偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

 翌日から、玲燕はこれまでの鬼火の目撃情報を整理した。
 天佑から聞いたとおり、目撃されているのは水辺に集中しており、特に川沿いが多い。ただ、火によってどこに現れるかは異なり、規則性はなさそうだ。
 時刻は日が沈んだあとで、あたりに人気がないことが多い。
 そして色は通常の炎の色である橙色のほか、緑色や黄色だったという証言が多かった。
 ただ、一瞬で消え去ったと言う者もいれば、ゆらゆらと同じ場所に留まっていたと言う者もいるようだ。

(たしかにこれは、普通の鬼火ではないわね)

 玲燕は資料を見ながら唸る。
 とにかく、一度でもいいからその鬼火を見る必要がある。



 都である大明に来てから五日。
 この日も玲燕は、皇城と外郭城にまたがるように流れる巌路川の畔を天佑と共に歩いていた。鬼火を見るために、毎日こうして歩いているのだ。

「今日は現れるでしょうか」
「さあ、どうだろう。なにせ、川沿いと言っても範囲が広からね」

 天佑が言うとおり、ここ大明の城内はとても広い。
 皇帝が住む宮城を中心に、その周りに官庁が立ち並ぶ皇城、更にその周りに人々が住む外郭城が広がっている。外郭城の内部だけでも、雁路川と細い小川があり、さらに人工的に作られた水路が至る所に張り巡らされている。

 玲燕は空を見上げる。
 既に日はすっかりと暮れ、辺りは真っ暗になっている。

(やけに暗いと思ったら、今日は二十七夜か)

 漆黒の空には、線のように細い弧になった月が浮かんでいる。

「鬼火は見えませんね」

 玲燕は周囲を見回す。今日も、不審な光は見えなかった。

 一時間ほど歩いただろうか。
 今日も収穫なしかと諦めかけたときに、不意に離れた場所から声がした。

「鬼火だ!」

 玲燕はハッとして声のほうを見る。

「鬼火ですって?」
「行ってみよう」

 天佑が声のほうを指さし、足を早める。
 玲燕の視界の端に鈍い光が映った。

(あれは……)

 それは本当に一瞬のことだった。
 川上から川下に向けて、鈍い緑色の光が移動してゆくのが見えた。それはまるで子供の遊ぶ球のように、美しい放物線を描きすぐに消えた。

「今のが鬼火でしょうか?」
「ああ、例の鬼火で間違いない」

 隣に立つの天佑が固い声でそう言う。

(もう一度現れないかしら?)

 玲燕は鬼火が消えた方向をもっとよく見ようと、目を懲らす。

 しかし、すっかりと日が暮れている上に今日は二十七夜だ。視界の先は、漆黒の闇に包まれている。そして、頭上には天極の極星が瞬いているのが見えた。

 騒ぎを聞きつけた人が玲燕達以外にも集まってきて、周囲から「鬼火が現れたぞ」「天帝がお怒りだ」と叫ぶ声が聞こえてくる。

「想像したよりも動きが速いです」
「私が前に見たときは、もっとゆったりした感じだった。遠目にゆらゆらと、風に揺れるような……」
「そうですか」

 玲燕はじっと考え込む。
 鬼火は確かに現れ、緑色をしていた。

(……緑の火か)

「天佑様。明日、明るい時間にもう一度ここに来ても? それに、これまで鬼火が目撃された場所も」
「明日の明るい時間に? 明るい時間に鬼火が目撃されたことは、今まで一度もないが?」

 腑に落ちない様子で、天佑は聞き返す。

「はい、わかっております。確認したいことがあるのです」

 玲燕は流れる川を見つめながら、頷いた。




 翌日、まだ日が昇るか昇らないかという時刻。
 寝台の上で体を起こすと、朝の空気が皮膚に触れる。

「段々と涼しくなってきたなあ」

 ついこの間まで、寝苦しいほどだったのに。

 玲燕は布団をぎゅっと引き寄せる。
 ここの寝台はふかふかしていて、寝心地がいい。ずっと寝ていたくなるが、そういうわけにもいかない。

 玲燕は寝台から抜け出すと、着慣れた胡服に身を包む。明明にどんな服が好きかと聞かれ、動きやすいからとお願いしたものだ。

 屋敷の中心にある庁堂に行くと、既に天佑の姿はそこにあった。

「天佑様、おはようございます」
「おはよう」

天佑は玲燕のほうを見て、柔らかく目を細める。

「今朝は、昨日の場所に行くのだろう?」
「はい。そうしたいと思っております」

 玲燕は頷いた。

 同じ場所でも、昼と夜とでは全く印象が異なる。
 天佑に連れられた向かった場所を、玲燕はじっくりと観察するように眺めた。昨日は暗くてよく見えなかなかったが、巌路川は川幅五メートルほどで、川岸は膝の丈ほどの草に覆われていた。

「昨日私達がいたのはどの位置でしょうか?」
「ちょうどあのあたりだ」

 天佑は今いる位置の後方、川岸に沿ってある砂利の歩道を指さす。玲燕はその場所に行くと、懐から小さな小箱を取り出し、中から一本の針を取りだした。

「羅針盤か?」

 蚕の繭から取った絹で中央が結ばれたそれを、天佑は見たことがあった。正確に方位を知りたいときに用いる道具で、よく易で使われるものだ。

「そうです。昨晩、鬼火を見た際に私は同じ方角に天極の極星があるのを見ました。天極は常に子の方角に位置します。即ち、この羅針盤が示す子の方角に、鬼火は現れたということです」

