昔から、人と比べてできないことが多かった。
 みんなが当たり前のようにこなしているいろんなことが、わたしには難しかった。

 たとえば、『柚島』。ここから電車で片道二時間ほどかかる場所にある、海のきれいなその街へ行くのも、わたしにとっては途方もないことだった。
 高校生になった今、電車で二時間なんて、みんなにはきっとたいした距離じゃない。「ちょっと海に行きたくなったから」とか「おしゃれなカフェでパンケーキが食べたくなったから」とか、そんな理由でふらっと遊びにいったという話を、クラスメイトからよく聞く。
 わたしには信じられないような話だった。行きたくなったからふらっと柚島へ行く、なんて。
 わたしにとっての柚島は、保育園の頃からもう何年も行きたいと焦がれていた、だけどたぶん行けることはないのだろうと、心のどこかであきらめもしていた、それぐらい遠くて途方もない、夢の場所だった。

「七海」
 一階に下りると、お母さんが玄関で待っていた。
 なにか言いたげな顔でわたしを見て、だけどぜんぶ呑み込むように、「これ」とわたしに小さなお守りを差し出して、
「気をつけてね」
「うん。……ありがとう、お母さん」
 お母さんの笑顔が思いがけないほど優しくて、なんだか少し泣きたくなりながら、背負ったリュックサックの肩紐をぎゅっと握りしめる。
 薄手の上着や日傘、読み込みすぎて中身がほぼ頭に入ってしまった情報誌と、なにかあったときのための薬。たくさんの荷物が詰まったリュックは、ずしりと重い。
「……心配かけて、ごめんなさい」
 ぽつんとこぼれた呟きにお母さんは笑顔のまま首を振って、「楽しんできてね」と言ってくれた。「卓くんによろしくね」とも。
 だからわたしも目いっぱいの笑顔で頷いて、「いってきます」と手を振った。

 外に出ると、まず、斜め向かいにあるかんちゃんの家が目に入る。
 そうして思い出す。十年前、お泊まり保育の日の朝に、ここから見た景色。
 十年間、何度も何度も、思い出した。

 保育園のバスに乗り込むかんちゃんを、わたしはこの場所から見ていた。お母さんの腕の中で、いかないで、と泣きながら。
 怖かった。途方もなく。わたしとかんちゃんは違うのだと、そのときはじめて、実感したから。かんちゃんは柚島にも、どこへでも行けるんだって。ここから動けない、わたしと違って。
 だからあの日、かんちゃんに置いていかれる気がして。柚島にじゃなくて、なんだか、この先ずっと。ふたりでお絵かきをしていたあの教室に、かんちゃんはもう、戻ってきてくれないような、そんな気がして。
 それが怖くて、わたしは泣いていた。