今回の動画はこれで終わります。ご視聴ありがとうございました」
雑に動画を締めると、カメラの電源を切ってソファーに投げつけた。
「幸せになるドッキリかー」
静まった室内にオレの独り言が吸い込まれた。
笑えないドッキリ、完結。
「これから彼氏のアユムくんに突然、ねぇ、覚えてる? と聞いたらどんな反応をするのか? というドッキリをしていこうと思うんですけど——」
私は部屋の隅にドスンと鎮座している熊のぬいぐるみに向かって今日の企画説明を始めた。
動画配信サイトの登録者数20万人を超える『アユひなチャンネル』。
このチャンネルでは、カップルの私たちのリアルな日常を流している。
最近、私たちの間ではドッキリのブームが来ているので今日は私が仕掛け人となってアユムくんが私に隠し事をしていないか検証することにしたのだ。
「そろそろ帰ってくると思うんだけどなー」
時刻は21時を回ったところ。
いつもはこのくらいに仕事から帰ってくるはずなんだけど。
「ただいまー」
そう思っているとタイミング良くアユムくんが帰ってきた。
「おかえりー。ご飯とお風呂どっちにする?」
「うーん、お腹すいたからご飯にしようかな」
「了解! じゃあ準備するねっ」
隠し撮りをしていることがバレないように普段通りを装う。
台所に立ち、準備しておいたハンバーグを温める。
それと並行してお皿に野菜を盛り付けていく。お肉だけだと栄養のバランスが偏っちゃうからね。
元々料理は苦手だったけど、アユムくんと同棲を始めるにあたって書店で料理本を買い、日替わりで色々試している。
レシピ通りに作れば大きく失敗することはないので、案外楽しみながら続けることができている。
「いやー、今日も疲れたわ」
椅子に座り、大きな欠伸をするアユムくん。テレビのチャンネルを一通りカチカチと変えてからニュース番組に合わせた。
完全にリラックスしている今がチャンスだ。
「ねぇ、アユムくん覚えてる?」
「ん? 何を?」
アユムくんが私の顔を見て首を傾げる。当然の反応だろう。
「えっ、昨日のあれだよ。忘れちゃった?」
このままでは企画が成立しないので、あたかも昨日何かあったかのようにカマをかけることにした。
昨日といえば、アユムくんが会社の飲み会で珍しく酔っ払って帰って来た日だ。
「昨日? 昨日は飲み会で部長に飲まされてあんまり記憶がないんだよな」
アユムくんが難しい顔をして唸り声を上げる。
一生懸命記憶を遡っているみたいだ。
「オレ、ひなに何か言ったのか?」
「もう、それを覚えてるか聞いてるんじゃん。心当たりはないの?」
「うーん、さっぱりわからん。思ったことは全部言うようにしてるし」
アユムくんが「降参」と両手をちょこんと上げた。
「ふーん」
ドッキリも終盤に差し掛かったので、私は動画映えするようにわざと演技臭く怪しい視線をアユムくんに向けた。
出来上がったハンバーグとご飯をテーブルに並べる。
「なんだよその目は。今日のひな、おかしいぞ」
「ふふふっ」
「何笑ってんの?」
アユムくんが立ち上がって私の肩を揺らしてきた。
「テッテレー!!!」
ネタバラシの効果音を聞いてアユムくんが部屋の中をキョロキョロと見回す。
そして、熊のぬいぐるみの肩に隠していたカメラに気が付いた。
「ということで、彼氏に突然『ねぇ、覚えてる?』と聞いたらどんな反応をするのかドッキリでした!!」
「なんだそういうドッキリね。なんか変だなーって思ったんだよな」
「ふふっ、今回のドッキリは失敗、かな。アユムくんは私に隠し事はしていないみたいです」
「ああ、なんでも話すようにしてるからな」
「というわけで今日の動画はこれで終わります! 次は絶対バレないように頑張ります!!」
動画を締めて、カメラの電源を切った。
「ったく、変に焦らせるなよな」
アユムくんがハンバーグを一口サイズに切って口に運ぶ。
「焦らせるって、何もないんだから焦ることないんじゃないの?」
「それはそうなんだけど、酔っ払っててあることないこと言っちゃったのかなーとか考えちゃったじゃん。ドッキリ仕掛けるならもうちょっと幸せになるようなものにしてほしいな」
「それはごめん」
「ふっ」
アユムくんが謝った私の顔を見て笑った。
「何?」
「ドッキリの仕返し。やられっぱなしは嫌だからさ」
アユムくんがクスクスと笑う。
まんまとやられた。
「ねぇ、ひな」
和やかなムードが一変。
アユムくんの真剣な声色に場の空気が静まった。
「1ヶ月前のあれ覚えてる?」
「1ヶ月前?」
1ヶ月前のあれ?
