もうおそろいだなんて言えないや。


そんな日々を過ごすこと一ヶ月。

久しぶりに予定が合った私達は二ヶ月ぶりにデートへと出掛けた。

その途中、ふらっと寄った靴屋さんで彼が一足のスニーカーを指差す。

「これ、買おうかな」

いかにも彼が好きそうなデザインだ。
私はその隣のほうが好きだけど。
そんな風に思ってしまうのは、私と彼の趣味が合わないからだ。

「舜っぽいんじゃない」

「じゃあ、これにするわ」

「あっ、それってレディースもあるんだ。それなら私も同じの買っちゃおうかな?」


彼が気に入ったスニーカーの下には、同じデザインの一回り小さいものが飾られていた。

昔からお揃いのものを嫌う彼。
どうせ断られる。そう思って期待はせずに言ってみた。

すると、意外にも「いいじゃん」と好反応が返ってきて、私は浮かれて購入を決めたのだ。



帰宅後、箱から出したスニーカーを見て思わずこぼれた本音。

「本当、私達のセンスって合わないな」

他の靴と並べてみても、見事にその一足だけが浮いている。

それでもしきりに頬が緩むのは、久しぶりのデートと一緒に購入したスニーカーが嬉しかったから。

彼とお揃いのものが持てるなら、自分の好みなんて二の次だった。

だけれど、喜びで満ち溢れていたのは私だけだと知る。

お揃いのスニーカーを履くのはいつも私一人。

デートへ行く時も、近所のスーパーで買い物をする時も。


でも、私は諦めずに履き続けた。
もしかしたら、今日は履いて来てくれるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いて。