 玲燕はじっと針を見つめ、その針が示す子の方向に歩み寄る。

「あちらに渡りたいです」
「向こうに橋があるな。行こう」

 天佑は川下を指さす。
 二百メートルほど先に、細い橋が架かっているのが見えた。

 玲燕はその橋を渡り、川の向こう岸へと行く。

「火の玉が消えたのはこの辺りでしょうか?」
「そう思うが」

 天佑が頷く。玲燕はおもむろに川沿いの草の中に足を踏み入れると、どんどんと川岸に向かい水面を見た。

「思ったよりずっと浅い川なのですね。流れも緩い」
「ああ、そうだな。最近は晴れが続いているから、よけいに水量が少ないのかもしれない」
「とても都合がいいです。もしかすると、思ったよりずっと早く解決するかもしれません」
「どういうことだ?」

 玲燕の言う意味がわからず、天佑は聞き返す。玲燕は黙ったまま、じっと水面を見つめている。そして、胡服の下履きをたくし上げるとジャブジャブと川の中に足を踏み入れた。

「おい、何をしている!」

 ぎょっとした天佑が叫ぶ。

「捜し物です」
「捜し物? 一体何を?」

 天佑は問い返す。玲燕が何を捜しているのか、皆目検討が付かない。
 訝しむ天佑に構うことなく、玲燕は辺りを見回している。

 二十分近くそうしていただろうか。中腰で水底に目を凝らしていた玲燕が、ぱっと立ち上がる。

「ありました!」
「一体、何があったというのだ?」
「これです」

 玲燕が持っていたのは、一本の棒だった。水に沈んでいたのでびしょびしょに濡れている。長さは二十センチほどで、箸と同じくらいの大きさだ。

「その棒がなんだというのだ?」
「よくご覧下さい。これは、ただの棒ではありません」
「なんだと?」

 玲燕が差し出したそれをよく見ると、先っぽの先端が空洞になっており、焦げた布のようなものが巻き付いていた。松明に形が似ているが、それにしては細すぎる。

「なんだ、これは? 松明に形は似ているが……」
「これこそが、あやかし騒ぎの正体ですよ」

 玲燕はにんまりと口元に弧を描いた。

「鬼火の謎、解けました」


   ◇ ◇ ◇


 その日の晩、天佑は玲燕に呼ばれ、屋敷の中庭に向かった。
 灯籠が点された中庭には既に玲燕がおり、彼女のわきには水の張った大きな盥が置かれている。

「これから何をする?」

 天佑は周囲を見回す。
 まさかここに鬼火を呼び寄せようというのだろうか。

「まあ、座ってください。あ、お願いした材料集めありがとうございます」

 玲燕は思い出したように、天佑に礼を言う。
 今朝、玲燕に色々と材料を集めてほしいと言われたのだ。

「早速ですが、こちらをご覧ください」

 玲燕は天佑の前に、一本の箸を差し出す。端には、今朝川で見つけたのと同じように窪みがあり、綿が詰めてあった。

「こちらに火を付けます」

 玲燕は中庭を照らすために点されていた灯籠の中に、箸の端を突っ込む。程なくして煙が上がり、火が燃え移った。

 玲燕はそれを確認し、片側が燃える箸を目線の高さまで上げる。

「炎は何色に見えますか?」
「橙色だ」

 天佑は答える。それは、焚き火でよく見かける、天佑もよく見る炎の色だった。

「その通りです。では、これは?」

 玲燕はもう二本、同じような形状をした箸を取り出すと、その先っぽに灯籠の炎を重ねる。さほど時間がかからずに、炎は燃え移った。

 すると──。

「……黄色と緑色だ」

 天佑は信じられない思いでその炎を見つめた。先ほどの箸は橙色だったのに、今度の箸は炎は違っていた。一本は橙に混じり合うように黄色の光を、もう一本は緑色の光を放っている。

「ご覧の通り、これがあやかし騒ぎの正体です」

 玲燕はにこりと微笑む。

「どういうことだ?」
「至って簡単な仕掛けです。こちらと同じものをもうひとつ用意しておりますので、明るいところでご覧になってください」
「ああ」

 天佑はその箸を受け取ると、煌々と明かりの点される庁堂へと移動する。明るいところで見ると、その箸に詰められた綿には何か交じっているように見えた。

「なんだこれは? 濡れているが……それに、何が交じっている」
「こちらの綿には燃えやすいようにアルコールを染み込ませて、これと同じ成分をまぶしております」

 玲燕は財布を取り出し、そこから硬貨を一枚取り出す。

「銅貨?」
「はい、そうです。こちらは銅でございます」

 玲燕は銅貨をピンと指先で投げ、落ちてくるそれをパシッと掴んだ。

「あまり一般的には知られておりませんが、炎の色は混じり合う金属の成分で多種多様に変化します。銅が混じり合うと緑色に炎の色が変わることは鍛冶職人などにはよく知られた事実です。黄色は、塩分が交じった汁物を零したときなどによく見られる炎の色です」

 玲燕は説明しながら、天佑が手に持つ二本の棒を見つめる。