小さな湾を横切り、勢いをつけて浜に飛び上がる。
なんだって人間は、こんな厄介で動きにくい陸なんてところに住んでいるんだろう。
水から上がったとたん、自分の体以上に彼女の体が重くなる。
飛び上がるように浜に上がったせいで、砂浜といえそこにこすりつけ、彼女の顔に傷をつけてしまった。
白いこめかみから、赤い血を滲ませている。
あぁ、ごめんね。
痛いよね。
ごめんなさい。
そうだ。
人間は僕たちみたいに、固い鱗で覆われていないから、傷つきやすいんだった。
本当はちゃんと謝りたいけど、僕ももう行かなくちゃ。

 彼女を浜に打ち上げると、濡れた砂の上で腕をつっぱり、大きな尾ヒレをくねらせてずるずると海中に戻る。
他の人間に見つからなかったかな。
大丈夫だったかな。
だけどこの子は、すぐに見つかりますように。

 水中に体の半分が戻ったところで、彼女の2本しかない細い足から、黒い何かがポロリと剥がれ落ちた。
もう一方の足の先にも、同じ殻みたいなのがついている。
これは大切なものなんだろうか。
僕は波に運ばれようとするそれを捕まえると、彼女の足に戻す。
これでもう大丈夫なはずだ。
とにかく僕だって逃げないと。
打ち寄せる波に身を潜める。
水の力を借りて、すぐにその場を離れた。

 安全な沖にまで出て、ようやく一息つく。
もしかしたらあの子は、むかし陸に上がった人魚だったのかもしれない。
だって僕とそっくりだったもの。
多分きっと、もうずっと昔にこの海から上がり、陸で生きる決意をした人魚だったに違いないんだ。

 それ以来どうしても、黒髪のくるくるした彼女の姿が忘れられなくて、触れた温かな体温と柔らかい肌の感触がいつまでも腕に残っていて、仲間に頼み、無理を言って人間にしてもらった。
海に沈んでゆく白い横顔に、きっと恋をしたんだと思う。
僕は今日、その大切な彼女に会いに行く。
人魚から、本当の人間になるために。