しかし、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。半年経っても私の願いは届かない。

彼の家を訪れた時、そのスニーカーは玄関にさえも置かれていなかった。

「もしかして、本当はお揃いで買うの嫌だった?」

私はその一言がどうしても聞けなかった。

なぜなら、彼の返事を聞くのが怖かったから。可笑しいね。

友達だった頃は何でも言い合えた。

付き合い始めてからは相手の考えてることがよくわかるようになった。

それなのに交際して四年。

今は彼の気持ちが見えなくなった。

彼を好きなことは今も変わらない。

でも、いつの間にかその想いよりも、虚しさのほうが大きくなってしまったのだ。

それに気づいた時、もう過去のようには戻れないということを悟った。


◆Side:舜◆


今朝、お天気アプリをチェックするとそこには太陽のマークがひとつ。隣に表示されていた降水確率は0%で「今日は一日晴天。洗濯物◎」と書かれていた。

その言葉を信じて朝から洗濯機を回し、タオルも服も全部ベランダに干した。

それなのに外は土砂降りの雨。
どこを探しても太陽なんて見当たらない。

もう一回、洗わないといけなくなったとか、その前に取り込むのが先だとか。

頭の中は至って冷静なのに、体は鉛のように重く動かない。

こんなことになるなら、洗濯物なんか溜めておけば良かった。

だけれど、今日は目覚めてからずっと体を動かしておかないと、どうにかなりそうだったんだ。

「……結局、言えずに終わったな」

クローゼットを見ながら口にしたその言葉は、一人なった部屋に虚しく響く。

目的が違うとこんなにも体は簡単に動くんだなと思いながら、俺は目の前の扉を開いた。

そして、奥にしまわれていた箱をそっと手に取る。中には新品のスニーカー。

それは初めて彼女と購入したお揃いのものだった。

色、形、デザイン。自分の好みど真ん中。
それなのに履いて出掛けたことは一度もない。

でも、ずっと大切にしていたんだ。

俺はそのことを最後まで彼女に伝えられなかった。




一時間前、四年間交際していた彼女から別れを切り出された。


今日、会いたいと言ってきたのは彼女のほう。
俺はなんだか悪い予感がして、朝から落ち着かなかった。

曖昧なことを言わない彼女が何度も「会って話したいことがある。」それだけをメッセージに送ってきていたからだ。

いつもならそこには必ず用件が添えられてある。

言いにくいことなのか、それとも会って話さないといけないことなのか。

どちらにせよ、良い話ではないのだろう。

現に彼女は今日、一度も笑顔を見せていないのだから。



「舜あのさ、」

「ん?てか、今日すげー晴れてんな。買い物にでも出掛ける?」

「ううん。今日は話したいことがあって来たから」

「……それ、今聞かなきゃいけない話?」

「うん。舜は勘がいいからもう気づいてるかもしれないけど、」

ああ、いいよ。嫌になるくらい。
いつもより少しだけ鼻声なことも、何度も瞬きをする仕草にも気づいてる。

そして、何か覚悟を決めている真っ直ぐなその瞳にも。


「私もう舜とは一緒にいられない。……別れたい」

ほら、やっぱり良い話なんかじゃなかった。

「どうして?もしかして最近、会えなかったのが原因、俺のせい?」

「違う、私がしんどくなっちゃったの。不安とか寂しさとか、そういう感情を持ち続けることに」

それって結局、俺のせいじゃん。
だけど、心春は絶対にそうだとは言わない。
彼女が人を責めているところを、俺は一度だって見たことがないからだ。

「気づかなくてごめん。その決断は俺が頑張ることで覆る?」

その言葉に彼女は黙り込む。
きっと、それが答えだ。

今までの埋め合わをすれば彼女の気持ちが戻ってくる。そんな単純な話ではない。

わかってはいたけれど、確認せずにはいられなかった。

絞り出したような声で「ごめんね」と言う彼女に、今度は俺のほうが黙り込んだ。

それからどのくらい時間が経ったのだろうか。

雲一つなかった空が嘘のように暗くなり、大粒の雨を降らせた。

晴れだって言ってたのに。そんなことを思いながら窓の外を見ると、同じように彼女も外を眺めていた。

そういえば、友達だった頃から何一つ意見が合わない俺達だったけど、雨が嫌いなのは一緒だったな。

そんなことを今の今まですっかり忘れていた。
どんなに雨が降っていようと、彼女は嫌な顔一つせず俺に会いに来てくれていたからだ。

心春の優しさに甘えきっていた俺が、彼女のためにできることはもう一つだけなのかもしれない。


そう考えると彼女への答えは簡単に導き出された。

「……別れようか俺達」

本当はこんな言葉を口に出したくはない。雨の音にかき消されたらいいのになんて思うよ。

だけど、彼女を楽にしてあげられる方法はきっとこれしかないんだよな。

俺の言葉に彼女は小さく鼻をすすった。

「じゃあ、私そろそろ行くね」

別れを決めてからたった十分。

帰ろうとする心春に「せめて雨が止むまでいれば?」と言ってみるも、彼女が頷くことはなかった。

「傘持ってないよな。これ使って」

彼女が傘を持っていないことに気づき、一番綺麗なビニール傘を差し出す。

しかし、彼女はそれを受け取ろうとはしない。


「でも、」

……そうか、もう俺達が会うことはないんだよな。

「大丈夫、返さなくていいから」

その言葉の後、ようやく彼女は傘を受け取る。