アユムくんは何を指しているのだろうか。
「ひな、忘れたとは言わせないよ」
—2—
約1ヶ月前。
仕事の昼休憩中、たまにはパスタでも食べようかと職場から少し離れた人気のパスタ専門店まで車を走らせたオレは、最悪な光景を目にして店の外で固まった。
混み具合を確認するためにガラス越しから店内を覗くと、そこにはひなと知らない男が二人で楽しそうに話をしていたのだ。
ただ話をしていただけなら男友達だと思えたかもしれないが、ひなが男に自分のパスタを食べさせた瞬間、オレの頭に引っ掛かりが生まれた。
ひなはオレに隠れて他の男と連絡を取り、関係を深めているのではないか、と。
動画配信サイトに二人のチャンネルを持っているため、撮影の都合上お互いのスケジュールは把握している。
ひなはオレが仕事をしている間に裏であの男と密会しているのではないか。
一度そう思ってしまったら真実を確かめずにはいられない。
オレは、撮影の合間やひながトイレに行ったタイミングを利用し、ひなのスマホをこっそり確認することにした。
人のスマホを勝手に見るのは気が引けたが、事態が事態なだけにオレの手は止まらなかった。
結果、ひなは男と連絡を取っていた。
こっそり会う約束までしていた。
オレが思っていた以上に関係は深まっているみたいだった。
オレが汗水垂らして仕事をしている間にひなは。
初めのうちは、ひなに対しての怒りが強かったが、次第にその怒りはひなにちょっかいをかけてきた男に向いた。
直接会ってどういう目的でひなに近づいたのか。いつから連絡を取っていたのか。
聞きたいことは山ほどある。
オレはひなのスマホからひなのフリをして男にメッセージを送り、会う約束を取り付けた。
もちろんひなにバレないようにオレと男とのやり取りは全て消去した。
その約束の日こそひなが疑っていた昨日なのだ。
家に帰ってくるなり「昨日のあれ、覚えてる?」なんて聞かれた時には心臓が飛び出るかと思った。
ひなには事前に飲み会に行くと話していたから上手く誤魔化すことができたけど。
やっぱり予防線を張っておいて正解だったな。
だが、いつまでも隠すことはできない。
オレはひなに隠し事はしない。
だから今全部正直に話す。
「ねぇ、ひな、1ヶ月前のあれ覚えてる?」
「1ヶ月前?」
とぼけても無駄だ。
それとも思い当たる節が多すぎてどのことを言っているのかわからないのか?
「ひな、忘れたとは言わせないよ」
静まる室内。
聞こえてくるのはつけっぱなしにしていたテレビの音だけだ。
『次のニュースです。宮城県名取市の道路で歩行者が車から降りてきた男に突然刃物で切りつけられるという事件が発生しました。現場近くの防犯カメラには犯人の車と思われる黒い車が走り去っていく様子が映っており——』
「アユムくん、この車って……」
全てを理解したのかひなの声が震えている。
オレはテーブルに置いてあったカメラを手に取って電源を入れた。
レンズをひなに向ける。
「テッテレー!!!」
「えっ?」
「というわけで、彼女の浮気相手を包丁で切りつけたら彼女はどんな反応をするのか? というドッキリでした!!」
ひなの顔がわかりやすく歪む。
今にも泣き出しそうだ。
「それって、ドッキリでもなんでもないじゃん」
「ひながいけないんだよ。オレに内緒で他の男を作ってたんだから」
オレは台所から包丁を持ってくると先端をひなに向けた。
「カップルチャンネルで登録者20万人もいるんだからその自覚を持たないと。どこで誰が見てるかわからないだろ? そうじゃなくても人としてやって良いことと悪いことがあるよな」
あれ?
自分で言っていて矛盾していることに気がついた。
それでももう走り始めてしまったら誰にも止めることはできない。
「今まで信じてたのに騙されたオレの心の痛みを受けてみろ!」
「待って! 待ってアユムくん!!」
ひなが椅子に敷いていたクッションを盾にして包丁から身を守る。
クッションが裂け、綿が飛び出して地面に落ちる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒くなった呼吸を整えながらカメラのレンズを自分に向ける。
「今回の動画はこれで終わります。ご視聴ありがとうございました」
雑に動画を締めると、カメラの電源を切ってソファーに投げつけた。
「幸せになるドッキリかー」
静まった室内にオレの独り言が吸い込まれた。
笑えないドッキリ、完結。