……と思ったけれど、今日は桜さんに付くのは哲ちゃんのようだ。宗家の次に門人歴の長い哲ちゃんが教えるなら、俺の出る幕はない。

休憩時間にも、なんとなく声をかけそびれている。話そうと思うと逆に話題が浮かばず、清都くんと刀の話で時間を潰したりして。

「風音。心成堂(しんせいどう)の最寄り駅ってどこだっけ?」

ふいに声を掛けてきたのは母だ。

「心成堂? 竹見台だけど……、行くならついでに俺も――」
「あ、違う違う、あたしじゃなくて、桜さんがね」

話しながらどんどん歩いて行ってしまう。相変わらずせっかちだ。話が中途半端な気がして後を追った俺に「あんた、買うものあるの?」と質問が来た。「下緒(さげお)が切れそうで」と答えたけれど、聞いているのかいないのか、振り向きもしない。

近付く俺たちに気付いて、ペットボトルを手にしていた桜さんが居住まいを正した。母が「武道具屋さんの場所なんだけど」と間髪入れず声をかけると、桜さんは肩の力を抜いて「はい」と微笑んだ。

「竹見台の駅からすぐなんだけど、あの辺ごちゃごちゃしててちょっと分かりにくいのよ。風音が行く予定があるそうだから、都合が合うなら連れてってもらうといいかも」
「え」
「あ……」

七、八歩の移動中に、母の頭の中でそのような計画が出来上がったらしい。

俺に向けられた桜さんの顔には軽い驚きと困惑。見返す俺もたぶん同じ表情を見せてしまったかも知れない。けれど。

「じゃあ、来週の日曜はどうですか? 稽古の前に」

人見知りらしい桜さんにはこちらが迷う様子を見せない方がいい、と、咄嗟に思った。当たり前のように振る舞わないと、理由をつけて遠慮されてしまう。俺に慣れてもらう機会を逃したくない。

「桜さんは何を買うんですか?」
「え、と……、道着、です」

覚束なげに答えた桜さんの横から母が「刀はまだいいわ」と付け足す。なるほど。

「上衣と袴、それから帯、必要なら足袋と膝当て、という感じですね」

俺の言葉を聞いて、桜さんは遠慮がちに俺を見上げた。

「お忙しければ、地図で検索しながらどうにかして行きますから」

やっぱり。

「ああ、大丈夫です。僕も買うものがあるので」

ここまで言って、ようやく桜さんも心を決めてくれたらしい。一つ息をついて微笑んだ。

「ありがとうございます。一緒に行って教えていただけると助かります」
「じゃあ、連絡先を交換しておきましょう」

次の日曜日。桜さんは俺を気に入ってくれるだろうか? ……もちろんそれは、同門の仲間として、という意味だ。