そして、最後に「今までありがとう。ばいばい」という言葉を残して、彼女は俺の元を去って行った。


◇Side:心春◇

別れ話の途中、彼は黙り込んだまま何も話さなくなった。
そんな時、外から聴こえてきたのは激しい雨音。

晴れだって言ってたのに。そんなことを思いながら窓の外を見ると、同じように彼も外を眺めていた。

そういえば、友達の頃から何一つ意見が合わない私達だったけど、雨が嫌いなのは一緒だったね。

でも、舜と出会ってから雨の日はそんなに嫌いじゃなくなってたんだよ。

二人でさす傘も、のんびり過ごすおうちデートも好きだったから。

長い沈黙の後「……別れようか俺達」と口にした彼。

その声は雨の音にかき消されてしまいそうなほど小さなものだった。

「じゃあ、私そろそろ行くね」

別れを決めてからおよそ十分。

立ち上がる私に「せめて雨が止むまでいれば?」と言った彼。

だけれど、私は彼の優しさに首を横へと振った。

「傘持ってないよな。これ使って」

「でも、」

「大丈夫、返さなくていいから」

何かを察したように彼が言う。

自分から別れを選んだくせに、もう会えないと思うと胸が締め付けられた。

最後に私は「今までありがとう。ばいばい」と言って彼の元を去った。





駅に着くと明るい照明がボロボロになったスニーカーを照らす。

これじゃあ、もう彼のとお揃いには見えないや。……って、そんなことを気にする必要はなくなったんだね。

帰宅後、玄関で改めてスニーカーを見つめる。

照明の明るさ違いか、それともまだ消えない想いがあるからだろうか。

瞳に映るそれはまだ履けるような気がして、それと同時に彼との関係もまだまだ頑張れたんじゃないかと思ってしまう。

私がもっと強ければって。

「なんてもう無理か」

そうやって誤魔化し続けて辿り着いたのが今だ。

もう余力はない。玄関でしゃがみこむようにして崩れ落ちたのがその証拠だ。

我慢していた涙は粒になってスニーカーへと落ちる。

ぽと、ぽと、ぼとり。いくつもの音を奏でて。

もうたくさんの雨水を吸い込んだはずのそれは、私の悲しみも余すことなく受け入れてくれた。


「ほんと、別れ辛くなっちゃうよ」

冷え切った体を湯船で温めた後、私はある重大なことに気づいた。

それはさっき別れを決めたスニーカーとは別に、大切にしまってあった空箱があることを。

決意が揺らぐ前に一緒に処分しないと。

クローゼットの奥の奥。大切にしまわれていたスニーカーの箱。

その空箱の中から包装紙を取り出した時、長方形の紙がひらりと床へ舞い落ちた。

「なんだろう。これ?」

値札かと思い手に取ったそれはメッセージカードだった。

スニーカーを買ったお店のロゴに、見慣れた字。

数行に渡る文章は舜によって書かれたものだった。


『最近、心春に甘えてばっかでごめん。お揃いのスニーカー大切にする。P.S.卒業したら一緒に住むのはどうですか?まずはお試しからでもいいんで。』


私の告白の言葉を引用して書かれたそのメッセージは紛れもなく彼の字なのに、どれも初めて聞く話だった。

「いつ書いたんだろう……」

スニーカーを出した後、箱はずっとしまったままだから気づかなかった。

こんな大切なことを口ではなく、メッセージカードで伝えようとするところが彼らしい。

包装紙の下にしまうところも、それを最後まで教えてくれないところも──。




出会った頃から私と彼は全く意見が合わなかった。好きな曲も食べ物も、行きたい場所も観たい映画も。

『心春、今度激辛ラーメン食べに行かねぇ?』

『あー私、辛いものだめなんだよね』

『じゃあ部活の奴らと行ってくるわ。それにしても、俺らってまじで好きなものかぶんないよな』

『だよね。ちなみに、一番好きな食べ物は?私はオムライス』

『俺は焼き肉』

『うーん。じゃあさ、好きなものは最初に食べる派?それとも最後に食べる派?』

『最後。大事に取っておきたくね?』

『私は最初。一番美味しいタイミングで食べたいから』


本当、笑っちゃうくらい。
私ならメッセージカードは、一番目立つところに置くよ。

気づいてもらえるよう、ヒントも出すよ。
だけど、そうじゃないのが舜だったよね。

自分とは全然違う。そんなところを私は好きになったんだ。

本当、最後まで合わない二人だったね。

そんな二人だからこそもっと、会話が必要だったね。



──彼と出会ってから五年。交際してからは四年。その時間は私にとって本当にかけがえのないものだった。

もう舜とは会えないけれど、私は彼と過ごした日々を一生忘れない。

だけど、立ち止まったままではいられないから私は新しいスニーカーで歩き出すよ。

今度は自分の好きなものを選んで。


そして、いつの日か彼と過ごした時間を大切な思い出として語れるようになれたらいいな──。



◆Side:舜◆

もうお揃いではなくなったスニーカーを他の靴と並べながら、あの日のことを思い出す。

一年前、デートの途中にふらっと寄った靴屋で見つけたのは俺好みのスニーカー。

購入を決めた俺の横で彼女はこう言った。

「あっ、それってレディースもあるんだ。それなら私も同じの買っちゃおうかな?」

少しだけ俺の顔色を窺って。

なぜなら、彼女は俺がお揃いのものを身に着けるという行動に、抵抗があるのを知っていたからだ。

わざわざカップルコーデをする意味がわからない。

そんなことをしなくたって付き合っていることに変わりはないし、身に着けるものなら尚更、自分の好みで選んだ方が良いだろう。あと、単純に恥ずかしい。

