どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ。
昔から可愛いものを身につけたり、見るのが好きだった。
可愛い洋服、可愛いリボン、可愛いお菓子、可愛いおもちゃ...
けれど他人に可愛いものが好きだと伝えたことがない。
幼いながらも言ってはいけないと理解していたんだと思う。
だから本物の自分を人前でさらけ出したことがない。
本当のことを言い、笑われるのが怖くて怖くて仕方がなかった。
だけど、このままじゃダメだ。
そう思い始めたのは中学2年の溶けるように蒸し暑い夏。
授業で、女の人が男の人になりたい、そんな講演会があった。
所謂性同一性障がい。
僕はそれとは異なるけれど、その人の話を聞いた時、“自分の好きな姿になる”、そう決意していた。
行動力だけはある僕はその準備のために知り合いが居ない隣町の服屋に出かけた。
そして僕は人生で初めて女性用の可愛いワンピースを手に取った。周りの音がシャットダウンされたように、自分の心臓の音がうるさいほど聞こえてくる。
ダメなことをしているわけでもないのにこの場から離れたくて早足で会計へと進んだ。
すぐに店を出た僕はデパートに出向いた。
そこでは自分に似合いそうなコスメを選び、購入した。
僕の周りには女性だらけで、男は僕しか居ない。
僕は誰とも目を合わさないように下を俯きながら帰路に着いた。
頬が緩んで、買えた嬉しさを噛み締めながら、早速服を着てみた。
しかし、鏡を見た途端、冷めきった表情になったことを覚えている。
“あぁ、似合わない”
ただ実感した。
男性が女性用の可愛い服を着て、似合うはずがないのだ。
胸が急に締め付けられ、どん底に突き落とされたように心に黒い渦が巻いていく。
現実を突きつけられたような気がして、僕は静かに涙を流した。
それから僕は心にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥った。
何をするにもやる気が出ず、楽しかったはずの学校にも行きたくなくなった。
まぁ親に心配かけたくないから渋々学校には登校していたけど。
1年の月日が流れ、中学3年の比較的涼しい夏に、また性同一性障害についての講演会が開かれた。
僕は諦めていた。
好きな姿になんてなれない____
そう思っていたはずなのに、僕は講演会中、目にいっぱいの涙を溜めていた。そして蚊が鳴くような小さな嗚咽が体育館中に響いた。何が何だか分からなくなって、その場から消え去りたかった。周囲の目が僕の方に向いて、その視線が今の僕には刃物のように痛々しかった。
僕は先生に連れられ保健室へと向かった。
結局、自分のことは誰にも話さないまま中学を卒業し、無事高校に入学した。
あの講演会の後、僕の心に再び火がついた。
好きな姿で生きたいという夢が、憧れが。
それからスマホで服やメイクについて何時間も勉強した。
その時間が何よりの至福だった。
高校生になって2ヶ月。
私生活が落ち着いて来たこともあり、僕はもう見ないと思っていたクローゼットの奥に閉まっていたワンピースを引っ張り出した。
ワンピースに腕を通し、メイクをした。
そうして鏡の前に立った。
鏡の中にいる自分が、微笑んでいた。
あの時とはまるで違う。
あれから身長が伸びて服のサイズが小さくなっていたけれどそれを気にする余裕なんてなかった。
流石にウィッグは高値で買えなかったから、1年を経て、肩くらいまで髪を伸ばした。
この格好で外に出たら変な目で見られるだろうか。笑われるだろうか。指を指されるだろうか。
そんな不安が僕を惑わせてくる。
だけどそんなことより僕は好奇心に駆られていた。
だからだろう。頭で考えるより足が勝手に動いていたのは。
「___!」
家から1歩出た瞬間、体が軽くなった気がした。自分が自分じゃなくなったみたいで、嬉しい反面、恐怖心も心の端で葛藤していた。
それでも僕は自転車に跨り、隣町の服屋をめざした。
新しい服を買いに。
店内に入り、青いオーバーオールが目に入った。何故オーバーオールだったのか、それは僕にも分からない。けれど数多くある商品の中でそれはとても輝いて見えた。
僕はそれを手に取り、会計に向かう。
無事に購入を終え、帰宅しようと自動ドアに向かった。
すると、ウィンと機械音がなった。
僕はまだセンサーが反応する位置に立っていない。僕の周りには誰もいないので、外から誰か入ってきたのだろう。
何となく、前を見据えると、どこか見覚えのある人が立っていた。
「一ノ瀬...?」
声を出した時に気づいた。
僕は今、赤崎椿じゃない、誰でもない、存在しない人なのに。
声を、かけてしまった。
一ノ瀬華織。
同じクラスメイトで、少し目付きが悪いのが特徴の女の子。
何度か話したことのあるからお互いに顔見知りだった。
顔を見た途端、いつもの癖で名前を呼んでしまった。
「え、赤崎?」
目の前の彼女は驚いたように目を丸くしてこちらを見た。
バレた。バレてしまった。
先程まで浮かれていた頭は今は真っ白に塗り替えされていく。
馬鹿にされ、軽蔑されるだろうか。皆に言いふらすのだろうか。
知り合いに出会うなんて考えてなかった。
頭が完全に真っ白になり、一目散にその場から逃げ出した。
ただ、余裕のない頭で考えれたのは、どうして瞬時に“赤崎椿”だと分かったのだろうか、という疑問だけだった。
翌日、いつも通りに登校した。
もう噂が回って、机に悪口とか書かれたり、無視されたりするのかな...
