◇Side:心春◇
別れ話の途中、彼は黙り込んだまま何も話さなくなった。
そんな時、外から聴こえてきたのは激しい雨音。
晴れだって言ってたのに。そんなことを思いながら窓の外を見ると、同じように彼も外を眺めていた。
そういえば、友達の頃から何一つ意見が合わない私達だったけど、雨が嫌いなのは一緒だったね。
でも、舜と出会ってから雨の日はそんなに嫌いじゃなくなってたんだよ。
二人でさす傘も、のんびり過ごすおうちデートも好きだったから。
長い沈黙の後「……別れようか俺達」と口にした彼。
その声は雨の音にかき消されてしまいそうなほど小さなものだった。
「じゃあ、私そろそろ行くね」
別れを決めてからおよそ十分。
立ち上がる私に「せめて雨が止むまでいれば?」と言った彼。
だけれど、私は彼の優しさに首を横へと振った。
「傘持ってないよな。これ使って」
「でも、」
「大丈夫、返さなくていいから」
何かを察したように彼が言う。
自分から別れを選んだくせに、もう会えないと思うと胸が締め付けられた。
最後に私は「今までありがとう。ばいばい」と言って彼の元を去った。
*
駅に着くと明るい照明がボロボロになったスニーカーを照らす。
これじゃあ、もう彼のとお揃いには見えないや。……って、そんなことを気にする必要はなくなったんだね。
帰宅後、玄関で改めてスニーカーを見つめる。
照明の明るさ違いか、それともまだ消えない想いがあるからだろうか。
瞳に映るそれはまだ履けるような気がして、それと同時に彼との関係もまだまだ頑張れたんじゃないかと思ってしまう。
私がもっと強ければって。
「なんてもう無理か」
そうやって誤魔化し続けて辿り着いたのが今だ。
もう余力はない。玄関でしゃがみこむようにして崩れ落ちたのがその証拠だ。
我慢していた涙は粒になってスニーカーへと落ちる。
ぽと、ぽと、ぼとり。いくつもの音を奏でて。
もうたくさんの雨水を吸い込んだはずのそれは、私の悲しみも余すことなく受け入れてくれた。
「ほんと、別れ辛くなっちゃうよ」
冷え切った体を湯船で温めた後、私はある重大なことに気づいた。
それはさっき別れを決めたスニーカーとは別に、大切にしまってあった空箱があることを。
決意が揺らぐ前に一緒に処分しないと。
クローゼットの奥の奥。大切にしまわれていたスニーカーの箱。
その空箱の中から包装紙を取り出した時、長方形の紙がひらりと床へ舞い落ちた。
「なんだろう。これ?」
値札かと思い手に取ったそれはメッセージカードだった。
スニーカーを買ったお店のロゴに、見慣れた字。
数行に渡る文章は舜によって書かれたものだった。
『最近、心春に甘えてばっかでごめん。お揃いのスニーカー大切にする。P.S.卒業したら一緒に住むのはどうですか?まずはお試しからでもいいんで。』
私の告白の言葉を引用して書かれたそのメッセージは紛れもなく彼の字なのに、どれも初めて聞く話だった。
「いつ書いたんだろう……」
スニーカーを出した後、箱はずっとしまったままだから気づかなかった。
こんな大切なことを口ではなく、メッセージカードで伝えようとするところが彼らしい。
包装紙の下にしまうところも、それを最後まで教えてくれないところも──。
出会った頃から私と彼は全く意見が合わなかった。好きな曲も食べ物も、行きたい場所も観たい映画も。
『心春、今度激辛ラーメン食べに行かねぇ?』
『あー私、辛いものだめなんだよね』
『じゃあ部活の奴らと行ってくるわ。それにしても、俺らってまじで好きなものかぶんないよな』
『だよね。ちなみに、一番好きな食べ物は?私はオムライス』
『俺は焼き肉』
『うーん。じゃあさ、好きなものは最初に食べる派?それとも最後に食べる派?』
『最後。大事に取っておきたくね?』
『私は最初。一番美味しいタイミングで食べたいから』
本当、笑っちゃうくらい。
私ならメッセージカードは、一番目立つところに置くよ。
気づいてもらえるよう、ヒントも出すよ。
だけど、そうじゃないのが舜だったよね。
自分とは全然違う。そんなところを私は好きになったんだ。
本当、最後まで合わない二人だったね。
そんな二人だからこそもっと、会話が必要だったね。
──彼と出会ってから五年。交際してからは四年。その時間は私にとって本当にかけがえのないものだった。
もう舜とは会えないけれど、私は彼と過ごした日々を一生忘れない。
だけど、立ち止まったままではいられないから私は新しいスニーカーで歩き出すよ。
今度は自分の好きなものを選んで。
そして、いつの日か彼と過ごした時間を大切な思い出として語れるようになれたらいいな──。