今まで交際した相手には、そうはっきりと伝えてきた。

だけど、目の前にいる彼女の言葉には「いいじゃん」と口にしている自分がいた。

俺と彼女はあまり趣味が合わず、一度も同じものを欲しがったことはない。

だから正直、彼女が俺と同じものを欲しがるのに驚いた。

それから、俺がお揃いのスニーカーをあっさりと受け入れてることにも。

「二足で10%OFFらしいから、一緒に会計してくるわ」

「ありがとう。じゃあ、あとでお金渡すね」

彼女をその場へと残して、スニーカーをレジへと持って行く。

「箱はどうされますか?」

「持ち帰ります」

「かしこまりました。ちなみに今、ペアの靴を購入されたお客様向けにキャンペーンをおこなっておりまして、よろしければこちらお書きになりませんか?」

そう言って手渡されたのはメッセージカード。

「ご一緒に包ませていただきます」

「ああ、じゃあ……。ありがとうございます」

自分の気持ちを言葉にするのは苦手だ。

それは文字にしても同じことで、付き合ってから手紙なんて一度も書いたことがない。

もらったはいいけど、なんて書くかな。
カードを前にして少し考えた後、俺は今一番伝えたいこと書き綴った。

高二の春、彼女からの可愛らしい告白の言葉を思い出しながら。

「あの、これ一番底に入れてもらってもいいですか。スニーカーを包んである紙の下に」

「か……しこまりました」

店員のお姉さんは一瞬、不思議そうな顔をしたけれど、俺の言うとおりの場所にカードをしまってくれた。


それから、彼女は会うたびに一緒に購入したスニーカーを履いていた。

一方、俺はというと購入してからずっとクローゼットの中へとしまったまま。

彼女と初めて買ったものを、綺麗なまま置いておきたかったからだ。

あんなにお揃いのものを嫌っていた俺が、そんな気持ちになるなんて思わなかった。

だけれど、玄関で他の靴と並べた時に、いつかこんな風に汚れてしまう。

そう思うと、なかなか履く気になれなかったのだ。





リビングへ戻ると、タイミングよく着信を知らせる音が鳴り響いた。

淡い期待をしながら急いでスマホを手に取るが、表示されていたのは三橋先輩の名前。

「あ、もしもし三橋先輩。昨年紹介してもらったバイトですか?あー……、今年は大丈夫です。お金を貯める目的がなくなったっていうか。また、連絡します」

大学に入学してから俺は、よく三橋先輩に短期のバイトを紹介してもらっていた。

それは彼女との将来を真剣に考えていたからだ。

けれど、彼女はそのことを知らない。

直接口にしたことがないのだから、当たり前だ。

今日までの間に、彼女からメッセージカードの話が出たことはない。

自分の口から伝えるのは気恥ずかしい。

そんな理由であんな小細工をしたことを今更ながら後悔する。

結局、時間が経てば経つほど言い出せなくり、伝えられないまま俺達は別れることになった。

彼女ならきっとあんなやり方はしなかっただろう。

出会った頃から俺と彼女は全く意見が合わなかった。好きな曲も食べ物も、行きたい場所も観たい映画も。

『舜、今度映画観に行こうよ』

『え、やだよ。恋愛映画だろ?俺はアクション映画にしか興味ないから』

『えー。もう本当、私達って趣味合わないよね。お互い漫画は読むけど舜はバトル漫画ばっかりだし』

『心春は恋愛漫画しか読まないよな。日頃から夢見がちだし、プロポーズは夜景の見えるレストランとか期待してんの?』

『もちろん!だけど、舜はそういうの苦手でしょ?』

『正解。あと毎月記念日祝うのとか、カップルコーデとかも苦手だわ』

『……知ってるよ』

本当、笑えるくらい。

そういえばあの時、彼女は俺の話を肯定も否定もしなかった。

そんな過去の記憶を思い出しながら、俺は笑えない答えに辿り着く。


俺が欲しいと言ったスニーカーを彼女は本当に欲しかったのだろうか。
まず色からして、彼女の好みではなかったはずだ。

あのスニーカーを買う前に心春が履いていた靴はどれも彼女に似合っていたけれど、俺には良さがわからなかった。

それなのに彼女があのスニーカーを選んだ理由、ずっと履き続けていた理由。

それは俺と同じものを持つことが目的だったから……?

そうやって考えると彼女の行動に納得がいく。

だとしたら、彼女は今までどんな気持ちであのスニーカーを履いていたのだろうか。

俺が本当に大切にしなければいけなかったのはスニーカーなんかじゃなくて、彼女の気持ちだったんだ。

そんなことにやっと気づくなんて、馬鹿だよな。

さっき見た彼女のスニーカーは色も形も俺が持っているものとは違って見えた。

今更、履いたってもうお揃いになんて見えないな。……って、それ以前に彼女と並んで歩く日は二度と来ないのか。


──彼女と出会ってから五年。交際してからは四年。その時間は俺にとって本当にかけがえのないものだった。

もう心春とは会えないけれど、俺は彼女と過ごした日々を一生忘れない。

だけど、立ち止まったままではいられないから俺はお揃いだったスニーカーで歩き出すよ。

彼女が俺を想って履いていてくれた時間を今度は俺が彼女を想いながら。

そのスニーカーがボロボロになった頃、俺は今よりも成長できていると信じて。

そして、いつの日か彼女と過ごした時間を大切な思い出として語れるようになれたらいいな──。

fin.


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