死んだような顔で僕は教室のドアを開けた。
「おはよ」
「おー、おはよー」
友達は、いつも通りの顔で、声で、挨拶をした。何となく気まずくて目を逸らしながら席に座った。
机にも悪口を書かれていない。
まだ噂が回っていないのだろうか。
「赤崎」
声の主はだいたい予想出来た。
僕は冷や汗をかきながら後ろを振り返った。
「一ノ瀬...」
人生終わった、本気でそう思った。
彼女の顔を見ると黒い笑顔が垣間見えた。
「今日の放課後空けといてね」
彼女の手が僕の肩に置かれた。
僕はさっきから汗が止まらなくなって、金魚のように口をパクパクさせていただけだった。
「何ー?もしかしてデートのお誘いしてるー?」
僕と彼女の間に入ってきたのはクラスメイト、おそらく上位に入るであろう陽気な女の子だった。
「そ、だから邪魔しないでっ」
「?!」
元々、デート、という単語に反応していた僕だったが、彼女が肯定したことによってさらに驚きが隠せなかった。
女子との絡みが少ないわけじゃない。
けれど女子と2人、ましてや昨日の姿を見られた一ノ瀬と出かけるなんて恐怖以外の何ものでもなかった。
脅される、それしか頭になかった。
沈黙の後、すぐにチャイムがなった。
一応その場から逃れた僕だったけど、結局、放課後に捕まってしまった。
急いで鞄に荷物を詰めていると、朝と同じように肩に感触があった。
勿論この手の主は、
「一ノ瀬、ですよねぇ」
「おぉ正解〜」
本当に一ノ瀬かどうかは確認していないが、おそらく、というか確実に一ノ瀬だろう。
僕は一通り荷物を詰めてから後ろを振り向く。
1番に初めに目に入ってきたのは、スマホに映し出されたコスメの画像だった。
「買いに行こ!」
困惑した。
目の前の彼女は何を言い出すんだ。
「なんで僕?!友達と行ってきなよ!」
つい大声になってしまう。
咄嗟に周りを見るが、幸い、もう誰もいなかった。
「...あ、違う違う、私のコスメじゃなくて、赤崎のコスメを買いに行くの!」
「は?」
次は大声ではなく、ドスの効いた低い声が僕の口から零れていた。
気づけば僕は彼女を睨んでいた。
多分、自分を守るためだろう。この後の彼女の言葉はなぜだか予想がついた。だから僕は、それ以上言うな、と目で彼女に訴えた。
しかし...
「昨日のメイク、赤崎に合ってなかったよ」
_____言われた。
わかってる、自分でも似合ってなかったことくらい。
けど、あの時、あの一瞬だけ、自分が可愛いと思えたんだ。
「そんなこと言うんだったらなんで一緒に買いに行こうなんてっ」
僕がそう言い放った瞬間、彼女に腕を引っ張られ僕は躓きそうになる。そんな僕を見て彼女は笑いながら言った。
「うん、だから一緒に似合うの買いに行こ!」
イマイチ会話が噛み合わないと思った。
だけど、笑顔でこちらを向く彼女は、僕には、僕を照らしてくれる太陽のように輝いて見えた。
昔から可愛いものを身につけたり、見るのが好きだった。
可愛い洋服、可愛いリボン、可愛いお菓子、可愛いおもちゃ...
けれど他人に可愛いものが好きだと伝えたことがない。
幼いながらも言ってはいけないと理解していたんだと思う。
だから本物の自分を人前でさらけ出したことがない。
本当のことを言い、笑われるのが怖くて怖くて仕方がなかった。
だけど、このままじゃダメだ。
そう思い始めたのは中学2年の溶けるように蒸し暑い夏。
授業で、女の人が男の人になりたい、そんな講演会があった。
所謂性同一性障がい。
僕はそれとは異なるけれど、その人の話を聞いた時、“自分の好きな姿になる”、そう決意していた。
行動力だけはある僕はその準備のために知り合いが居ない隣町の服屋に出かけた。
そして僕は人生で初めて女性用の可愛いワンピースを手に取った。周りの音がシャットダウンされたように、自分の心臓の音がうるさいほど聞こえてくる。
ダメなことをしているわけでもないのにこの場から離れたくて早足で会計へと進んだ。
すぐに店を出た僕はデパートに出向いた。
そこでは自分に似合いそうなコスメを選び、購入した。
僕の周りには女性だらけで、男は僕しか居ない。
僕は誰とも目を合わさないように下を俯きながら帰路に着いた。
頬が緩んで、買えた嬉しさを噛み締めながら、早速服を着てみた。
しかし、鏡を見た途端、冷めきった表情になったことを覚えている。
“あぁ、似合わない”
ただ実感した。
男性が女性用の可愛い服を着て、似合うはずがないのだ。
胸が急に締め付けられ、どん底に突き落とされたように心に黒い渦が巻いていく。
現実を突きつけられたような気がして、僕は静かに涙を流した。
それから僕は心にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥った。
何をするにもやる気が出ず、楽しかったはずの学校にも行きたくなくなった。
まぁ親に心配かけたくないから渋々学校には登校していたけど。
1年の月日が流れ、中学3年の比較的涼しい夏に、また性同一性障害についての講演会が開かれた。
僕は諦めていた。
好きな姿になんてなれない____
そう思っていたはずなのに、僕は講演会中、目にいっぱいの涙を溜めていた。そして蚊が鳴くような小さな嗚咽が体育館中に響いた。何が何だか分からなくなって、その場から消え去りたかった。周囲の目が僕の方に向いて、その視線が今の僕には刃物のように痛々しかった。
僕は先生に連れられ保健室へと向かった。
結局、自分のことは誰にも話さないまま中学を卒業し、無事高校に入学した。
あの講演会の後、僕の心に再び火がついた。
好きな姿で生きたいという夢が、憧れが。
それからスマホで服やメイクについて何時間も勉強した。
その時間が何よりの至福だった。
高校生になって2ヶ月。
私生活が落ち着いて来たこともあり、僕はもう見ないと思っていたクローゼットの奥に閉まっていたワンピースを引っ張り出した。
ワンピースに腕を通し、メイクをした。
そうして鏡の前に立った。
鏡の中にいる自分が、微笑んでいた。
あの時とはまるで違う。
あれから身長が伸びて服のサイズが小さくなっていたけれどそれを気にする余裕なんてなかった。
流石にウィッグは高値で買えなかったから、1年を経て、肩くらいまで髪を伸ばした。
この格好で外に出たら変な目で見られるだろうか。笑われるだろうか。指を指されるだろうか。
そんな不安が僕を惑わせてくる。
だけどそんなことより僕は好奇心に駆られていた。
だからだろう。頭で考えるより足が勝手に動いていたのは。
「___!」
家から1歩出た瞬間、体が軽くなった気がした。自分が自分じゃなくなったみたいで、嬉しい反面、恐怖心も心の端で葛藤していた。
それでも僕は自転車に跨り、隣町の服屋をめざした。
新しい服を買いに。
店内に入り、青いオーバーオールが目に入った。何故オーバーオールだったのか、それは僕にも分からない。けれど数多くある商品の中でそれはとても輝いて見えた。
僕はそれを手に取り、会計に向かう。
無事に購入を終え、帰宅しようと自動ドアに向かった。
すると、ウィンと機械音がなった。
僕はまだセンサーが反応する位置に立っていない。僕の周りには誰もいないので、外から誰か入ってきたのだろう。
何となく、前を見据えると、どこか見覚えのある人が立っていた。
「一ノ瀬...?」
声を出した時に気づいた。
僕は今、赤崎椿じゃない、誰でもない、存在しない人なのに。
声を、かけてしまった。
一ノ瀬華織。
同じクラスメイトで、少し目付きが悪いのが特徴の女の子。
何度か話したことのあるからお互いに顔見知りだった。
顔を見た途端、いつもの癖で名前を呼んでしまった。
「え、赤崎?」
目の前の彼女は驚いたように目を丸くしてこちらを見た。
バレた。バレてしまった。
先程まで浮かれていた頭は今は真っ白に塗り替えされていく。
馬鹿にされ、軽蔑されるだろうか。皆に言いふらすのだろうか。
知り合いに出会うなんて考えてなかった。
頭が完全に真っ白になり、一目散にその場から逃げ出した。
ただ、余裕のない頭で考えれたのは、どうして瞬時に“赤崎椿”だと分かったのだろうか、という疑問だけだった。
翌日、いつも通りに登校した。
もう噂が回って、机に悪口とか書かれたり、無視されたりするのかな...
死んだような顔で僕は教室のドアを開けた。
「おはよ」
「おー、おはよー」
友達は、いつも通りの顔で、声で、挨拶をした。何となく気まずくて目を逸らしながら席に座った。
机にも悪口を書かれていない。
まだ噂が回っていないのだろうか。
「赤崎」
声の主はだいたい予想出来た。
僕は冷や汗をかきながら後ろを振り返った。
「一ノ瀬...」
人生終わった、本気でそう思った。
彼女の顔を見ると黒い笑顔が垣間見えた。
「今日の放課後空けといてね」
彼女の手が僕の肩に置かれた。
僕はさっきから汗が止まらなくなって、金魚のように口をパクパクさせていただけだった。
「何ー?もしかしてデートのお誘いしてるー?」
僕と彼女の間に入ってきたのはクラスメイト、おそらく上位に入るであろう陽気な女の子だった。
「そ、だから邪魔しないでっ」
「?!」
元々、デート、という単語に反応していた僕だったが、彼女が肯定したことによってさらに驚きが隠せなかった。
女子との絡みが少ないわけじゃない。
けれど女子と2人、ましてや昨日の姿を見られた一ノ瀬と出かけるなんて恐怖以外の何ものでもなかった。
脅される、それしか頭になかった。
沈黙の後、すぐにチャイムがなった。
一応その場から逃れた僕だったけど、結局、放課後に捕まってしまった。
急いで鞄に荷物を詰めていると、朝と同じように肩に感触があった。
勿論この手の主は、
「一ノ瀬、ですよねぇ」
「おぉ正解〜」
本当に一ノ瀬かどうかは確認していないが、おそらく、というか確実に一ノ瀬だろう。
僕は一通り荷物を詰めてから後ろを振り向く。
1番に初めに目に入ってきたのは、スマホに映し出されたコスメの画像だった。
「買いに行こ!」
困惑した。
目の前の彼女は何を言い出すんだ。
「なんで僕?!友達と行ってきなよ!」
つい大声になってしまう。
咄嗟に周りを見るが、幸い、もう誰もいなかった。
「...あ、違う違う、私のコスメじゃなくて、赤崎のコスメを買いに行くの!」
「は?」
次は大声ではなく、ドスの効いた低い声が僕の口から零れていた。
気づけば僕は彼女を睨んでいた。
多分、自分を守るためだろう。この後の彼女の言葉はなぜだか予想がついた。だから僕は、それ以上言うな、と目で彼女に訴えた。
しかし...
「昨日のメイク、赤崎に合ってなかったよ」
_____言われた。
わかってる、自分でも似合ってなかったことくらい。
けど、あの時、あの一瞬だけ、自分が可愛いと思えたんだ。
「そんなこと言うんだったらなんで一緒に買いに行こうなんてっ」
僕がそう言い放った瞬間、彼女に腕を引っ張られ僕は躓きそうになる。そんな僕を見て彼女は笑いながら言った。
「うん、だから一緒に似合うの買いに行こ!」
イマイチ会話が噛み合わないと思った。
だけど、笑顔でこちらを向く彼女は、僕には、僕を照らしてくれる太陽のように輝いて見えた。